第586話 第五章「一人で預かる誓い」後編

 札が増える。

 一枚目。

 朝の薬。

 二枚目。

 亡くした人の声。

 三枚目。

 窯の火加減。

 四枚目。

 子供へ読み聞かせる物語の続き。

 五枚目。

 借金の期日。

 六枚目。

 誰にも見せなかった怒り。

 七枚目。

 橋の点検順。

 内容が違う。

 ソムナの袖では、全部が同じ白へ変わる。

 彼が受ける時、夢灯網は「中央へ保管済み」と記録する。

 眠る身体が一人ずつ軽くなる。

『覚醒者、増加』エリア。

「数」

『七百四十二』

「まだ」

『一分で百二十』

「続ける」

『ソムナ』メイ。

「聞いてる」

『あなたの名前』

「ソムナ・リル」

『生年月日』

「……二月」

『日』

「二十、七」

『家族』

「両親。弟」

『弟の名前』

 答えがない。

 台帳には、名が書かれていない。

 ソムナの記憶には、あったはず。

「弟」

『名前』

「弟」

『声』

 声がない。

 夢を売った時、すでに失った。

 今夜失ったのか、昔からないのか。

 区別できない。

「聞かないで」

『了解』

「止める?」

『身体条件へ近い』

「まだ」

『あなたの条件は、自分の名前二回』

「言えた」

『条件が足りない可能性』

「今、変える?」

『変える提案。家族質問は使わない。現在地、名前、出口灯、身体値』

「同意」

『期間、今回の入夢中』

「同意」

 危機の途中でも、停止条件を改訂する。

 最初に決めたから絶対ではない。

「現在地」とアサ。

「巨人の中央流路外縁」

『身体』

「夜市救護区、第三寝台」

『違う。身体は救難列車用寝台へ移送開始』

「いつ」

『今』

「教わった」

『記録』

 自分の身体が動いても、夢内では分からない。

 他人の現在地を案内し、自分の場所を他人から教わる。

 紙の家が一軒、流れてくる。

 屋根へ、老人。

 腕に、幼児。

 足元に、若い男。

 巨人の最初の一歩で救出された、名簿外宿の三人。

 夢内では、一つの家にいる。

「起きる?」ソムナ。

 老人が首を振る。

「身体は安全」

「この子の母が」

「誰」

 若い男を見る。

「違う」

「関係未確認」

「言葉が冷たい」

「勝手に家族へしない」

「この子は、昨日から宿にいた。母親は戻ってない」

「あなたが世話を」

「宿にいた全員で」

「起きた後も?」

「宿があれば」

「確認中」

「燃えた?」

「分からない」

「起きたら、この子を誰が持つ」

「持つ、じゃない」

「抱く」

「本人の関係と、身体保護を分ける」

「赤ん坊に聞く?」

「聞けない」

「じゃ、代理」

「身体救命の代理。家族になる代理ではない」

「細かい」

「細かくしないと、この子の家族が今決まる」

 現実側でセレナが言った言葉を、ソムナは聞いたかもしれない。

 記憶か。

 通信か。

 今、考えたか。

 分からない。

 老人は幼児を抱く。

「身体だけ、同じ場所へ」

「現実では三人一緒」

「起きるのは」

「一人ずつ選ぶ」

「この子」

「身体危険なら、メイが覚醒刺激。夢内容は使わない」

「俺の夢を、預ける」

「何」

「この子を抱いた感覚」

「なぜ」

「起きた時、腕が空だったら落としたと思う」

 ソムナは札を受け取る。

「本人同意?」

「俺の夢」

「期間」

「子供の身体位置を確認するまで」

「返却」

「聞いて」

「うん」

 この札は軽い。

 老人の言葉が、糸を一重にする。

 隣。

 若い男の札が、勝手にソムナへ来る。

『宿の名簿管理』

「同意?」

「してない」

 男が答える。

 札が止まる。

 糸が、ソムナの手前で震える。

「僕へ預ける?」

「嫌だ」

「保留?」

「自分で持つ」

「夢から出る?」

「出ない」

「持ったまま、夢に」

「うん」

 札はソムナへ入らない。

 明確な拒否。

 中央代理制度があっても、本人が声を出せた時は術が止まる。

「止まった」とソムナ。

『何が』セレナ。

「本人が、僕へ預けないと言った札」

『位置』

「中央流路外縁、紙家」

『記録。代理同意より、現在の本人拒否が優先』

「他の札は」

『本人が声を出していない』

「同意じゃない」

『制度上は代理』

「本人のじゃない」

『そう』

 公平な比較。

 術は拒否へ入れない。

 入っている札は、全員が同意したからではない。

 声を出せない者へ、町が同意を代行したから。

「止める?」アサ。

 ソムナは札の流れを見る。

 一万以上。

「今止めたら」

『未帰還者が残る』

「続けたら」

『あなたが失う』

「本人へ聞けるまで」

『起こすために使う』

「うん」

『輪になる』

「分かってる」

『分かっていて続ける?』

「続ける」

『記録』

 知っている誤りを、緊急だから使う。

 後で正当化しないため、誤りと呼んだまま。

 覚醒率、七十六。

 ソムナの記憶札は、腕へ絵になって増える。

 鍋。

 出口。

 赤い布。

 銀の線。

 黒い獣。

 何を示すか、自分で分からない絵もある。

 四角い苺。

