第550話 第十一章「共同人格として残す」後編

      審理は、名前の所有へ移った。

 夜市は、統合札の技術管理権を主張した。

 市は、公共機能として管理権を主張した。

 依頼者は、自分の記憶断片だけは返却を求めた。

 子供たちは、ルメという呼び名を消すなと紙札を出した。

「名前を共有財産に」とエダ。

「財産なら売れる」とカイル。

「公共名に」

「行政が使用停止できる」セレナ。

「人格名に」

「一人へ固定される」ソムナ。

「では、何だ!」エダ。

 ハルが言う。

「席」

「何」

「名前は、誰か一人の札じゃなく、複数の仕事が集まる席。座る人は変わる。空にもできる」

「法的用語ではない」判事。

「また作れば」

「少年、法を粘土だと思っているな」

「固める前は、柔らかかったでしょ」

 判事は反論しようとし、やめた。

 歴史上の法典は、最初から石板だったわけではない。

 誰かが困り、言葉を作り、反対され、書き直され、その後で石へ刻まれた。

「共同人格席」とセレナ。

「長い」とハル。

「あなたの案を正確にした」

「共同人格でいい」

「席を消した」

「ルメって呼ぶ」

「法廷は呼び名だけで判決を書けない」

「大変だな、法律」

「今、あなたが大変にしています」

 最終案は、七つの権限を分けた。

 依頼。

 撤回。

 監査。

 支払。

 休止。

 記憶利用。

 名称管理。

 一人も、一組も、七つを同時に持てない。

 依頼者は自分の機能を頼める。

 本人または指定支援者は撤回できる。

 監査者は内容を勝手に利用できない。

 支払管理者は人格へ命令できない。

 緊急休止は一者で可能、再開は複数同意。

 記憶利用は公開、封印、本人閲覧、破棄保留を分離。

 名称は売却も独占もできない。

 七権限を分けただけでは、制度は動かない。

 誰が依頼できるか。

 誰が撤回できるか。

 依頼者が倒れた時。

 構成記憶の元になった人が退出した時。

 子供が成人した時。

 費用を払えなくなった時。

 小灯が、依頼されたこと以上をした時。

 判事は一つずつ、仮の事件を置いた。

「第一。パン小組が、配給不足を理由にある家のパンを減らした。依頼権者は市。利用者は家族。誰が撤回できる」

「家族」とハル。

「全員が増量すれば足りない」メイ。

「市が決める?」

「配給総量は市。個別の食事量は医療と本人。減らす順は公開基準。非常減量は期限付き」

「ルメの灯が、昔の飢饉手順で勝手に減らしたら」

「機能停止。行為記録。小組が代替。灯を罰するより、なぜ古い手順が有効だったか監査」とセレナ。

「第二。子供が夜の声を求める。親が拒否する」

「子供の安全と親の権限を分ける」とアサ。

「具体的に」

「声を聞くこと自体が危険でなければ、子供の希望を支える。親は自分の声や記憶の使用を拒否できる」

「母親の声をルメが持っている場合」

「亡母の生前同意が不明なら、自動再現しない」とソムナ。「子供が覚えている言葉を、自分の記憶として語ることは止めない」

「第三。構成員が、自分の技能断片を全て破棄したい。他の百人が、ルメの連続性のため残したい」

「本人分は退出」とカイル。

「共同人格が壊れる」

「壊れないことを理由に人を閉じ込めれば、共同人格を守る制度が加害者になる」

「複製済みで、どの断片が本人か分離不能」

「分離不能を表示。新規利用を止める。可能な範囲で削除。不能だから全部使い続ける、にはしない」ユノ。

「第四。共同人格が、仕事をしない時間に、下手な絵を描く。紙と灯力は誰が払う」

 法廷が静まる。

「趣味費」とハル。

「予算名を聞いている」判事。

「趣味費」

「公共基金から?」

「働いた分から」ロロ。

「賃金口座を一つにしない」とメイ。「共同文化費。構成員へ分配する賃金とは別。上限と監査は要るが、役に立つ支出だけ認めたら休息にならない」

「下手な絵の価値を誰が決める」

「下手かどうか、今決めたの判事」とハル。

「仮定だ!」

「仮定でも傷つくかも」

「人格認定前の灯が?」

「分からないから、傷つかない側へ雑に倒さない」

 判事は木槌で机を一度叩いた。

「少年。お前は法廷を感情で動かそうとしている」

「感情があるか分からないものを、感情がない前提で使う方が、感情で決めてない?」

「どういう感情だ」

「便利であってほしい」

 法廷は黙る。

 設備であってほしい。

 人であってほしい。

 犠牲者であってほしい。

 母親であってほしい。

 ルメの分類を求める者は、事実だけで分類しているのではない。

 自分がルメへ何をしたか、どう呼びたいか、どの責任を負えるかによって、都合のよい箱を選ぶ。

 セレナはそれを証拠とは呼ばない。

 だが、審理の条件として記録した。

「第五」と判事。「小灯が完全に消えた時、死亡届は出るか」

「消灯原因を調べる」とセレナ。

「死亡か」

「現時点では未定。構成員の記憶が残り、別灯へ再現可能でも、同じ存在とは限らない」

