第412話 第二章「一両だけない」後編

 ロロは計器の光索を一本ずつ外した。

「距離計が正常だから、同じ線路にいる。そう思った奴」

 誰も手を挙げない。

「さっき責任者が言った」とハル。

「お前も一瞬思った顔してた」

「顔は証拠じゃない」

「セレナの台詞を盗むな」

「王家の知的財産じゃなかった」

「今そこじゃねえ!」

 ロロは二本の光索を床へ伸ばした。

「距離計は何を測ってる?」

「六号車後端と八号車前端」とエリア。

「どうやって」

「連結索を通る光の往復時間」

「そう。じゃあ、連結索が車両一両分だけ伸びても?」

「往復時間は増える」

「補正器が『連結中の標準距離』へ戻す」

 ロロは奥から小さな筒を引き抜いた。

 熱い。

 黄色い手袋から煙が上がる。

「触るな!」とサナの声はない。

 その不在が、誰より先にロロの補助腕を止めた。

 彼は筒を耐熱布へ落とす。

「補正器が焼けてる」

「故障?」とハル。

「働きすぎ。こいつは距離が変わるたび、『つながってるなら標準』って数字を戻す。標準へ戻すんじゃねえ。表示を標準へ戻してる」

「距離を測る機械が、距離を隠した?」

「連結を知らせる機械だ。距離を正直に知らせる機械じゃねえ」

 エリアの淡緑の瞳が細くなる。

「連結状態と位置関係を、同じ情報として読んでいた」

「そういうこと」

「同じ線路にいる必要はない」

「そこまでまだ言ってねえ」

「可能性として」

「言葉が正確だな。腹立つけど正確だ」

「褒め言葉として受け取ります」

「半分返せ」

 ロロは次に、連結器温度を表示させた。

 六号車後端、百六十二度。

 八号車前端、百五十九度。

 他の連結器は四十度前後。

「切断熱なら、もっと局所的に溶ける。落雷なら外側から焼ける。これは内筒が擦れた熱だ」

「何が擦れた」とカイル。

「伸びた。ものすごい速さで」

「連結器が?」

「一両分」

 空白を渡る二本の光線。

 それは単なる電気索ではない。

 内部に折り畳まれた鋼節を持つ、非常用の伸縮連結器だった。

「じゃあ七号車が抜けても、前後はつながる」とハル。

「抜けたって言うな。どっかへ移った」

「どこ」

「それを今から、車輪に聞く」

「車輪、ここにない」

「車輪は自分の削り粉を置いていく」

 ロロは連結器受けの溝へ、薄い磁布を差し込んだ。

 黒い粉が付く。

 鉄粉。

 片側は細く長い。

 片側は粒が大きい。

 六号車側と八号車側で、摩耗の向きが逆だった。

「前後の車両の車輪粉じゃないの?」

「材質が違う。七号車は二年前の重耐荷車輪。炭素が多い。こいつだけ歯へ当てると嫌な高音がする」

「食べないで」とエリア。

「食ってねえ!」

 ノクスが磁布へ鼻を近づける。

 雷臭。

 古い油。

 人の汗。

 二本尾が迷う。

 片方は前後の線路。

 もう片方は床へ伏せた。

「匂いで分からない?」とハル。

「ナァ」

「分からないって」

「勝手に翻訳しないで」とエリア。

「じゃ、何」

「『この油は不味い』」とカイル。

「『証拠を嗅がせるな』」とセレナ。

「『鉄粉くれ』」とロロ。

 ノクスは全員の手を順番に噛んだ。

「四人とも違った」とハル。

「あなたも含まれています」

 収容区画の点呼が終わった。

 六号車、全員。

 八号車、全員。

 七号車だけ応答なし。

 グラドはまだ「車両の位置未確認」と言わず、「通信障害」と呼んでいる。

 言葉は現実を変えない。

 しかし、誰が何を始めるかは変える。

 通信障害なら技師を待つ。

 車両消失なら捜索する。

 囚人脱走なら武装する。

 救難なら扉を開ける。

 同じ空白を、何と呼ぶかで列車の手が変わる。

「名簿を確認します」

 セレナが言う。

「閲覧権限がない」とグラド。

「七号車の存在が編成表から削除されたため、収容者の所在確認は星律緊急条項へ移りました」

「削除ではなく表示障害だ」

「では表示障害の記録を開示してください」

「機密だ」

「機密であることの根拠文書を」

「走行中だぞ」

「紙は走行速度で読めなくなりますか」

「セレナ、少し短く」とカイル。

「王太子殿下は発言を控えて」

「長くなった。怒ってる」

 グラドは名簿端末を開いた。

 七号車の頁。

 空白だった。

 人数欄も、氏名欄も、収容理由もない。

「停電で消えた?」とハル。

「記録は三系統へ保存されます」とテト。「車内、運行局、医療局」

「医療局」

 エリアが言う。

 テトは医療記録へ切り替える。

 一件だけ残っていた。

『患者名 ユール・ナハト』

『年齢 三十一』

『状態 胸部内出血疑い/移動非推奨』

『担当 ホルム医師』

『処置 未完了』

 その下へ、三十秒ごとに一つ、赤い印が増えている。

「この印は?」

 テトの喉が鳴る。

「脈止めの使用記録です」

「三十秒だけ傷の悪化を止める術」とエリア。

「治すんじゃない」とロロ。

「じゃ、三十秒ごとに」

 ハルは赤い印を数えた。

 九。

 十個目が増える。

 サナ・ホルムは、見えない車両の中で患者の死を三十秒ずつ先へ押していた。

 押した先に病院がなければ、時間は借金になる。

「七号車の記録だけ削除され、医療記録だけ残った」

 セレナの声が少し低くなる。

「意図的削除の可能性を追加。削除時刻、停電と同時」

「脱獄だ」とグラド。

 早かった。

 救難の言葉より、脱獄の言葉が先に用意されていた。

「収容者が車両を奪った。ホルムも共犯。全車封鎖、武装班を――」

「待って」とハル。

「待てない。収容者が十九名だ」

「医療記録が残ってる」

「偽装だ」

「偽装なら、なんで死にそうな記録を残す」

「同情を買うためだ」

「じゃ、あんたは買った?」

「何を」

「三十秒」

 グラドが黙る。

 ハルは端末の赤い印を見る。

 十一。

「脱獄でも、救難でも、どっちでもいい」

「よくない」とセレナ。

「罪の名前は後。今は車両を見つける」

「同意します。罪の分類を後回しにするのであって、消すのではありません」

「正確に付け足された」

「必要です」

「で、どこを探す」

 ロロは鉄粉を二列に並べた。

 左右で逆に削れている。

「同じ方向へ走ってねえ」

「逆走?」とカイル。

「前後じゃない」

 ロロは床を叩く。

「上下だ」

 その時、列車の下から金属を引きずる音がした。

 があああああん、と長い。

 天井灯が揺れ、連結器温度が二百度を越える。

 空白の向こうで、六号車と八号車の間隔は変わらない。

 表示は正常。

 正常という数字の中で、何かが焼け続けていた。

 医療記録へ、十二個目の赤い印が増えた。