第530話 第一章「ルメの葬列」後編
葬列を調べるには、葬列へ何を尋ねるかを決めなければならなかった。
死者の名。
死亡時刻。
死因。
遺体の所在。
喪主。
埋葬先。
普通の葬儀なら、最初の五分で埋まる欄が、ルメの葬列では一つも埋まらない。
「喪主は町」とユーディ。
「町は人ではありません」とセレナ。
「町民代表なら、エダ・フェル」
「本人の意思確認」
「今、葬列の前方」
白灰の紙布の列をかき分け、エダが来た。
五十二歳。銀灰色の髪を四角く結び、襟へ何十枚もの依頼札を縫い付けている。札は飾りではない。水、火、薬、橋、子守、埋葬。町で誰かが「困った」と言った時、まず彼女の襟へ一枚増える。
「止めないでください」とエダ。
「葬列を?」ハル。
「町を」
「今、止まってる」
「だから、葬列まで止めれば、返却手順が中断する」
「返却」セレナが拾う。「何が、誰へ」
「それを調べている」
「喪主ですか」
「違う」
「ルメを知っていた」
「知っていた」
「会った」
エダは答える前に、襟の灰札を一枚触った。
「毎日」
「外見」
「日によって違った」
「同一人物ではない?」
「同じ返事をした」
「声」
「日によって違った」
「それでも一人と思った?」ハル。
「一人と思う方が、仕事を頼みやすかった」
「便利だから一人にした」
「名前がない仕事へ、毎回、違う相手を探す時間がなかった」
「それで町長になった?」
「町長だから、そうした」
エダの言葉は、弁解より硬かった。
責任を認める人間は、自分を悪人へ簡単にしない。悪人になれば、謝って辞めるという一つの出口ができる。彼女は辞めるより先に、薬と水を動かす必要がある。
「棺の中身を、あなたは選んだ?」セレナ。
「いいえ。各家へ返却札が届き、住民が自分で入れた」
「返された物を、また棺へ?」
「使い方が分からなかった物。もう持ちたくない物。ルメがいた証拠として残したい物」
「三種類が同じ棺に」とエリア。
「分ける時間がなかった」
「分けないと、意味が混ざる」
「分ける人手も、ルメへ頼んでいた」
その答えに、誰もすぐ返せなかった。
葬儀の整理まで、葬られる存在へ外注していた。
セレナは死亡記録所へ向かった。
夢灯都市の死亡記録は、紙だけではない。
亡くなった者の最後の夢色が、細い硝子管へ封じられ、名前札と一緒に地下壁へ差し込まれる。遺体がなくても、本人の夢脈が途絶えれば一本の灯が消える。
ルメの灯は、ない。
「登録漏れ」とハル。
「可能性」
「出生してないから?」
「出生記録がないことと、存在しないことは同じではありません」
「また同じじゃない」
「同じにすると、失踪者が死者になります」
記録所の老係員は、ルメという名を知っていた。
「毎晩、閉館確認を頼んだ」
「外見」
「背の低い男」
隣の若い係員が首を振る。
「私が見たのは背の高い女」
「同じ夜に?」セレナ。
「同じ夜」
「時刻」
「零時十二分」
「私も」
二人は別の扉で、同じ時刻にルメを見た。
「二人いた」とハル。
「二つの投影、遠隔灯、記憶違い、同名担当。候補は複数」
「候補が増える捜査」
「減らす前に、勝手に一つへしない」
セレナは最後の夢色記録を確認する。
昨夜、二十三時四十四分から五十分。
町じゅうで、微小な夢脈灯が同時に減衰している。
「死亡時刻?」ハル。
「まだ呼ばない」
「でも、何かが止まった」
「はい」
「一人じゃない止まり方」
セレナは単眼鏡を外した。
左眼の奥が痛む前に、確認を終える。
「時刻だけ記録。意味は保留」
記録所を出た時、葬列の上で灯籠棚が傾いた。
棚には、住民が棺へ入れる物を一時的に置いている。
鍵、裁縫箱、薬匙、子供の靴、古い目覚まし鈴。
支柱を固定する結び順を、棚守が忘れたのだ。
「下がれ!」
ハルが走る。
棚の真下に、橙帽子の小さな子供がいる。
左肩で受ければ間に合う。
身体が、古い正解を選びかける。
ハルは右手で腰索を投げ、棚の横棒へ掛けた。
自分で全重量を受けない。
「一、二――」
三を言えない。
カイルの小盾が棚の角を支える。
エリアの地図槍が落下方向を横へずらす。
ロロの補助腕が支柱を三点で固定する。
棚は子供の半歩前へ落ち、止まった。
「怪我」とメイ。
「なし」ハル。
「肩」
「使ってない」
「索の反動」
「一」
「あとで冷却」
橙帽子の子供は、落ちた小さな鍵を拾った。
「これ、ルメの?」
「誰の鍵」とハル。
「うちの。朝、靴箱開ける」
「自分で開けられる?」
子供は鍵を差す真似をする。
右へ回し、止まる。
