第480話 第十二章「切断命令」後編

「代案」とイヴァ。

「今から?」

「今だから」

「一避難先への集中を拒否するのか」

「単一集中を実行しない」

「全鎖網が落ちれば」

「保証できない」

「中央案なら」

「中央も保証していない」

「最善確率が」

「確率の母数に、返答不能地域が入っていない」

「では、何を」

 イヴァはエリアの地図を見る。

「列車を、目的地だけに使わない」

「意味」

「学校車は学校として残す。医療車は病院。工業車は発電。法廷車は通信と権利確認。空の貨物車は橋。動ける列車だけを、中央希望者の移送へ」

「分散すれば全体荷重が」

「各地域の停止条件を別にする」

「中央から制御できない」

「地域が制御する」

「失敗が増える」

「選択も増える」

「統一指揮がない」

「連絡手順を作る」

「時間が」

「残り」テトが言う。

「零」

 中央命令板が赤く変わる。

『切断実行』

 イヴァは鍵へ触れない。

 六鍵のうち、揃った四つも回さない。

 命令を破棄しない。

 実行もしない。

「未実行を記録」セレナ。

「理由」

「切断対象不明。収容上限不明。発令者不明。失効時刻なし。異議先なし。地域別希望不一致。返答不能を同意とする条項は本日判決の権利判断に反する」

「刑事責任を問われる」と政府代理人。

「問え」とイヴァ。

「また法廷へ?」ハル。

「今度は、記録がある」

「無罪になる?」

「先に決めない」

「責任は」

「残る」

「怖い?」

 イヴァは答える前に、一度息を飲む。

「怖い」

「言うんだ」

「行き先を聞くことは、恐怖を消さない」

「でも聞く」

「聞く」

 中央命令板の赤が消えた。

 代わりに、鎖網表示が変わる。

 最初の一本。

 法廷列車から最も遠い、細い青線が暗灰になる。

 二本目。

 三本目。

 誰かが切断鍵を回したのか。

 中央が遠隔で落としたのか。

 荷重に耐えず自然に切れたのか。

 今は分からない。

 分からないことへ犯人名を置かない。

 だが暗くなった事実は、待ってくれない。

「第一暗線、記録!」テト。

「時刻、外部と車内を両方」とセレナ。

「外部、第三雷刻九分二秒! 車内、九分二秒!」

「今度は同じ」ハル。

「同じと記録」

「第二、九分四秒!」

「位置」エリア。

「北東外環、形札二重三角!」

「生活地点」

「照会中!」

「照会中を空白へ」

「はい!」

 三本。

 五本。

 八本。

 暗闇が、順番を持って広がる。

 順番があるから計画とは限らない。

 規則的だから意志があるとも限らない。

 崩壊は、構造に従って順に起きる。

 命令も、同じ構造へ乗れば順に届く。

「判決書、七部の送付先」とセレナ。

「学校車、医療車、生活車、自由港、保留車、中央法務、法廷列車控え」と書記。

「中央法務線、暗い」

「保留」

「判決送達を保留?」

「送れるまで。期限は受信後」

「空白欄」

「全て残っています」

 セレナは一部をハルへ渡す。

「持って走ってください」

「やっぱり役割、雑」

「学校車へ届く中継貨物車まで。補助索使用。左肩へ荷重をかけない。一、二、三を声に出す」

「細かい」

「あなた向けに具体化しました」

「信頼されてない」

「信頼と手順は両立します」

「俺、落としたら」

「戻って拾う前に生存を報告」

「判決より?」

「人が先」

「証拠官が言う?」

「証拠は、人が次に生きるためにあります」

 セレナは単眼鏡を外さない。

 公的な言葉。

 だがハルには、それが私的なお願いでもあると分かった。

「了解」

 赤いマフラーへ判決袋を二重に結ぶ。

「一」