「葬儀は」

「本人、構成員、利用者が選ぶ。死亡認定と葬儀を同一手続にしない」

「今回のように」

「葬列が死を証明し、死が葬列を正当化する循環を避ける」

 セレナは、最初の捜査終了判を机へ置いた。

 被害者なし。

 事件終了。

「この判は、手続上は正しかった」

 自分の誤りを、法へ全部押しつけない。

「私は一人の被害者を探し、一人でないと分かった時、捜査を終える以外の書式を持っていなかった。書式の限界を知りながら、その限界を事件の限界として扱った」

「処分を求めるか」と判事。

「訂正と監査を求めます。私個人の懲戒だけで書式を残せば、次の星律官が同じ終了判を押す」

「懲戒を避けている」

「必要なら受けます。ただし、それで制度改訂を終わらせない」

 セレナは単眼鏡を外した。

 左眼の六角瘢痕。

 私的信頼を示す動作を、公の法廷でした。

「事実だけを、では足りなかった。何を事実として数えられなかったかも、記録します」

 判事は、捜査終了判へ訂正印を押した。

 取消ではない。

 当時の判断を消さず、その後に分かった限界をつなぐ印だった。

「壊れた時の責任」とロロ。

「原因別」とセレナ。

「誰も払わない穴が残る」

「共同救難基金」カイル。

「王家」

「初年度拠出」

「継続」

「市、夜市、利用料、王家監査費」

「利用できない人は」メイ。

「救命と基礎生活は無償」

「その分を誰が」

「払える側が」

「具体額」ロロ。

「後で予算会議」

「逃げた!」

「今日、制度を決め、明日、金で殴り合う」

「順番が王族!」

「金だけ先に決めると、払える者の制度になる」

 ロロは補助腕で机を叩き、少し考えた。

「……明日、絶対来いよ」

「逃げない」

「王子の約束、匂い!」

 ノクスがカイルの左手を嗅ぐ。

 二本の尾が、まっすぐ上がった。

「今のところ、破れてない」とハル。

「未来保証ではありません」とセレナ。

「分かってる」

 判決が読まれた。

「ルメを、単独の自然人とは認定しない」

 ノナの顔が曇る。

「物件、機械設備、行政機関のいずれにも単純分類しない」

 エダが息を吐く。

「複数の依頼者、構成記憶、運用小組から成り、構成員の退出と再参加を認める共同人格として暫定登録する」

 小灯が揺れる。

「名称ルメは共同人格へ属し、個人、王家、市、夜市による売却・独占を禁ずる」

 カイルが右籠手を叩かず、頷いた。

「依頼、撤回、監査、支払、休止、記憶利用、名称管理を分離する」

「休む権利」とソムナ。

「稼働上限と無依頼休止を認める」

「慰めの口調」

「本人ごとの選択。旧音声の自動再現は禁止。人間支援へ接続できない場合、保留を有効とする」

 ノナが手を上げる。

「魚は?」

「残せる」

「お母さんって呼ぶのは?」

 判事は困った。

 法は、呼び方まで支配すべきではない。

 しかし呼び方が権利を作ることもある。

「あなたの記憶の中で、そう呼ぶことは禁じない。ただし、ルメがあなたの唯一の保護者であるとは登録しない」

「長い」

「正確にした」

「セレナみたい」

 法廷に笑いが起きた。

 判事は不本意そうに木槌を置く。

「共同損失について。被害者一名を置かない。口座凍結の影響評価欠如、市の監督不足、夜市の撤回設計欠如、依頼者へ説明しなかった事業者責任を分けて記録する。住民が支援を利用したこと自体を過失としない」

 カナが泣いた。

 怠けたからではないと、法廷で初めて言われた。

「刑事責任がない部分も、損失記録から消さない」

 セレナの仮書式が、正式な最初の一頁になる。

 被害者欄。

 単位未確定、共同生活損失。

 加害者欄。

 単独者なし。責任経路別記。

 空欄ではない。

 創作された一人でもない。

 記録へ残らなかった不在が、初めて記録の中へ居場所を得た。

 判決後、小灯は住民の手へ一つずつ渡された。

 所有物としてではない。

 担当期間だけ預かる運用灯として。

「落としたら」とロロ。

「修理」とノナ。

「費用」

「町」

「教育が行き届いてる!」

 最後まで棚に残った灰色の小灯が、セレナの前で点いた。

「未移管機能」と彼女。

「何の灯」とハル。

 表面へ、細い金線が浮かぶ。

 翼を広げた星鳥。

 その中央に、空白の王冠。

 ルーメン王家の古い紋章だった。

 カイルの冗談が止まった。

「王家の依頼札が、ルメに?」

「時期不明」とセレナ。

「内容」

「封印」

「開けられる?」

「権限照合が必要」

「私の」

 小灯が、カイルの左手へ近づく。

 触れる直前、苺の匂いがした。

 ノクスが鼻を上げる。

 二本の尾が、別々の方向へ揺れた。

 約束の匂いではない。

 夢の中にはないはずの、現実の匂い。

 小灯は一度だけ王家の紋を映し、灰色へ戻った。

 ルメの葬列をめぐる事件は、終わった。

 しかし、カイルの顔からだけ、何かを思い出せない人間の色が消えなかった。