第648話 第十二章「父との再会」後編
都市の第一安定から二潮刻後、四面食堂で公開協議が始まった。
英雄の帰還式ではない。
卓の一面には圧力表。
一面には避難者一覧。
一面には修理費。
一面には四枚の地図。
ソウジの席は、中央になかった。
壁際。
セレナの隣。
医療毛布に包まれ、左の星晶義手へ封印帯が巻かれている。
「拘束?」ハル。
「工具使用制限」とセレナ。
「逃げると思ってる?」
「逃げないという本人の言葉を、制度へ翻訳しただけです」
「厳しいな」とソウジ。
「感謝は不要です」
「してない」
「今のは少し傷つく」とカイル。
「お前の会話じゃない」ハル。
カイルは次の四図重合で中枢へ入り、外郭から戻っていた。
背中の痛みは三。
本人申告では苺十三から苺四まで下がった。
セレナの記録では、肋部圧痛四。
「苺の方が分かりやすい」とミミ。
「支持者!」
「食べられるから」
「痛みは食べられないぞ」
「王子なら食べそう」
「私は国民の痛みを――」
「比喩を物理へ戻すな」とハル。
最初の議題は、四枚の地図だった。
「一枚へまとめない」とエリア。
言い切る。
「複写も四枚一組。単独持出しは禁止。各図へ、作成年、封印日、潮刻位相、使用条件を同じ大きさで付ける」
「新しい地図は作らない?」サナ。
「作る。ただし、完成図ではなく位相表」
エリアは新しい板を示す。
中央に都市の立体模型。
周囲へ四地図。
輪を回すと、重力方向と作成時刻が変わる。
「一枚じゃないと、外の船が使えない」と商人。
「外の船が使いやすいことを、町が死ににくいことより優先しない」タラ。
「交易が減る」
「今も減ってる」
「増やす方法」カイル。
「四図資格を作る」とエリア。「一枚を暗記する試験ではなく、分からない時に停止できるかを試す」
「停止が資格?」
「進む技術だけの航路士は、地図が外れた時に人を連れて落ちる」
「合格者が少ない」
「少なくていい」
以前のエリアなら、誰もが正確に読める完璧な一枚を作ろうとしただろう。
今は、誰も完璧に読めないことを制度へ残す。
「図名」とセレナ。
「四相運用図」
「固い」とハル。
「公文書」
「住民名は」タラ。
食堂の声が飛ぶ。
「ぐるぐる地図」
「四下板」
「迷子輪」
「叔父殺しじゃない方」
最後の名で、少しだけ場が止まる。
タラが言った。
「消すな。だが正式名にはしない」
事故を忘れないことと、事故だけで道具を呼び続けることは違う。
「正式名、四相運用図。通称は町で決める」とセレナ。
「未決で残す」
「記録」
二つ目の議題。
中央索を切った後の運用。
ロロが必要人員、部品、訓練時間を読み上げる。
「四弁、各二名。交代。全体監査二名。住民停止鍵四名。外部観測一名。最低二十七」
「前は二十四」とニア。
「飯と風呂を入れた」
「三増」
「生活は増分じゃない!」
「訂正。前の計算が不足三」
「早いな」
「証拠がある」
ロロは咳を一度する。
吸入器は使わない。
まだ話せる。
「資格を技師だけにしない。弁を動かす奴、値を読む奴、止める奴、住民へ説明する奴を分ける。全部できる天才を作るな。壊れた時に替えが利かない」
「自分の補助腕は」とニア。
「何」
「四本を一人で使う設計」
ロロが黙る。
「俺のは、下の工房で人が足りなかったから」
「同じ集中」
「便利だ」
「危険でもある」
「分かってる」
「焦っている時の――」
「分かってない! 分かり始めた!」
ロロは自分で言い直す。
「補助腕の操作記録を外へ出す。停止権を、俺以外にも渡す。勝手に外すな。止める方法だけ教える」
「誰へ」
「まずエリアとハル。機械屋じゃない奴」
「俺、壊す方」とハル。
「だから停止だけ!」
「料金」
「一ルク!」
「尊厳価格」と食堂の何人かが言う。
「町へ広まってる!」
ロロの耳が赤くなる。
三つ目の議題。
反対者十一と、未回答十二。
切断後、未回答のうち七人が賛成、三人が反対と答えた。
二人は、まだ答えなかった。
「合計」とニアが言いかける。
