第430話 第十一章「イヴァを拘束する」後編
鐘路第六公会港は、駅と裁判所の中間のような建物だった。
雷鎖環では、列車事故の責任を現地で争う必要がある。証拠も当事者も次の雷雲へ移ってしまうからだ。
そのため主要分岐には、公開審査台が設けられた。
半円の傍聴席。
中央の時刻鐘。
床へ埋め込まれた四本の線。
事実。
推定。
争いあり。
未確認。
証言者は、発言前に自分がどの線へ立つか選ぶ。
制度は長く使われるうち、しばしば形式へ堕ちた。
人は「事実」の線へ立てば、自分の意見まで事実になった気がする。
セレナは四線を使わなかった。
代わりに机を六つ置いた。
一、消失方法。
二、救命行為。
三、逃走・拘束。
四、運行局の判断。
五、個人別の移送先。
六、未解決事項。
「分けすぎだ」と当直審査官。
白髪の女性だった。名札はベル・カンテ。片眼鏡を額へ上げ、夜着の上から審査外套を着ている。
「通常は事件一件、机一つです」
「一つへ載せると、重い評価が他を潰します」とセレナ。
「星律官は他管区の制度へ口を出す」
「事故は他管区の人間も潰します」
「礼儀がない」
「時間もありません」
ベルは鼻で息を吐く。
「気に入った。始める」
公開鐘が一度鳴る。
傍聴席には救護員、線路工、運行局員、家族連絡所、新聞記録師。さらに港外の投影板へ、審査内容が遅延表示される。
イヴァは被拘束席へ座る。
囚人番号札が机に置かれていた。
彼女は裏返す。
「規則です」と書記。
「名で呼べ」
「収監者識別のため」
「名と生年月日と左耳火傷で識別できる」
「番号は一意です」
「私も一人だ」
ベル審査官が番号札を取り上げる。
「被審査者、イヴァ・レイル。現在の拘束根拠を」
セレナが読み上げる。
「違法分岐起動を本人が認めた。第二条件改変への関与は未立証。逃走可能性、証拠接触可能性を理由に、三時間上限の限定拘束。身体緊急解除鍵は医師が保管」
「本人の異議」
「拘束そのものへは現時点でなし。公開法廷移送を要求。番号呼称を拒否」
「グラド・メイン」
グラドが事実線へ立とうとする。
「机を選べ」とベル。
彼は迷い、四の運行局判断へ立つ。
「七号車は国家線妨害犯を含む収容車。イヴァ・レイルは無断で分岐を起動し、車両を本線から離脱させた。結果、複数の被収容者が指定拘束位置を離れ、護送員が武装解除された」
「救命目的を認識していたか」
「停電前は認識していない」
「停電後は」
「医療記録を確認した」
「制動射撃許可を出した時点」
グラドの口が止まる。
「確認後だ」
「患者がいた」
「脱走車両へ指定した」
「患者を除外する手段を検討したか」
「通信が不安定だった」
「検討記録」
「ない」
「なぜ」
「時間がなかった」
同じ言葉。
イヴァも使った。
サナも使う。
ハルも飛ぶ時に使う。
時間がないことは、判断を免罪しない。
ただし、時間があった時と同じ完全さも要求できない。
「制動射撃判断は別審査へ」とベル。「現在のイヴァ審査に混ぜない」
グラドが顔を上げる。
「私も被審査者か」
「指揮者である」
「列車を守った」
「その評価も別に置く」
グラドは反論しない。
彼は悪人の顔をしない。
自分が正しいと思って出した命令で、人を殺しかけた顔をする。
悪人でないことは、検証を不要にしない。
第一の机。
消失方法。
ロロが車輪片、油、伸縮器の熱記録を置く。
「透明化なし。転送なし。時間飛びなし。七号車は八秒間、旧下層保守線を物理走行」
エリアが経路図を重ねる。
「連結表示は接続の継続のみを示し、同一線路を保証しません。前後連結器は伸長し、上下別層を同時走行」
テトが時刻鐘を鳴らす。
「十九時二十分十六秒から二十四秒。旧給電表と一致」
サナが医療記録。
