第680話 第四章「父の第三案」後編
歴史上、世界を結ぶ橋は、最初から往来のために作られたわけではない。
軍が渡る。
税が渡る。
鉱石が渡る。
病気が渡る。
逃亡者が渡る。
恋人が渡る。
橋は、人間の目的を選ばない。
だから橋を作る者は、橋が善か悪かではなく、誰が開け、誰が閉じ、誰が渡らないと選べるかを考えなければならない。
ソウジの図面には、強度がある。
流量がある。
遠隔反応がある。
住民同意の欄がない。
撤回後の待避室がない。
地球側の連絡先がない。
「地球側へ誰が説明する」とセレナ。
「ハルを通訳に」
「俺一人で地球代表にするな!」
「代表ではない。最初の連絡役」
「母さんに説明して許可を取ったら地球が許可したことになる?」
「ならない」
「日本政府?」
「接触方法がない」
「海上保安庁?」
「権限範囲が不明」
「だから今すぐ恒久?」
「接続しなければ、接触方法そのものが消える」
「方法を残すために、相手へ方法を選ばせず開く」
「そうなる」
ソウジは否定しない。
「それでも、閉じるよりましだと考える」
「何人助かる」ニア。
「不明」
「何人死ぬ」
「不明」
「切断派は少なくとも数を出す」
「未知を零にする数字より、不明を残す」
「不明を残した計画を強行する」
「何もしないことも強行だ」
ニアとソウジは似ている。
一方は切る第三案。
一方はつなぐ第三案。
どちらも、動かない時間を他者へ払わせることを嫌う。
その嫌悪が強すぎて、他者が考える時間まで奪う。
「父さん」とハル。
ソウジが見る。
「俺を艇へ移すつもり?」
「零星針があれば、地球側座標を固定できる」
「やっぱり」
「必要とする」
「断ったら」
「別の方法を探す」
「帰れなくなるかもって言う?」
「事実としては」
「言うな」
「脅す意図は」
「意図じゃない。俺が一番弱い所へ事実を置くな」
ハルは赤いマフラーを締め直す。
ほどかない。
結び目はそのまま。
「帰りたい。母さんに会いたい。店へ戻りたい。カレー味の揚げパン食いたい。地球の電車に乗りたい」
「うん」
「でも、それで俺が零星針を持ってこっちへ移れば、俺の帰りたいが計画の許可に使われる」
「使わない」
「使われる。新聞にも、記録にも、父さんの頭の中にも。『地球人のハルが協力した』って」
「なら異議を記録する」
「異議つき参加でも、艇に乗ったら動力になる」
「そうだ」
「乗らない」
ソウジの顔は変わらない。
義手の親指だけが、一回転する。
「分かった」
「分かった顔が腹立つ」
「では、分からない」
「それも腹立つ!」
「どう言えば」
「残念って言え」
「残念だ」
「怖いって」
ソウジは黙る。
無方向薄層が移動する。
艇が揺れる。
「怖い」と父。
「何が」
「おまえが私と同じ計画へ乗れば、帰せるかもしれない。乗らなければ、帰す道を失うかもしれない。その時、自分が『だから従えばよかった』と思うことが」
「俺のせいにする自分が?」
「そうだ」
「じゃ今、乗らない」
「理由が増えたか」
「父さんが後で俺のせいにしないため」
「優しいな」
「違う。俺が父さんを殴る理由を増やさないため」
「それは助かる」
「まだ一発分ある」
「受領」
「許可したみたいに言うな!」
セレナが咳払いする。
「暴行予告は記録します」
「今の流れで?」
「親子関係を法の外へ置きません」
終端艦の切断刃が、半円から三分の二円へ広がる。
残り十八分。
ソウジは図面を閉じる。
「私は中心へ行く」
「恒久接続を強行?」ハル。
「境界固定を始める。恒久化は、現地値で判断する」
「誰と」
「私が」
「それが駄目だって話!」
「聞いた」
「聞いて強行!」
「切断艦より先に固定しなければ、検証時間もなくなる」
「固定だけ?」エリア。
「約束できる範囲は、次の二周期。管径一。圧力測定。恒久化しない」
「二周期後」
「再判断」
「自動継続しない?」
「しない」
「記録」とセレナ。
ソウジは左ではなく右手で署名する。
義手でない方。
「二周期。管径一。測定のみ。自動継続なし」
「違反したら」とハル。
「潮骨笛の操作権を放棄する」
「誰へ」
「共同保管者へ」
「逃げたら」
「追え」
「言われなくても」
「知っている」
「分かった顔!」
薄層が崩れる。
重力が地球側へ傾く。
接舷索が床になる。
ハルたちはゼロスター号へ戻る。
ソウジは測量艇へ残る。
「ハル」
「一回」
「一回でいい。来ないことを選んだおまえを、置いていかれたとは言わない」
ハルは足を止める。
父は十五年前、必ず帰ると言って消えた。
今度は、追ってこいと言わない。
置いていくとも言わない。
「俺も」とハル。「父さんを止めることを、見捨てるって言わない」
ソウジの目が伏せられる。
笑う直前の癖。
だが笑わない。
「受ける」
「それは許すって意味じゃない」
「聞いた」
測量艇が離れる。
潮骨笛を中央へ向ける。
ハルは父の船へ移らなかった。
同じ道を探す者と、同じ計画へ従うことは違う。
親子は別々の船で、同じ裂け目へ進んだ。