止まる。
「合計へ入れない」と言い直す。
「答えない二を、保留で固定する?」エリア。
「本人が保留と言っていない」セレナ。
「では、未回答」
「いつまで」
「回答期限を設けると、沈黙が不利益になる」
「運用を止め続けるわけにはいかない」とタラ。
ミミが卓へ青い実を置く。
「今は答えたくない、だけ聞けば」
「それも答え」とハル。
「答えたくないかも聞かれたくない人は?」
「空白」セレナ。
「空白が増える」
「人を消すよりよい」
運用図には、二つの白い区画が残された。
反対十四。
賛成百五十九。
未回答二。
残留選択、別記。
「多数決で正当化しない」とニア。
「反対者の権利」とカイル。
「中央索再接続の研究を求める権利。現在運用の監査。損失補償」セレナ。
「反対しても税を払う?」住民。
「運用費は共同」とタラ。
「反対者へ多く負わせない」エリア。
「賛成者へだけ負わせる?」
「それも違う」
制度は、美しい一文で完成しなかった。
費用。
権限。
研究。
監査。
反対して暮らし続ける権利。
結論より、次の会議の日付の方が先に決まった。
四つ目の議題で、ソウジが呼ばれた。
「凪野ソウジ」とタラ。「この町へ何を残した」
「外郭浮標の救難信号。中枢観測記録。第四固定の注意書き。未送信通信。観測室の食料ごみ」
「最後まで言う?」ハル。
「生活痕も証拠」セレナ。
「町の設備へ何をした」
「観測室の局所位相を維持。第四弁の自動復帰を遅延。中枢門は開けていない。外郭浮標へオルロイ号を誘導」
「許可」
「取っていない」
「理由」
「住民と通信できなかった。救難信号を出すことを、緊急性で正当化した」
「今も正しかったと思う?」
「信号は必要だった。住民の船を誘導へ使ったことは、後から請求と監査を受ける」
「船は住民の?」
「所有記録を確認していない」
「なのに使った」
「使った」
「罰を決めるのは」
「町」
「王国の指名手配は」とカイル。
「別」
「家族は」とハル。
「別」
ソウジは、自分の責任を一つへまとめない。
以前の彼は、世界を守るという大きな目的へ、家族も法律も生活も入れた。
大きな目的は、細かな加害を見えなくする。
「町の暫定処分」とタラ。
黒板を回す。
『観測記録の提出』
『中枢設備への単独接触禁止』
『救難信号の技術説明』
『オルロイ号修理労働 二十日』
『町外退去は、記録複写完了後』
「二十日」とハル。
「長い」とソウジ。
「嫌?」タラ。
「次の危機情報がある」
食堂の空気が変わる。
「後で」とセレナ。「現在議題へ未来の危機を持ち込み、処分を軽くしない」
「同意」
「二十日間ここに残れない場合」とタラ。
「代替の修理工派遣費と、後日の本人労働。逃げた場合は公開」
「英雄碑」ハル。
「逃亡碑にする?」ミミ。
「やめろ」ソウジ。
「嫌いなんだ」
「英雄碑も逃亡碑も。人を一語へする」
「じゃ、請求書」とロロ。
「それがいい」
「本気で言った!」
町の暫定処分は、請求書として書かれた。
未払いなら、未払いのまま公開される。
功績で相殺しない。
協議の休憩中、ロロはソウジの義手を見た。
見るだけの許可。
触らない。
「七歯の一歯が丸い」
「地球の十字ネジを削った」
「何で規格外を混ぜた」
「合う部品がなかった」
「正しい」
「褒めた?」
「事実。欠陥は、海水で塩噛み。回転遅延〇・三。左耳の難聴と組み合わせて警告音を聞き落とす」
「全部当たり」
「直せる」
「費用」
「一ルク」
「尊厳価格?」
「検査だけ。修理は別!」
ソウジは右手で、一ルク硬貨を出す。
「持ってるの」とハル。
「最後の一枚」
「食事代は」
「借りる」
「変わってない!」
「悪い部分」とソウジ。
「母さんに似てるって言われたら喜ぶくせに、自分の悪い部分は俺へ遺伝って言うな」
「そうだな」
「今、謝る場面じゃない。飯を買え」
「検査代を踏み倒す?」ロロ。
「俺が払う」ハル。
「家族だから?」
「次の手伝いで返す」
「ハル方式!」
ソウジが硬貨をしまう。
