第429話 第十一章「イヴァを拘束する」前編
拘束具は、自由を奪う道具である。
同時に、権力の形を見えるようにする道具でもある。
誰が閉じたのか。
何を防ぐためか。
いつ外すのか。
異議を誰へ言えるのか。
それらが記されていれば、拘束は少なくとも審査できる。
記されていなければ、親が子の手を引くことも、医師が患者を押さえることも、国が囚人へ鎖を付けることも、全て「あなたのため」という同じ言葉に隠れる。
雷鎖環の刑制史において、もっとも多く人を閉じ込めた器具は鉄輪ではなかった。
目的地の記されていない護送命令である。
鉄輪なら鍵がある。
行き先を他人に決められた人間は、どの駅で鍵を探せばよいかすら知らない。
セレナ・クロウは、イヴァ・レイルの手首へ拘束輪を掛けた。
自分の指で。
左手首。
右手首。
輪の内側へ指一本の隙間。
雷術遮断板は外す。
手指の血流を妨げない。
「拘束目的」とイヴァ。
「逃走防止、証拠物への無断接触防止、現在事件の公開審査までの身柄確保」
「救難線運行への参加防止は」
「含めません。緊急時の限定参加は、別の監督者二名の同意を要する」
「期限」
「鐘路第六公会港の緊急公開審査開始まで。開始後は審査官が再決定。最大三時間。延長には理由の公開と異議機会」
「異議先」
「私。カイル。公会港当直審査官。三者のうち一名が受理すれば記録へ載せる」
「カイルは王族だ」
「本件では乗客証人として登録」
「鍵の保管者」
「左右を分けます。左鍵は私。右鍵はサナ」
「医師へ拘束鍵を持たせるのか」
「身体状態から解除が必要な場合のため」
「サナは迷わず開ける」
「その後、私が理由を記録します」
イヴァは輪を一度ひねる。
「承認する」
「同意と記録します。ただし同意がなくても、現時点では拘束命令を出しました」
「そこを分けるのか」
「同意したから正しい拘束になるわけではありません」
「面倒な女だ」
「本日三人目の評価です」
「一人目と二人目は」
「記録しませんでした」
セレナは拘束票へ時刻を穿つ。
二十一時十一分。
イヴァの名を書く。
囚人番号は書かない。
名で呼ぶことは、無罪を意味しない。
罪があっても人間の名を失わないという、刑罰以前の確認だった。
検査台は、地図から消されていても重力からは消えていなかった。
七号車一両。
収容者十九人。うち患者一人は救護艇。
護送員四人。
医師一人。
救難参加者七人と一匹。
さらに証拠箱、拘束具、医療器材、武器、食料、旧保守部品。
合計荷重は、廃止前の安全値を二割越えている。
「法廷を始める前に、台が落ちます」とエリア。
「正確に何分」とセレナ。
「現在の雷圧なら四十三分。次の雲塊が重なれば十八分」
「公開審査港まで」
テトが時刻表をめくる。
「救護曳艇で二十六分。ブラック・ラインで九分」
「十一両は戻せない」とグラド。
彼は救護艇から渡された仮設通路の端へ立っていた。
濡れた制服。
右袖に焦げ。
指揮杖は折れている。
「なぜ」とハル。
「七号車なしで編成制動が不均衡だ。低速なら周回できる。検査台へ寄せれば、後部が雷鎖から外れる」
「列車の方が牢から出られない」
「比喩へするな」
「事実っぽい」
「曳艇二隻では全員を一度に運べません」とセレナ。
「優先順位を」とサナ。
救護艇から戻ったところだった。
赤い手袋は血に濡れ、左手二指がうまく曲がらない。閉じた艇内で息が浅くなり、外へ出た瞬間に大きく吐いた。
「ユールは」イヴァ。
「生きてる。今はそれ以上言わない。本人へ先に説明する」
「意識」
「戻りかけ。行き先を聞くのは二時間後」
「分かった」
「今、すぐ次を決めなかったな」
「学習中だ」
「遅い」
「列車よりは」
「比較対象が速すぎる」
サナは右拘束鍵を受け取る。
自分の首へ掛けず、赤い手袋の外袋へ封じた。
「イヴァの心拍百十四。不整二回。座らせろ」
「座れる」とイヴァ。
