第483話 第二章「一つの避難先」前編

中央第一避難駅は、駅として作られたのではない。

 百四十年前、ガルド中央環の製錬所が爆発した。

 周囲の七駅へ負傷者を分けようとしたところ、時刻表の異なる七線が互いに進路を譲らず、救護列車が三刻止まった。

 その反省から、何が起きても全列車が同じ場所へ入れる巨大な待避環が作られた。

 大雷雪で二万一千人を救った。

 鎖疫で一万四千人を隔離した。

 七島衝突で、三つの町を丸ごと受け入れた。

 成功は建物を大きくする。

 大きくなった建物は、次の成功を約束するように見える。

 中央第一避難駅の壁には、三度の成功者数が金属文字で刻まれていた。

『収容可能人数 三万』

 人数は書いてある。

 その三万人が何を必要とするかは、壁の裏側だった。

「運行車、中央外周へ進入。乗員八、夜獣一。ゼロスター号牽引。仮停止期限、残り十二分四十秒」

 イヴァは放送した。

 自分の名を先に言うのを忘れた。

 一拍後、気づく。

「イヴァ・レイルです。訂正。運行車、中央外周へ進入」

 訂正した声は同じく低く明瞭だった。

 だがハルは見た。

 改札鋏を鳴らす前、彼女の左手が一瞬止まった。

「焦ってる?」

「情報不足」

「感情を聞いた」

「情報不足への焦り」

「分解して戻した」

「曖昧なまま置くよりいい」

「曖昧なまま置く場所も必要って、前の駅で」

「感情は列車ではない」

「止められない?」

「止める対象ではない」

 イヴァがトランジットを鳴らす。

「会話終了」

「切符鋏で会話を切るの、職権濫用じゃない?」

「今の権限は自分の耳だけ」

「片方、聞こえにくいのに」

 イヴァの細い琥珀眼が、ハルを見る。

「だから、聞こえる側で終了を告げた」

「強い」

 中央外周は、列車で詰まっていた。

 前方に病院列車。

 左上に工場列車。

 右下に家畜車。

 その間を、学校車と法廷車が違う重力面で横切る。

 線路は一本ではない。

 同じ輪の内側と外側、上面と下面を、螺旋状に十六本が走っている。

 平時なら、中央時刻表が一秒単位で間隔をずらす。

 今は通信が断続していた。

 列車は、自分の時計だけで中央へ来る。

「法廷車、右上!」エリア。

 白い線が窓へ走る。

 カイルの深紅の半マントが見えた。

 セレナは右手首を胸へ固定し、左手だけで証羽を窓へ貼っている。

 ハルが両手を振る。

「生きてる!」

 カイルも振る。

 次の瞬間、法廷車が上下を反転し、彼は窓の下へ消えた。

「反応、確認」とエリア。

「安心」

「観測?」

「感情」

「正確」

 救護車は中央外周の一つ手前で停止している。

 サナの赤い手袋が窓へ見える。

 テトの大きすぎる帽子も。

 帽子が先に傾き、本人が後から直す。

『運行車、聞こえますか!』

「聞こえる!」ハル。

『こちらテト・ヴァン。救護車、乗員三十一、移送不能五、移動制限七、行き先中央希望九、地域希望十一、保留十一!』

「合計」

『三十一!』

「速い」

『三回数えました!』

 サナが通信へ割り込む。

『中央医療区画、受入上限だけ返答。酸素口、感染隔離、重力角対応、全部未回答』

「進入を待てる時間」イヴァ。

『患者で違う。最短十六分。最長二刻』

「一つにしない」

『最初からそう言ってる』

 通信が切れる。

 中央の白い誘導灯が、救護車へ進入を命じる。

 救護車は動かない。

 テトの手旗が、三角と横線を交互に出す。

『条件未成立・保留』

 中央誘導灯は、色しか返さない。

 青。

 進め。

 テトには青と紫の差が分からない。

 彼は形を送る。

 中央は色を送る。

 同じ信号規格の中で、二つの列車が会話できない。

「中央、色だけ」とハル。

「旧規格」とロロ。「形灯の増設、予算で落ちたやつ」

「今、いくら」

「全駅分なら高い。死者一人より安い。死者が出る前は高い」

「値段、事故後に変わる?」

「事故前は設備費。事故後は慰謝料。別の帳簿だからな」

 運行車は外周待避線へ入った。

 イヴァの停止標が働く。

 車輪が、中央駅との相対速度を失う。

 列車そのものの時間は進む。

 人の心臓も進む。

 外の島も動く。

 中央に対してだけ、十八分の仮停止。

 車体が静止した瞬間、イヴァの右手が大きく震えた。

 彼女は左手で押さえない。

「一つ」とロロ。

「何が」

「停刻標の大きいの、一つ」

「記録?」

「機関負荷。お前の身体も機関の一部なら、そっちも」

「請求先は」

「医者」

『聞こえてる』サナ。

 壊れかけた通信板から声。

『イヴァ。脈』

「通常範囲」

『数字』

「今は測れない」

『測らないの間違いだ。首へ二指』

「右手が」

『左で測れ』

「左は鋏」

『置け』

 イヴァはトランジットを見る。

 置けば、次の列車へすぐ印を打てない。