「借り」と言う。
「借りを、親子の関係へまとめるな」とハル。「検査代だけ」
「検査代だけ」
ロロは義手の分解図を一枚描く。
ニアは一歩離れて見る。
「あなたが私へ渡した原型と、違う」と言う。
「君へ渡したのは荷重線だけ。義手の停止輪は渡さなかった」
「なぜ」
「危険だと思った」
「切断線は渡し、停止輪を渡さなかった?」
ソウジの顔が強く歪む。
「そうだ」
「理由」
「止める方法を渡せば、装置を完成させられると思った。危険な部分だけを小分けにして、全体を隠せば安全だと」
「逆」ロロ。
「逆だった」
「また秘密を小分け」とハル。
「その結果が、ニア?」
「結果の一部」ニアが言う。「私の選択を、彼の結果へしないで」
「ごめん」
「私へ?」
「今の言い方へ」
「受領。過去の謝罪とは分離」
「家族みたいだな」とソウジ。
「父親ぶるな!」ロロとハルが同時に言う。
二人は顔を見合わせる。
「そこ似てる」とエリア。
「増やすな!」
協議が終わるころ、翠獣環から伝拍札が届いた。
細い骨板へ、長短の傷が刻まれている。
ネムの符号。
エリアが一拍ずつ読む。
『東路、高路、分岐後も別路を維持。高路はさらに三班。合流日は春第三雨。来られない者を裏切りと呼ばない。足跡を残す。』
「群れ、増えて分かれてる」とハル。
「分かれたから増えたわけではない」とエリア。「以前から違った歩調が、見えるようになった」
追記。
『ガンガ、寒いと申告。記録。』
「そこまで送る?」カイル。
「大事件」とロロ。
「元王候補が弱さを言葉にした」とニア。「制度変更より難しい場合がある」
「本人へ言うな」とハル。
エリアは返事を書く。
『沈没都、四図を一枚へ統合せず安定。中央単独索を切断。住民反対記録を保持。こちらも道は分かれたまま。』
最後に一行。
『再会一。関係、未決。』
「書くの!」ハル。
「名前はない」
「俺だって分かる!」
「ネムには」
「分かる!」
エリアは送信札を閉じる。
「未決を、失敗として隠さない」
「……それは、いい」
遠い群れは二つ、三つへ分かれた。
沈没都の地図は四枚のまま残った。
ハルと父の関係も、一つの言葉へ決まらなかった。
違う道があることは、別れの証拠ではない。
同じ道へ戻らないことも、裏切りとは限らない。
【現実/第四水門外郭・古い桟橋/覚醒/協議終了から一時間】
ハルは、父と二人にならなかった。
少し離れた場所にエリアがいる。
路図は出していない。
ただ、戻り口と現在の足下を確認できる位置へ座っている。
ノクスは桟橋の柱で眠っている。
眠っているように見えて、二本尾の先だけが別々の方向を向く。
ソウジは海を見ていた。
頭上にある海。
今は桟橋の横へ流れている海。
四十一年間、町を隠し、守り、沈めた海。
「寒い?」ハル。
「少し」
「申告できるんだ」
「ガンガの伝拍を聞いた」
「真似?」
「学習」
「格好よく言うな」
ハルは赤いマフラーを触る。
元はソウジのものだった。
父が失踪する前、配達の寒い朝に貸し、そのまま置いていった。
ソウジの視線が、そこへ一度行く。
「返さないから」
「言ってない」
「顔に書いてある」
「証拠能力のない観察だ」
「セレナの言葉を使うな」
「いい仲間だな」
「父親の評価、いらない」
「観察も?」
「今は」
「期限」
「決めてない」
「保留」
「それでいい」
同じ言葉を、ロロとニアも使った。
関係を決めないための言葉。
決めないまま放置する言葉ではなく、次に聞くまで勝手に決めない言葉。
「母さんのこと」とハル。
ソウジの姿勢が、一センチ縮む。
「うん」
「まだ好き?」
「好きだ」
「その答え、母さんへ役に立つ?」
「立たない」
「じゃあ何で言った」
「聞かれたから」
「正直ならいいと思ってる?」
「正直でも、相手へ負担を渡すことはある」
「分かってるじゃん」
「分かるのが遅かった」
「遅いで済む?」
「済まない」
「戻ったら、どうする」
ソウジは海へ目を戻す。
「戻れると決まっていない」
「また逃げる」
