第642話 第九章「時刻を含む地図」後編
撤退条件も決める。
第一、ハルの左肩痛が指先痺れへ移行。
第二、エリアの路図継続三分超過または左肺痛。
第三、ロロの吸入器残量一以下。
第四、ニアの指先触覚が両手で消失。
第五、セレナの記録視界が片眼でも維持不能。
第六、ノクスが二本尾を同方向へ伏せ、移動を拒否。
「ノクスの拒否を条件へ」とハル。
「本人の選択」とエリア。
「夜獣だから、じゃなく」
「仲間だから」
ノクスはエリアのブーツへ身体を擦りつける。
「同意?」カイル。
「靴を乾かしているだけ」とエリア。
「王族用の返答だ」
「私、公爵家」
「貴族用」
作戦を一度、模型で試す。
ロロが四面箱を組む。
ニアが小弁を付ける。
エリアが地図線。
セレナが時刻。
ハルは豆を人に見立てる。
「何で俺が豆係」
「身体感覚担当」
「豆に身体ある?」
「あなたが動かす」
「責任重大」
「食べるなよ」とロロ。
「食用?」
「部品!」
「豆を部品に?」
「何でも部品になる!」
模型を回す。
第一段階、成功。
第二段階、豆が二個落ちる。
「誰」とハル。
「豆」とセレナ。
「人なら」
「不明」
「じゃ、落とさない」
「原因」とニア。
「地図の回転を先にした」エリア。
「実地では泡の横流れを待つ」
「時刻表だけでなく観測」
「そう」
第三段階。
第四図の裏層へ、豆が入らない。
「門が紙の裏」とハル。
「模型の壁が厚い」とロロ。
「実地壁厚」
「一・一。通れる」
「条件、身体幅」ニア。
全員を測る。
ロロ、最小。
エリア、可。
セレナ、可。
ハル、鞄を外せば可。
ニア――。
「補助腕が通らない」
「畳む」とニア。
「六本全部?」ロロ。
「二本のみ起動でも架装幅がある」
「外す?」
「背部接続解除に十五分」
「一分門じゃ無理」
「第四図の裏層だけ別路」エリア。
「ニアだけ第一図の保守縦穴」
「合流時刻差十三秒」
「間に合う」
「成功率」
「七十一」
「低い」
「補助腕を三本目まで起動すれば八十六」
「許可条件」とロロ。
「局所移動のみ。断機なし。合流後停止」
「現場鍵」とタラ。
「事前許可はしない。その時の値で決める」
「了解」
未来の許可を予約しない。
作戦表には、『要再確認』と書く。
四図重合まで三十八分。
全員が短い休息を取る。
エリアは靴を脱ぎ、両踵へ冷却布を巻く。
ハルが横へ座る。
「怖い?」
「何が」
「地図が全部正しいこと」
エリアは三つ編みの地図針を外し、差し直す。
不安の合図。
「怖い」
「一枚選ぶ方が楽?」
「楽。間違った時、地図を責められる」
「四枚だと」
「選んだ順番と時刻は、私たちの責任」
「それでも描く?」
「描かない方が、誰かが一枚を正解にする」
ハルは配達鞄へ手を置く。
「俺、地図読めないけど」
「知ってる」
「速い」
「旅のあいだずっと」
「長い」
「まだ足りない」
「でも、地図が間違っても、エリアが間違いになるわけじゃない」
エリアが彼を見る。
「慰め?」
「違う。地図は道具で、描いた人は人」
「人は責任を負う」
「負う。でも、全部になるな」
「あなたが言うの」
「俺も、自分の身体を全部の代償にするなって言われてる」
「誰に」
「みんな」
エリアは右手で口元を隠す。
笑う。
「では、共同違反者ね」
「違反を直す共同作業」
「長い」
「命がかかってる」
「気に入った?」
「少し」
【現実/第四水門・公開作戦板前/覚醒/四図重合まで二十四分】
作戦は、実行者だけで決めなかった。
第四水門の広場へ、エリアは四枚の地図を一枚ずつ吊った。
中央には、複数の選択肢を同時に光路へ重ねる地図〈オープン・ルート〉。
ただし光路は一本に結ばれていない。
青。
白。
黄。
透明。
四色は交差し、別れ、途中で空白になる。
「何で中枢へ行くの」とミミ。
「都市が沈む原因を止めるため」とハル。
「止めたら浮く?」
「浮かせない案」エリア。
「誰が決めた」
「住民の聞き取りで、現在位置の安定を第一案へした」
「第一案って、変えられる?」
「変えられる。ただし中枢へ入った後、六十秒では全員へ再確認できない」
「じゃあ、変えられない」
エリアは答える前に、地図針を外して差し直す。
「作戦中に変えられる範囲を、今決める」
公開作戦板へ書く。
『現在位置で沈降停止』
『住民区の浮上禁止』
『中枢の一括復旧禁止』
『未知の構造を発見した場合、停止して外部共有』
『一分以内に共有不能な変更は実行しない』
「父親がいたら?」ミミ。
広場が少し静かになる。
ハルが答える。
「位置を知らせる。助けが必要なら助ける。でも、父さんがいるから作戦を変えない」