 足場確認。

「二」

 補助索。

「三」

 ハルは、走る。

 法廷列車の横へ、空の貨物車が並ぶ。

 間は二歩。

 以前なら、ハルは数える前に飛んだ。

 今は右手で索を取り、左肩を下げ、右足から踏み切る。

 飛ぶ。

 着地。

 肩は外れない。

「到着!」

『受領』イヴァの声。

 次の車両。

 暗い鎖の向こうで、学校車の灯りが一度点滅する。

「一、二、三!」

 飛ぶ。

 貨物車が揺れる。

 足元から重力が半拍遅れる。

 身体が浮く。

 ハルは左手を使わない。

 右の索へ全体重を預ける。

 赤いマフラーと判決袋が上へ舞う。

「ハル!」エリア。

「平気!」

「平気の基準を!」

「右手、保持! 両足、空中! 左肩、痛み二!」

「二は十段階?」

「たぶん!」

「尺度を先に決めて!」

「今は無理!」

「補助線を出す!」

 地図槍の光が、索の横へ一本走る。

 道を作らない。

 揺れの周期を見せる。

「次の下降、三拍後!」

「一、二、三!」

 重力が戻る。

 ハルの靴底が貨物床へ落ちる。

 膝を曲げる。

「到着!」

「肩」サナの通信。

「痛み二、変化なし!」

「学校車で固定帯を締め直せ」

「まだ一両」

「締めてから」

「時間」

「命令じゃない。医療判断と危険を提示してる」

「従う」

「自分で選べ」

「締めてから行く」

「受領」

 ハルは学校車へ入る。

 子供たちは暗い教室で、床へ形札を並べていた。

 円。

 四角。

 三角。

 横線。

「判決」とハル。

 メラが受け取る。

「空白は」

「ある」

「よかった」

「普通、埋まってる方がよくない?」

「私たちの名前を、誰かの答えで埋めなかった空白だから」

 メラは判決袋を、教本の上へ置く。

「読み上げる?」

「全部は後で。今は、人だって認められた部分だけ」

「子供に?」

「子供だから」

 メラは最初の一文を読む。

『現に生活し、意思を示し、または意思表示を保留する権利主体である』

 九人の子供が聞く。

 一人が手を上げる。

「保留しても人?」

「そう書いてある」

「何も決めなくても?」

「決めないことを、誰かが勝手に賛成へしない」

「中央へ行かないって決めたら?」

「人」

「行くって決めたら?」

「人」

「途中で変えたら?」

「人」

「先生も?」

 メラは少し笑う。

「今月は」

「来月は?」

「その時の名で、同じ人」

 外で、また鎖が暗くなる。

 教室の灯りが消える。

 子供たちは叫ばない。

 横線の札を、手の届く場所へ置く。

 暗闇でも触れば分かる。

 ハルは左肩の固定帯を締める。

「次、行く」

「どこへ」メラ。

「法廷列車へ戻る」

「中央じゃなく?」

「今は」

「今の行き先、記録」

「そこまで必要?」

「必要になった」

 ハルは笑う。

「じゃ、法廷列車。途中で変えるかも」

「受領」

 ハルが戻る頃には、百二十七本の鎖が暗くなっていた。

 テトが一つずつ数えている。

「百二十八!」

「数える意味」と政府代理人。

「消えた本数を、最初から千って言わないため」

「いずれ千へ」

「まだ百二十八」

「全体像を見ろ」

「一つずつが全体です」

 テトの声が一度裏返る。

 遠くで雷が鳴った。

 身体が固まる。

 一拍。

 右足の落雷痕が、靴の中で痛む。

 イヴァは代わりに数えない。

「テト」

「百二――」

「停まってもいい」

「列車は」

「あなたが」

 テトは帽子の鍔を二度叩く。

 息を吐く。

「一拍、停車」

「受領」

 誰も続きを奪わない。

 一拍後。

「百二十九!」

 数え直さない。

