第647話 第十二章「父との再会」前編
再会は、歴史書では一行で済む。
『凪野ハルは、逆さ海の沈没都において、十五年前から消息を絶っていた父・凪野ソウジと再会した。』
主語と述語。
場所と年月。
誰が誰へ会ったか。
必要事項はそろっている。
だからこそ、その一行はほとんど何も書いていない。
扉がどちら側へ開いたか。
最初に見えたのが顔だったか、義手だったか。
生きていてうれしいという感情と、どうして帰らなかったという怒りが、どちらから先に来たか。
抱きしめたか。
殴ったか。
何もできなかったか。
歴史は、両立する感情を一つの出来事へ圧縮する。
人間は、圧縮されたままでは生きられない。
ゆえに再会とは、会えた瞬間ではない。
会えたあと、相手を自分の望んだ答えへ直さず、そこにいる一人として見始めるまでの、長い作業である。
【現実/沈没都中枢・円形観測室前/覚醒/都市第一安定から二十三分】
観測室の扉は、内側へ開いた。
最初に見えたのは、左手だった。
人の手ではない。
乳白色の星晶。
手首に七つの微細な歯車。
指の関節へ地球製の小さな十字ネジと、アステリア式の六角留めが混在している。
義手の指が扉の縁を押さえたまま、動かない。
次に、褪せた土色の星航コート。
胸元から垂れる、何もついていない時計鎖。
水と塩で白くなった地球製の作業靴。
そして顔。
四十三歳。
時間歪曲域を通ったため、外見は三十七歳ほど。
黒髪の左前髪へ、銀色の筋。
ハルとは逆側。
灰褐色の目。
頬は痩せている。
笑おうとする前、一度だけ目を伏せる。
母が話していた癖と同じだった。
「ハル」
温かい低い声。
ハルの胸で、八年間止まっていた何かが動いた。
動いたから、許したのではない。
動いたから、痛んだ。
「ハル」
二回目。
ソウジは一歩、出ようとした。
右膝が折れた。
星晶義手が扉を掴む。
歯車が一斉に回る。
ハルは反射で前へ出る。
一。
二――。
三を言わない。
右手で父のコートを掴む。
左肩は使わない。
倒れかけた身体を支える。
冷たい。
水中の金属ほどではない。
生きている人間としては、冷たすぎる。
「触るな!」セレナ。
「もう触ってる!」
「支えるだけ。義手へ手を掛けない。床へ座らせて」
エリアが右側へ入る。
ハルの腰を支え、荷重を三人へ分ける。
「足下、観測室側。街下、青線面。ゆっくり」
ソウジを壁際へ座らせる。
彼の目は開いている。
呼吸もある。
だが、動かない。
「静止発作」とニア。
「知ってるの」とロロ。
「長期時空曝露。星酔い。終端議会の記録にある」
「本人確認前に病名で決めない」とセレナ。
六角単眼鏡。
脈。
呼吸。
瞳孔。
体温。
「体温三十三・八。脈は遅いが規則的。呼吸あり。外傷、新しいものなし」
ノクスがソウジの作業靴を嗅ぐ。
コート。
右手。
星晶義手。
二本の尾が別方向を向く。
「何」とハル。
「質問を一つずつ」とエリア。
ハルは息を整える。
「今、ここにいる人の匂い?」
「ナァ」
「オルロイ号の工具跡と同じ匂い?」
「ナァ」
「俺の父さん?」
ノクスはハルの靴を踏んだ。
「それは匂いで決めない、か」
「グル」
「分かった」
父であることは、義手の型、顔、声、癖、古傷、記録、本人の言葉を重ねて確かめる。
夜獣の鼻へ、家族を決めさせない。
ソウジの右手が動く。
指が一度、床を探る。
義手の親指が一回転する。
灰褐色の目が焦点を戻す。
「ハル」
三回目。
声のあとに、長い空白。
「……ごめん」
ハルの右拳が動いた。
殴った。
顔ではない。
土色のコートの胸。
拳が布へ沈み、その下の細い胸骨へ届く。
強くはない。
弱くもない。
ソウジは避けない。
「痛い?」ハル。
「痛い」
「生きてる?」
「今は」
「今はって言うな!」
「……生きてる」
ハルはコートを掴んだまま、もう一度拳を上げる。
上げた。
下ろさない。
「何で帰らなかった」
ソウジの視線が、ハルの右前髪の銀筋へ行く。
赤いマフラーへ。
配達鞄へ。
笑いそうになる。
目を伏せる。
「事故が――」
「誰が起こした」
「経路が閉じられて――」
「誰が閉じた」
「戻るための条件が、必要とされて――」
「誰が必要にした」
