第495話 第八章「列車を橋にする」前編

修理には、二つの思想がある。

 一つは、壊れる前へ戻すこと。

 車輪が回らないなら回す。

 弁が閉じないなら閉じる。

 時計が狂ったなら、正しい時刻へ戻す。

 もう一つは、壊れた後にしかできない役目を与えること。

 車輪が回らないなら、動かない重りにする。

 弁が閉じないなら、流し続ける排水路にする。

 時計が狂ったなら、狂い方を比較する計測器にする。

 前者は、修復と呼ばれる。

 後者は、しばしば間に合わせと呼ばれる。

 歴史書は修復を好む。

 王宮が再建された。

 橋が復旧した。

 鉄道が元どおり開通した。

 元どおりという言葉は、災害前の制度が正しかったように聞こえる。

 下面区の職人は、元どおりを信用しない。

 元どおりに戻れば、元どおり自分たちの町だけ後回しになるからだ。

「動かすな!」

 ロロ・ピクスは叫んだ。

 叫んでから咳き込んだ。

「誰を!」ハル。

「全部!」

「人も?」

「息はしろ!」

「前にも聞いた!」

「前と同じ危険だから同じこと言ってんだ!」

 右眼の度入りレンズが煤で曇る。

 左眼は見える。

 右側の距離がずれる。

 四本の補助腕が、本人より先に別方向へ伸びている。

 一腕、車体温度。

 一腕、連結器。

 一腕、工具箱。

 一腕、請求板。

「請求板、今?」ハル。

「今だから!」

「何を請求」

「列車を橋にする費用!」

「列車、持ち主いる?」

「いる!」

 ロロが指す。

 中間岩礁の外側。

 全鎖暗化で動力を失った、八両の空貨物列車。

 車体には古い商会印。

 貨物は降ろされている。

 乗員も救助済み。

 だが空だから、誰のものでもないわけではない。

 商会の所有。

 労働者の職場。

 保険会社の担保。

 修理工の未払い債権。

「橋にしたら、もう列車へ戻らない?」ハル。

「戻せるかもしれない」

「かもしれない」

「今、車輪を外す。台車を横へ割る。床骨を抜く。屋根を荷重梁にする。元へ戻すなら、新造より高い」

「じゃ持ち主は嫌がる」

「当然」

「でも人が渡れない」

「だから請求書だ!」

「請求すれば壊していい?」

「違う!」

 ロロの耳が赤い。

 怒っている。

 補助腕の動きが、逆に静かになる。

「使う前に、誰の何を失わせるか書く。救難だから無料で壊して、後で『名誉だった』にしない」

「商会へ払う?」

「商会だけじゃない。運転者の休業。保線員の仕事。積荷契約の違約。地域の代替輸送。橋へした後の保守」

「多い」

「生活は部品より多い!」

 ロロは一枚の板へ書く。

『車体八両、救難橋へ転用』

『所有権は移さない』

『使用終了後、復旧、新造、用途転換を所有者・労働者・地域で選択』

『費用、王家・中央運行局・救難基金へ分担請求』

『修理工賃、危険手当、材料費を別記』

「自分の賃金、四番目」とハル。

「先に書くと守銭奴って言われる!」

「後でも言われる」

「じゃ先に書けばよかった!」

 橋が必要な理由は、距離だった。

 中間岩礁と外島の間。

 二百八十六メートル。

 切れた鎖が下へ垂れ、雷雲へ消えている。

 病院列車は岩礁側。

 工場発電車と外島は反対側。

 学校車はさらに下の補助線。

 自由港艇で人を一人ずつ運べる。

 だが患者、炉部品、水樽、家畜、学校の手回しポンプを全て運ぶには、艇が足りない。

 中央王命は、病院列車を内側へ引く。

 分割切符が抵抗している。

 抵抗は永遠ではない。

「空貨物八両、全長百九十二」とエリア。

「足りない」ハル。