 止まったことも記録へ入れる。

 六つの行き先照会が更新される。

 学校車。

 分割希望、条件付き。

 医療車。

 工業車から予備炉を時間貸与。中央移送は保留。

 保留車一号。

 保留継続。三分ごとの安全条件再提示を受領。

 保留車二号。

 中央希望五名。受入条件返答待ち。一名は生活車へ。

 自由港。

 無署名救難路開通。

 生活車。

 中央三、残留七、保留二。変更可能。

「一つにできない」とハル。

「一つへ書ける」とセレナ。「ただし、内容を消さずに」

 彼女は一枚の大きな紙へ書く。

『行き先、複数』

「短い」とハル。

「別紙、六枚」

「やっぱり長い」

「正確です」

「中央へ何て返す」

 イヴァが通信板の前へ立つ。

「中央緊急運行へ」

 放送の声。

 危機ほど静かで、明瞭。

「切断命令、受領。単一避難先への集中は、地域別希望、収容条件、切断対象、発令責任、失効時刻が確認できないため未実行」

「代替運行」

「各車両を、移送手段だけでなく、学校、病院、発電、通信、法廷、橋として分散運用する」

「各地域の行き先」

「変更可能な別紙へ記録。返答不能を同意と扱わない」

「緊急代理」

「身体的に待てない場合のみ、期限、理由、撤回先を付す」

「責任者」

 一拍。

「一人ではない」

 中央へ送る。

 返答。

『命令不履行』

「それだけ?」ハル。

「それだけ」

「反論は」

「ない」

「じゃ、こっちが正しい?」

「違う」とセレナ。「反論がないことは、正しさの証明ではない」

「今日ずっと、便利な決着をくれない」

「真実でも足りない巻でしたから」

「また巻って」

「今のなし」

「二回目!」

「記録は」

 セレナは羽根を伏せる。

「しません」

 オルサがイヴァの前へ来る。

「無罪、おめでとうと言わない」

「求めない」

「判決は受け取った」

「はい」

「お前が救ったことも」

「はい」

「お前が閉じ込めたことも」

「はい」

「同じ返事ばかりだ」

「違う返事をしてほしい?」

「私に聞くな」

「失礼」

「でも、次は聞け」

 イヴァが顔を上げる。

「何を」

「行き先」

 オルサは締結レンチを肩へ戻す。

「私は法廷列車へ残る。許さない記録を、中央が消さないようにする」

「受領」

「お前は」

「私?」

「無罪になった。どこへ行く」

 イヴァは、すぐ答えない。

 今まで彼女は、他人の行き先を聞いてきた。

 自分の行き先を問われると、車掌の言葉がなくなる。

「保留」

「いつまで」

「この列車が、次の安全な分岐へ着くまで」

「安全じゃなかったら」

「再設定」

「その後」

「自分の行政審査へ出る」

「逃げない?」

「逃げる行き先も、選択肢にはある」

「選ぶ?」

「今は選ばない」

「正直」

「証拠にはするな」

「私は星律官じゃない」

「だから頼む」

 オルサは笑わない。

 だがレンチの柄を一度、イヴァの座席へ立てかける。

 許しではない。

 次に列車が傾いた時、二人で掴める位置へ置いただけだった。

 カイルは深紅の半マントを着る。

 王太子へ戻る、という動作ではない。

 王太子を脱げなかったことを、見える形へ戻す。

「王家名で声明を出す」

「上書きしないって」とハル。

「命令ではない。責任の受領と、情報提供要請」

「長そう」

「長い」

「読む?」

「聞け」

 カイルは通信板へ向く。

「王家は、本日判決で認定された政治責任を受領する。中央第一避難圏への単一集中を王命として追認しない。各地域、各車両は、現在人数、重力、水、医療、希望行き先、保留期限を送れ。送れない地域を同意と扱わない」