「苺?」カイル。

「誰」

『カイル・アークレイ。王子。苺大福を貸した』

「何個」

『三』

『二』メイ。

『四』ロロ。

「誰が正しい」

『帳簿は二』セレナ。

『王子が高く請求した!』

『試した!』

「今の、覚える」

『何を』

「僕の記憶を作らないよう、喧嘩した」

 後の夜明けで、同じ会話が繰り返される。

 今のソムナは、それを覚えていない。

 しかし、同じ人々は同じ問題へ、少し違う言葉で戻る。

 記憶がなくても、関係の癖は残ることがある。

「ハル」とソムナ。

 通信へ呼ぶ。

 返事がない。

「赤い布の人」

『夢内を移動中』エリア。

「どこ」

『あなたへ向かってる』

「止めて」

『本人が拒否』

「危険」

『本人へ伝えた』

「それでも」

『それでも』

 アサの言葉。

 ソムナの札が鳴る。

「来ないで」

『本人へ送る』

 遠く。

 札の雨を逆へ走る足音。

 一。

 二。

 三。

 ハルが来る。

 ソムナは、彼の名を一度忘れ、赤い布の人と呼び、今また教わる。

 それでも、自分の出口を作らず、他人の出口を増やす手を止めない。

【夢内/灯籠巨人・中央流路/入夢/夜明けまで五十三分】

 ハルが、札の雨を逆に走った。

 エリアの銀線。

 足裏の段差。

 ルメが残した赤糸。

 夢の道は変わる。

 人が残した「ここを通った」という痕だけは、変わり方が遅い。

「ソムナ!」

 振り返った少年の顔を、ハルは知っている。

 ソムナは、ハルを知らない顔をした。

「誰」

 羅針盤の蓋を、ハルは四回弾いた。

「ハル」

「ハル」

 復唱。

「ゼロスター号」

「船」

「客員席」

「僕の?」

「お前の」

「そう」

 覚えていない。

 知り直す。

「札、半分よこせ」

「だめ」

「俺も持つ」

「君は夢葬師じゃない」

「だから、悲しみじゃなくて仕事の札。運べる」

「分類できてない」

「じゃ、分類しよう」

「時間がない」

「それ、便利だな」

「何が」

「話し合わなくて済む」

 ソムナの紙札が鳴る。

「住民が起きてる」

「お前が消えてる」

「消えてない」

「俺を知らなかった」

「今は知ってる」

「教えたから」

「同じ」

「違うって、アサが言っただろ」

 ソムナは杖を握る。

 苦い種を噛んでいない。

 本音。

「僕は、全員を夜明けへ連れて帰る」

 言った。

 誓い。

 夢の中では言葉が形を持つ。

 橙の糸が、ソムナの胸から巨人全体へ伸びる。

 全員。

 夜明け。

 連れて帰る。

 条件がない。

 拒否がない。

 本人が帰りたい場所もない。

「全員に、お前は入ってる?」

 ソムナは答えない。

「入ってないなら、全員じゃない」

「僕は連れていく側」

「道の外に立つな」

「君は帰す」

「俺は頼んでない」

「身体が危険だった」

「助けられた。今は戻れる」

「戻って」

「拒否する」

 ソムナの術が止まる。

 明確な拒否。

 ハルの札へ、糸が入らない。

「じゃ、ここにいる」

「だめ」

「お前が俺を帰すのも、拒否」

「君の身体は起きる必要がある」

「俺の身体の話を、お前が決めるな」

「メイが」

「メイは条件を言う。お前は結論を奪ってる」

 ソムナの目が揺れる。

「半分よこせ」

「拒否する」

「理由」

「君へ背負わせたくない」

「それ、俺のため?」

「うん」

「俺のためって言って、俺抜きで決めるな」

 父へ向けた怒り。

 自分へ向けた怒り。

 ハルは手を伸ばす。

 力で奪える。

 ソムナは細い。

 低体温。

 札で動きも遅い。

 腕をつかみ、杖を折り、術を止めればよい。

 しない。

 助ける者の身体だから、本人の拒否を無効にしてよいとは言わない。

「じゃ、俺はお前のやり方を拒否する」

「君の分だけ?」

「俺の分。あと、俺は見たって言う。お前が自分を数から外した」

「証拠にならない」

「知ってる。セレナが、証拠にする方法を探す」

 ソムナが杖を上げる。

 ハルの後ろに、醒め目が開く。

「戻って」

「お前の出口」

「後で」

「今作れ」

「拒否する」

 ハルは歯を食いしばる。

 拒否された。

 助けを拒否された。

 拒否を尊重すれば、相手が壊れるかもしれない。

 尊重しなければ、相手を救う名で相手を消す。

「必ず戻るって、言うなよ」

「言わない」

「帰れ」

「保留」

 最初の入夢と同じ返事。

 ソムナが糸を引く。

 醒め目がハルを呑む。

【現実/救難列車用寝台・覚醒/夜明けまで四十七分】

 ハルは息を吸った。

 煙。

 焦げた紙。

 メイの指。

「現在地」

「夢灯都市。夜市……列車?」

「救難列車の寝台。身体は安全」

「ソムナ」

「入夢中」

「出口」

 エリアの四層地図。

 住民の醒め目。

 ハルの醒め目。

 閉じた醒め目。

 ソムナのものだけが、ない。

「最初から作ってない」とハル。

「作ると言った」とセレナ。

「後回しにした」

 巨人の胸が、現実で白く膨らむ。

 覚醒率、七十六。

 ソムナの名前を示す灯だけが、地図から薄くなった。