「ゼロスター号、船長三十二。自由港艇二隻、各二十六。合わせて二百七十六」

「十メートル足りない」

「岩礁側へ病院前車を十六メートル出す」

「患者乗ってる!」サナ。

『前車を動かすな』

「じゃ発電車を」

『炉がある!』ロロ。

「空のもの」

 全員が探す。

 空の車両。

 空の船。

 空の橋。

 空であることは、役に立たないことではない。

 だがこの災害では、空に見えるものほど、何かの予備である。

「食堂車」とメラの旗信号。

 学校車の後ろ。

 調理炉は止まっている。

 食材は学校へ移した。

 人はいない。

「長さ二十四」とエリア。

「足りる!」ハル。

「食堂車を渡すと、避難所が減る」メラ。

「食堂として使う?」

「夜になれば」

「橋へした後、屋根を避難所にできる」とロロ。

「橋の上で寝る?」

「壁板を外して、岩礁側へ小屋を作る。全部橋に使わない」

「何両」

「空貨物六。二両は材料。食堂車は床骨だけ。船三隻を可動継手」

「船を橋に」ミラ。

『値段』

「自分から?」ハル。

『船長会へ説明する。義足まで橋脚にする気なら別料金』

「しない」

『一瞬考えた?』

「星晶、強そう」ロロ。

『殺すぞ』

「冗談!」

『専門用語が減った。嘘だな』

「何で俺の台帳知ってんだ!」

 ロロには、壊れた機械の動きを戻す術〈リメイク〉がある。

 構造を理解し、本来動作の痕跡を読み、短時間だけ機械を以前の働きへ戻す。

 空貨物列車へ使えば、車輪を回せる。

 中央へ走らせられる。

 それは、この場で最も簡単だった。

 だから使わない。

「本来動作へ戻したら、中央命令の自動線へ乗る」とロロ。

「橋は本来じゃない」ハル。

「手で作る」

「魔法より遅い」

「遅い」

「間に合う?」

「間に合わせる」

「それ、カイルも言ってた」

「王子と一緒にすんな!」

「熱量は似てる」エリア。

「正確な悪口やめろ!」

 ロロは設計を描く。

 紙ではない。

 貨物車の床へ、油で直接。

 六両を二列三段の桁へする。

 台車を外し、横梁へ。

 屋根板を裏返し、歩行面。

 ゼロスター号と自由港艇を、重力角の変化へ追従する浮動継手にする。

 切れた鎖の残端へは直接固定しない。

「なぜ」オルサ。

「鎖がまた引かれたら、橋ごと裂ける。岩礁の旧係留穴と、外島の水塔基部へ」

「水塔、荷重上限」

「設計上百二十。今は漏水で軽い」

「漏れた分を利用?」

「壊れた後にしかできない役目」

「水を直せば」

「橋荷重を別基部へ移す。その時また払え」

「誰が」

「王家!」

『何でも俺へ回すな!』カイルの文字信号が遅れて届く。

「届いてた」

『請求は受ける。承認は後』

「払え!」

『監査付き!』

「成立!」

『勝手に!』

 作業班。

 ロロ。

 オルサ。

 ハル。

 エリア。

 ミラ。

 自由港の船員。

 工場労働者。

 学校車の大人四人。

「指揮」とハル。

「俺」ロロ。

「全部?」

「構造だけ!」

「人の移動」

「エリア」

「医療」

「サナ」

「船」

「ミラ」

「荷重締結」

「オルサ」

「走る」

「お前」

「料金」

「俺!」

「そこだけ全部」

「重要!」

 ノクスは二本の尾を、岩礁側と外島側へ向ける。

「ノクス」

「ナァ」

「匂い確認。人が残ってる車両を解体しない」

 ノクスは嘘を判定しない。

 だが人の匂い、食べ物、恐怖、睡眠の痕跡は追える。

 空貨物六両を一つずつ嗅ぐ。

 一両目。

 無人。

 二両目。

 無人。

 三両目で、尾が止まる。

「誰かいる?」ハル。

 床下。

 小さな鳴き声。

