第559話 第四章「無人の食卓」前編

食卓には、席がある。

 席には、順番がある。

 誰が上座へ座るか。

 誰が料理を取り分けるか。

 誰が最初に口をつけるか。

 誰が最後の一口を残すか。

 家族の食卓は親密さの象徴だとされるが、王家の食卓ほど役職表に近いものはない。

 王。

 王妃。

 王太子。

 賓客。

 侍従。

 毒見役。

 座る位置が愛情を示すのではない。

 愛情まで、座る位置で説明される。

 二つ目の夢へ入る前に、カイルは十五分休んだ。

 正確には、十五分横になり、眠らなかった。

 市場の救護室。

 壁は橙の紙。

 寝台は低く、左右に出口。

 アサが、扉の開閉音を一度確認してから椅子へ座る。

「見張る?」カイル。

「同伴」

「眠ったら」

「起こす条件はメイが決める」

「本人ではなく?」

「今は身体条件」

「その言い方、好きか」

「好きじゃない」

「では、なぜ」

「必要だから使う言葉もある」

 アサは梨茶を半分残す。

 カイルの水杯も、半分残っている。

 癖ではない。

 飲みきる前に、次の鐘が鳴った。

「時間」とメイ。

「十五分は」

「経った」

「体感では五分」

「睡眠不足の体感を採用しない」

「王都議会より厳密だな」

「議会は脈を測らない」

「測る議員もいる。政治的に」

 カイルは起き上がる。

 背中の火傷へ冷却布。

 肋部へ痛みなし。

 手の震えは少し減った。

「二つ目へ入る条件」とメイ。

「十分ごとに身体確認。王盾発動時は即退出。本人が拒否しても、心拍と体温が基準を越えたら中断」

「夢の所有を調べるのに、身体を他人へ預ける」

「預ける範囲を書いた。返却時刻も」

 セレナが確認書を差し出す。

 夢内接触。

 身体監視。

 退出条件。

 記録範囲。

 公開不可。

 再同意の時刻。

 カイルは左手で署名する。

「子供の頃も、こうして夢を記録されたのか」

「当時の規則では後見人同意」とセレナ。

「父か、母」

「確認できていません」

「本人は」

「初誓前の未成年。拒否欄は――」

 セレナが紙を止める。

「ない」

「今回と違うな」

「違うようにした」

 ソムナが言った。

 長い袖から、三枚の退出札を出す。

「一枚目は、夢から出る。二枚目は、夢の中の場面を止める。三枚目は、記録を止める」

「夢は続けて、記録だけ止められる?」

「できる」

「なら、三枚目を先に使うかもしれない」

「理由はいらない」

「王家記録官が泣く」

「起きた後に慰めて」

「夢葬師の仕事では」

「記録官は起きてる」

 カイルは三枚を胸へ入れた。

 ハルも受け取る。

「俺、記録を止めたら何したか分かんなくなる?」

「セレナの外部時刻だけ残る」とソムナ。「内容は残さない」

「事件の証拠は」

「本人の私的夢より優先しない」とセレナ。

「星律官が言う?」

「証拠を集めるためなら、何を見てもよいわけではありません」

「成長したな」

「あなたの評価を記録する必要は?」

「ない」

「では省略します」

 夢へ入る。

 白い食卓が、地平線まで伸びていた。

 最初に見えたのは、皿だった。

 白い皿。

 銀の縁。

 金の王家紋。

 同じ角度で置かれた匙。

 同じ量のスープ。

 同じ厚さのパン。

 次に、人。

 王アルノー。

 亡き王妃イレーネ。

 幼いカイル。

 現在のカイル。

 四人が、同じ卓へ座っている。

「子供と今の自分が同時」とハル。

「夢なら珍しくない」とソムナ。

「家族写真としては気まずいな」とカイル。

 父王アルノーは、今より若い。

 髪に白が少なく、額の線も浅い。

 王妃イレーネは白い医療衣ではなく、公式肖像の青銀礼装。栗色の髪を高く結い、微笑んでいる。

 幼いカイルは、背中に火傷がない。

 現在のカイルも、半マントを外していない。

 食卓には、傷が存在しない。

「母」

 カイルが呼ぶ。

 イレーネは答えない。

 匙を取る。

 スープを一口。

 置く。

 パンへ手を伸ばす。

 微笑む。

 父王も同じ順番。

 幼いカイルも。

 現在のカイルの夢像も。

「お前、ここに二人いる」とハル。

「今いる私は三人目か」

「王子は増えるの?」

「責任分担に便利だ」

「一人、厨房へ回して」

 冗談が、白い食堂へ吸われる。

 音がない。

 匙が皿へ触れても。

 椅子を引いても。

 パンを切っても。

 何も聞こえない。

「俺たちの声は聞こえる」とハル。

「夢の演出音だけ消えてる」とロロ。

 ロロが卓を指で叩く。

 コン。

 現実から入った音は鳴る。

 夢像のイレーネが匙を置く。

 無音。

「わざと?」ハル。

「編集で音源を外した可能性」とソムナ。

「音だけ?」

「夢を入れる紙灯籠〈スリープ・ランタン〉は、全部の感覚を同じ精度で保存しない。映像を残すと音が薄くなることもある」

「三つ目の歯車は音が濃い」

「記録器が違うかもしれない」

「正しく言えば、まだ分からない」とエリア。

 彼女は卓の長さを測る。

 歩数。

 皿の間隔。

 窓の位置。

 出口。

「部屋の寸法がおかしい」

「夢だから」とハル。

「夢でも、元にした場所があれば癖が残る。王城西食堂は柱間十二。これは十四」

「広くした?」

「公式映像用の舞台寸法に近い」

 セレナの声が、外部から入る。

『王家広報局の家族食卓映像、王都暦九七八年版。舞台柱間十四。背景窓七枚』

「九七八年」とカイル。

『原初夢の記録より後です』

「映像、見たことある?」ハル。

「国民は何度も」とエリア。「王妃殿下の死後も、慰霊週間に再放送された」

 イレーネが微笑む。

 匙を取る。

 スープ。

 パン。

 微笑み。

 亡くなった後も、同じ動作を繰り返す。

「母は食事中、こんなに笑わなかった」とカイル。

「不機嫌?」ハル。

「患者の食事記録を読んでいた。父へ塩を減らせと言い、私の皿から苺だけ取った」

「苺、取られる側?」

「王妃の権限だ」

「返した?」

「へた」

「ひどい」

「家族とは、理不尽を小額で運用する制度だ」

 夢のイレーネは、苺へ触れない。

 皿に苺がない。

 完璧な食卓は、本人の癖を消している。