「王家は、救難基金の半額を暫定負担する。負担を理由に運行権、名簿、土地、将来債権を単独取得しない」

「王家は、命令の発令者、更新者、失効条件の公開を中央へ求める」

「以上」

「王命じゃないのに、皆が従うかも」とハル。

「王太子の声だからな」

「それ、権力」

「そうだ」

「じゃ、使わない方が」

「使わなければ、今ある権力が消えるわけじゃない。俺が黙ると、中央命令だけが王家の意志に見える」

「使いながら減らす?」

「減らすと宣言し、実際に鍵を渡し、後から監査される」

「難しい」

「王をやめるより難しい」

「やめる?」

「今の話ではない」

 カイルは笑わない。

 後の結論を、今の危機へ予告しない。

 ただ、今日の権力の使い方だけを記す。

 三百本。

 四百本。

 鎖が暗くなる。

 暗闇の中にも、点々と灯りが残る。

 学校車。

 医療車。

 生活車。

 自由港船。

 小駅。

 工場。

 名前のない仮停車場。

 中央へ集まらなかった灯り。

 中央へ行きたい灯り。

 決めていない灯り。

 灯りの色だけでは、行き先は分からない。

「エリア」ハル。

「何」

「地図、どこが前」

「今は描かない」

「全部暗くなったら」

「手で触れる地図へ変える」

「それも消えたら」

「人へ聞く」

「返事がなかったら」

「返事がない理由を分ける」

「時間なかったら」

「身体を救う。その後、行き先を返す」

「正解?」

「今日の判決を読んで、まだ一つの正解を求める?」

「求めたい」

「私も」

「でも」

「描かない」

 エリアは左の三つ編みを肩へ戻す。

「正解が一つなら、あなたがどこへ行くかも描ける」

「地球」

「アステリア」

「保留」

「三本」

「多い」

「あなた一人で三本。全域なら千本でも足りない」

「星のない羅針盤、役に立たないな」

「星がないから、星一つへ集めない」

「今、かっこいいこと言った?」

「観測」

「セレナ病」

「失礼ね」

 エリアの口元が少しだけ上がる。

 五百本を越えた時、混成救難班から通信が戻る。

『仮設門班、到着。十名』

『旧正門班、到着。十三名』

 マオとオルト。

 別々の出口。

 別々の人数。

 合計だけを見れば二十三。

 だが二十三人が一つの列を作ったわけではない。

「負傷」とティア。

『仮設、擦過傷一。旧正門、膝痛二』

「膝痛、本人申告?」

『はい』オルト。

「補助を」

『申請済み』

 ティアの右膝も痛む。

 彼女はそれを通信へ書く。

「法廷側、右膝痛。次の移動で補助を申請する」

『第一条さんが?』マオ。

「名前で呼べ」

『ティアが申請?』

「した」

『記録』

 短い返事。

 笑いも賞賛もない。

 それでよかった。

 助けを求めることを、特別な成長物語へしない。

 必要だから申請する。

「次の指揮」とオルト。

 ティアは答える。

「二班のどちらが統合を望むか確認。望まなければ、別班のまま。私は提案者。現場指揮はそちら」

『受領』

 通信が切れる。

 ティアは議長章の入った内ポケットへ手を置かない。

 失った地位を取り戻す物語ではない。

 権限がなくても、規則を作り直す仕事は続く。

 七百本。

 法廷車の窓に、判決の一文が反射する。

『四十七名は、権利主体である』

 その向こうで、四十七とは無関係な数の灯りが消える。

 判決は、全世界を救わない。

 一つの裁判で認めた権利が、次の災害で自動的に守られるわけでもない。

 だから判決は無意味か。

 違う。

 災害のたび、人を物へ戻す速度へ抵抗する一枚になる。

 薄い。

 燃える。

 破れる。

 それでも、ないよりは遅らせる。

 遅らせた間に、人が口を開ける。

「セレナ」

 カイルが呼ぶ。

 叱られる直前の呼び方ではない。

「何です」

「判決、出してよかったか」

「法的質問ですか」

「私的」

 セレナは単眼鏡を押さえない。

「分かりません」

「そうか」

「停電下で異議機会が遅れた。急いだことで見落とした可能性もある。権利停止を放置しなかった利点もある」

「正しかったとは」

「言えません」

「後悔してる?」

「まだ判断できません」

「空白?」

「はい」

「残せるようになったな」

「上から評価しないでください」

「王太子だから?」

「友人だからです」

 カイルが目を瞬く。

 ハルが振り返る。

「セレナも急に言う」

「事実です」

「カイル、集中が」

「俺は今、盾を出してない」

「じゃ平気」

「平気じゃない」

 短い笑い。

 セレナは続ける。

「分からないまま、監査を受けます」