 家畜。

 ナミル群れの幼い荷獣が、輸送箱へ隠れている。

「空じゃない」

「一頭」とロロ。

「一頭でも」

「別車へ移す。本人の希望は聞けない」

「動物へ本人?」

「選択はある」とハル。

 箱を開ける。

 幼獣は震え、外へ出ない。

「無理に出す?」

「車両を解体するなら待てない」サナ。

「安全な選択肢」

「箱ごと移動。匂いのある布を残す。群れへ戻す。拒むなら救難艇の家畜区画」

「三つ」

 ハルは箱ごと持つ。

 左肩へ載せない。

 右腕と腰索。

「重い」

「申告」とイヴァの形札。

「二十くらい!」

「単位!」エリア。

「キロ!」

「こちらの重量単位へ!」

「知らない!」

「正確な無能、再発!」

「成長してない?」

「申告速度だけ!」

 幼獣を安全区画へ移す。

 空という前提を、一頭が壊した。

 橋の設計は三分遅れる。

 三分で救えない人が出るかもしれない。

 だから見つけなかったことにするか。

 しない。

 遅れも、救助も、同じ記録へ残す。

 第一貨物車。

 車輪を外す。

 オルサのレンチが、古い固着ボルトへ噛む。

「右へ三」ロロ。

「右は」

「車体進行方向!」

「進行方向が中央命令で変わる」

「床黒線側!」

「最初から言え」

 がん。

 ボルトが回る。

「料金」

「私の労働」

「危険手当」

「後で」

「後でを記録!」

「ミコ!」

 ミコが札へ穴を開ける。

 レンチ一回。

 危険手当。

 旧名なし。

「名前なくても請求できる?」ハル。

「呼び印と工具番号」とミコ。

「払う時」

「本人が選ぶ受取先」

「旧口座へ勝手に?」

「しない」

「制度、増えた」

「人を消さないと、紙は増える」

 第二貨物車。

 屋根を切る。

 ロロの補助腕が火花を散らす。

 右眼のレンズへ煤。

 距離がずれる。

 刃が、予定線より二センチ右へ入る。

「ずれ!」エリア。

「分かってる!」

「止めて」

「このまま補正!」

「右眼」

「見える!」

「左だけで見てる」

「見える!」

 咳。

 一度。

 二度。

 息が鳴る。

 気管支が細くなる音。

 ロロは工具名を言おうとする。

「吸入筒」とハル。

「まだ」

「どこ」

「左腰」

 ハルが取る。

「自分で」

「持てる?」

「持てる!」

 ロロは吸う。

 息が戻らない。

 もう一度。

「作業止め」とサナの旗。

「時間!」

「身体」

「俺が止まると全員!」

「お前一人を橋の部品にするな!」

 ロロの補助腕が全部止まる。

 その言葉は、痛い。

 彼は機械が捨てられることを恐れた。

 同時に、自分が便利な部品として必要とされ、壊れたら交換されることを恐れる。

「誰が続ける」とハル。

「俺しか図を」

「説明して」

「時間が」

「短く」

「無理!」

「長くても聞く」

 ロロは、工具を床へ置く。

 静か。

 怒りが本物の時の音。

「ハル」

 人名を呼ぶ。

 工具名ではない。

 本当に切迫した助けの求め方。

「図を持て」

「分かった」

「エリア、切断線の寸法を読む」

「受領」

「オルサ、屋根刃」

「使える」

「ミラ、車体を風で固定するな。動きを殺すと刃が噛む。揺れ幅だけ三センチ以内」

「盗る運動量は」

「使うな。義足接合が熱い」サナ。

「風帆だけ」ミラ。

「俺は、呼吸を戻す」

 ロロは座る。

「五分」サナ。

「二分」

「四」

「三」

「成立」

「医療は値切るな」

「時間は資源!」

「三分後、再評価」

 作業が続く。

 ロロ一人の手から外へ。