「十五秒、患者内圧変化。イヴァが救難起動を判断した時刻と一致」
セレナが銅片を示す。
「第二条件改変片。三枚歯工具痕。使用者未確認。現在、特定人物へ結び付けない」
「イヴァ」とベル。
「第一条件を起動した」
「法令違反を認識」
「認識」
「目的」
「患者を大揺れから外す」
「収容者逃走」
「目的ではない」
「結果を予見したか」
「下層へ入ることで拘束監視が乱れる可能性は予見した」
「それでも」
「患者が死ぬ可能性を高く見た」
「護送責任者へ申告しなかった」
「拒否されると予見した」
「実際、拒否された可能性は」
「高い」
「推定」
「推定だ」
イヴァは自分へ有利な言葉を、事実の線へ置かない。
「救命成功は」とベル。
「患者は生存。最終予後未確定」とサナ。
「分岐がなければ」
「大揺れで死亡した可能性が高い。断定はしない」
「違法行為が命を救った」
「救命への寄与が高い」
「歯切れが悪い医師だ」
「死者数を美談へ使う奴よりましだ」
第二の机。
救命行為。
第三の机。
逃走と拘束。
バスクが前帯のまま立つ。
「俺は護送槍を奪った。護送員ディンを殴った」
「理由」とベル。
「患者台が外れた。槍柄で固定するため。ディンを殴ったのは、俺を床へ戻そうとしたからだ」
「正当防衛を主張」
「してねえ。強く殴った。必要より一回多い」
「なぜ認める」
「俺の犯罪を、政治犯の正義へ混ぜられたくない」
「あなたは別件で強盗罪を争う」
「やった部分は争わねえ。量刑と、看守に折られた腕は争う」
オルが立つ。
「私は逃走を望んだ」
「実行」
「七号車の扉を閉めた。戻ることを拒否した」
「本線復帰を妨害」
「患者と未裁判者を、走る監獄へ戻すことを妨害した」
「自分の拘束から逃れたい目的も」
「ある」
「政治目的だけではない」
「自由になりたい。政治犯も自由を望む」
「あなたの有罪無罪は」
「公開法廷で争う」
ディンが立つ。
「私は護送員として復帰命令を出した。七号車内で槍を向けた」
「使用」
「なし」
「なぜ」
「患者区画が射線へ入った」
「その後、武装使用条件を限定」
「ハルたちの作戦へ参加した」
「職務違反」
「そうなる」
「後悔」
「命令へ従わなかったことは、していない。もっと早く疑わなかったことは、している」
善悪は一列へ並ばない。
人は同じ夜に、殴り、救い、嘘をつき、正直になる。
裁判が難しいのは、人間が複雑だからではない。
複雑さを一つの判決文へ圧縮しなければならないからだった。
「本審査では、現在の移送措置だけを決める」とベル。「刑事責任は公開法廷へ送る」
個人別の移送先。
ユール・ナハト。
共同救護院。意識回復後に本人へ説明。医療費と身分照会を切り離す。
バスク・ドレン。
施錠可能な救護区画。前帯。医療処置後、公開刑事法廷。過去罪と今夜の暴行を別件記録。
オル・ケド。
中立証人区画。死亡名簿と移送記録を複数保管。逃走意思を隠さず審査。
ディン・ロア。
護送職務から一時外し、証人区画。家族連絡を許可。職務違反審査。
ラナ・シェイ。
行き先保留区画。明日再確認。代理決定者なし。法的相談を受けるかも本人が選ぶ。
他の収容者も、一人ずつ分ける。
殺人罪の確定者は高警備区画へ。
ただし医療器具は外さない。
身元未確定者は、身元を確定するまで犯罪区分へ入れない。
労働扇動罪の者は、罪名が暴力行為を含むか記録を確認する。
全員を釈放しない。
全員を同じ牢へ戻さない。
制度としては遅い。
人間としては、ようやく一人ずつだった。
「イヴァ・レイル」とベル。
公会港の時刻鐘が二度鳴る。
「現在事件について、違法な第一条件起動を本人が認める。救命への高い寄与あり。第二条件改変と衝突固定への関与は未立証。逃走幇助の目的も未立証。よって無罪放免もしない。有罪確定としてブラック・ラインへ戻しもしない」