「判決した人も?」

「当然です」

「その記録へ俺も署名する」

「利害関係人として異議欄へ」

「友人欄は」

「法廷書式にありません」

「作らない?」

「私文書で」

「景気がいいな」

 九百本。

 テトの声がかすれる。

「九百一」

 水を飲む。

「九百二」

「数え続けるの?」ハル。

「全部を千って呼ばないため」

「千になったら」

「千と呼ぶ」

「その先」

「千一」

「終わらない」

「駅も、乗客がいれば終点の先がある」

 イヴァがテトの帽子を直す。

「次の停車を」

「師匠が?」

「あなたが放送する」

「どこ」

「一つではない」

「放送文、難しい」

「だから作る」

 テトは息を吸う。

 案内放送の硬い標準語を使いかける。

 やめる。

 故郷の訛りが少し戻る。

『ご乗車のみなさまへ』

 車内。

 学校車。

 医療車。

 生活車。

 届く範囲の全線。

『中央から、一つの避難先へ集まる命令が出ています』

『この列車は、まだ切断を実行していません』

『中央へ行きたい方。今いる場所へ残りたい方。別の場所へ行きたい方。まだ決められない方。どれも放送へ返してください』

『返事がない場合、賛成として数えません』

『身体が危険で待てない場合、救護員が一時的に安全な場所へ運ぶことがあります。その理由、期限、戻る方法を後で伝えます』

『次の停車は――』

 テトが止まる。

 イヴァは助け舟を出さない。

 エリアは地図へ一つの駅名を書かない。

 カイルは王命を出さない。

 セレナは空白を埋めない。

 ハルは、待つ。

『あなたが決めてください』

 テトが言う。

『保留でも、変更でもいいです』

 放送が、暗い線へ流れる。

 返事は少ない。

 円。

 四角。

 三角。

 横線。

 二重輪。

 形が、ぽつぽつ戻る。

 九百九十一本。

 九百九十二本。

 暗くなる順番が、法廷列車へ近づく。

「残存鎖、九本!」ロロ。

「中央幹線、三。地域線、四。救難仮線、二」とエリア。

「切断命令、再々送」とテト。

『全線、中央へ』

 短い。

 今までで最も短い。

 誰が。

 なぜ。

 いつまで。

 どの順で。

 何人を。

 全部が消えた。

 短い命令は、速い。

 速い命令は、受け取る者の中で足りない部分を補わせる。

 補う時、人は自分の常識を入れる。

 中央の常識。

 現場の常識。

 車掌の常識。

 医師の常識。

 子供の常識。

 同じ「全線」が、違う方向へ走り出す。

「返答」とイヴァ。

『行き先を言え』

 中央へではない。

 全線へ。

『保留でもいい』

「反抗文です」と政府代理人。

「案内放送だ」

「命令と競合する」

「競合を記録」セレナ。

「法廷は終了したはずです」

「判決履行監査は始まっています」

「都合がいい」

「便利ではありません。ずっと続きます」

「政府代理人、あなたの行き先は」とハル。

「私?」

「中央へ行くの」

「職務上」

「本人は」

「職務と本人を分ける必要がありますか」

「今日、ずっと分けた」

 代理人は答えない。

「保留?」

「……法廷列車へ残ります」

「中央命令は」

「代理人として主張する。個人としては、判決送達を完了するまで残る」

「二つ」

「矛盾です」

「人間」とセレナ。

 代理人が、初めて彼女を見る。

 セレナは敬称を崩さない。

「矛盾した役割を一つの嘘へまとめません」

「記録を」

「します」

 九百九十九本。

 最後の十本目ではない。

 最初から数えれば、九百九十九。

 残る一本が全体を代表するわけではない。

 その一本にも、いくつもの支線がつながっている。

「法廷列車、進路」とテト。

 エリアが透明板を上げる。

「三つ」

「中央幹線」

「地域救難線」

「無標線」

「無標?」ハル。

「灯りが消えて、状態が分からない線。線路があるかも不明」

「行ける?」

「分からない」

「中央は」

「行ける。少なくとも今は」

「地域救難線」

「学校車と医療車へ近い。荷重上限ぎりぎり」

「無標線」

「中央から最も遠い」

「誰かいる?」

「分からない」

「どれ」

 イヴァは、全員を見る。

 今までなら、主任車掌が決めた。

 事故後なら、誰も決めないまま列車を止めたかもしれない。

 今は、期限を付けて聞く。

「法廷列車の目的」

「判決書を送る」とセレナ。

「負傷者を運ぶ」とサナ。

「鎖状態を測る」とロロ。

「地域希望を集める」とエリア。

「政治責任の通信を続ける」とカイル。

「学校車へ戻る道を残す」とハル。

「生活者の監査を続ける」とオルサ。

