第525話 第十一章「刺されない明日」前編

予言が外れた時、人は二つの物語を作る。

 一つは、予言が間違っていたという物語。

 もう一つは、予言のおかげで外れたという物語。

 後者は便利である。

 何も起きなかったことを、予言の成功にできる。

 避難の損失も、拘束された人の時間も、壊された店も、「大惨事を防いだ費用」として正当化できる。

 予防の成果を測るには、その物語が必要なこともある。

 しかし、予言が事件を作っていた場合まで同じ物語を使えば、加害は功績へ姿を変える。

 明日を救ったという言葉ほど、昨日の責任を隠しやすいものはない。

 一度目の鐘が鳴った。

 白階段の上。

 夢では、二度目の鐘の後にエリアの影が倒れ、三度目の鐘より先に刃が胸へ入る。

 現実では、赤い灯籠が破れ、白い刃が紙壁へ刺さった。

 エリアは生きている。

 呼吸三。

 胸痛なし。

 両踵二。

 ハルは左肩四。

 握力低下。

 それでも立っている。

「二度目を止める!」ユーディ。

 鐘楼へ手動停止旗を出す。

 旗が上がる。

 鐘は止まらない。

「自動同期」とベレト。

 拘束札を手首へ巻かれたまま言う。

「最終予測核が、鐘を時間標識に設定しています」

「解除」とセレナ。

「予測核へ直接」

「場所」

「鐘楼下、夢心室」

「入口」

「白階段中央」

 群衆の下。

 最も人が集まっている場所。

「後付け?」ロロ。

「古い設計です」

「何でも古い設計へ逃がすな!」

「本当に古い」

「だから今のお前が無罪になるか!」

「ならない」

 ベレトが初めて、短く認める。

「解除手順」セレナ。

「予測を無効化するか、実行済みへする」

「実行済み?」

「被害者の死亡、犯人の拘束、凶器の回収。三条件」

「人を殺して止める設計?」カイル。

「犯罪発生後の記録へ移るだけです」

「無効化」

「未知選択を連続三件。モデルが同一事件として追跡できなくなれば停止」

「さっき何件」エリア。

 息を整えながら聞く。

「赤布の所有者変更。一件」

「アサの役割拒否」

「モデルは保安員として追跡を継続」

「一件に数えない?」

「本人ではなく、役割を見ている」

「それが問題」アサ。

 十二段目。

 杖を握る。

「なら、役割ごと降りる」

「杖」ソムナ。

 夢療室からの声が弱い。

「倒す」

 アサは細い杖を床へ落とした。

 金属音。

 退出合図。

 周囲の保安員が道を空ける。

 理由を聞かない。

 アサは胸の『退出可』札を外す。

 裏へ、新しい字を書く。

『保安連絡員を辞任』

「今?」ラト。

「今」

「事件中」

「事件中だから、役を勝手に使われる」

「後で戻る?」

「後で決める」

 十二段目を降りる。

 予測核の光が乱れる。

「未知選択、二件目!」ロロ。

「一件目は布、二件目は役職辞任」

「あと一つ」ハル。

 二度目の鐘へ、鐘槌が上がる。

「誰が」

 全員を見る。

 未知選択は、派手である必要はない。

 モデルが用意した役割と違うこと。

 エリアが赤いマフラーを外す。

「返さない」

「え」とハル。

「今は、私が持つ」

「それ、一件目と同じ所有者変更」ロロ。

「では」

 エリアはマフラーを腰へ巻かない。

 白いケープの内側へ入れる。

 見えなくする。

「予測の識別記号を、公開しない」

「非公開化は」ロロが核表示を見る。「追跡喪失。でも同じ物」

「新しい選択に数えない!」

「じゃ俺」とカイル。

 右籠手を外す。

「盾役を辞める」

「今、群衆が!」

「辞めない。役を他へ渡す」

 王盾炎の核を、盾としてではなく、足場固定具へ変える。

「それ、前にもやった!」ロロ。

「この事件モデルは知らない!」

