第610話 第五章「終端議会の機関士」後編

 機関前室の隅に、円筒形の潜行筒が刺さっていた。

 外側は黒。

 内側は白。

 頭上の海から船腹へ穴を開け、接触後に自分の外殻を隔壁として残す終端式の乗込具。

「船を傷つけた」とロロ。

「既存亀裂を利用」とニア。

「穴を広げた」

「三ミリ」

「数えるなって言った!」

「損傷値」

「俺への謝罪じゃなきゃ数えていい!」

「規則が増えた」とハル。

「姉弟の規則は本人が作る」とエメ。

 潜行筒の中には三席。

 ニア。

 エメ。

 バズ。

 一席だけ、拘束帯が切られている。

「誰が」とセレナ。

「私」とエメ。

「理由」

「ニアが着水時の衝撃を全席へ分散しようとした。私の席へ過荷重」

「全員を残すため」とニア。

「本人へ聞かず、私の骨を部品へした」

「生存確率は」

「数値を言うな」

 エメの短い声で、ニアが止まる。

「必要とする。赦してはいない」とエメ。「この言葉は、現在形だ」

「了解」

「受理でなく?」ハル。

「監査命令」

「家族より制度の方が通じる」とロロ。

「制度は撤回条件がある」とエメ。

 潜行筒の壁へ、回収命令書。

『対象船オルロイ。記録機関、航路核、船首地図を優先。船体全体の保全は任務外。乗員痕跡は封印回収。外部勢力と接触時、情報を分離』

「外部勢力」とカイル。

「私たち?」

「王家、学院、星律院、自由船を一括」とニア。

「雑」とハル。

「終端議会から見れば、外側」

「人を場所で一括にするな」とロロ。

「命令書の問題」

「従ってるのは誰」

 ニアは命令書を見る。

「船体全体を保全するなら、任務から外れる」

「だから?」

「すでに外れた」

 バズが息を止める。

「ニアさん、それは正式な離反宣言ですか」

「任務変更」

「上へ報告を」

「通信筒は切った」

「いつ」

「接触後」

「じゃ戻れない!」

「戻る予定はない」

 ロロの顔が硬くなる。

「また戻らないって、勝手に決める」

「今回は、戻る先が終端議会」

「俺の所へ戻るとは言ってねえ」

「はい」

「はいが腹立つ!」

 エメが命令書を剥がす。

「証拠として私が持つ」

「私の離反記録」とニア。

「英雄記録にするな。命令違反と、過去の責任は別」

「受理」

「今はそれでいい」

 ニアの所属は、切れた。

 切れたから自由になったわけではない。

 切った線の向こうに、命令、同僚、加害、被害が残る。

 離反は免罪ではない。

 ただ、次に誰の命令へ従うかを空欄へ戻す行為である。

「どうやって船へ」とセレナ。

 全員が広い機関前室へ移る。

 重力は現在、床。

 ニアの六本腕が背後で畳まれ、冠のような輪郭を作る。

「終端議会の潜行筒で頭上の海側から接触。三時間前」とニア。

「救難信号より前」

「議会はオルロイ号の再出現を観測していた」

「どうして知らせない」とカイル。

「議会は王家へ知らせない」

「理由」

「過去の協定」

「内容」

「私が携行しているのは、オルロイ号の回収条件に関わる条項だけ。協定文の全条項は持っていない」

「では、持っている範囲を話せ」とカイル。

「一部は機密」

「今、便利な扉を閉めた」とハル。

「疲労」とニア。

「誤魔化した?」

「質問を一つ」

「父を知ってる?」

 エリアがハルを見る。

 一度に一つ。

 ハルは一つを選んだ。

 ニアの目が、胸の零星針へ落ちる。

「凪野ソウジを記録で知る」

「会った?」

「今の一つは終わった」

「次」

「会ったことはある」

 ハルの呼吸が止まる。

「いつ」

「この船の失踪より後」

「生きてた」

「その時点では」

「今は」

「知らない」

「どこで」

「終端側」

「何をしてた」

「答えない」

「機密」

「あなたを止めるため」

「止める?」

「父を追うな」

 平らな声。

 命令の形。

「理由」

「家族との約束を理由に、世界の荷重線へ手を掛ける人間だった」

「お前が言うな」ロロ。

 言葉が割り込む。

「家族を置いて、世界を直す側へ行ったお前が!」

「だから言う」

「経験者みたいに言うな!」

「経験した」

「俺は経験させられた!」

 ニアの六本腕が微かに動く。

 防御ではない。

 逃げ道を測っている。

「ロロ坊」

「呼ぶな」

「九年と百十一日」

「何が」

「戻れなかった期間」

「数えるな」

「匿名送金、七十三回。工房部品、十九箱。学院特待申請へ推薦記録二――」

「謝罪に納品書つけるな!」

「事実を」

「俺が欲しかったのは部品じゃねえ!」

「生存率を上げるため」

「俺を機械みたいに保全したつもりか!」

「違う」

「どこが!」

 ニアは数字を言わない。

 それが動揺の合図だと、ハルはまだ知らない。

「戻る資格がないと思った」

「資格を決めたのもお前だ!」

「はい」

「はいで直るか!」

「直らない」

「じゃ切るか!」

「切らない」

「何で俺だけ残した!」

 その問いへ、ニアは答えない。

 答えがないのではない。

 どの答えも、自分を正当化する形になると知っている。