「できるか聞いてない」
「座る場所が進行方向へ向いていない」
「地図から消えた検査台に進行方向があるか!」
ロロが工具箱を逆さに置く。
「これなら本線向き」
「油が付く」
「服より心臓が高い」
「服も没収品だ」
「じゃ運行局へ洗濯代請求」
「認めない」とグラド。
「今日それ何回目だ!」
イヴァは工具箱へ座った。
背を完全には預けない。
急停車へ備える癖は、止まった台でも消えなかった。
「運ぶ順序を分けます」とセレナ。
「医療優先」とサナ。
「安全優先」とグラド。
「本人希望優先」とイヴァ。
「全部先頭は無理」とハル。
「だから項目を重ねます」とセレナ。
黒い証羽を四枚、鉄床へ刺す。
一、生命危険。
二、他者へ直ちに与える危険。
三、本人の希望。
四、証拠保全。
「優先順位を一列へしません。人ごとに四項目を評価する」
「十九人を?」グラド。
「護送員も医師も含め二十四人」
「台が落ちる」
「一人二十秒。八分」
「二十秒で人間を決めるのか」とオル。
「決めません。今の移送順だけです」
「後の扱いへ流用される」
「流用禁止を記載」
「禁止と書けば守られる?」
「守られなければ、破った事実を証明できます」
「弱い」
「弱い道具を捨てると、強い人間の記憶だけが残ります」
オルは反論を止めない。
「複製を取る」
「どうぞ」
彼は鎖へ隠していた紙へ、四項目を書き写す。
バスクは鼻で笑う。
「俺は二が高いんだろ」
「武器を置き、護送員へ直接攻撃しないと宣言。現在は中。過去の暴力歴は、今この場の切迫危険と分ける」
「優しいな」
「事実です」
「俺が今、あいつを殴ったら」
「高へ更新し、身体拘束を検討」
「殴らない」
「記録」
「そうやって良い子にするのか」
「あなたが殴らない選択を、自分の利益に使ってください」
「星律官は説教が下手だ」
「職務外です」
二十秒ずつ。
名前を呼ぶ。
傷を見る。
武器を見る。
希望を聞く。
分からないなら、分からないと記す。
護送員の一人は本線へ戻りたい。
しかし十一両へ乗れないため、公会港で運行局へ報告する選択に変える。
収容者の一人は、どこでもいいと言う。
「どこでもいいを希望へ書く?」とハル。
「書きません」とセレナ。「疲労、恐怖、諦めで選択不能の可能性。保留へ」
「本人がどこでもいいって」
「どこでもよいという積極的選択か、決めても無駄という断念かを確認します」
「質問が増える」
「人が減らないためです」
ラナは保留区画。
期限一日後の再確認。
法的支援者を選べる。
扉の内外から鍵を開けられる。
ただし雷域へ一人で出ない。
「鍵があるなら牢と同じ」とラナ。
「内側から開けられる」とロロ。
「外からも?」
「火事の時用」
「外の人が閉めたら」
「閉めた時刻と理由が全員へ鳴るようにする」テト。
「音を止められたら」
「床も光る。色だけじゃなく模様で」
「それでも」
「一日だけ試して、嫌なら変える」ハル。
「本当に変える?」
「変えなかったら、ラナが言えるよう記録する」
「言っても聞かない人はいる」
「いる」
「じゃあ」
「聞かない人がいたことを、他の人にも聞かせる」
ラナは、完全には安心しない。
完全に安心させる約束は、たいてい嘘である。
「一日」と言った。
曳艇一号が往復する。
最初は医療優先者。
サナは付き添わない。
「ユールのところへ行かないの?」ハル。
「別の医師へ渡した。私がいなきゃ死ぬ患者にしたら、救護じゃなく依存を作る」
「心配じゃない?」
「心配だから、引継ぎ記録を四枚書いた」
「会いに行けば」
「閉じた艇にもう一度乗る前に息を戻す」
サナは窓留めのない検査台で、空へ向かって三回呼吸する。
強い医師が閉所を怖がる。
怖がることと、仕事ができないことは同じではない。
怖さを隠して倒れる方が、患者には迷惑だった。
「二便目、法廷希望者」とテト。
オル、ディン、護送員二名。