『置け』

「命令?」

『医療上の指示。拒否できる。拒否したら、私があなたの判断能力を再評価する』

「脅し」ハル。

『説明付きだ』

 イヴァは鋏を床へ置く。

 左手を首へ。

「十秒で十四」

『不整』

「二回」

『強雷場で増える。次の大印まで五分空けろ』

「空けられない」

『身体は空ける』

「列車が」

『別の人へ渡せ』

「誰に」

『それを考えるのが、お前たちの仕事だろ』

「仕事を増やす医者」ハル。

『身体を減らさない医者だ』

「言葉が怖い」

『寝てない』

 通信が切れた。

 イヴァは鋏を拾う。

 五分空けるとは言わない。

 ハルも追及しない。

 追及しないことと、見なかったことは違う。

 中央駅の収容板へ、新しい数字が出る。

『現在収容 一万二千八百四十一』

『到着予定 一万六千九百二十二』

『合計 二万九千七百六十三』

『収容上限 三万』

「足りる」と政府代理人の声。

 法廷車が隣の線へ止まり、連絡橋が渡された。

 代理人は走る法廷の審理から同じ灰色の礼装を着ている。名前を名乗らないのではない。役職名で話すことを選び続けている。

「二百三十七人分の余裕があります」

「椅子?」ハル。

「人です」

「人が入る余裕?」

「収容床面積、飲料水、標準熱量、衛生区画を含む算定です」

「病院列車は」サナが連絡橋の向こうから来る。

 赤い手袋。

 白灰の短外套。

 閉じた個室を避け、橋の中央で立ち止まる。

「中央医療区画へ患者を移します」代理人。

「酸素口」

「標準区画に」

「数」

「確認中」

「重力角対応寝台」

「確認中」

「感染隔離」

「確認中」

「確認中を三万人へ掛けるな」

「収容後に調整します」

「病院列車のまま入る」

「車両は外周留置です。乗客のみ降車」

「患者を機能から剥がす?」

「中央にも医療機能があります」

「同じ機能かを聞いている」

 代理人は収容板を示す。

「人数は上限内です」

「人間は人数で、病気は人数じゃない」

「標準換算を」

「標準で呼吸できない五人がいる」

 サナは甘い声を作らない。

「移せば死ぬ可能性が上がる。病院列車を病院として外周へ固定しろ」

「外周鎖は計画切断対象です」

「だから電力を工場列車から取る」

「工場列車も乗員を降ろし、炉を停止します」

「停止したら、酸素圧縮器も止まる」ロロ。

 彼は連絡橋へ工具箱を引きずってきた。

「中央電力で」

「中央電力、今何割」

「七十一」

「到着列車全部の暖房を入れたら」

「五十八」

「工場炉を止め、病院列車を外し、中央で酸素を作る分」

「計算中」

「計算中が好きだな」

「計算しなければ判断できません」

「計算するなって言ってねえ。計算が終わるまで、ある機能を壊すなって言ってんだ」

 ロロの補助腕が収容板へ数字を書き足す。

 病院列車の酸素。

 工場列車の発電。

 学校車の手書き教材と保護手順。

 家畜車の乳と肥料。

 食堂車の調理炉。

 法廷車の記録と通信。

「三万人入る箱へ、町を入れようとしてる」とハル。

「町は入りません」代理人。

「だから困ってる」

 中央駅の設計図には、車両は細長い四角で描かれている。

 乗客を降ろせば、空になる四角。

 だが病院列車は、患者を降ろした後も病院である。

 工場列車は、労働者を降ろした後も発電所である。

 学校車は、子供を降ろせば学校でなくなるのではない。教材、教師、避難規則、互いの呼び方まで含めて学校だった。

 器と中身を分ける考え方は、輸送には便利だ。

 人を貨物にしない制度を作っても、車両をただの箱と見れば、生活の方が貨物になる。

「中央容量、再計算」とエリア。

 透明板へ四つの数字を分ける。

「人員容量」

「医療機能容量」

「電力容量」

「移動後に戻れる容量」

「戻れる容量?」カイル。

 法廷車から渡ってきた彼は、半マントを着ていない。

 右籠手だけ。

「中央へ入った後、別の目的地へ移れる列車数。全部の車両を外周へ留置し、外周鎖が切れた場合、帰路は零」

「避難所が終点になる」ハル。

「命令は『到着後に審査』と言った。審査後に動けなければ、選択は書類だけ」

「中央へ入れない案を?」政府代理人。

「入れる人もいる。入れない機能もある」

「分散は危険です」

「集中も、数字を分ければ危険」

 エリアの淡緑の瞳が速く動く。

 未知の構造へ興奮している。

 同時に、踵を一度ずつ床へ置き直す。

 路図の痛み。

 ハルは聞く。

「踵」

「一」

「十段階?」

「今回は先に決めた。十段階」

「成長」

「継続したら」

「今褒めて」

「保留」

「俺が前に言ったやつ!」

 緊張の中で、同じ冗談を言える。

 同じ冗談は繰り返しではない。

 前と違う危機で、前と同じ関係が残っていることの確認である。