第692話 第十章「同じ秘密計画に従わない」後編

 一号測量艇の甲板で、父子の手は同じ管へ縛られたままだった。

 ソウジは右手だけで、制御卓の引出しを開く。

「何」

「圧力逃がしの手動鍵」

「どこへ逃がす」

「測量艇後部」

「船が裂ける」

「三秒なら耐える」

「その間に五番を外す?」

「そうだ」

「限定路へ切り替える?」

「大径入力を止めるだけ」

「止めた後」

「境界値を見て決める」

「また一人で」

「決めない。値を共有する」

「共有した後、反対されても?」

「破局が迫れば動く」

「それが一人!」

「動かない責任を誰が負う」

「全員」

「責任が分散すれば、誰も動かない」

「父さん一人へ集めたら、他の人が止められない」

「止めている」

「俺が物理で!」

「機能している」

「制度として評価すんな!」

 ソウジは手動鍵を渡す。

「三秒」

「共同?」

「私が逃がす。おまえが五番。セレナが時間。ロロが圧」

「停止」

「誰か一人」

「再開」

「全員」

「そこはいい」

「始める」

「待って」

「何」

「紐」

 二人の手を結ぶ配達紐。

「外さないと動けない」

「外したら父さんが勝手にやる」

「結んだままでは、二人とも同じ範囲しか動けない」

「それで」

「おまえが五番へ、私が後部鍵へ届かない」

「長くする」

 ハルは結び目をほどかない。

 ほどけば、最初の条件が消える気がする。

 別の紐を足す。

 結び目と結び目をつなぐ。

「一本で長くしないのか」

「切れた時、全部ほどける。一節ずつ」

「配送の方法」

「父さんが教えた?」

「私は海上測量で使った」

「俺は母さん」

 二人の技術は似ている。

 誰から受け継いだかは違う。

 親子の似た動作を、血だけで説明するのは簡単である。

 だが人の手は、毎日一緒に働いた相手にも似る。

 ハルの結び方には、待ち続けながら店を回した母の時間が入っている。

「できた」

「三秒」

「セレナ!」

『計時。開始は私の三』

「一」

 父が手動鍵へ。

「二」

 息子が五番管へ。

「三」

 後部弁が開く。

 白い圧が測量艇の後ろへ噴く。

 船が前へ跳ぶ。

 巨大落水柱の中心へ突っ込む。

「五番!」ロロ。

 ハルは留め輪を回す。

 半回転。

 配達紐が締まる。

 父の義手が引かれ、後部鍵から離れかける。

「止める?」ソウジ。

「続ける!」

『二秒!』

 圧が甲板板をめくる。

 一本。

 二本。

 板が空へ飛ぶ。

 下が変わり、地球側へ落ちる。

「三秒!」

「閉じろ!」ハル。

 ソウジが弁を閉じる。

 ハルが五番管を引き抜く。

 外れる。

 白い圧が一瞬、彼の右手を覆う。

 手袋が裂ける。

 皮膚へ細い白線。

「手!」セレナ。

「動く!」

「感覚」

「熱い!」

「正常ではありません!」

「痛いからある!」

 五本の外部管のうち、二本が止まる。

 大径入力が四十まで落ちる。

 巨大落水柱が細くなる。

 境界圧、八・四。

『新規値確認』第五切断艦。

「発射止めろ!」

『三鍵審査を更新。異議窓、十五秒』

「増えた!」

「借りた」とニア。

 ソウジがハルの右手を見る。

「冷却」

「後」

「今」

「父さんも星酔い」

「数値」

「義手歯車、さっき二十秒止まった。今、左瞳が揺れてる」

「観察したか」

「父親見るなって言われても見る」

「誰に」

「誰にも。俺が」

 ソウジは否定しない。

 測量艇の甲板が傾く。

 彼の右膝が一度、床へつく。

「父さん!」

「星位が二重」

「吐き気」

「三」

「視界」

「左が一拍遅い」

「操縦するな!」

「自動」

「自動が父さんの計画へ向かってる!」

 ハルは父の腰索を取る。

 ためらう。

「触るぞ」

「頼む」

 無断で支えない。

