第452話 第十章「十三番を降ろす」後編

 残り三分。

 全車両が同時に動いた。

 同じ方向ではない。

 医療車は上層雷路。

 法廷車は監査列車後方。

 自由港車は西側救難索。

 中継車は通信島。

 保留車は分岐手前の環状線。

 残留三車は、互いに逆方向へ離れる。

 線路が花のように開く。

 花という比喩は美しい。

 実際には、八本の鉄路が雷雲の中で互いを避け、一寸でも誤れば車体を切り裂く作業である。

 美しいものほど、裏側に大量の調整がある。

「テト!」

「医療、丸! 法廷、三角! 自由港、二本! 中継、四角! 保留、半円!」

 五人の発標者が、それぞれ自分の車両で標を出す。

 テトは中央で全てを出さない。

 標が重なった場所だけ、笛で警告する。

「丸と三角、二拍後に交差!」

 サナの医療車が速度を落とす。

 オルサの法廷車は落とさない。

「病人を先」とオルサ。

「裁判記録の接続時刻が」とヘスタ。

「遅らせろ!」

「監査列車へ要求」

「要求じゃ遅い!」

 カイルが王盾炎を交差点へ出す。

 赤い盾面が、法廷車の車輪を一拍だけ滑らせる。

 速度差がつく。

 医療車が先へ抜ける。

 反動がカイルの背へ返る。

「景気、悪――」

 声が切れる。

「カイル!」

「意識あり!」

「二語以上!」サナ。

「借金が増えた!」

「十分!」

 サナは医療車から遠隔索を投げ、カイルの胸へ貼る。

 脈は速いが連続。

「王盾炎をあと一回使ったら役割変更!」

「命令か」

「医療条件!」

「了解!」

「素直な患者、気持ち悪い」とハル。

「聞こえてるぞ!」

 ハルとエリアは、外骨へ出る。

 重力が三度変わる。

 右。

 天井。

 雲側。

 透明板を現在地へ合わせる。

 ハルは線を読まない。

 エリアの踵が打った場所を追う。

 一、二、三。

 三を言える。

 怖い。

 怖いと言った後の方が、数は最後まで出る。

「母線、十二歩!」エリア。

「黒鎖が間に!」

「次の牽引で離れる!」

「待つ?」

「待てば残留車へ当たる!」

「じゃ、行く!」

「一人で決めない!」

「質問! 今行く?」

 エリアは雷の周期を読む。

 ノクスの尾が二方向を指す。

 一つは現在。

 一つは二拍後。

「二拍後!」

「了解!」

 一拍。

 黒鎖が張る。

 二拍。

 鎖が上へ振れる。

「一、二、三!」

 二人が同時に跳ぶ。

 ハルは右手で外骨を掴む。

 エリアはグリムリリーを分類母線の固定環へ突き刺す。

 ノクスが二本尾で透明板を保持する。

 母線は太い。

 銅の内側へ、古い三枚歯の刻印。

 十五年前の部品。

 十三番を場所ではなく、全車へ配る線。

「切るだけ?」ハル。

「切れば、人員保護も止まる可能性」

「ロロ!」

『仮設橋、あと四十秒で同期!』

「四十秒待てる?」

 残留学校車が黒鎖へ引かれる。

 メラが車内で標を出す。

 厨房車との接続が伸びる。

 寝台車の水槽が揺れる。

「三十秒!」テト。

「母線温度、上昇!」エリア。

「待てる?」

「私に聞かないで」

「誰に」

「住民!」

 通信管を開く。

「分類母線切断まで四十秒! 待てば仮設保護が入る! 待たなければ十三番は早く切れるが、切離し保護なし!」

 オルサは法廷車。

 代表ではない。

 残留三車の発標器から、返答が来る。

 学校車、待つ。

 厨房車、待つ。

 寝台車、待つ。

 メラ、別の声。

「ただし三十秒で再確認!」

「了解!」

 決定へ期限をつける。

 十秒。

 母線が熱い。

 二十秒。

 エリアの右腕が震える。

 二十五秒。

 両踵の痛みが三へ上がる。

「ハル」

「いる」

「七枚目、右へ半歩」

 透明板を合わせる。

「これで」

「撤回路が残る」

「母線を切った後も?」

「分からない」