「前にも使った手だって、こっちは知ってる!」

「相手が初見なら、作戦としては新しい!」

「俺たちの身体は?」

「前と同じ無理をさせるな!」

 モデル表示。

 未知選択、候補。

 しかし確定しない。

「役割の再分類では、追跡可能」とベレト。

「詳しいな」

「作ったから」

 二度目の鐘槌が落ちる。

 ハルは階段を見上げる。

 自分が何かをしなければならない。

 その考えこそ、夢が用意した役だった。

 事件の中心。

 犯人。

 救う者。

 全部、自分一人へ集める役。

「俺、何もしない」

 ハルは言った。

「何?」エリア。

「三件目」

「何もしない、は選択として観測しにくい」とセレナ。

「じゃ、頼む」

 ハルは白階段の下にいる市民へ向く。

「誰か、鐘を止めて」

 群衆が静まる。

 王でも、役人でも、予測犯でもない。

 無名の誰かへ頼む。

「どうやって!」

「分からない!」

「無責任!」

「そう! だから一緒に考えて!」

 鐘楼の構造を知る人。

 灯糸を扱う人。

 紙屋根へ登れる人。

 鐘の音で眠り発作を起こす人。

 手が上がる。

「鐘守です!」

 白髪の女性。

「停止旗は偽物じゃない。本物。でも自動鐘槌が別線へ」

「別線、どこ!」ロロ。

「鐘の中!」

「中?」

「音を夢へ送る共鳴紙!」

「破れば!」

「町の時報が一日消える!」

「人が死ぬ?」

「眠り薬の配布時刻がずれる!」

「代替時刻!」

 テトが遠隔伝話へ入る。

『汽笛を貸します!』

 雷鎖環から。

「何で聞いてる!」ハル。

『イヴァが救援文の公開回線をつないだ! 夢灯の時報が消えるなら、公共線の汽笛を十五分ごとに鳴らす!』

「距離」ロロ。

『天雷錨の共同線! 音じゃなく時刻信号!』

 イヴァの声。

『中央に合わせない。ネムリア側が受け取る時刻を決めろ』

 鐘守が答える。

「十二分周期。薬配布は二十四分」

『合わせる!』テト。

「共鳴紙を破る?」ハル。

 鐘守は自分で決める。

「破ります」

「名前」セレナ。

「リム・カーン。四十二年、鐘守」

「責任を一人へ」

「積まないで。薬時刻の代替は公共線。配信は危機局。修理は都市。私は、今破る人」

「記録」

 リムが紙屋根へ登る。

 ハルは行かない。

 助けるため先に飛ばない。

 下から白索を支える。

「掴む?」

「腰へ」

「了解」

 リムが鐘の内側へ入る。

 二度目の鐘槌が、鐘面へ触れる寸前。

 共鳴紙を引く。

 破る。

 鐘は鳴らない。

 槌だけが空を叩く。

 夢では二度目の鐘が鳴った。

 現実では、鳴らなかった。

「未知選択、三!」ロロ。

 予測核が白く点滅する。

『追跡不能』

『事件像を再生成します』

「止まらない!」

「再生成前に核を無効化!」ベレト。

「場所!」

「中央床!」

 白階段が左右へ割れる。

 人々が離れた中央に、円い蓋。

 夢心室。

 蓋が開く。

 下から、何万人分もの寝息。

 夢灯網の核は機械ではなかった。

 巨大な紙の肺。

 市民が眠るたび、薄い膜が膨らむ。

 夢を見るたび、色が走る。

 予測を配信するたび、町全体へ息を吐く。

 常夜都市の歴史は、この肺とともにあった。

 火災を知らせた。

 疫病を見つけた。

 失踪者の最後の風景を残した。

 言葉を失った患者の痛みを伝えた。

 同じ肺が、殺人の舞台を作った。

「壊す?」カイル。

「壊さない」とエリア。

「停止」ユーディ。

「全停止すれば、今夜の夢療患者が戻れない」メイ。

「予測層だけ」とロロ。「分離は終わった。核の中央膜を閉じれば、医療と記録は残せる」

「中央膜の閉鎖鍵」

 ベレトの胸札。

 予測保全官印。

「渡す」と彼。