ハルの声は低い。
「受け身で逃げるな」
義手の歯車音が止まる。
ソウジの恐怖の合図。
「俺が決めた」
観測室へ、機械の低い振動だけが残る。
「危険を説明すれば、ナツミに止められると思った。お前に待てと言うことになると思った。だから、説明しない方が守れると、俺が決めた」
「守った?」
「守れてない」
「帰れなかった?」
「帰らない判断を重ねた」
「八年」
「地球では八年。こちらでは――」
「数字へ逃げるな!」
ソウジは口を閉じる。
「八年」と言う。「お前に払わせた」
「俺だけじゃない」
ソウジの姿勢が、一センチ縮む。
「ナツミにも」
「母さんの名前を、俺へ謝る材料にするな」
「そうだ」
「母さんへ言え」
「言う権利が、まだあるか」
「それを俺に決めさせるな」
ハルは拳を下ろす。
コートの胸を離す。
「生きてて、よかった」
声が一度、詰まる。
「でも、それと帰らなかったのは別だ」
「別だ」
「会えたから、なかったことにするな」
「しない」
「俺が泣いたら、許したことにするな」
「しない」
「俺、泣いてないけど」
「うん」
「見るな!」
目の端に、水がある。
海水ではない。
エリアは見ないふりをしない。
記録もしない。
ただ、ハルの右側にいる。
セレナは再会の余白を三十秒だけ与えた。
三十一秒目に、ソウジの片眼鏡を取り上げる。
「医療確認を続けます」
「厳しいな」とソウジ。
「あなたの生存を、感情だけで正典にしません」
「正しい」
「褒めても処置は短縮されません」
「ハルの仲間?」
「質問は後」
「俺の仲間」とハル。
ソウジが全員を見る。
エリア。
ロロ。
セレナ。
ニア。
ノクス。
「エリア・ルーンベルグ」
エリアの右眉が上がる。
「なぜ名前を」
「マリエラの――」
「母を通して私を見ないでください」
ソウジが一度、目を伏せる。
「失礼した。エリア。君の路図を、外郭観測鏡で見た」
「それなら、私の現在の仕事を見たことになります」
「四枚を一枚にしなかった」
「あなたの注意書きがあったからではありません。住民と証拠がそう示したからです」
「分かってる」
「責任を問われる時の『分かってる』は信用しません」とハル。
ソウジが、ほんの少し笑う。
ハルと同じ笑い方。
ハルはうれしい。
うれしい自分へ腹が立つ。
「ロロ・ピクス」
「義手見せろ」
「医療中です」とセレナ。
「見るだけ!」
ソウジが左腕を上げる。
「設計欠陥が七つある。第一、七歯の一歯だけ地球規格で、水中では塩を噛む。第二、手首の回転限界を――」
「性能褒められるの嫌で欠陥から言うタイプ!」ロロの目が輝く。「いいから分解図!」
「本人の許可なしに触るな」とニア。
「触らねえよ!」
「お前が言うのか」とソウジ。
ニアの顔から、すべての温度が消える。
「私へ技術を渡したのは、あなた」
ソウジの笑いが止まる。
「そうだ」
「終端議会の荷重線断機。原型図をあなたが見せた」
「見せられた、ではない。俺が見せた」
「危険性を説明した?」
「全体を切る装置ではなく、集中した命令線を切るための道具だと説明した」
「私は区画を切った」
「俺の意図と違う、では免責にならない」
「あなたの責任は」
「技術を渡し、止める権限を渡さず、組織の中へ残したこと」
「私の責任は」
「君が決める。被害者が問う」
「綺麗に分けるな」
「分けないと、俺が君の加害まで奪う」
ニアは数を言わない。
動揺している。
「私に第三案を教えた」と言う。「切るか沈むかの二択を疑えと。なのに、あなたは消えた」
「消えた」
「私が待った」
「待たせた」
「ロロも」
「待たせた」
「世界を直すと言った」
ソウジの義手の歯車が、また止まる。
「言った」
「直した?」
「直していない」
「なら、何をしていた」
ハルが顔を上げる。
父の目的。
ずっと欲しかった答え。
ソウジは観測室の奥を見る。
四面に計器。
海の向こうへ伸びる細い光線。
空の時計鎖と同じ形の端子。
「世界を守るために、境目を測っていた」
「抽象」とセレナ。
「証拠は」とエリア。
「ここにある。ただし、今説明すれば次の判断まで俺の言葉で決めることになる」
「また小分け」とハル。
「そう聞こえる」