「じゃ、残す」

 三十秒。

 再確認。

 学校、待つ。

 厨房、待つ。

 寝台――返答なし。

「寝台車!」

 匿名索箱の総数、七。

 身体反応、七。

 通信だけがない。

「落雷で送信器故障!」ロロ。

「返事を待つ?」イヴァ。

 誰も彼女へ決定を求めない。

 補助として、情報を言う。

「主骨限界、残り十八秒。返答を待てるのは十二秒」

「寝台車の現地発標者は」とエリア。

 二結びではない。

 高齢の女、現在名なし。

 標器の手動線は車外。

「ハル」とエリア。

「行く」

「私が頼む前に決めない」

「じゃ、頼んで」

「寝台車の撤回標を見て。十二秒で戻って」

「了解」

 ハルは透明板をノクスへ預ける。

「持ってて」

「ナァ」

 一、二、三。

 黒鎖の下を走る。

 左肩を使わない。

 右手、右足、腰索。

 寝台車の外側へ着く。

 発標者が倒れている。

 意識あり。

 右手で標器の紐を握っている。

「待つ?」ハル。

 女は首を横へ振る。

「切って」

「理由」

「水槽の支柱が割れた。待てば車が重くなる」

「七人は」

「退避できる」

「どこへ」

「厨房車へ」

「残る選択は」

「場所じゃない」

 その言葉。

 ハルは標器を二度引く。

 切断承認。

「戻る!」

 寝台車の七人が厨房車へ索橋で移る。

 水槽を捨てる。

 三年間運んだ水の種菌だけ、小瓶へ残す。

 車体が軽くなる。

「仮設橋、同期!」ロロ。

『旅客保護 四十七』

『分類 未設定』

「今!」

 エリアがグリムリリーを回す。

 母線の外皮を裂く。

 ハルが右手で切断索を引く。

 二人だけでは切れない。

 ノクスが二本尾を巻く。

 ロロの遠隔補助腕が一本、外骨を這って届く。

 カイルの王盾炎は使えない。

 代わりに左手で物理索を引く。

 ミラの救難車が風帆を張る。

 テトが全車へ同じ命令を出さない。

 各車の発標者が、自分のタイミングで一度ずつ索を引く。

 医療。

 法廷。

 自由港。

 中継。

 保留。

 学校。

 厨房。

 七方向の力が、同時ではなく、母線の亀裂へ順番に入る。

 一本の巨大な力より、違う小さな力が、裂け目を広げる。

 銅線が切れた。

 音は、切符鋏のように短い。

『設備十三種 接続喪失』

『分類照会』

『旅客 四十七』

『目的地 複数』

『氏名 非公開』

『処理不能』

「処理しなくていい!」ロロ。

 だが中央拘束設備局の黒鎖は止まらない。

 分類母線を失った駅を、無人設備として引き続ける。

 最後の物理危機が残る。

「トランジット使用を提案する」

 オルサが言った。

 住民側から。

「停止条件」とセレナ。

「駅を止めない」

 エリアが見る。

「何を」

「黒鎖の牽引を、最後の選択済み車両が分岐を抜けるまで止める」

「時間」

「九十秒」ロロ。「それ以上は、イヴァの心拍と鎖圧が持たねえ」

「使用後の解除」

「九十秒で自動。途中解除は住民発標三つ」

「停止位置」

「決めない。現在速度だけ零へ近づける」

「対象」

「牽引鎖三本。車両ではない」

 イヴァが初めて口を開く。

「鎖を止めれば、拘束設備局の主機へ反動が返る」

「損傷予測」とヘスタ。

「安全弁が正常なら軽微。閉じていれば破損」

「監査記録では安全弁、三日前点検済み」

「点検者」

「中央」

「信用度」ロロ。

「記録上は有効」

「現場上は」

「不明」

「最悪、主機が壊れる」ハル。

「人は」とサナ。

「拘束設備局の車両に十一名」ヘスタ。

「人命危険を増やさない条件が要る」

 イヴァは鎖の振動を読む。

 左耳ではなく、足裏で。

「完全停止ではなく、力を三本へ逃がす。第一鎖は九十秒。第二は六十。第三は三十。順に解除すれば、主機へ一度に返らない」

「決めてる」とオルサ。

「物理限界を説明した」