「残せると思った」とようやく言う。

「俺が勝手に残ったんだ!」

「戻れなかった期間を数えた」とロロ。

「はい」

「俺の誕生日、何回」

 ニアは答えられる。

 九回。

「言うな」とロロ。

「言ってない」

「顔が計算してる!」

「顔は証拠じゃない」とハル。

「今それ使うな!」

 ロロは机の上へネジを並べる。

 長さ順。

 怒ると請求書の桁が細かくなる。

 今は請求書すら書けないため、ネジを細かく並べる。

「匿名送金」と彼は言う。「誰の金か分からねえから、半分は詐欺だと思って使わなかった」

「追跡されない経路を選んだ」

「だから使えなかった!」

「工房部品は」

「規格が終端式で、王都じゃ交換できねえ。分解して材料にした」

「生存率は」

「上がったかもしれねえ。俺の生活は、お前の表の数字になった」

「違う」

「何が違う」

「毎月、報告を」

「送らなかった報告は会話じゃねえ!」

 ニアの右手が髪のボルトへ行く。

 回さない。

「書いた」

「誰にも送らない修理報告?」

 ニアが見る。

「どうして」

「姉ちゃんの癖だから」

 子供の頃。

 工房の端。

 直せなかった玩具。

 ニアは誰にも渡さない報告書を書いた。

『破損原因。修理不能。残った音』

 捨てる前に、動いた時の音を一度鳴らす。

「祖礼、捨てたんじゃなかったの」とロロ。

「捨てた」

「嘘」

「実行はしている。信じてはいない」

「それ、捨ててねえ」

「定義の問題」

「家族を定義で切るな!」

 ハルが口を開く。

 閉じる。

 父を追う者同士だと、ニアは言った。

 置かれた側の怒りも、ハルは知っている。

 だから代わりに和解させる言葉を持たない。

「ハル」とエリアの通信。

「いる」

「止める?」

「殴り合いになったら」

「今、一発」

「二発目は本人が止めた」

「家族だから?」

「違う。ロロが選んだ」

 ニアがハルを見る。

「あなたは父を追う」

「追う」

「同じ結果になる」

「何が」

「帰る資格がないと判断し、情報だけ残す人間を追えば、追う側が道を支える」

「俺に説教?」

「警告」

「自分の話を、父の話にして逃げるな」

 今度はニアが黙る。

「お前がロロにしたことと、父が俺にしたことは似てるかもしれない。似てても同じじゃない。俺は父を追う。でも父の選択を正しいって決めに行くんじゃない」

「止められる?」

「会ってから決める」

「世界へ負荷が出ても」

「誰が払うか先に見る」

「遅い」

「切るより?」

「場合による」

「じゃ測る」

「俺も」

 言葉は合意ではない。

 互いの判断を監査する位置を、確認しただけだ。

 ロロがネジを一本、長さ順から外す。

「姉ちゃん」

 ニアの六本腕が微かに開く。

「何」

「次に俺のことを数字で謝ったら、一桁ごとに殴る」

「小数点は」

「二発」

「了解」

「バズみたいに言うな!」

 バズが遠くで「了解?」と振り向き、エメに頭を叩かれた。

 ロロが走る。

 補助腕ではない。

 本人の右拳。

 ニアの六本腕が反応する。

 一番近い腕が拳を止める位置へ出る。

 途中で止まる。

 ニアが命令を切った。

 ロロの拳が頬へ入る。

 乾いた音。

 ニアの顔が横へ向く。

「ロロ!」ハル。

「止めるな!」

「殴るなとは」

「家族だから許せって言うな!」

「言わない」

「じゃ離せ!」

 ハルはロロをつかんでいない。

 ロロが自分で、二発目を止める。

 拳が震える。

「痛い?」ニア。

「お前の心配を借りねえ」

「右手、骨損傷なし」

「数えるな!」

「職業」

「姉を職業にするな!」

 ニアは頬を押さえない。

 指先の触覚が落ちているため、触っても痛みの位置が分からない。

 エメが近づく。

「必要とする。赦してはいない」

「今、それ私へ?」ニア。

「両方へ」

 船体が大きく鳴る。

 下降速度計が跳ねる。

 毎秒四十四。

 四十七。

 五十一。

「また増えた」とエリア。

「切断で遅らせただけ」とニア。

「次に切る線」とロロ。

「主機関への外装負荷」

「切るな」

「代案」

「直す」

「時間」

「作る」

「根拠」

「俺がここにいる」

「根拠にならない」

「お前がいなくても九年、直して飛んだ!」

 ゼロスター号。

 継ぎ接ぎ。

 片帆。

 二本足りない補助腕。

 完全でないまま飛ぶ船。

 ニアはそれを見ていない。

 接舷部の外にいる。

「実物を測る」とニア。

「信じない?」

「信じる前に測る」

「測ったら」

「協力可能性を更新する」

「言い方!」ハル。

 ニアはロロを見る。

「ロロ坊」

「呼ぶな」

「ロロ」

 初めて、名で呼ぶ。

 ロロの拳が少し下がる。

「船を落とさない。条件を出して」

「お前一人で切らない」

「残り時間が」

「条件」

「……受理」

 姉弟は和解しない。

 共同作業の条件を一つ置いただけだった。

 船がまた軋む。

 遠くで、食堂区画が頭上の海へ吸われていく。

 空席の皿は、誰にも食べられないまま回転し、三日目の食卓を船の外で続けていた。