「ルメが、最後だけやった」
「名前」
「ノナ」
彼女は鍵を棺へ戻そうとする。
「入れるの?」
「ルメが持ってたから」
「鍵はノナの家の」
「でも、開けるのはルメ」
物の所有者と、使い方の所有者が違う。
「今は、預かり棚へ」とセレナ。
「棺じゃない?」ノナ。
「調べた後、ノナが決める」
「大人が決めない?」
「危険な使い方は止める。入れるかは、聞く」
ノナは鍵を預かり棚へ置いた。
その時、棺の中の紙灯籠が一つだけ、子供の方へ傾いた。
風はない。
ノナが手を振る。
「あとでね、ルメ」
別れを言わない。
誰も、その言葉を訂正しなかった。
葬列の道具を数えると、数が合わなかった。
棺へ入った記録、二百三十一。
現在の中身、二百二十九。
「盗難」とユーディ。
「断定しない」とセレナ。
「二つない」
「調査のため一時保全された可能性」
「届け出は」
「ありません」
「なら盗難」
「返却された可能性」
ロロが棺底の紙粉を指す。
「一つは重い物。ここ、底が沈んでる。持ち上げた跡が二人分」
「もう一つ」
「軽い。糸だけ残ってる」
ノクスが紙粉を嗅ぐ。
二本の尾が、別々へ。
一つは診療所。
一つは東製パン区。
「盗まれたんじゃない」とハル。
「必要になって、持ち戻った」エリア。
「葬った後に?」
「葬列が終わっていない」
「終わってたら、戻せない?」
「終わっても戻せる。ただ、戻す意味が変わる」
診療所へ戻ったのは薬研。
東製パン区へ戻ったのは、赤い糸で綴じたレシピ束。
住民は、ルメを見送るため棺へ入れた。
そして、生活のため取り返した。
矛盾ではない。
人は同じ日に、別れたいと思い、戻ってきてほしいと思う。
葬列は、その両方を載せて進んでいた。
葬列が東製パン区へ二度目に入った。
煙突から煙が出ていない。
朝のない町でも、パンには朝がある。
灯色が灰青へ変わる前に粉を練り、最初の便を診療所と鐘守へ。二便目を学校へ。三便目を市場へ。
その順が、町の一日を作っていた。
工房の扉が開いている。
中で、パン職人カナ・ルーヴが、動かない生地を見ていた。
四十代後半。太い腕。右手の指関節へ布帯。炉の前なのに、顔色が白い。
「燃料は」ロロ。
「ある」
「炉圧」
「正常」
「酵母」
「生きてる」
「じゃ焼ける」
「焼けない」
「どうして」ハル。
「分からない」
「どこまでやった」
「粉を量った。水を入れた。塩も」
「次」
カナは両手を生地へ置く。
押す。
折る。
止まる。
「次が、ない」
「手順書」エリア。
「壁」
壁へ大きな字。
押す。
折る。
回す。
休ませる。
「書いてある」とハル。
「読める」カナ。
「やれば」
「『回す』が、どれだけか分からない。生地の匂いで止めるところを、ルメがやった」
「毎日?」ソムナ。
「手が痛む日だけのはずだった」
「今日は」メイ。
カナは布帯を外す。
指関節が腫れている。
「痛む」
「休め」
「町が食べない」
「あなたが壊れたら、明日も食べない」
「明日まで町が持つ?」
メイは答えを美談にしない。
「このままなら、診療所の低血糖食が二時間で切れる」
ソムナの指先が、わずかに震えた。
低血糖。
彼自身の身体条件。
「俺が押す」とハル。
「パン焼いたこと」エリア。
「食べたことはある」
「消費経験を技能と呼ばないで」
「地球で配達した。パン屋の床は覚えてる」
「床で生地は膨らまない」
「手伝える場所を聞く」
ハルはカナへ向く。
「俺ができること」
「粉袋を運ぶ」
「できる」
「左肩」
「右へ分ける。二袋ずつは持たない」
「じゃ、貯蔵棚から三袋。一袋ずつ」
「一、二――」
三を言う前に、誰かへ助けを頼む癖。
ハルは止まる。
「カイル、一袋」
「王子へ粉袋」
「嫌?」
「王位継承順位より軽い」
「重さ比べる?」
「今は運ぶ」
エリアは路図を床へ描く。
炉、粉棚、水、冷却台。
三つの作業路。交差しない。
「正確に言って。何を誰が忘れた」
「私が忘れた」とカナ。
「それだけ?」
「ルメが持っていった」
「誰が預けた」
カナは唇を噛む。
「私」
「なら、奪われたと預けたは両立する」
「慰めにならない」
「慰めではなく、戻すための区別」
工房の外を、棺が通る。
紙灯籠が一つ、ふっと暗くなる。
その瞬間。
カナの手が、生地の上で完全に止まった。
「何を」
「カナ?」メイ。
「この白いものを」
彼女は生地を見下ろす。
「どうして、押していた?」
炉は燃えている。
粉はある。
水も、塩も、酵母もある。
パン屋だけが、パンを知らなくなっていた。