「選択は」

「三段停止を提案する」

 オルサ、メラ、フェル。

 住民代表三人が離れた車両から確認する。

 フェルは医療車の寝台に座っている。

「医療車、承認」

 メラ。

「残留車、承認。ただし六十秒時点で再確認」

 オルサ。

「法廷車、承認。停止中の進路は各車が決める」

 セレナ。

「証拠保全責任者、承認。使用条件、対象、期限、解除を記録」

 ロロ。

「物理限界確認、承認。九十秒超過で強制切断」

 封印箱が開く。

 穿票鋏トランジット。

 青白い刃。

 イヴァは左手で持つ。

 右手は震えている。

「使うかどうかは、あなたが決める」とサナ。

「拒否しても計画は変える」とエリア。

「強制しない」とオルサ。

 イヴァは三つ編みを背へ払う。

 発車前の塩を一粒、線路へ落とす。

「使用する」

「理由」とセレナ。

「住民が選んだ車両を、住民が選んだ分岐へ通す時間を作るため。私が目的地を決めるためではない」

「記録」

 イヴァは鋏を鳴らす。

 一度。

 私情を隠さない音。

「次の停車は――鎖だけ」

 トランジットが黒鎖の影を挟む。

 切るのではない。

 停止条件を穿つ。

 一枚目。

 九十秒。

 二枚目。

 六十秒。

 三枚目。

 三十秒。

 青い標が、三本の鎖へ走る。

 轟音。

 雷雲全体が一瞬、息を止めた。

「全車、進路は各車で!」

 テトの放送。

「次は――自分の標を見て!」

 医療車が丸へ。

 法廷車が三角へ。

 自由港車が二本線へ。

 中継車が四角へ。

 保留車は半円の中を周回する。

 残留学校車と厨房車は、互いに逆へ離れ、分散鍵を保持する。

 寝台車は空になった。

 残った生活用品を回収する時間はない。

 水槽も、古い靴も、死亡者の布片も、全ては救えない。

 オルサが法廷車から叫ぶ。

「布片だけ!」

 ハルが外骨を見る。

 寝台車の壁。

 小さな布袋が一つ、釘へ残っている。

「行く」と言いかける。

 エリアが先に聞く。

「条件」

「往復二十秒。右手だけ。左肩荷重で撤退。透明板は」

「私が持つ」

「踵」

「三。路図は切った」

「頼める?」

「今度は私が言う。取ってきて」

「了解」

 一、二、三。

 ハルが走る。

 九十秒の鎖停止。

 残り七十二。

 空の寝台車へ跳ぶ。

 床が逆転する。

 壁だった場所へ着地。

 右手で釘を抜く。

 布袋は軽い。

 軽すぎて、三年運ばれた重さがないように思える。

 戻る。

 黒鎖第一が震える。

 残り五十八。

「再確認!」メラ。

 残留二車の発標器。

 続行。

 医療車、分岐通過。

 法廷車、通過。

 自由港車、通過。

 中継車、通過。

 保留車がまだ環状線。

「保留車、選択変更一!」テト。

 六人のうち一人が、自由港へ変更。

 匿名索を結び直す。

 二本線。

 自由港車はすでに分岐の先。

「戻れない?」

「撤回路!」エリア。

 透明板七枚目。

 ハルが走った順。

 自由港車の後部へ、短い戻り線が一つ残っている。

「ミラ、速度を二拍落として!」

「料金!」

「後!」

「成立!」

 ミラが風帆を逆へ切る。

 自由港車の後部が撤回路へ寄る。

 保留車から一人が渡る。

 自分で索を持ち、自分で二本線へ結び直す。

 誰も名前を聞かない。

 残り四人と二結びは、保留のまま。

 第一鎖、九十秒。

 解除。

 反動が中央拘束設備局へ返る。

 遠くで安全弁が開く。

 白煙。

「十一名、身体反応あり!」ヘスタ。

「第二、六十秒!」ロロ。

 解除。

 別の安全弁。

 正常。

「第三、三十!」

 イヴァの心拍が一つ欠ける。

 サナが数える。

「一」

 二つ目。

「二」

 右手の震えが肩まで上がる。

 イヴァは鋏を閉じ続ける。

「三拍欠けたら役割変更!」

「あと五秒」

