第584話 第四章「悲しみの重量」後編

 六人目の協力者は、拒否した。

「札を触るな」

「了解」とアサ。

「測らないの?」ロロ。

「拒否」

「内容見ない」

「触るな、は内容だけじゃない」

「でも、データが」

「一件増えることで何が変わる」

「誤差」

「五件で仮説。六件目が必要なら、別の人へ。本人へ圧を掛けない」

 ロロは口を閉じる。

 測りたい。

 測れば助けられるかもしれない。

 測るために拒否を押せば、その時点で同じ制度になる。

「別の人」

「募集する」

「謝る?」

「何を」

「今、測ろうとした」

 拒否した者は、ロロを見ている。

「ごめん。触らない」

「信用しない」

「うん」

「見張る」

「うん」

 信頼を得ようとしない。

 見張られる状態を受け入れる。

 拒否した者は、秤の横へ座る。

 測定の監視役になる。

「参加?」若い修理工。

「協力じゃない」と本人。

「監査」とセレナ。

 データを提供しない者が、実験を止める権利を持つ。

 秤の周りへ、初めて外部の目が置かれる。

 七人目。

 夢札ではない。

 朝の配給表。

「夢灯へ入ってた」と配給係。

「なぜ」とロロ。

「毎晩、翌朝の人数を夢で確認するから」

「仕事を夢に」

「寝てても忘れない」

「休めない」メイ。

「忘れたら、朝食が足りない」

「引継ぎ」

「誰に」

 配給係は答えられない。

 一人で十七年。

 札を一台目へ。

 紙重量、八グラム。

 中央負荷、十三キロ。

 返却支持、十六。

「高い」と若い修理工。

「毎日、上書き」とロロ。

 札裏へ、同じ結び目が十七年ぶん圧痕になっている。

 紙は毎日新しい。

 返却先は同じ。

 古い圧痕だけが、網に残る。

「補強層、何枚」

「数えられない。薄すぎる」

「削る」

「記録を壊す」とセレナ。

「赤外線」

「夢紙、熱で像が出る」

「じゃ、斜光」

 ロロは灯を低く置く。

 圧痕が影になる。

 一。

 二。

 三。

 数百。

「毎日の配給表が、一人の寝てる頭へ戻ってた」とロロ。

「私が覚えないと」と配給係。

「何人へ教えた」

「忙しい」

「教える時間がないから、一人で続けた」

「そう」

「一人で続けたから、教える時間がなくなった」

 輪。

「今、返却先を本人指定保管へ?」アサ。

「保管しても、朝食が」

「三呼吸だけ」

「三呼吸なら」

 切替。

 中央負荷が、十三から二へ落ちる。

 同時に、巨人の腹部が揺れる。

 外から見えるほど。

「一枚で?」

「十七年の補強」

 戻す。

 巨人の腹が重くなる。

「返却先集中、物理挙動へ直結」とセレナ。

「巨人の動き、予測できる」とエリア。

「札の層が厚い区画ほど遅い」

「最初の観測と一致」

 公平な手掛かりが、仮説へつながる。

 ロロは、中央代理制度の設計図を探す。

 現行図にはない。

 塔職員が持ってきたのは、百七年前の夢疫病時の紙巻。

「旧すぎる」と若い修理工。

「古いから、今も動く」

「逆」

「制度は、壊れないと更新されない」

 紙巻を開く。

『夜明け時未帰還夢・一時保管手順』

 一、患者の身体安全を確認。

 二、本人または家族同意。

 三、案内人一名が一晩保管。

 四、翌朝、本人へ返却。

 五、案内人の休養を二日。

「家族同意」とアサ。

「本人または」とセレナ。

「現行網は」

 別の追補紙。

『大規模災害時、個別確認不能の場合、都市保全のため自動適用』

「誰が足した」

「三十一年前」と塔職員。「夢灯網自動化委員会」

「案内人の休養」

「省略」

「返却」

「自動」

「本人確認」

「事後」

「一晩保管の上限」

「記載なし」

「人間一人を、容量無限の棚にした」とロロ。

「当時の対象数」とセレナ。

「最大三十二」

「現在、一万一千八百四十二」

「三十二でも、一人には多い」とメイ。

「うん」

 規模の問題だけではない。

 三十二なら正しく、一万なら誤りではない。

 本人同意。

 退出。

 休養。

 返却。

 安全策が、便利になるたび消えた。

「自動化委員の名」とセレナ。

 紙巻の末尾。

 七人。

 全員、故人。

「犯人いない」と若い修理工。

「作った人はいる」

「死んでる」

「今、使い続けた人もいる」

「誰」

「私」とユーディの声。

 通信越し。

「規定を知らなかった」とロロ。