「条件」とセレナ。

「妹の火災記録を消さない」

「それは別手続」

「約束を」

「今しない」

「では渡さない」

「あなたが持ち続ければ、再生成で人が傷つく」

「だから条件を呑め」

「救難を取引に使うな!」カイル。

「王家は使ってきた」

「俺は今、使わない!」

 ベレトが鍵を握る。

 彼の妹の記録。

 低確率と判断され、避難されなかった火災。

 消せば、制度の失敗が消える。

 残せば、本人の夢と死が公共教材に使われ続ける。

 どちらも、兄一人が決めてよい問題ではない。

「消さないとも、残すとも約束しない」とセレナ。

「遺族だから決められる」

「妹本人の公開希望、他の遺族、同じ火災の生存者、医療情報を分けて審査する」

「時間がない」

「だから今、決めない」

「鍵は」

「救難に必要。提出してください」

「拒否」

 ノクスが、ベレトの足元へ座る。

 破約臭はない。

 約束していない。

 ただ、小さな紙片の匂いを追う。

 ベレトの長い左袖。

 内側に、別の鍵。

「ナァ」

「二本?」ハル。

 ベレトが左腕を引く。

 セレナは手を出さない。

「提出を求めます」

「予備鍵です」

「主鍵と予備鍵。片方を取引に使い、片方を隠した」

「故障時の」

「救難中の故障です」

 ベレトの言葉が尽きる。

 ハルは彼へ近づかない。

「俺が取る?」

「だめ」とエリア。

「なぜ」

「奪えば、彼は被害者の役へ逃げられる」

「じゃ」

「本人が出す」セレナ。

「出さないなら」カイル。

「強制取得の手続へ。理由、範囲、立会人、身体への負荷を明示」

「長い」

「短くしてはいけない場面です」

 ユーディが前へ出る。

「危機局長として、予測保全官印の緊急停止取得を命じます。対象は左袖内の予備鍵一。身体拘束は最小。立会人、星律官クロウ、王太子アークレイ、市民保安員ラト。終了後、取得の適法性を審査」

「市民保安員」とアサ。

 もう辞任した。

「ラト」とユーディが訂正する。

 役ではなく名を呼ぶ。

「ベレト。自分で出す?」

 長い沈黙。

 彼は左袖へ右手を入れる。

 予備鍵を出す。

 床へ置かず、セレナの証拠袋へ。

「提出」

「受領」

 ロロが予備鍵を夢心室へ差す。

 中央膜。

 紙の肺が大きく膨らむ。

 再生成まで三十秒。

「閉じると反動!」ロロ。

「何が」

「予測へ送るはずだった夢像が、現実灯へ逆流する!」

「何人」

「全市!」

「止めるな!」ソムナ。

 夢療室で横になったまま、伝話へ。

「出口線を残す。逆流像を見ても、現実位置を言え!」

「記憶二欠落。お前は休め」とメイ。

「案内は他へ」

「誰」

「全員」

 ソムナは自分一人で帰すと言わない。

「目を開けてる人が、隣の人へ場所を言う。名前でなくてもいい。床、匂い、温度、触っている物」

 ユーディが全市へ古鐘回線を開く。

「逆流夢が来ます! 見えた像を未来と断定しない! 隣の人へ、今いる場所と触れている物を伝えてください!」

 町じゅうで声。

「白階段!」

「紙壁!」

「娘の手!」

「薬箱!」

「冷たい床!」

「塗料くさい!」

 匂い。

 夢にないもの。

 現在へ戻す証拠。

「閉じる!」ロロ。

 鍵を回す。

 中央膜が畳まれる。

 紙の肺が、声にならない息を吐いた。

 全市の灯籠へ、明日の殺人像が逆流する。

 白い階段。

 左手。

 刃。

 エリア。

 だが今度は、全員が隣の声を聞く。

「右手を握ってる!」

「苺の匂い!」

「膝が痛い!」

「子供が泣いてる!」

「鐘は鳴ってない!」

 夢と現実が、同時に存在する。

 夢を消さない。

 現実で上書きもしない。

 区別する。

 予測核の光が落ちる。

 再生成、停止。