第486話 第三章「行き先を言え」後編

 工場列車。

 熱い。

 ロロは機関室から移ってきて、右の度入りレンズを下ろしている。

 煤が舞う。

 呼吸が短い。

「マスク」とハル。

「してる」

「ずれてる」

「喋るとずれる!」

「喋らない」

「説明できねえ!」

「短く」

「炉! 病院! 必要!」

「短い」

「腹立つ!」

 工場列車の労働者は二十六人。

 中央へ家族を探しに行きたい者、十九。

 炉を病院列車へ残したい者、二十六。

「人数が合わない」とハル。

「同じ人が両方」

「身体を二つにできない」

「炉だけ切り離す」とロロ。

「誰が運転」

「自動は中央通信が死んでる。手動二人」

「二人、家族へ行けない」

「交代」

「線が切れてる」

「じゃ、炉を病院車へ噛ませて、工場本体を中央へ」

「切離し時間」

「十二分」

「外周鎖」

「もたねえ」

「じゃ」

「だから考えてる!」

 労働者の一人が言う。

「炉は置く。俺は中央へ」

「運転者」ロロ。

「別のやつ」

「別のやつも家族がいる」

「若いの」

「若いから家族がいないと思うな」

 言葉が止まる。

 機能を残すには、人が残る。

 車両を「工場」と呼べば、運転者の生活が設備の一部へ吸い込まれる。

「二人を固定しない」とハル。

「どうやって」

「病院車の患者で、炉を扱える人」

「いるか?」

「聞く」

「患者に働かせる?」

「できる状態の人が、やると選べば」

「賃金」ロロ。

「今それ?」

「今だ。無料の英雄を作ると、次も同じ人へ押しつける」

 工場労働者が頷く。

「危険手当、工場組合持ち」

「病院側の同意」

「サナへ」

「本人へ先」

「そうだった」

 ハルは病院列車へ戻る。

 走る。

 同じ道ではない。

 車両の間は、互いに漂って広がっている。

 ゼロスター号の索。

 仮設板。

 ロロが打った足場。

 地図を見ず、足裏で覚える。

 一枚目は滑る。

 二枚目は右端が沈む。

 三枚目は油の匂い。

 身体は道を覚える。

 道は、身体が変われば同じではない。

 左肩へ荷重をかけない歩幅で、ハルは戻る。

 十三番駅の生活者たちは、中央へ入る者と残る者に分かれていた。

 ミコは運行車の床へ座り、切符紙へ穴を開けている。

「何してる」ハル。

「名前を出さない人数札」

 丸穴。

 四角穴。

 三角穴。

「丸は」

「移動可」

「四角」

「介助が必要」

「三角」

「医療」

「名前は」

「本人が決めた呼び印を裏へ。公開しない」

「同じ人が二枚持ったら」

「その場で本人と二人が確認。後で統合できるよう、紙の繊維を半分ずつ裂く」

「安全記録になる?」

「完璧じゃない」

「完璧じゃないのを出す?」

「完璧な名簿を作る時間に、名前を言えない人が乗れないよりいい」

「イヴァは」

「嫌がる」

「でも使う?」

「本人へ聞く」

 イヴァは中央と外側の間で、停止標を増やしていた。

 中央希望列車。

 地域希望列車。

 保留列車。

 機能残留列車。

 一枚の印へ、関係者が目的地を受け入れるほど安定する。

 逆に、同じ列車の中で受け入れる目的地が分かれると、印が割れる。

 病院列車の床には、三つの駅名が重なっていた。

 中央。

 東側診療所。

 現在地。

 文字が互いを押し、青い火花を散らす。

「イヴァ!」ハル。

「聞いている」

「印が割れてる」

「乗客の希望が割れている」

「一両へ三つ打てる?」

「理論上」

「実際」

「まだ」

「右手」

「震えは通常」

「サナが通常じゃないって」

「今、止めれば列車が」

「全部、自分で止める?」

「全体間隔を知っているのは私」

「エリアも」

「道は知る。停車条件は私」

「テトも」

「見習い」

「オルサ」

「資格なし」

「資格がある人が一人だから、一人で全部?」

「事故を起こさないため」

「一人が倒れたら事故」

 イヴァの鋏が鳴る。

 会話を切る音。

 今度は、一度で閉じきらない。

 かち。

 半端な音。

 彼女の右手ではなく、左手で持っている。

 心臓の方が乱れている。

「行き先を言え」とイヴァ。

「俺?」

「今、どこへ行く」

「イヴァを座らせる」

「駅名」

「椅子」

「ふざけるな」

「場所じゃなく条件でいいんだろ。脈が戻るまで。次の印を誰かに渡すまで。サナが許可するまで」

「その間に外周が」

「俺たちが動く」

「誰が決める」

「みんな」

「投票の時間はない」

「全部を投票しない。できることを分ける」

 イヴァは、ハルを見た。

 左耳を向ける。

 信頼の向き。

「私は、座ることを選んでいない」

「じゃ聞く。座る?」

「保留」

「期限」

「三分」

「三分後、また聞く」

 ハルはそれ以上、腕を掴まない。

 本人へ選ばせることを理由に、倒れるまで放置もしない。

「サナ。イヴァ、座るか保留三分。医療上の期限は」

『三分もいらない。脈を測れ』

 イヴァが自分で首へ指を置く。

「十秒、十五。抜け三」

『座れ』

「医療代理?」

『選べる状態を失う前の指示。拒否したら、運行判断から外す』

 イヴァは座る。

 背を座席へ完全には預けない。

 急停車へ備える身体の癖。

「三分」と彼女。

「二分で聞く」とハル。

「期限を短くするな」

「交渉」

「不成立」

「保留」

 青い停止標が、車内でまた一つ割れた。

 中央希望。

 地域希望。

 保留。

 三つの文字が同時に点滅する。

 病院列車が前へ動き、後ろへ戻り、横へ一メートル滑る。

 患者の身体が揺れる。

「印が不安定!」エリア。

「同じ列車が三つの目的地を受け入れている!」ロロ。

「列車を分けるしかない」とサナ。

「今、切れば発電車と反対側!」

 イヴァが立とうとする。

 ハルが手を出す。

 掴まない。

 目の前へ置く。

「行き先」

 イヴァの呼吸が止まる。

「椅子か、列車か」

「違う」

「じゃ言って」

「一つの列車へ、複数の停車条件を持たせる」

「できる?」

「今の印では、できない」

「じゃ」

 イヴァは割れた青い文字を見る。

「切符を分ける」

 その瞬間、病院列車が中央側へ大きく引かれた。

 外側へ残った工場発電車との接続索が、白く伸びる。

 切れれば、病院は三十八分。

 つながれば、両方が落ちる。

 行き先を聞く時間は、まだ必要だった。

 時間の方は、必要だと思っていなかった。