証拠箱。
オルは乗る前に、セレナへ紙の複製を一枚渡す。
「あなたの記録が消された時用だ」
「私が保管すると同時に消える可能性があります」
「だから別の一枚はバスクへ」
「俺に紙を持たせるな」とバスク。
「字を読める」
「読めるから燃やしたくなる」
「燃やしたら、燃やした人間の名を残す」
「お前ら似てるぞ」とハル。
「不愉快だ」と二人が同時に言った。
最後の曳艇を待つ間、セレナはグラドと七号車へ戻った。
車内は、人が減った分だけ広く見える。
床の拘束輪。
外された槍架。
血の付いた手術台跡。
四本の索。
白、黒、黄、無着色。さらにバスクが槍柄で作った橋。
「これは証拠か」とグラド。
「選択経過の物証です」
「索まで法廷へ運ぶのか」
「切断位置を記録して一部保管。残りは保留区画へ転用」
「何でも残す」
「あなたの命令票も」
セレナは指揮卓から、制動射撃許可票を外す。
用紙の上部には、最初から三つの欄しかなかった。
『暴動』
『脱走』
『外部襲撃』
救難中の拒否。
医療目的の離脱。
移送先を争う者。
それらを書く欄はない。
「あなたは『脱走』へ印を付けた」
「他に欄がなかった」
「自由記述欄」
「狭い」
「書ける」
「十九時台、雷圧最大。車両消失。患者。収容者。全て書いてから命令を出せば遅い」
「だから脱走と呼んだ」
「一番近い欄だった」
「そうだ」
「一度印を付けた後、状況が違うと分かっても」
「命令系統は、分類を変えると全車へ再照会が要る」
「何分」
「最短十二分」
「患者は持たない」
「分かっている」
グラドの声が低い。
彼は用紙を言い訳に使える。
用紙が命令したわけではない。
印を押したのは彼だ。
だが人間の判断は、何もない空間で行われない。
欄の形。
申請順。
許された動詞。
制度は、選べる答えの幅を先に狭める。
「自由記述へ何を書く」とセレナ。
「今からか」
「あなた自身の審査資料へ」
グラドは票を取る。
狭い欄へ、小さい字で書く。
『患者存在確認後も脱走分類を維持。別分類への変更手順が救難時間を越えると判断。射撃許可を継続。判断者グラド・メイン。再審査を求める』
「免責を求めない?」
「求めれば、あなたは認めるか」
「証拠を見ます」
「面倒な女だ」
「件数は」
「数えるな」
「評価だけ記録しません」
グラドは四本の索を見る。
「列車の命令票にも、これだけ欄を作れば動けない」
「全ての選択を運行前に聞く必要はありません」
「では何を」
「緊急時に、分類を変えられる空欄を一つ」
「空欄は責任逃れに使われる」
「使われます。だから変更者と時刻を鳴らす」
「また制度を増やす」
「制度が人を潰した時、制度を全部捨てれば、次は強い人が直接潰します」
「お前は法が好きなのか」
「疑える形が好きです」
グラドは射撃許可票へ自分の印を押す。
命令時の印ではない。
審査へ出す印。
責任を認めることは、直ちに悪人になることでも、直ちに善人へ戻ることでもない。
自分の行為を、他人が触れる机へ載せることだった。
三便目は安全拘束を要する者。
バスクは自分から手首を出した。
「鎖じゃなく帯。前で。右腕を圧迫するな」
ディンが拘束を担当しようとする。
バスクは首を振る。
「お前じゃない」
「なぜ」
「さっき殴った。殴った相手へ縛られると、俺もお前も余計なことをする」
「誰なら」
「セレナ」
「私は証拠担当です」
「一番俺を信用してない顔だ」
「顔は証拠ではありません」
「その返しが気に入った」
セレナは前帯を締める。
「目的。移送中の他害防止。期限、公会港到着まで。異議」
「きつい」
「指二本」
「一・五」
「尺度を変えない」
「赤マフラー病が広がった」
ハルが抗議する。
「俺、病名になった」
「感染源」とエリア。
バスクが艇へ乗る。
逃げられる隙間はある。
彼は逃げない。
その事実は過去の強盗を消さない。
今の選択として残る。