「中央命令の合法性を主張する」と政府代理人。

「反対方向混じってる」とハル。

「同じ列車へ乗れる範囲かを考える」とイヴァ。

「中央へ行けば、判決送達と政治通信。救難線なら医療と学校。無標線なら調査」

「一つ選ぶと、二つ落ちる」

「列車を分ける?」テト。

 ロロが運行模型を見る。

「三両編成を、一両ずつ。動力は足りる。重力固定は、各一刻半」

「法廷の共同管轄は」とセレナ。

「判決は出た」

「履行監査」

「通信で共有」

「切れたら」

「各車へ判決部がある」

「七部へ分けた理由」とカイル。

 セレナは空白付き記録を見る。

 一つの列車で全部持つ方が、正確だった。

 分ければ、文脈が欠ける。

 だが一つに集めれば、一つと一緒に落ちる。

「分割を認めます」

「認めるのは法廷?」ハル。

「私が、証拠保全官として」

「自分の責任」

「はい」

「後で監査」

「はい」

「怖い?」

「はい」

 セレナは単眼鏡を外す。

 左側がぼやける。

 エリアがそこへ立つ。

 見えない部分を代わりに見たと主張しない。

「左側、地域救難車。距離二歩」とだけ言う。

「受領」

 三両を分ける準備が始まる。

 法廷車。

 救護車。

 運行車。

 分けることは、別れることではない。

 同じ場所へ集まらなくても、同じ目的の一部を持てる。

 判決書を三分割しない。

 七部のうち必要な部を、それぞれへ複製する。

 名前のない空白も、全車へ同じ位置に残す。

「空白の場所、ずれたら?」ハル。

「照合番号を付ける」セレナ。

「番号で埋まらない?」

「空白の中でなく、縁へ」

「空白にも縁」

「何もない場所を守るには、ここからここまで何もないと示す必要があります」

「それ、地図と同じ」とエリア。

「法も地図も、ないものをないまま残す技術が遅れていました」

「人間、埋めたがる」

「怖いから」

「何が」

「分からないまま進むこと」

 セレナは自分で答える。

 証拠がない感情も、時には言葉にする。

 千本目。

 テトが数える前に、全員が分かった。

 最後まで青かった外環鎖が、音もなく暗灰へ変わる。

 切断音は、まだ届かない。

 光の方が速い。

 数秒後。

 遠くから、巨大な金属の断裂音が来る。

 ぎぃぃぃん。

 法廷車の窓が震える。

 判決鐘が、外から打たれたように低く鳴る。

 ごうん。

 誰も鐘索を引いていない。

「千」とテト。

 声は裏返らない。

「千本、暗化」

「全部切れた?」ハル。

「暗くなった。切れたかは未確認」セレナ。

「正確」

「必要です」

 千本の鎖が、順に暗くなった。

 一度にではない。

 一本ずつ。

 それぞれの先に、別の町がある。

 別の車両がある。

 別の病院がある。

 別の学校がある。

 別の保留がある。

 千という数にまとめても、一本ずつ暗くなった事実は消えない。

 法廷列車の運行盤には、三つの進路が残る。

 中央。

 地域救難。

 無標。

「次の停車は」とハル。

 イヴァは答えない。

 代わりに、全車へ放送を開く。

「イヴァ・レイルです」

 囚人番号ではない。

 主任車掌とも名乗らない。

「切断命令を受領しました。単一避難先への集中は、現時点で実行していません」

「この列車は、三両へ分かれます。行き先は一つではありません」

「中央へ行く者」

 円が灯る。

「地域救難線へ行く者」

 三角が灯る。

「まだ決めない者」

 横線が灯る。

「変更する者」

 二重輪が灯る。

「返答できない者」

 暗い。

「返答がないことを、同意とは数えません」

 イヴァは息を飲む。

 次の停車を言う前の、一拍。

「次の停車は――」

 中央ではない。

 地域でもない。

 無標でもない。

「一つではありません」

 列車は分岐へ入る。

 車輪が、三つの方向へ別の音を立て始める。

 ハルは赤いマフラーを握る。

 エリアは三本の道を消さない。

 カイルは王命を出さない。

 ロロは分かれた車両の修理費を三枚へ書く。

 ノクスは二本の尾を別々の暗線へ向ける。

 セレナは、千本目の切断原因を空白のまま記す。

 ティアは、自分が乗らない二両へも参照点付きの退避手順を送る。

 サナは、誰がどの車両へ運ばれたかではなく、誰が後で選び直せるかを記す。

 テトは、三つの発車ベルを同時に鳴らさない。

 一両ずつ。

 一つ目。

 二つ目。

 三つ目。

 同じ列車だった三両が、別々の速度で走り出す。

 世界は、暗い。

 星はない。

 だから羅針盤は、一つの星だけを指さない。

 千本の鎖が暗くなった空で、三つの列車灯が、それぞれ違う方向へ進んだ。