第512話 第四章「夢を証拠にしない」後編

 第二層は編集室だった。

 何百もの夢像が、薄い紙膜へ映る。

 泣いている子供の夢から炎だけを切り出す。

 船乗りの悪夢から波の周期だけを取る。

 患者の夢から、痛みの位置へ色をつける。

 編集は、嘘ではない。

 必要な部分を選ぶ。

 選ばなかった部分を捨てる。

 問題は、捨てたことを表示しない時に始まる。

「全市夢の原版」とセレナ。

 案内係は中央卓へ案内する。

 夢像が開く。

 白い階段。

 橙の灯籠。

 エリア。

 赤いマフラー。

 左手の刃。

 右下に小さな表示。

『統合予測像・第七版』

「原版ではありません」

「第一版から第六版は保管されています」

「見せて」

 第一版。

 階段は青灰。

 灯籠は九基。

 被害者の服は白一色。

 犯行者の顔はない。

 第二版。

 灯籠が十四基。

 被害者へ濃紺の髪。

 第三版。

 赤い布。

 第四版。

 エリアの声。

 第五版。

 左手の傷。

 第六版。

 白い階段。

 第七版。

『凪野ハル』『エリア・ルーンベルグ』の名札。

「夢を一部編集した者がいる」とカイル。

「予測統合です」と案内係。

「誰が」

「自動処理と、人間の確認」

「人間の確認者」

「予測整備官ベレト・カーム」

 セレナは名を書かない。

 まだ人物と行為を結ばない。

「各版の作成時刻」

 第一版。

 救援文送信の二時間前。

 第二版。

 救援文送信の一時間五十分前。

 第三版。

 ゼロスター号の到着予定が公開された直後。

 第四版。

 エリアの過去演説音声へ接続した後。

 第五版。

 医療系統へ接続した後。

 第六版。

 危機局が階段塗装を命じた後。

 第七版。

 市民向け公開の直前。

「待って」とロロ。

「第六版の白い階段、塗装命令の後?」

「記録では」

「夢が白い階段を見せたから塗ったんじゃねえ。塗る予定を入れたから、予測像も白くなった」

「未来予測は、決定済みの対策を反映します」

「で、対策は予測を見て決めた」カイル。

「相互更新です」

「輪っかだ」とロロ。

「輪は閉じていますか」とセレナ。

「何です」

「予測が対策を作り、対策が予測を確定させる。外部の現実を入れる口はどこです」

 案内係が答えられない。

「市民の行動」

「その市民へ、予測が指示を出す」

「警備の判断」

「予測を見て配置する」

「被害対象の選択」

「保護命令で制限される」

「犯行者の選択」

「予防静置される」

 セレナは第四の札を表に返さない。

「この像は、未来を観測しているのではなく、未来へ命令を出す資料です」

 編集室の奥に、廃棄筒があった。

 選ばれなかった夢の断片を落とす縦穴。

 泣いている子供から切り離された、泣く前の食卓。

 火事夢から切り離された、火のついていない竈。

 転落夢から切り離された、飛ぶ直前の笑い声。

 予測へ不要とされた場面は、真実でなかったから捨てられたのではない。

 事件の筋を分かりにくくするから捨てられた。

「今回の廃棄」とセレナ。

 案内係が閲覧札を差す。

 紙膜が開く。

 白い階段の外側。

 市場で豆を煮る女。

 保安員が靴紐を結び直す姿。

 エリアが夢に映る前、保護室の患者が窓を開ける場面。

 ハルの右手。

「右手がある」とカイル。

 映像の端。

 ハルは左手で刃を持つ役として編集された。

 しかし原入力の一つには、右手で誰かへ白索を投げる過去記録があった。

「なぜ捨てた」とセレナ。

「犯行動作へ関係しないため」

「利き手の反証です」

「左手使用歴もあります」

「両方を残して、確度を下げるべきだった」

「市民向け像が複雑になります」

「人間が複雑だからです」

 別の廃棄片。

 夢のエリアが「ハル」と呼んだ後、本来は二つの音声候補があった。

『止まって』

『来ないで』

 どちらも採用されず、呼名だけが残った。

