第450話 第九章「分類を知っていた車掌」後編
投票結果の後、三つの鍋は片づけられなかった。
多数決は決定を作る。
少数の理由を消す権利までは作らない。
案内継続へ入れた三人のうち、一人が話した。
「イヴァがいなければ、私の母は三年前に拘束区へ着いていた」
完全離任へ入れた十一人から、別の声。
「イヴァがいたから、私の兄は自分で出られなかった」
補助のみへ入れた者。
「道は知っている。だが道を選ばせたくない」
棄権した者。
「どれへ入れても、私の怒りがイヴァの役職表になるのが嫌だった」
イヴァは別室から戻り、四つを聞いた。
反論しない。
感謝へ頭を下げすぎない。
非難へ罰を求めすぎない。
どちらも、自分を中心にしてしまうからである。
「三票を、私の正しさへ使わない」とイヴァ。
「十一票を、全部間違いだった証拠にも使うな」とフェル。
「承知――」
イヴァは止まる。
「分かった」
放送語ではない返事。
メラが黒板へ、投票結果をそのまま書く。
継続、三。
補助、二十九。
離任、十一。
棄権、四。
その横へ、理由は書かない。
理由を書けば誰の票か推測される。
「数字だけだと、冷たい」とハル。
「理由を公開すると危険」とメラ。
「じゃ、理由があるってことだけ」
エリアが透明板へ一行を足す。
『各票には、非公開の理由がある』
「証拠になる?」ハル。
「理由の内容にはならない」とセレナ。「しかし、無理由の気まぐれとして扱わせないための記録にはなる」
「棄権も?」
「棄権は無関心とは限りません」
二結びが青い紐を持ち上げる。
「私は入れなかった」
「どうして」とハル。
「昨日の名前なら継続。今日の私は離任。明日の私は分からない」
「一票にできない」
「だから入れない」
イヴァは二結びを見る。
「棄権を零へしない」
「青い車掌が決める?」
「記録へ残す提案をする。決めるのはあなたたち」
二結びはメラを見る。
メラが頷く。
黒板へ書く。
『棄権四。理由あり。内容非公開』
投票は、全員を同じ答えへ揃える儀式ではない。
違うまま、次の作業を始めるための不完全な停車だった。
権限の引渡しは、物で行った。
旧保守線の鍵。
三枚歯の整備図。
移動履歴の暗号表。
イヴァの古い延長票。
十三番分類の停止申立て三通。
進路選択用の青い紐。
オルサ一人へ渡さない。
鍵はメラ。
整備図はロロと駅の若い修理者。
暗号表はセレナが封印し、住民代表二名の同時許可で開く。
延長票は公開法廷用。
停止申立てはヘスタの監査記録へ複写。
青い紐は、子供たちへ渡された。
「どうして子供」とカイル。
「大人が勝手に結んだら、ほどくため」とメラ。
名のない少女が紐を指へ巻く。
「切ってもいい?」
「あなたの分は」とイヴァ。
「青い車掌の物じゃない?」
「もう違う」
「返してって言わない?」
「言わない」
「後で料金」
「取らない」
「信用は」
「保留でいい」
少女は紐を一度ほどき、短く切った。
半分を自分へ。
半分をミコと呼ばれていた時の靴へ結ぶ。
「今の名前」とハル。
「まだない」
「呼ぶ時どうする」
少女は青い紐を上げた。
「これ」
「青紐?」
「色で分からない人は」テト。
「短い二結び」と少女。
「じゃ、二結び」
「今だけ」
「覚える」
作戦は住民側から提案された。
オルサが言う。
「駅を一か所へ移さない」
メラ。
「名前を一つの名簿へ集めない」
フェル。
「生活している事実は隠さない」
二結び。
「今は答えない人を、零にしない」
四つ。
エリアが透明板へ書く。
「実装へ分けます」
第一。
公開記録。
所在地を伴わず、権利主体となる生活者集団が存在することを登録する。医療、食料、教育、乗降、裁判申立ての最低権利。
第二。
非公開住所。
現在地は住民代表が分散保管。中央台帳へ接続しない。救難時だけ、本人が指定した複数者の合意で開く。
第三。
個別選択。
残る、医療、法廷、自由港、家族連絡、保留、無回答を別々に管理する。
