第535話 第四章「誰かにしてほしかったこと」前編

人は、自分でできることを他人へ頼む。

 料理。

 掃除。

 計算。

 記憶。

 見送り。

 謝罪。

 できないから頼むこともある。

 できるが、今日だけできないから頼むこともある。

 できると思われ続けた結果、もう自分ではしたくないから頼むこともある。

 依頼とは、能力不足の告白ではない。

 時間、身体、金、孤独、恐怖を、誰かと分けるための技術である。

 問題は、その分けた先へ顔がない時だった。

 ソムナ・リルは、夢を弔い手放す職〈ドリーム・モーン〉である。

 夢を終わらせるのではない。終わった後も人の中へ残る重さを、本人の手から奪わず持ち替える仕事だった。

 夜市へ入る前に、ソムナは依頼者へ聞いた。

 何を頼んだか。

 いつから頼んだか。

 誰が頼むと決めたか。

 やめる方法を知っていたか。

 なぜ頼ったかは、最後にした。

「理由から聞かない?」ハル。

「理由を先に聞くと、正当化を求められたと思う」

「本当の理由じゃなく、怒られない理由を言う」

「うん」

「ソムナも?」

 一拍。

「夢を売った理由を聞かれたら、家が貧しかったから、と言う」

「本当は」

「それも本当」

「全部じゃない」

「全部を話す契約はしてない」

 ハルは頷く。

 相手へ理解してほしいと願うことと、相手に全てを明け渡すことは違う。

 最初に聞いたのは、ノナの母イアだった。

 夜荷場の休憩室。

 梁から吊られた紙月が、夜勤者のためだけに薄い朝色を作っている。

「依頼」とソムナ。

「髪を結ぶ。靴をそろえる。夜中に水を飲ませる。悪夢のあと、明るくしすぎない。私へ緊急伝羽」

「最後に伝羽が来たのは」

「三か月前」

「それ以降、悪夢がなかった?」

「分からない」

「確認した?」

「朝に聞いた。ノナは平気と言った」

「平気だった?」

 イアは作業手袋を外した。

 掌に、荷縄の赤い跡。

「平気と言えば、私が眠れると思ったんだろう」

「ルメは」

「私へ知らせなかった」

「依頼条件」セレナ。

「泣き止まない時だけ。泣き止んだなら、通知しない」

「慰めて泣き止ませた」

「だから私は、問題がないと思った」

 支援が成功したため、支援が必要だった事実が家族へ届かない。

「やめる方法」

「知らない。夜勤を辞めたら自然に終わると思った」

「辞められた?」

「辞めたら、家賃が終わる」

「なぜ頼ったか」

「母親なのに夜いないから」

「それ、責める言い方」とハル。

「自分へ言ってる」

 イアは視線を上げない。

 ソムナは「悪くない」と急いで言わない。

「夜に働かなければ、何がなくなる」

「家。食事。学校」

「頼まなければ」

「ノナが一人」

「二つしかなかった?」

「町は、そうした」

 彼女がルメへ預けたのは、母親の仕事ではない。

 母親が二人必要な暮らしを、一人の賃金と一つの共同人格で埋めたのである。

 次は、パン職人カナ。

 彼女は腫れた指を冷水へ浸していた。

「依頼」

「生地の終わり。窯の音。指が動かない日の押し返し」

「押し返し」

「まだ働けると思っても、今日は休め、と言う」

「誰が条件を決めた」

「最初は医者。後はルメが、私の手の震えを覚えた」

「やめる方法」

「知らない」

「なぜ」

「若い職人が二人辞めた。夫が死んだ。店を閉めれば、診療所の低糖食が遠くなる」

「町が代わりを雇う話」

「予算なし」

「ルメの費用」

「私の夢内賃金から引かれた」

「自分で働いた金で、自分を働かせ続ける声を買った」とセレナ。

「言い方が悪い」

「事実の構造です」

「ルメは、休めとも言った」

「だから助かった?」ソムナ。

「助かった」

「だから、任せた?」

「任せた」

「任せすぎた?」

 カナは水から手を上げる。

「それを、今の私へ言わせるのは卑怯だ。止まった町を見た後なら、何とでも反省できる」

 ソムナは一拍置いた。

「訂正する。今の答えを、過去のあなたの同意にしない」

 セレナがそのまま記録した。

 事故後の後悔は、事故前の意思ではない。

 三人目は、紙橋の橋守だった。

「依頼」

「高音を色へ。点検順。閉橋判断の補助」

「補助だけ?」ロロ。

「最初は」

「後は」

「全部」

「なぜ」

「耳が悪くなったと知られたら、職を失う」

「検査」メイ。

「受けなかった」

「補聴具」

「高い」