「事実条件」
「今の質問は、戻れた場合」
「……ナツミが会うか決める。会わないなら従う。手紙を受け取るかも、読むかも、返事するかも、彼女が決める」
「それから」
「生活費の不足分を調べる。失踪扱いの手続。店の借金。俺の戸籍がどうなっているか」
「英雄の帰還じゃない」
「釣り銭からだと思う」
「母さんの店で、絶対間違える」
「数字は得意だ」
「地球のお金をアステリア通貨へ換算するから間違える」
「ありそうだ」
ハルは、父が母の配送店で釣り銭を間違える姿を想像する。
想像できた。
想像できたことに、胸が痛む。
「戻ってほしい?」ソウジ。
「聞くな」
「なぜ」
「俺が帰ってほしいって言ったら、母さんもそうだと思うだろ」
「思わない」
「前も、そうやって家族を一個にした」
ソウジは答えない。
「俺は、会いたかった。今も、生きててよかった。母さんがどう思うかは知らない。俺の答えを、母さんへ配るな」
「分かった」
「焦ってる時の――」
「分かっていない。覚える」
「それならいい」
桟橋の古い灯りへ、骨透け魚が集まる。
透明な身体。
四方向へ移る内臓。
ソウジは魚を見て言う。
「地球の水族館へ連れて帰ったら、人気が出そうだ」
「死ぬ」
「環境を作れば」
「また連れてく前提」
「観察だけ」
「言い直しが速い」
「訓練中」
ハルは配達鞄から、端の石を一つ出す。
これまでの空域で拾った石。
町の端、船の端、国境の端。
「ソウジも、石を拾ってた?」
「道の端を裏返した」
「母さんから聞いた」
「お前も?」
「拾う。戻さない」
「なぜ」
「戻る道が同じとは限らないから」
「道は一個じゃない」
ソウジの口癖。
ハルは即座に返す。
「その言葉で、帰らない道を正解にするな」
ソウジの義手の歯車が止まる。
「……そうだ」
「第三案を探すの、悪くない。でも、その間に待つの誰」
「ナツミと、お前と、他の人たち」
「『他の人たち』ってまとめるな」
「名前を、全部は言えない」
「言えないなら、帳面に書け。忘れないためじゃなく、本人に返すため」
「書いている」
「見せる?」
「本人の許可があれば」
「今度は本当に?」
「制度へする」
「言葉だけじゃなく」
「セレナへ原本を預けた」
「それは一個」
「町の単独接触禁止。三鍵。公開請求書」
「三個」
「数えるのか」
「約束より、止める方法を数える」
ソウジが海を見たまま、少し笑う。
「ナツミに似てる」
「今は、それならうれしい」
「俺にも」
「悪い部分だけ」
「厳しい」
「八年分」
「減る?」
「時間で減らさない」
「何で」
「俺が決める」
「そうだな」
沈黙が来る。
気まずい沈黙ではない。
埋めなければならない空白でもない。
八年分の会話を、一晩で取り戻さないための沈黙。
ソウジは右手で空の時計鎖を触る。
「時計は」とハル。
「なくした」
「いつ」
「順番が曖昧だ。記録と照合してから」
「何でも記録」
「自分の記憶を信用しすぎると、人へ嘘をつく」
「母さんとの結婚記念日」
「十月十二日」
「俺の誕生日」
「八月八日」
「失踪した日」
ソウジの顔が止まる。
「三月二十六日」
「何時」
「午前五時四十二分に店を出た。六時十三分に最初の異常。そこからの順番は――」
「いい」
「聞かない?」
「今は」
「保留」
「それでいい」
父が覚えていたから、許せるわけではない。
忘れていたら、憎めば済むわけでもない。
人は、答えの出来不出来だけで関係を決められない。
「俺のこと、いつ知った」
「アステリアへ来たこと?」
「うん」
「最近。王都の救難記録に、赤いマフラーと地球製靴の少年が出た。名前は消されていた」
「誰が消した」
「分からない」
「それで、探した?」
「探した」
「会いに来なかった」
「来れば、追っている者をお前へ連れる可能性があった」
「誰」
ソウジは口を閉じる。
「今は言わない?」
「証拠を出せる範囲でない」
「また」
「まただ」
「俺が怒るの分かってる?」
「分かっていない。予測している」