第四。
匿名索。
名前なしで人数と希望停車を記録。本人所持。車両側は半片。到着後、本人が残すか切る。
第五。
緊急代理。
「ここ」とサナ。
赤い手袋で板を叩く。
「意識なし、生命危険あり、待てない。医療、現地代表、本人指定代理の三者。指定代理がなければ、医療と現地と運行の三者。決めるのは安全な一時停車まで。公開名、最終目的地、司法申立ては決めない」
「三者が揃わない場合」とイヴァ。
「二者で救命。理由と時刻を残す。一定時間後に自動終了」
「一定は」
「状態別。呼吸停止なら即時。出血なら三十秒。意識混濁だけなら待てる」
「誰が状態判定」
「医療者。後から監査を受ける」
「監査官」とヘスタ。
「嫌でもあなた」
「記録する」
第六。
物理救難。
残った裏ホームを一地点へ固定しない。複数の車両へ生活設備と人を分ける。切離し時、全車へ人員保護を仮設する。
「仮設回路はできる」とロロ。「ただし十三番札と旅客札を同時に使うと循環する。新しい札が要る」
パルが匿名索を上げる。
「札じゃなく、結び」
「機械は索を読まねえ」
「読ませる」
「簡単に言うな」
「料金」
「高いぞ」
「同じ飯の人割引」
「お前、家族って言わねえくせに」
「同じ飯」
「……半額」
「成立」
第七。
トランジット。
封印箱を開ける条件。
セレナ。
「証拠保全責任者」
ロロ。
「物理限界確認者」
住民代表。
「停止条件を選ぶ者」
イヴァ本人は承認者へ入らない。
「私の能力だ」とイヴァ。
「だから入れない」とオルサ。「使うかどうかを、またお前一人へ戻さない」
「拒否権は」
「お前にある」
「使用を強制しない」サナ。
「だが使う提案は、私以外から」
「そう」
イヴァは頷く。
自分の能力を使わない権利と、使う決定を独占しない仕組み。
権限を分けることは、責任から逃げることではない。
責任の形を、英雄一人の身体から、検証できる手続へ移すことである。
期限。
残り四時間二十分。
第一目標。
三時間以内に仮設車両を四系統用意。
第二目標。
二時間以内に匿名索の機械読取を完成。
第三目標。
一時間前までに選択の第一段階――残るか一時退避か――を本人が確認。
撤退条件。
裏ホームの主骨が二本以上折れた場合、全員一時退避。
雷圧が規定を超えた場合、選択未了者も最寄りの安全車へ救命移送。ただし行き先は保留。
ロロの喘息発作。
エリアの路図連続展開が八分を超える。
カイルの王盾炎反動で意識低下。
ハルの左肩荷重。
イヴァの不整脈が連続三拍欠け。
「俺の条件だけ低くない?」ハル。
「自覚が低いから」とエリア。
「左肩に一回で撤退?」
「一回で申告。二回で役割変更。三回目は私が縛ります」
「どこに」
「安全な席へ」
「恋愛的な台詞に聞こえなくも」
「四回目を待たず縛るわよ」
「了解」
「承知、ではなく?」イヴァ。
「車掌が移る」
「私は補助のみ」
「じゃ、言い直す。了解」
少しだけ、空気が戻る。
冗談は傷を消さない。
傷のある場所で、次の作業を始めるための足場になる。
作戦開始前、イヴァは穿票鋏トランジットの封印箱を運んだ。
住民代表の前へ置く。
オルサは触れない。
二結びが、箱へ手を載せる。
「青い車掌の?」
「能力は私の身体へある。鋏は道具」
「使ったら、誰が決める」
「あなたたち」
「私、子供」
「決めたくないなら決めなくていい」
「決めないって決める?」
「それも一つ」
二結びは箱から手を離す。
「今は、オルサ」
決定を委ねる。
オルサが手を載せる。
メラも。
フェルも。
三人。
一人へ集めない。
「イヴァ・レイル」とオルサ。
初めて、青い車掌でも、番号でもなく名を呼ぶ。
「お前を、案内役から外す」
「承知した」
「補助として、線路限界を言え」
「次の停車まで、四時間二十分」
「停車名は」
イヴァは答えない。
オルサが自分で言う。
「私たちが決める」
駅の残った鐘が鳴る。
発車ではない。
住民が、自分たちで作戦開始を告げる音だった。