「会いたいのに?」
「会いたいから、変えたくなる。だから先に言ってる」
「変えたら罰金?」
「靴紐一本」とタラ。
「命に直結!」
「本当に変える必要があれば、変える」とセレナ。「その場合、誰が何を見て決めたかを残します」
「約束を破っていい?」
「破ることと、隠すことを同じにしない」
ミミは青い実を一つ投げる。
ハルが右手で取る。
「帰ってきたら食べて」
「今は食べ物?」
「今は」
「また!」
住民から、作戦への異議が十七件出た。
浮上させるべき、三。
中枢を閉鎖したまま避難すべき、五。
王家へ引き渡すべき、一。
王家へ絶対渡すな、四。
地図を町外へ持ち出すな、二。
父親捜索を先にせよ、一。
外来者全員帰れ、一。
「最後、私が出した」とサナ。
「知ってる」とタラ。
「採用しない?」
「全員帰れば中枢へ行く者がいない」
「住民が行く」
「現時点で、中枢路を読める者はいない」
「なら、地図を習う時間を取る」
「沈降限界が先」
「時間がないは、外来者を正当化する便利な言葉」
「その通り」とエリア。「だから、この作戦を町の所有物へします」
「どうやって」
「実行記録、地図更新、失敗値を全部残す。私たちは原図を持ち出さない。複写は町の許可範囲だけ」
「成功したら英雄の名前が付く」
「付けない」カイル。
「王子が決める?」
「王家の命名権を行使しないと宣言するだけだ。町が勝手に『カイル大弁』と呼ぶ自由までは止められない」
「呼ばない」とタラ。
「少し寂しい!」
「王子の寂しさは作戦条件外」とセレナ。
「厳しい!」
異議は却下札へ入れられなかった。
作戦板の横へ、そのまま掛けられた。
「反対を残すと、作戦が弱く見える」とニア。
「弱い部分を隠した作戦は、壊れた時に誰も止められない」とエリア。
「実行者の集中が削がれる」
「見なければいい。消さない」
「私は見る」
「なぜ」
「切断案を選びたくなった時、反対の言葉が停止鍵になる」
サナがニアを見る。
「私の『帰れ』を、都合よく使うな」
「停止鍵として使う許可は」
「ない」
「では使わない」
「でも覚えろ」
「矛盾」
「人間」
ニアは髪のボルトを回す。
「記憶する。権限としては使わない」
「それでいい」
エリアの路図には、各地点の時計が描かれなかった。
代わりに、観測物が描かれた。
骨透け魚の内臓位置。
泡の横流れ。
四方砂の先行面。
貝殻の色。
各地点の鐘。
「時刻表なのに時計がない」とハル。
「時計も一つの観測物として入れる。基準にはしない」
「誰かの時計が遅れたら」
「魚と泡が訂正する」
「魚が寝てたら」
「砂」
「砂が詰まったら」
「鐘」
「鐘が壊れたら」
「人の身体」
「全部壊れたら」
「撤退」
「正解がない」
「正解を一つへ預けない」
エリアは光路の中央へ、大きな空白を残した。
『現在の下・現場記入』
「中枢へ入った後、誰が書く」とセレナ。
「全員。ハルは身体、ロロは機械、ニアは荷重、私は地図、あなたは記録、ノクスは匂い」
「ノクスの筆記は」カイル。
「鳴き声をハルが翻訳しない。質問を一つずつ」
「俺の役割、制限つき!」
「最も必要」
「褒めた?」
「事実」
「それが一番うれしい」
エリアの顎が少し上がる。
感情を隠す姿勢。
だが右手が口元へ行き、少し笑う。
作戦板の下で、住民たちはそれぞれの時計を合わせなかった。
合わせるのは、次の鐘が鳴った時に何を見るかだけだった。
四図重合まで五分。
各中継点へ散る。
タラ、第一小門。
バズ、北塔弁。
エメ、墓地区圧力槽。
カイル、外郭盾点。
六人一体は、第四水門の起点へ立つ。
セレナが秒時計を持つ。
右手ではなく左手。
「開始後、誰か一人の時計へ合わせない。各点の鐘と魚と泡を照合」
「時計を信じない作戦」とハル。
「時計だけを信じない」
「違いが長い」
「生きるため」
「全員気に入ってる!」
骨透け魚が集まる。
透明な身体の中で、内臓がゆっくり中央へ戻る。
四方向のどこにも寄らない。
「中立準備」とエリア。
泡が上がらない。
落ちない。
水中へ丸く留まる。
四方砂も、中央で浮く。
「全域無基準へ」とタラの声。
鐘。
一回。
二回。
三回。
四回。
四枚の地図の光が、同じ形になる。
遠く、都市中心で巨大な門が動く。
上からも。
下からも。
左からも。
右からも。
四枚の扉が、一つの円へ重なる。
「開門!」バズ。
「圧力安定!」エメ。
「外郭保持!」カイル。
「時間」とハル。
セレナが答える。
「六十秒」
一分だけ。
沈没都の中枢門が、四つの正しい地図へ同時に開いた。