「言葉が細かい」
「怒られる時ほど専門的になる」
「自分で知ってるなら直せ!」
「訓練中」
ハルは石を握る。
「次、勝手に消えるなら」
「行き先と、目的と、戻る見込み時刻を残す」
「見込みが分からなかったら」
「分からないと残す」
「連絡が途切れたら」
「途切れる条件を先に言う」
「約束できる?」
ソウジはすぐに答えない。
「必ず帰る、とは約束しない」
ハルの胸が痛む。
だが、八年前の「必ず帰る」より正しい。
「その代わり、帰れない可能性を隠さない。誰か一人へ決定を預けない。止める方法を残す」
「長い」
「生きるため」
ハルが吹き出す。
「それ、こっちで流行ってる」
「いい言葉だ」
「長い説明の後に言うと腹立つ」
「覚える」
エリアが立ち上がる。
「休憩終了?」ハル。
「違う」
彼女は海ではなく、中枢側を見る。
淡緑の瞳が細くなる。
「光が一つ増えた」
沈没都の外郭灯。
白、青、白の接岸信号ではない。
遠方通信灯。
赤。
黒。
赤。
カイルが桟橋へ走ってくる。
右籠手を左拳で二度叩く。
本気の決断前の音。
「王家の緊急線だ」
セレナ、ロロ、ニア、タラも来る。
ソウジは立とうとして、ふらつく。
「座って」とハル。
「これは」
「座って言え」
ソウジは座る。
緊急灯から、細い紙帯が吐き出される。
水中でも崩れない黒紙。
王家の赤い封印。
ただし署名欄が焼けている。
カイルが読む。
「冠都環ルーメン。王都下面区」
ロロの二本の補助腕が、まっすぐ立つ。
「下面区?」
紙帯の次の行。
『構造分離・非常手順』
その下。
『執行準備命令』
発令時刻は現在。
命令者名は、焼損。
理由欄は空白。
「偽造」とセレナ。
「現時点で不明。紙と印を検査する」
「王家線へ、正規の脈がある」とカイル。「少なくとも、正規設備から出た」
ニアが紙帯へ近づかない。
「切断対象の範囲」
「書いていない」エリア。
「残せる数」
「書いていない」
「執行時刻」
「準備命令のみ。本命令は別」
ソウジの顔から、血の気が引く。
星酔いではない。
「知ってるの」とハル。
「この符号形式を」
「何」
「次に行くなら、王都だ」
「次の行き先を勝手に決めるな」ロロ。
「目的地は決めていない」とエリア。
「今あるのは警報だけ」
ハルは紙帯を見る。
父との再会は、終わっていない。
沈没都の修理も、終わっていない。
請求書は二十日分残っている。
それでも、遠くで別の生活が、切られようとしている。
「誰が何をする」とセレナ。
「まだ言えない」とソウジ。
「知らない?」ハル。
「命令者も原因も知らない。だが、下面区を構造から分ける手順だ。危機がある」
「世界を守るため?」
「その言葉を、今は使わない」
ハルは父を見る。
少しだけ、言い直した。
「じゃあ、今分かること」
「王都の下面区へ、切離しの非常命令が出た。理由は空白。署名は焼損。執行準備段階」
「それだけ」
「それだけ」
エリアは地図を出さない。
まだ道を描かない。
カイルは命令を返さない。
まだ王命で上書きしない。
ニアは断機を開かない。
まだ切る対象を決めない。
ロロは工具箱を閉じる。
まだ直せると約束しない。
セレナは紙帯を封緘する。
まだ犯人も真相も書かない。
ハルは赤いマフラーを締め直す。
ほどかない。
父へ返さない。
だが、父の存在を、なかったことにもしない。
「ソウジ」
「うん」
「行き先を言え」
「王都」
「目的」
「切離し命令の事実確認と、下面区の救難」
「戻る見込み」
「分からない」
「分からないって、残せ」
セレナが記録札を置く。
ソウジが自分の右手で書く。
『行き先――王都。
目的――切離し非常命令の確認、下面区救難。
帰還見込み――不明。
同行、権限、出発時刻――未決。』
「未決を消すな」とハル。
「消さない」
四枚の地図は、食堂へ別々に残った。
沈没都は浮上しない。
沈みもしない。
現在の深さで、次の潮刻を迎える。
その遠方で、王都へ、下面区切離しの非常命令が発せられた。