第485話 第三章「行き先を言え」前編
「行き先を言え」
簡単な命令に聞こえる。
駅名を一つ答えればよい。
中央。
故郷。
病院。
安全な場所。
しかし人間の行き先は、切符の印刷欄より広い。
誰かに会いたい。
誰にも見つかりたくない。
家へ戻りたい。
家だった場所へは戻りたくない。
今は決められない。
自分で決めたいが、決められる状態ではない。
それらを一つの駅名へ押し込むと、答えた人間の方が曲がる。
「だから、聞き方を変える」
ハルは言った。
中央外周第九鎖が切れ、六両が外側へ取り残されてから九分。
ゼロスター号は運行車から切り離され、外側へ流された車両の間を低速で飛んでいる。
船首にはハル。
操舵卓にはエリア。
機関室にはロロ。
無星台にはノクス。
イヴァは運行車に残り、中央と外側の両方へ停止標を打っている。
分かれた場所で、分かれた仕事をする。
「どう変えるの」とエリア。
「『どこへ行きたい』じゃなくて、『何を置いていけない』」
「行き先ではなく条件」
「そう」
「それだけでは、場所が決まらない」
「場所を先に決めるから、みんな中央になる」
「条件を全部聞けば、場所が増えすぎる」
「増えたら描いて」
「簡単に言うわね」
「難しく言っても増える」
エリアの右眉が上がる。
怒っている。
同時に、地図板を一枚増やした。
「採用はしてない」
「描いてる」
「検証しているだけ」
「礼儀正しい採用」
「あなたが言葉を勝手に終点へ運ぶから、保留線を引いているの」
「じゃ、保留線も行き先?」
「行き先を保留する場所は、場所として必要になる」
彼女が地図へ横線を引く。
中央でも外環でもない。
切れた鎖の手前、まだ重力の残る短い待避台。
「仮駅」
「駅名」
「未定」
「未定駅」
「地名として事故が起きる」
「じゃ、保留駅」
「制度名と固有名を混ぜない」
「難しい」
「行き先を保留する臨時駅〈ホールド・プラット〉。現場では仮駅。場所ごとの名は後で付ける」
「説明が長い」
「サナから感染した」
ゼロスター号が学校車へ接近する。
片帆は半分しか開かない。
高速航行禁止の札は、ロロが五枚へ増やした。
ハルは一枚も剥がしていない。
成長は、ときに何もしない形を取る。
学校車の扉が開く。
メラが右頬のインクを袖でこする。
こすったため、余計に広がる。
「子供九人。中央希望二、旧名照合なしの受入先希望四、移動保留三」
「前と同じ?」ハル。
「一人変わった」
「どっちに」
「中央希望から保留」
「理由」
「本人へ」
メラは代弁しない。
窓際に、弟の顔を描いた紙を抱える子がいる。
ロロが取ってきた絵。
弟の髪は青。目は二つとも大きく、口は紙からはみ出している。
「中央に弟がいるかもしれない」と子供。
「うん」ハル。
「でも、中央へ行ったら名前を言えって」
「今日の呼び名だけで入れるよう交渉中」
「交渉中は、入れる?」
「まだ」
「じゃ、弟が中央にいても会えない」
「会う方法を別に作る」
「いつ」
ハルは答えかける。
すぐ。
必ず。
見つける。
口に出せば、安心する言葉。
守れなければ、待つ人を縛る言葉。
「分からない」
子供の顔が曇る。
「でも、中央へ入る前に、弟の絵を全駅へ送る。名前は出さない。返事を待つ場所を作る。待てる時間は、今の学校車の電力で一刻半」
「一刻半で見つからなかったら」
「次を一緒に決める」
「ハルが?」
「俺がここにいなかったら、メラ先生と、返事を受ける人」
「いなくなる?」
「別の救助へ行くかもしれない」
「帰る?」
その一語が、ハルの左肩より深く入る。
父が帰ると言って帰らなかった。
自分も旅の途中で、何度も「戻る」と言った。
「戻る努力をする。戻れない時は、理由を送る」
「遅れたら」
「新しい時刻を送る」
「約束?」
「手順」
子供は考える。
「じゃ、保留」
「期限」
「絵の返事が一回戻るまで」
メラが口を挟む。
「通信が戻らない場合」
「一刻半」
「受領」
ハルは赤いマフラーの端へ、横線と一刻半の結び目を作る。
紙へ書かなくても、忘れないための形。
地図を読めない少年は、結び目なら読める。
二人目。
学校車の一番後ろにいる少女。
「中央へ」
「置いていけないもの」ハル。
「お母さん」
「中央にいる?」
「避難職員。たぶん」
「たぶん」
「でも、学校車の子も置いていけない」
「二つ」
「だから中央へ学校車ごと」
「学校車は外周鎖の外」
「直せない?」
「今、ロロが怒りながら考えてる」
『聞こえてる!』機関室。
「怒ってる」
『怒りは燃料じゃねえ!』
「でも動く」
『俺が動いてんだ!』
少女が少し笑う。
「学校車ごと中央へ行けない場合」ハル。
「お母さんに来てほしい」
「避難職員を離れられる?」
「分からない」
「じゃ、会う場所を中央に固定しない。お母さんの仕事が終わる場所と、学校車が安全に止まる場所の間へ、乗換えを作る」
「何駅」
「まだない」
「また保留」
「保留ばっかり」
「悪い?」
「少し安心する。私だけ決められないんじゃない」
保留は、答えがないことではない。
答えを一人で持たなくてよい場所にもなる。
病院列車の前半。
サナは扉を半分だけ開けた。
「入れるのは一人。消毒。七分」
「短い」ハル。
「患者の酸素が短い」
車内は白い。
清潔だからではない。
照明が落ち、救護布の反射だけが白く浮く。
五人の移送不能患者。
一人は意識がある。
一人は薬で眠っている。
一人は呼吸器。
一人は骨盤固定。
一人は、目を開けているが言葉が出ない。
「行き先を聞く」とハル。
「聞ける者だけ」サナ。
「聞けない人は」
「選べる状態に戻す。戻るまでの行き先は、身体条件で私が借りる」
「盗まない?」
「期限を付ける。理由を記録する。解除する人を別にする」
「イヴァと同じ」
「似てるから喧嘩する」
呼吸器の患者。
サナは耳元で説明する。
「中央医療区画は受入条件不明。現在車両は酸素三十八分。工場炉を接続できれば三刻。東側地域診療所は移動四十分、途中鎖一本不安定。理解したら一回瞬き。保留は二回」
一回。
間。
二回。
「一回と二回両方」とハル。
「目が乾いただけかもしれない」
「どうする」
「一度では決めない。人工涙。五秒後に再確認」
再び。
二回。
「保留」サナ。
「期限」
「酸素が二十分を切るまで。その時点で東側診療所へ一時搬送。本人が選べる状態になったら再確認」
「中央じゃない?」
「中央は受入条件を返していない」
「でも遠い」
「近い安全と、確認できる安全は違う」
別の患者は、中央を選ぶ。
「娘がいる」
「身体は移せる?」
「痛くても」
「痛みは条件の一つ。死なないことも。娘に会うことも。全部私が順位を決めない」
「医者なのに」
「医者だから、身体の危険は言う。人生の順位は借りない」
患者は笑う。
「昔は、先に決めた」
「今も時々決める」
「正直」
「美談にする時間がない」
サナは移送条件を書く。
『中央医療区画の酸素口確認』
『娘の所在確認』
『重力角十五度以内』
『本人再同意』
駅名ではない。
行き先になる条件。