「市の助成」

「正規雇用者だけ」

「あなたは」

「保守請負」

「同じ橋を四十二年守って、請負?」ハル。

「毎年、契約が新しいことになっている」

「新しいなら、古参手当は」

「ない」

「古い責任は」

「ある」

 制度は、利益の時だけ新しく、責任の時だけ古くなる。

「ルメの支援で、仕事を続けられた」と橋守。

「支援がなければ辞めた?」

「辞めさせられた」

「戻したい?」

「色変換は」

「判断は」

 橋守は答えない。

「今は答えなくていい」とソムナ。

「いつなら」

「耳の検査と、補聴具の費用と、別の仕事の選択肢を見てから」

「答えを待つ間、橋は」

「三人で見る」ロロ。

「お前が?」

「俺は今日だけ。明日からの人を作る」

「作るって、人を部品みたいに」

「仕事を一人へ詰め込まないって意味だ!」

 橋守は、少しだけ笑った。

 四人目は、名前を記録しない条件で話した。

 亡くなった伴侶の声を、毎晩三分だけ頼んでいた人。

「内容は」とセレナ。

「非公開」

「存在だけ記録」

「うん」

「なぜ頼ったか」とソムナ。

「一人で食べると、食事をやめるから」

「声があると」

「皿を一枚使う」

「二枚ではなく?」

「二枚出すと、戻ってこないと分かる」

「ルメを、その人だと思った?」

「思っていない」

「声は」

「似ていた」

「止めたい?」

「分からない」

「戻したい?」

「分からない」

「両方、有効」とアサ。

「便利な答えだな」

「便利ではない。決めない間も、食事は必要」

 メイが食事支援を別に記す。

 声を残すか。

 食べる人を一人にしないか。

 同じ契約に入っていた二つを、初めて分けた。

 夜市の店は、依頼を恥じないよう工夫されていた。

 看板には「代行」と書かない。

 手を増やす店。

 夜を短くする店。

 言えなかった言葉を預ける店。

 覚えていたくない日付を、必要な時だけ返す店。

 それでも、客は顔を隠す。

「頼るのは悪くないのに」とハル。

「悪くない、と言う町が、頼った理由を怠惰だと笑う」とアサ。

「同じ町」

「同じ人でも、助けてと言う時と、他人の助けを評価する時で違う」

 最初に話を聞いたのは、片腕の織師だった。

 右腕の肘から先がない。

 左手だけで、夢布の端を結んでいる。

「ルメへ何を頼んだ」ソムナ。

「右手」

「義手?」ハル。

「違う。織る順を、夢の中で両手分動かした」

「起きたら布ができてる?」

「起きた私は、左手だけで続きを整えた」

「便利」

「仕事を失わずに済んだ」

「今は」

「右側の順を思い出せない。私は左手でできる部分を知ってる。でも注文は両手前提」

「外注をやめれば」

「廃業」

「じゃ戻す」

「ルメを?」

「右手の手順だけ」

「誰の右手だったか知ってる?」

 ハルは止まる。

「知らない」

「亡くなった夫の手だったかもしれない。工房の誰かかもしれない。知らない人かもしれない。返すと言われても、誰へ返す?」

「あなたが使い続けたいなら」ソムナ。

「使いたい。でも、持ち主がやめたいなら止める」

「退出の連絡方法がない」

「作って」

 頼る人は、何も考えず預けたわけではない。

 考えるための情報を与えられなかった。

 二人目は、三人の子供を育てる夜警だった。

「怒らず聞く、を頼んだ」

「子供の話?」

「仕事から戻ると、音が全部刺さった。泣き声も、皿も、質問も。怒る前に別室へ行くと、今度は放置だと言われる」

「ルメは」

「私の声で、『今は聞けない。水を飲んだら聞く』と言った」

「いい方法」とハル。

「私が言ったことになってた」

「違う?」

「言ってない。子供は、私が優しくなったと思った。私は、優しい親の記録だけ受け取った」

「嫌だった?」

「助かった」

「どっち」

「両方」

 夜警は、依頼札を握る。

「ルメが止まって、昨日、子供へ怒鳴った。今さら、あれは私じゃなかったと言える?」

「言うかはあなたが決める」とアサ。

「言わなければ、また嘘」

「全部を一度に告白する義務もない」

「子供へ何を返す」

「次に怒鳴りそうな時、どうするかを一緒に決める」とソムナ。

「ルメを戻すより遅い」

「遅い」

「子供は待てない」

「今日の代わりを探す。明日の関係を、代わりへ全部渡さない」

 夜警は、すぐに納得しない。

 それでも、「全部戻す」の札ではなく、「三日間の支援」と書く。