第682話 第五章「切断派の艦隊」後編
第五切断艦は、地球側境界へ六本の固定杭を射出した。
砲撃ではない。
白い杭は裂け目の縁へ刺さり、何も爆発させず、何も燃やさない。
ただ、動く境界を止める。
一番杭。
二番杭。
三番杭。
地球の水平線が、少しずつ傾く。
「固定率二十七」とエリア。
「ソウジの測定、あと一周期」とセレナ。
「父親は約束守ってる?」ロロ。
「管径一。笛孔追加入力なし。今のところ」とセレナ。
「今のところって、信用の一番安い売り文句」
「信用は売買品ではありません」
「だから高いんだよ」
ハルは船縁から地球側を見ている。
灯台。
防波堤。
その手前へ、黒い影が一つ滑り込む。
「船」
白い小型船。
地球の船だ。
船首へ橙色の帯。
屋根に赤い回転灯。
ハルの身体が先に知る。
「海上保安庁」
「何」とカイル。
「海を守る役所。救難、取締り、事故対応」
「王都警備隊と救難隊を足したもの?」
「たぶん。王子はいない」
「王子がいない制度は、だいたい健全だな!」
「自分で言う?」
地球側の船から、無線が飛ぶ。
『……こちら……巡視……異常海域……応答……』
「返せる?」エリア。
「日本語なら」
「通るかは」
「やる」
ロロが地球式周波数へ合わせる。
正確には合わせられない。
ソウジの旧式受信器に残る帯域を探り、アステリアの通信晶を振動板へ押し当てる。
「壊れたラジオに宝石くっつけてる」とハル。
「技術説明を貧しくすんな!」
「豊かな言い方」
「異文化帯域変換」
「壊れたラジオに宝石」
「修理代二倍!」
雑音。
「こちら、凪野ハル。聞こえますか」
自分の名前を日本語で言った。
それだけで、声が八年前へ戻りそうになる。
『……子供……どこ……』
「空です」
『位置を』
「説明できません。海の上に裂け目。近づかないで。あと、そっちの時間、何年何月」
セレナが顔を上げる。
エリアの地図針が止まる。
返答は雑音に削られた。
『二〇……年……七月……』
数字の中央が消える。
ハルがこちらへ来た年から、何年進んでいるか分からない。
同じ年かもしれない。
違う年かもしれない。
『……沿岸、避難開始……君は……日本人か』
「はい。凪浜市、東商店街、凪野配送の――」
四番杭が刺さった。
地球側の音が切れる。
「ハル!」エリア。
「聞こえなくなっただけ!」
「呼吸」
「できてる!」
「回数」
「……多い」
「座って」
「まだ」
「命令じゃない。腰索を持って。私が通信線を探す。手伝って」
具体的な役割を一つ。
ハルは索をつかむ。
走らないためではない。
走るなら、どこへ戻るかを身体へ残すため。
『地球側船舶一。生体反応推定六』と終端艦。
「計算更新」とニア。
『地球側既知人員、六以上。切断面から退避を勧告する』
「通信を切ったのはおまえたち」
『固定杭による帯域遮蔽。次周期で一時開放する』
「開放前に五番杭」
『予定どおり』
「船が退避できるまで延期」
『延期四十八秒で、王都側追加浸水一万八千立方。下面区仮設居住四区へ退避命令が必要』
数字が出る。
地球の六人。
王都の四区。
切断派の強さは、数字を出す速さにある。
数字のない感情が遅れている間に、判断が終わる。
「王都四区の人数」とセレナ。
『二千四百一』
「退避可能率」
『七十三』
「不可能者」
『六百四十八』
「地球六人を待つと、六百四十八人が危険?」ハル。
『確率上昇。死亡六百四十八ではない』
「言葉、正確だな」
『正確さは免責ではない』
また正しい。
ハルは歯を食いしばる。
「こいつら、正しいこと言うから嫌い」
「間違った敵より扱いが難しい」とカイル。
「王子の敵はだいたい正しいの?」
「税率の話をする時だけ!」
「笑わせるな、集中切れる」
「笑ったのか?」
「笑ってない」
「否定が速い!」
ニアは二つの数字を見る。
六。
二千四百一。
かつての彼女なら、比較する。
今の彼女も比較する。
比較しないと言えば嘘になる。
「四区を先に動かす」とニア。
『四十八秒では完了しない』
「完了させない。床から高所へ。水密扉を閉じない。流入を通路へ逃がす」
『その場合、隣区へ負荷』
「隣区の荷重空間を使う」
『承認者がいない』
「住民三鍵」
「届く?」ハル。
「サラ・リムへ回す」
下面区の生存台帳を管理する女。
代表と呼ばれる前に、反対と保留を読む人。
通信がつながる。
『聞いてる。四区を濡らすか、地球を切るかって話にするな。濡れる部屋を選ばせろ』
「選択時間三十秒」ニア。
『短い』
「短い」
『でもゼロじゃない。空き工房二十三、貯水庫五、住居十一。住居は除外。工房は持ち主へ一斉確認。返事なしを賛成に数えない』