「聞こえるんじゃなく、そうしてる」
「そうしている」
「何から守る」
「今は、全部は言わない」
「言えない?」
「言わない。証拠を一緒に読める状態へしてから話す」
「それ、信じろってこと?」
「信じなくていい」
「便利だな!」
「便利に使ってきた。だから今回は、俺の説明を採用条件にしない」
ソウジは右手で、観測卓の鍵を外す。
星晶義手ではない。
生身の右手。
中から、六冊の記録帳。
測量板。
未送信の通信筒。
「全部、セレナへ預ける。原本は沈没都。複写範囲は住民が決める。俺の証言は、これと照合してから」
「自分で隠した記録は」とセレナ。
「隠した頁がある」
「どこ」
「第三帳の二十七から四十。封印した」
「鍵」
「三つ。俺、住民代表、外部監査」
「あなた一人では開けない?」
「開けない」
「いつ作った」
「六日前」
「なぜ」
「また一人で決めるのを止めるため」
ニアが三つの鍵穴を見る。
「私の三鍵を参考に?」
「君の失敗と、君が作り直した条件を参考にした」
「感謝するな」
「しない。使用料を払う」
「誰へ」ロロ。
「被害者基金」
「金で終わらせるな」
「労働も。審理も」
「未来形は安い」
「そうだ」
ソウジは反論しない。
反論しないことさえ、正しさの演出になり得る。
ハルはそれも警戒する。
「今、ここで何してた」
「観測室の局所位相を維持していた」
「町が沈んでる間」
「第四弁を一人で動かすと、住民区が浮上して崩れる。中央索を切るには、外の同意が要る。通信線は、中央命令へ接続すると第四固定を再起動する」
「だから待った?」
「待つ以外の案を探した」
「見つからなかった?」
「見つけられなかった」
「救難信号」
「外郭浮標へ出した。誰が受けるかは分からなかった」
「オルロイ号?」
「船の自動航路を、浮標へ向け直した」
「十五年前から落ちた船を、呼び鈴にした?」ロロ。
「そうだ」
「乗員の記録は」セレナ。
「俺が知る範囲を帳へ書いた。全員の行方は知らない」
「あなたが乗った時刻」
「外の暦で十五年前。船内暦で三日目を何度も」
「その後」ハル。
ソウジはハルを見る。
「今は、全部は話さない」
「また」
「話せば長いからじゃない。俺の記憶順が乱れている。事実と推測を分ける作業が要る」
「星酔い」セレナ。
「言い訳になる?」ハル。
「ならない」とソウジ。「説明の精度条件になる」
ハルは拳を握る。
殴りたい。
聞きたい。
抱きしめたい。
帰れと言いたい。
どれか一つへ決めれば、楽だった。
「今日は、どこまで分かる」
「俺が生きている。ここへ六日前に入った。沈没都の中枢を一人で動かさなかった。外郭へ信号を出した。記録を隠した部分がある。世界を守るためだと考えて行動してきた。家族へ説明せず、帰らない判断を重ねた」
「最後の二つ、別にして」
「世界を守ろうとしたことは、家族へ説明しなかった免罪にならない」
「それなら、今は聞く」
「信じる?」
「まだ」
「それでいい」
「お前が決めるな」
「……そうだ」
ソウジを観測室から出すには、次の四図重合を待つ必要があった。
「歩ける」と本人は言った。
「歩けるかを聞いていません」とセレナが返した。
父と息子へ、同じ文言。
「似た者扱いするな」とハル。
「私はしていません」
「顔に書いてある」
「証拠能力のない観察です」
「否定が長い」
セレナはソウジの体温をもう一度測る。
三十四・一。
上がってはいる。
正常には遠い。
「栄養」とロロ。
「塩むすびがある」とソウジ。
観測卓の下から、布包みを出す。
開く。
小さな三角形。
米ではない。アステリアの白穀を、地球式に握ったもの。
表面へ塩。
一口分が残されている。
「食べかけ」とハル。
「帰港分」
母が話していた。
父は食事の最後の一口を、五分だけ残す。
帰ってきた気分を作るため。
八年間帰らなかった男が、帰港分だけを毎食残していた。
その事実は、美しい。
美しいからこそ、ハルは腹が立つ。
「残したら帰ったことになるのかよ」
「ならない」
「毎回やってた?」
「できる時は」
「母さんへ帰る代わり?」
「代わりにした」
「代わりになってない」
「なってない」