「なぜ」

「命令内容が競合したため」

「競合したなら、呼名の意味も確定しません」

「名前は一致しています」

「名前が一致すれば、感情も同じになる?」

 案内係は答えない。

 編集とは、不要なものを捨てる仕事である。

 同時に、何が不要かを決める権力だった。

 廃棄筒を調べている間に、床の夢膜が軟化した。

 警告灯。

『編集対象外の長時間滞留』

「私たちを不要と判定?」カイル。

「室内作業者の歩容ではありません」と案内係。

「また標準」ロロ。

 床が波打つ。

 夢膜は、立ち止まる人を作業不能とみなし、廃棄筒側へ傾ける。

 セレナの長い黒外套が滑る。

 カイルが左手を伸ばす。

「掴む?」

「左前腕」

 彼女が選ぶ。

 カイルは引く。

 右腕の王盾炎を使わない。

 ロロの補助腕は床へ四枚の摩擦板を打つ。

「塔、歩く人しか人間だと思ってねえ!」

「停止して考える工程を想定していない」とセレナ。

「編集が速すぎる理由、それか!」

 床がさらに傾く。

 案内係も滑る。

 自分の施設に、標準外と判定された。

「手!」カイル。

「私は職員です!」

「肩書じゃなく、掴む場所!」

「腰帯!」

 白索を回す。

 三人を摩擦板の上へ。

 セレナは廃棄片を証拠袋へ入れる。

「止まって考える人を落とす編集室」

「比喩として強いな」とカイル。

「比喩ではなく設備事故です」

「そこを正すから強い」

 ロロが手動弁を開く。

 床が固まる。

「修理見積もり、追加!」

「危機局へ」とセレナ。

「この町、請求だけで予測不能にしてやる」

 第三層は配信記録庫だった。

 塔の中で最も危険な場所は、高所ではない。

 更新中の記録庫である。

 何万人分もの夢札が、毎秒書き換わる。

 前の版を残さなければ、現在が最初から現在だったように見える。

 床の左右へ、紙の奔流。

「配信開始時刻」とセレナ。

「全市一斉、昨夜二十三時」

「受信完了」

「二十三時七分」

「全員が同時に眠っていた?」

「起きている者へは、次の睡眠時に」

「では全員が同じ時刻に見たわけではない」

「同じ配信周期です」

「夢の時計が違う理由」カイル。

「受信者の生活時刻へ自動置換されるため」

「未来の時刻じゃない」とロロ。

「夢を理解しやすくする個別化です」

「個別化した像を、全員一致と呼んだ?」セレナ。

「中心場面は一致します」

「違いを消して一致させた」

 記録庫の奥で、警報が鳴った。

 紙の奔流が逆流する。

 更新札が、保管札へ混ざる。

「何が起きた」とカイル。

「市民からの追加報告。夢の再視聴。危機対策の反映。予測像が更新されています」

「調査中に原本を変えてる?」ロロ。

「生きた予測です」

「証拠保管庫で生きるな!」

 紙札の帯が天井から剥がれた。

 白い波。

 セレナは左へ避ける。

 左眼の距離がずれる。

 一枚目は見える。

 二枚目が近い。

 カイルが左手で彼女の肩を引く。

 私的な慰めではない。

 救助。

 右籠手の盾は展開しない。

 紙を焼かないため。

「下がれ!」

「証羽!」

 セレナの黒い羽根札が紙流へ巻かれる。

 入口から記録してきた一枚。

 なくせば、採取連続性が切れる。

 彼女は追う。

 右手首が痛む。

「セレナ!」

 カイルが名前を呼ぶ。

 叱られる直前ではない。

 セレナは止まる。

 自分で止まれない証拠官は、証拠を守る資格を失う。

「ロロ、回収」

「請求先!」

「危機局」

「なら行く!」

 四本の補助腕が別々の帯へ伸びる。

 一腕が柱。

 一腕が証羽。

 一腕が更新札の束。

 一腕が本人の工具箱。

 足元の予測床が、四本腕の動きへ追いつかない。

「三点支持板!」

 さっきの金属板を蹴る。

 床が硬化。

 ロロは紙流へ半身を入れ、証羽を掴む。

 同時に、別の束が裂けた。

 何千枚もの配信時刻が宙へ舞う。