「時間内に集まる?」
『集まった数だけ使う』
「不足分」
『王都上層へ返す。下だけで払わせるな』
カイルが即答する。
「王宮西倉庫を開けろ。式典用浮力樽、全部下面へ」
「許可」とセレナ。
「王太子命令」
「非常権限の終了時刻」
「四十分。延長なし。記録公開」
「受領」
「許可に聞こえるな、それ!」
「聞きました」
四十八秒を買うため、王都が動く。
地球の六人を救うためではない。
王都二千四百一人を救うためだけでもない。
二つを比べる前に、比べる必要を減らすため。
第三案とは、美しい発想ではない。
不足する手、濡れる床、開ける倉庫、責任の終了時刻を増やす、面倒な作業である。
第五切断艦が五番杭を止めた。
『延期四十八秒を承認』
「承認者」とニア。
『艦内三鍵。統制、圧力、救命』
「名前」
『作戦中は役職記録』
「終わったら」
『全名を監査へ』
「被害者側へ先に」
『規程外』
「そこが違う」
『戻れば改訂提案できる』
「戻らない」
終端艦の通信音が低くなる。
『最終確認。ニア・ピクス。職籍復帰、医療装具、過去作戦の再審査、現場指揮権を用意する。あなたは切断を知っている。知らない者に任せるより被害を減らせる』
「正しい」
ロロがニアを見る。
エメの通信も黙る。
「正しいから、戻らない」
『論理を』
「私が戻れば、また『ニアがいるから切断は安全』になる」
『監査を置く』
「監査を選ぶのは議会」
『外部監査を増やす』
「被害者に停止鍵を渡す?」
『検討する』
「今、渡す?」
『作戦中』
「作戦中に渡せない鍵は、作戦を止めない」
『あなたがいなければ、止める精度が下がる』
「私がいない制度を作れ」
『その間に死者が出る』
「出る」
ニアは言い切る。
「私がいても出た。私がいれば減るかもしれない。だから戻りたくなる。戻って、全部自分で数えたくなる」
右手の指を開く。
動く。
触覚はない。
「それをやめる」
『感情を理由に職務を放棄するのか』
「感情も入力する。独占しやすい性格、過去の成功体験、被害者との非対称、弟を救いたい偏り。全部、適性の欠陥」
「弟を救いたいは欠陥じゃねえ」とロロ。
「判断を一人で持つ理由にしたら欠陥」
「そこは……そう」
『職籍抹消を正式に申請するか』
「申請ではない」
『制度上、受理が必要だ』
「所属は契約。終える側を一方だけにしない」
ニアは髪から銅線を一筋抜く。
終端議会の生体補助回路。
かつて六本の機械腕へ命令を通した、細い帰属線。
歯で被膜を剥ぐ。
右手では熱が分からない。
左手も二。
「ロロ坊。温度」
「言い方」
「ロロ。温度を」
初めて、坊を外す。
ロロの二本腕が同時に止まる。
「……高い。素手で持つな。絶縁鉗子、左」
「貸して」
「返せよ」
「返却期限」
「境界事故が収束するまで」
「長い」
「じゃ作戦終了まで!」
ロロから工具を受ける。
ニアは銅線を切らない。
端子を外す。
切れば戻せない。
外せば、再接続には双方の作業がいる。
「主任機関士ニア・ピクス。職籍終了を通知。抹消の受理を待たない。過去の責任、審理義務、資料開示義務は終了させない。指揮権と免責提案だけ拒否」
セレナが記録する。
エメが被害者側証人になる。
バズが停止条件を読む。
「ただし、再接続条件は?」
「被害者鍵。任期。公開監査。単独切断不可」
「四つ。多い」
「少ない」
『通知を確認』
第五切断艦の声。
『現時点より、あなたを外部技術者として扱う。作戦妨害時は拘束対象』
「受領」
『許可ではない』
「聞いた」
敵同士の言葉が、少し似る。
似たから仲間になるわけではない。
だが、相手の言葉を覚えることは、相手を切り捨てない最初の作業でもある。
四十八秒。
下面区の空き工房、承認十四。
貯水庫、三。
王宮浮力樽、百二十。
地球側巡視船、境界から二百メートル退避。
通信が一瞬戻る。
『……凪野……聞こえる……離脱する……沿岸封鎖……』
「了解! 近づかないで! 必ず説明を――」
言い切る前に切れる。
約束を言いかけた。
ハルは口を閉じる。
「必ず、は言わなかった」とエリア。
「うん」
「説明する意思は」
「ある」
「記録する」
四十八秒が終わる。
第五切断艦の五番杭が刺さる。
六番杭が続く。
白い翼が、地球の海を円く囲む。
「固定完了」とニア。
「切断まで」とカイル。
「五分四十」
灯台の光が回る。
白い円の隙間から、一度だけこちらを照らす。
次の一周では、光の幅が半分になった。
地球側境界が閉じ始める。
まだ刃は落ちていない。
まだ海は切られていない。
それでも故郷は、空から消える準備を始めていた。