「知らないまま、全市夢灯網の継続を承認した」

「責任」

「ある」

「辞める?」

「今辞めれば、火災指揮が空く」

「終わったら」

「公開審理」

「逃げない?」

「見張って」

 拒否した協力者が秤の横から言う。

「局長も、ここへ座る?」

『現場を離れられない』

「なら、通信を切らない」

『切らない』

 見張りは、敵意だけではない。

 権限が必要不可欠になることを防ぐ支えでもある。

 八人目。

 ロロ自身の札。

「何で」と若い修理工。

「比較」

「夢、預けた?」

「修理工程」

「仕事」

「昨夜、寝る前に、補助腕の調整順を夢灯へ」

「自分でやってる」

「忘れると壊す」

「他人へ教えた?」

「ぼくの腕」

「今、二本ない」

 夢夜市の火災で焼けた二本。

 救護区の整備台。

 ロロは、ない腕の位置へ目をやる。

 そこに工具があるような感覚が、まだ時々来る。

「返却先」とセレナ。

『本人』

 中央代理ではない。

 一台目、十グラム。

 二台目、〇・四。

 三台目、〇・八。

「軽い」

「本人返却だから」

「内容、複雑」

「夢反応は高い」とメイ。「補助腕を失う恐怖も混じってる」

「見た?」

「生体反応。内容は見てない」

「悲しみ、強い?」若い修理工。

「測ってない」ロロ。

「でも軽い」

「札の支持が」

 自分で言う。

「感情の重さじゃない」

 補助腕が二本減った悲しみを、軽いと呼ばない。

 ロロは自分の札を外す。

「返却」

「今?」

「本人」

 胸へ戻す。

 昨夜の調整順。

 焼けた腕の感覚。

 修理できなかった焦り。

 戻る。

 右眼が一瞬ぼやける。

「休む」とメイ。

「一分」

「三」

「二」

「成立」

 ロロは秤の横へ座る。

 若い修理工へ工具を渡す。

「次、測って」

「ぼくが?」

「手順、見た」

「間違えたら」

「監査役が止める」

 拒否した人が頷く。

「止める」

 ロロ一人が測らなくても、仮説は続く。

 休憩二分の間に、若い修理工は三枚を測る。

 結果は同じ。

 中央代理へ向く札は重い。

 本人、指定保管、複数受取へ分かれた札は軽い。

 ロロは数字を確認する。

「合ってる」

「褒める?」

「当然を褒めると」

「次に褒められない時やらなくなる?」

「誰から聞いた」

「エリア」

「じゃ、褒めない」

「腹立つ」

「でも、任せる」

 若い修理工が笑う。

「そっちの方が高い」

「給料は十」

「安い!」

「危険手当、後!」

 秤の針が、また中央へ振れる。

 その先。

 夢の中で、ソムナが全札を自分へ縫い始める。

 物理的な証拠が示した最悪の集中を、彼は善意で完成させようとしていた。

【夢内/灯籠巨人・左腕区/入夢/夜明けまで一時間十八分】

 ソムナは、同じ圧痕を見ていた。

 水中を流れる札。

 返却先は白い。

 触れると、自分の手首が痛む。

「僕へ来てる」

『職能認証へ』とセレナの声。『あなた個人へではない』

「今、その職能は僕」

『だから、切り分ける』メイ。

「切り分ける間に、夜明けになる」

『全札を受け取るな』

「受け取れば、住民は起きる」

『あなたが起きない』

「一人と一万人」

 言った。

 その比べ方を、カイルが何度も使った。

 ミラも。

 イヴァも。

 王も、医師も、救難者も。

 一人を数字の外へ置けば、計算は簡単になる。

「ソムナ」とハル。

「身体、助かった?」

「助かった」

「よかった」

「話、そらすな」

「そらしてない」

「一人と一万人って、誰が一人を決めた」

「僕」

「患者は」

「眠ってる」

「起きたくない人もいた」

「それでも、身体は夜明けに固定される」

「じゃ、保留した人の分まで、お前が受け取る?」

「後で返す」

「返せる?」

「分からない」

 分からない。

 ソムナは言えた。

 言えたまま、杖を水へ差す。

 夢の断片を縫う糸が、自分の袖へ伸びる。

 一枚。

 二枚。

 三枚。

 中央代理受取人の白い欄へ、ソムナの輪痕が浮く。

『やめて』メイ。

「一時保管」

『患者の同意』アサ。

「代理同意がある」

『制度の』

「今は、使う」

 札が、町じゅうから動き出す。

 巨人の左腕。

 胸。

 脚。

 紙の皮の下を、無数の灯がソムナへ向かう。

 秤の針が、現実側で一斉に振り切れた。