ソウジは帰港分を口へ入れる。
英雄的な帰還ではない。
冷えた握り飯を、乾いた喉で飲み込む。
むせる。
「水!」ハル。
「急に飲ませない」とセレナ。
「じゃ、何!」
「少量」
エリアが蓋杯へ一口だけ注ぐ。
ハルが渡しかける。
途中で止める。
「自分で持てる?」
「右手で」
ソウジが受け取る。
助けることと、幼児へ戻すことを同じにしない。
四図重合までの待ち時間に、観測室の中身を暫定封緘した。
セレナが原本一覧を読む。
「測量帳六。工具記録四。通信筒十二。未送信手紙――」
「それは私文書」とソウジ。
「事件関連性」
「家族宛て」
ハルの呼吸が止まりかける。
「誰」
「ナツミと、お前」
「何通」
「百四十七」
「送らなかった手紙を、百四十七通も書いた?」
「書いた」
「書けば説明したことになる?」
「ならない」
「何で送らなかった」
「送信路から位置を追われる危険。内容を読まれる危険。届けば、待たせると思った」
「届かなくても待った!」
観測室の壁が、声を四方向へ返す。
「俺、毎日じゃないけど、待った。母さんは電話が鳴ると――」
言葉が途切れる。
母の姿を、父へ渡したくない。
父に聞かせるための物語へしたくない。
「母さんの待ち方を、俺が説明する必要ない」
「ない」
「手紙、俺へ渡すな」
ソウジの右手が、通信筒から離れる。
「読まない?」
「今は決めない。母さん宛ては、俺が運ぶ荷物じゃない。配送屋の息子だからって、家族の謝罪まで配達させるな」
「そうだ」
「俺宛ても、セレナへ預ける。勝手に開けるな」
「私文書封印として扱います」とセレナ。
「いつ読むか、俺が決める」
「受領」
ソウジは百四十七通を、一度も抱きしめない。
記録箱へ戻す。
書いた苦しみを、渡される側の義務へ変えない。
次の四図重合が始まる。
泡が中央へ留まり、骨透け魚の内臓が身体の真ん中へ戻る。
「移動」とエリア。
ソウジへ、腰索を三本付ける。
「多い」と本人。
「星酔い静止発作一回。体温低下。都市重力変動下。少なくありません」とセレナ。
「昔は一本で」
「昔の自慢は禁止」とハル。
「自慢では」
「一本で行けるって言うの、自慢」
「では、三本」
「素直なの腹立つ」
一本をエリア。
一本をハル。
一本をニアではなく、ロロが持つ。
「私が保持する方が安定」とニア。
「触覚零」とロロ。
「振動で」
「今は必要ない」
エメの言葉を、弟が繰り返す。
ニアは一拍置く。
「了解」
自分の工具架を、壁の運搬環へ接続する。
荷物になる。
「自分を荷物へ入れるな」とロロ。
「質量八十四」
「数字の話じゃねえ!」
「歩行は可能。保持役から外れる」
「それでいい」
四図重合の一分。
観測室から保守通路。
保守通路から中枢。
ソウジは一歩ごとに、曲がり角の石を見る。
裏返した石。
ハルたちが戻していない石。
「戻す?」ハル。
「帰りに戻す儀式だった」
「今、帰り?」
ソウジが答えない。
「俺へ聞くな。自分で決めろ」
「今は、観測室から出る道」
「じゃ、戻さない?」
「外まで行ってから」
「期限」
「次の四図重合まで」
「短い」
「守れる期限から」
ハルは石をそのままにする。
信頼も、曲がり角ごとに戻すものではない。
中枢操作室へ出ると、伝声管が一斉に鳴った。
『出たか!』カイル。
「出た」とハル。
『本人?』
「現在の物証では、凪野ソウジ本人と判断。ただし医療観察継続」とセレナ。
『その言い方で再会を報告するのか!』
「正確です」
『ハル』
「何」
『殴ったか』
「一回」
『どこ』
「胸」
『拳は』
「平気」
『ならよし』
「王太子の発言として記録します」とセレナ。
『今だけ友人として!』
「区別不能です」
ソウジが伝声管へ顔を近づける。
「カイル・アークレイ?」
『そうだ。王子扱いは不要だが、王国の指名手配者へは王子として話す』
「順番は」
『医療。救難。証拠保全。住民協議。その後、身柄と罪状』
「妥当」
『自分で評価するな!』
「癖で」
『ハルに似ているな!』
「似てない!」ハル。
「似ている」とエリア。
「今言う?」
「言う時刻」
ソウジは中枢の四弁を見て、すぐに第四軸へ近づこうとした。
ロロが前へ出る。
「止まれ」