「止めろ!」案内係。

「何を!」

「更新を!」

「お前の機械だろ!」

「自動学習が市民反応を」

「電源!」

「予測核と治療灯網が共通です。切れば患者の共有夢も落ちる」

 一つの網へ、四つの仕事。

 雷鎖と同じだった。

 便利は、後から同じ骨へ載る。

「分離弁」とロロ。

「ありません」

「作る!」

「今?」

「今壊れてんだよ!」

 ロロは壁の夢線を三つへ分ける。

 治療。

 商業。

 予測。

 完全には切れない。

 だから、予測側だけ更新速度を落とす。

「七分だけ!」

「短い」とカイル。

「治療網を守って止められるのが七分! 長くしたきゃ、医者と患者へ切替聞け!」

「十分です」とセレナ。

「何をする」

「最初の夢を探す」

 七分。

 更新が止まった記録庫で、セレナは配信時刻を並べた。

 最初の受信者。

 いない。

 二十三時〇分〇秒。

 同じ時刻に、全市配信核から四万六千二百十一件。

 市民が先に夢を見たのではない。

 灯網が、予測像を市民へ送った。

「救援文には『全市民が同じ夢を見た』」カイル。

「事実ではある」とセレナ。

「でも、最初の夢を見た誰かはいない」

「夢の発生源は、人の睡眠ではなく予測核」

「じゃ、予言じゃない」ロロ。

「まだ断定しません。予測核が別の夢断片を材料にした可能性は残る」

「慎重だな」

「慎重でなければ、夢を証拠から外した意味がない」

 セレナは三枚の札を並べ直す。

『捜査資料』

 配信版の変化。

 階段塗装命令。

 灯籠移設。

 到着予定。

『医療情報』

 左手の傷。

 個人化された時計。

 匂いの欠落。

『予測広告』

 市民へ見せた確定的な像。

 人名。

 明日。

 回避を促す表示。

『法的証拠』

 まだ裏返し。

「ハルの拘束根拠は」とカイル。

「弱まった」

「なくなった?」

「夢以外の具体的危険行動がないなら、継続は困難」

「出せるな」

「法的には」

「政治的には」

「全市民が彼を犯人として見ている」

「それは市民感情だ」

「市民感情を無視して門を開ければ、暴力が起きる可能性」

「じゃ檻へ置く?」

「出す方法と、出た後の安全を同時に作る」

 カイルが笑わない。

「俺の盾」

「見せれば、王家が犯人を護送している像になる」

「使いづらいな」

「権力は、強いから使いづらいのです」

「弱くしたい」

「今は、立会人として歩いてください」

「どこへ」

「静置室」

「迎えに?」

「決定を伝えに。出るかどうかは本人へ聞く」

 記録庫を出る直前、セレナは一枚の更新札を拾った。

 夢像第八版。

 白い階段は、百八段すべて塗られている。

 橙灯籠は左右十四。

 エリアは上から七段。

 保安員は下から十二段。

 ハルの静置室は、階段から遠い。

 それでも予測像の確率表示だけが上がっていた。

『発生見込み 確実』

「確実の数値は」とセレナ。

 案内係が確認する。

「内部値、六十二パーセント」

「六十二を、確実と表示した?」

「市民へ不安を与えないため、段階語へ変換しています」

「六十二は、起きない可能性が三十八ある」

「安全側へ」

「安全側とは、何を多く見積もることです」

 被害。

 恐怖。

 拘束。

 警備。

 権限。

 何を安全と呼ぶかで、数は人を守りも、追い込みもする。

 セレナは第八版を証拠袋へ入れた。

「最初の夢を見た人物はいません」

 ユーディへ告げる。

「全員が見たのに?」

「全員が、同じ発信元から受け取りました」

「では発信元が未来を見た」

「それを調べています」

「夢を証拠にしないなら、何を信じるのです」

 セレナは六角単眼鏡を一度押した。

「信じるのではありません」

 右手首を休ませ、左手で証拠袋を持つ。

「変わった順番を残します」

 未来を当てるより先に。

 現在が、いつ、誰の手で、どの方向へ変えられたかを。