傍聴席がざわめく。
「公開法廷へ移送。証拠接触を制限。逃走防止の限定拘束を継続。移送手段は」
グラドが立つ。
「ブラック・ライン」
「法廷へ停車できるか」
「運行許可を取る」
「何日」
「最短六日」
「拘束期限を延長する理由になるか」
「国家線妨害犯だ」
「現在事件の被審査者でもある。公開法廷へ着かない列車を、公開法廷への移送手段と認めない」
カイルが言う。
「ゼロスター号なら、明朝出発できる」
「王国船だ」とグラド。
「私有船ではない。学院臨時航路船。乗員は証人。セレナが監督し、寄港地を公開する」
「王太子が被疑者を連れ去る」
「その見出しは嫌だな」とカイル。
「嫌で済むか」
「済まない。だから王族権限を使わず、移送契約を公会港と結ぶ。船内の拘束条件も公開する」
「逃げたら」
「私も審査を受ける」
「王族を誰が裁く」
「そこから作らないといけないのが、我が国の悪いところだ」
冗談に聞こえる。
本気だった。
ベルはセレナへ向く。
「監督できるか」
「条件付きで」
「条件」
「イヴァ本人を客ではなく被移送者として登録。ただし運行上の知識提供を禁止しない。トランジットは封印保管。使用は緊急時、本人以外を含む三名承認。船内拘束は夜間と危険寄港時のみ、日中は行動範囲制限へ変更。毎日異議確認」
「緩い」とグラド。
「逃走危険の具体的根拠」
「過去に国家線を妨害した」
「今回、自ら公開法廷を希望。救難後も逃走機会を使わず、拘束を要求。低から中」
「能力がある」
「能力所有は拘束理由になりません。使用条件を制限」
ベルがイヴァへ問う。
「受けるか」
「法廷へ行く」
「船へ乗ることを」
イヴァはハルたちを見る。
ゼロスター号。
片帆を継ぎ、六つに割れた帆を修理しながら飛ぶ船。
列車ではない。
決められた線路がない。
それはイヴァにとって、自由より恐怖に近かった。
「進行方向へ向く席はあるか」
「全部動く」とロロ。
「固定しろ」
「費用」
「没収口座から」
「使えねえって言っただろ!」
「では借りる」
「利子」
「公共救難線完成後に返す」
「夢を担保にするな!」
「燻製豆三袋」
「成立」
「安い」とハル。
「食料相場を知らない奴は黙れ」と二人。
イヴァが言う。
「受ける。法廷まで」
「その後」とハル。
「その後は、法廷の結果と自分で決める」
「帰る?」
「ノルンへ帰りたい」
「言えた」
「記録するな」
「俺は記録しない」
セレナが羽根札を伏せる。
「私も、本人の要請により私的希望欄を封印」
「記録してる!」
「封印しました」
「面倒だな」
「本日四人目」
審査終了鐘の直前、ラナが手を挙げた。
「まだ一人、聞いてない」
「誰を」とベル。
ラナは傍聴席ではなく、保留区画の隅を見る。
灰色の帽子を目深にかぶった男がいる。
名簿上、身元未確定。
食事配給では一人分。
拘束具番号はある。
罪名欄は黒塗り。
先ほどの二十秒確認で、男は「どこでもよい」と答えた。
セレナは保留へ入れた。
「もう一度」とラナ。「どこでもいいじゃない顔」
「顔は証拠ではありません」とセレナ。
「私も、ああいう顔してた」
経験は証拠ではない。
質問をやり直す理由にはなる。
セレナは男の前へ行く。
「氏名」
「記録にない」
「本人が名を言わないのか、記録から消されたのか」
「両方」
「現在の希望」
「降ろせ」
「どこへ」
男は灰帽の下から、イヴァを見る。
「元車掌なら分かる」
「場所を言え」とイヴァ。
「切符へ穴を一つ足せ」
傍聴席の車掌たちがざわつく。
「形は」とテト。
「名前のない穴だ」
男は、ゆっくり言った。
「十三番駅で降ろせ」
公会港の時刻鐘が、三度目を鳴らさず止まった。