「状態を」
「見るだけでも許可が要る」
「俺が注意書きを――」
「だから何。直したのは俺たち。今の所有者は町」
「所有ではなく管理」タラの声が伝声管から入る。
「細かい!」ロロ。
「大事」
ソウジは両手を見える位置へ出す。
義手の指を畳む。
「観察許可を申請。目的、第四軸の切断後変位確認。接触なし」
「現場鍵」とタラ。
『観察のみ。距離二歩。記録者同伴』
「監査」とエメ。
『本人の工具使用禁止。義手変形禁止』
「構造」とロロ。
「俺が横に立つ。勝手に専門用語で話を進めたら止める」
「三鍵、許可」とニア。
「お前は鍵を出す側じゃない」とロロ。
「今のは確認」
「言い方!」
ソウジは二歩まで近づく。
第四軸を見る。
中央保持索が切れた断面。
目を伏せる。
「きれいな切断」と言いかける。
ニアを見る。
「いや。切った結果は、これから町が払う」
「言い直しで免責しない」とニア。
「しない」
「あなたなら、中央索を切った?」
「一人では切らないつもりだった」
「つもり」
「三鍵がそろえば切った」
「私たちと同じ?」ハル。
「同じにするな」とロロが先に言う。「こいつは待って、俺たちは住民を通って来た」
ソウジが頷く。
「その差がある」
「何で自分で住民区へ行かなかった」
「観測室から出れば、局所位相が切れ、第四固定が自動復帰する状態だった」
「自分を部品にした?」ハル。
「そうした」
「自分が動けない仕組みを作った?」
「作られた仕組みへ、自分を入れた」
「また受け身」
「俺が選んで入った」
「何日」
「六日」
「食べ物」
「白穀、塩、青い実」
「青い実、好き?」
「好きではない」
「そこ似てる」とエリア。
「今?」
「今」
ハルは笑いかける。
笑ってしまう。
笑ったから、怒りが消えたわけではない。
怒っているから、笑ってはいけないわけでもない。
外郭へ戻る経路は、四枚の地図を逆順に使った。
第四。
第三。
第二。
第一。
「来た時と逆」とハル。
「帰り路は、行き路の反転ではない」とエリア。
「でも逆順」
「使う地図は逆順。通る門は同じではない」
「ややこしい」
「生きるため」
「好きだな、その言葉」
「あなたが気に入ったから」
ソウジが二人を見る。
父親の目で見ているように、ハルは感じる。
「何」
「仲がいい」
「父親ぶるな」
「観察」
「感想もやめろ」
「了解」
エリアが礼儀正しくなる。
「凪野ソウジさん、現在の呼吸数を報告してください」
「なぜ急に」ハル。
「医療確認」
「嫉妬すると礼儀正しくなる」とセレナ。
「台帳を読むのをやめて!」
エリアの顎が上がる。
「私は呼吸数を聞いただけです」
「完全敬語!」カイルの遠隔声。
「外から参加するな!」
ソウジが小さく笑う。
目を伏せてから。
ハルは、その笑い方を見てしまう。
自分が笑う時、同じことをしているのかもしれない。
親子という言葉は、許可なく似ている部分を見つけてくる。
似ていることは、同じであることではない。
同じでないことは、他人であることでもない。
その間に、今は名前がなかった。
第四水門へ戻ると、住民は歓声を上げなかった。
まず圧力値を聞いた。
「南面一・八、安定」とエメ。
「北塔変位零」とバズ。
「次の潮刻まで二十七分」とタラ。
「それから、誰」とサナがソウジを指す。
「凪野ソウジ」と本人が答える。「中枢観測室に六日。外郭浮標へ救難信号を出した。中央索を一人で切らず、結果として町を待たせた」
「英雄?」
「違う」
「犯人?」
「沈降を始めた人間ではない。止められなかった責任はある」
「王家の人?」
「違う」
「終端議会?」
「以前、技術を渡した。所属はしていない」
「ハルの父?」ミミ。
ソウジがハルを見る。
ハルは答えを預けられたくない。
「血縁と記録では父。今の関係は、まだ決めてない」
ミミは青い実を一つ、ソウジへ投げる。
ソウジは右手で取る。
「噛むと泡が出るよ」
「本当?」
「嘘」
ハルが指をさす。
「同じのやられてる!」
「親子割引」とミミ。
「何を割り引いた!」
町の子供は、再会を神話へしない。
青い実を投げ、嘘を一つ言う。
その程度の生活へ父が入ったことが、ハルにはいちばん現実だった。