「身体は秒を読まない!」

 三つ目。

「中止!」サナ。

 住民発標器が三つ鳴る。

 オルサ。

 メラ。

 フェル。

 途中解除。

 イヴァは鋏を開く。

 第三鎖が解放される。

 予定より二秒早い。

 保留車の最後尾が、分岐を半分残していた。

「当たる!」テト。

 黒鎖が振れる。

 カイルは王盾炎を使えない。

 ロロの補助腕は届かない。

 ハルは寝台車から戻る途中。

 エリアがグリムリリーを地面へ突く。

 路図を再開すれば、踵の限界を越える。

 自分一人で補正するな。

「ハル!」

「いる!」

「布袋を投げて! 右手を空けて、保留車の索を取って!」

 具体的な役割。

 ハルは布袋をエリアへ投げる。

 右手を空ける。

 保留車の外索へ飛ぶ。

 一、二――

 三が出ない。

 距離が遠い。

「ハル、右足を先!」

「三!」

 右足が索へかかる。

 右手で引く。

 左肩は使わない。

 保留車の向きが一寸変わる。

 黒鎖が車体の後ろを通過。

 火花。

 半円標が揺れる。

 五本の匿名索は箱に残る。

「総数!」

 ロロの読取器。

 医療、五。

 法廷、七。

 自由港、九。

 中継、三。

 保留、五。

 学校、六。

 厨房・寝台統合、十二。

 合計四十七。

「全員!」

 テトの声が裏返る。

 帽子が飛ぶ。

 二結びが保留車から拾い、被る。

 大きすぎる帽子が、さらに大きく見える。

「次は?」と少女。

 テトは答えない。

 自分の帽子を返してもらいながら言う。

「決まったら教えて」

 裏ホームの最後の主骨が折れた。

 もう誰もいない。

 端末だけが残る。

『設備十三種』

『付属機 四十七』

『人員 零』

 ロロが遠隔線をつなぐ。

「最後に一仕事」

「壊すの?」ハル。

「直す」

 端末の十三番札を、機械的に排出する。

 銅札が一枚、雷雲へ落ちかける。

 ノクスが尾で捕る。

「紙じゃなくても助けるんだ」

「ノゥ」

「札を?」

 夜獣は銅札を二結びのいる保留車へ投げる。

 少女が受け取る。

「これ、誰の」

 オルサの声が法廷車から返る。

「もう誰のでもない」

「捨てる?」

「決めていい」

 二結びは銅札を見る。

 十三の小孔。

 中央の三枚歯。

 自分を四号と呼んだ穴。

 少女は札を折らない。

 捨てない。

 匿名索で包み、保留車の証拠箱へ入れる。

「裁判まで持つ」

「行き先、法廷へ変える?」イヴァ。

「札だけ」

「本人は」

「保留」

「承知した」

 十三番を降ろす。

 人を降ろすのではない。

 人へ貼りついていた分類を、証拠として車外へ出す。

 その後も、四十七人の行き先は同じにならない。

 残る者がいる。

 出る者がいる。

 途中で変えた者がいる。

 まだ決めない者がいる。

 列車は八方向へ離れていく。

 それでも、匿名索の総数は一つの公開回線へ灯る。

『生活者 四十七』

『所在地 非公開』

『目的地 複数』

『権利申立て 準備中』

 エリアは七枚の透明板を一枚ずつ外す。

 物理図。

 公開権利。

 非公開住所。

 第一選択。

 退避先。

 保留条件。

 撤回路。

 最後の撤回路だけ、消さずに残した。

「終わった?」ハル。

「救難は」

「事件は」

「法廷へ戻る」

「駅は」

 エリアは離れていく八つの灯を見る。

「一つの場所ではなくなりました」

「なくなった?」

「正確に言って」

 ハルが考える。

「八つへ続いた」

「それでいい」

 今度こそ、エリアは右手で口元を隠した。

 笑っている。

 両踵の痛みは三。

 左肺の息は短い。

 それでも地図の空白は、もう存在しない場所を意味していなかった。

 公開しない場所。

 まだ決めない場所。

 戻れる場所。

 空白にも、複数の意味がある。