 腰索を制御卓の低い位置へつなぐ。

 星酔いで上下を失っても、身体が船外へ出ない高さ。

「右を見ろ」

「おまえ基準?」

「父さん基準」

「どちらだ」

「父さんから見て右!」

「学習したな」

「今言う?」

 ソウジが右を見る。

「灯台、見える?」

「白い光」

「十二秒」

「今は十四に見える」

「星酔い。時計見ろ」

「分かった」

「分かった顔するな」

「どう言えば」

「怖いって」

「怖い」

「何が」

「視界が戻る前に、境界が変わること」

「計画を止めたくない?」

「そうだ」

「俺が落ちることより?」

「比較しない」

「したくないだけ?」

「比較すれば、どちらかを選んだ自分が残る」

「もう選んでる」

 ソウジは、答えない。

 ハルは冷却布を父の首へ当てる。

「助けたから従え、って言わない」

「言われても従わない」

「そこは似てる」

「嬉しい」

「今言うな」

 星酔いが一段下がる。

 ソウジはハルの右手へ冷却液をかける。

「痛い!」

「熱傷二度未満」

「優しく!」

「冷却は早い方が」

「言い方!」

「すまない。痛いな」

「遅い!」

 父が息子を治療する。

 息子が父を固定する。

 その間も計画は対立したままである。

 看病は和解ではない。

 救命は服従でもない。

「ハル」とエリア。

 通信に、呼吸の浅さが混じっている。

「呼吸」

『五。踵、七。路図はニアへ一部委譲』

「ニア、地図使える?」

『使えない。線の更新値だけ読む』ニア。

「それ委譲?」

『判断を分けた』エリア。

「限定路、どう」

『入口枠、完成。流体出口、修理待ち。通信窓は維持。撤回線、二重』

「人は」

『試さない』

「うん」

『帰りたい?』

 同じ問い。

「帰りたい」

『今、戻る?』

「戻る」

 どちらの意味か、二人は分かる。

 地球へではない。

 ゼロスター号へ。

「父さんを止めてから」

『あなたが止める?』

「一人じゃない」

『正確』

「手伝って」

『何を』

「父さんの図面に、足りない欄を全部見せて」

『路図で?』

「父さん、線は見る。言葉は聞いても、図面へ入れない時がある」

 ソウジが隣で聞いている。

「本人の前で言うな」と父。

「本人に言ってる!」

 エリアが、測量艇の甲板へ淡緑の文字を投影する。

 住民同意。

 地球側の連絡主体。

 アステリア側の管理主体。

 接続期限。

 終了条件。

 撤回手順。

 途中にいる者の退避室。

 記録公開。

 費用負担。

 病原隔離。

 軍事利用停止。

 接続しない地域の権利。

 帰る道。

 戻る道。

 再参加。

 拒否しても救命を失わない条件。

 空欄が、ソウジの図面を埋める。

 正確には、埋めない。

 空欄として見えるようにする。

「多い」とソウジ。

「世界二つだぞ」とハル。

「全てを接続前に決めるのは不可能」

「全部決めろじゃない。決めてないって書け」

「書いてある」

「図面の端!」

「注記」

「一番大事なのを小さい字にするな!」

「図面の中心は構造」

「構造の外に人を置くな!」

「人の全てを構造へ入れれば、構造が読めない」

「じゃ別紙を中心に並べろ!」

「中心が複数になる」

「それでいい!」

 エリアの光が、図面を囲む。

 構造図。

 同意図。

 撤回図。

 救難図。

 費用図。

 一枚の美しい図ではない。

 重ねると、線が多すぎて見えにくい。

「見えない」とソウジ。

「一人で全部見るから」とハル。

「誰がどれを見る」

「構造は父さんとロロ。道はエリア。法はセレナ。圧はニアとエメ。生活はサラたち。地球は向こうの人。俺は――」

「おまえは」

「地球側の一人。代表じゃない」

「座標鍵」

「ならない」

「零星針が」

「使わない」

「使えば安定率が」

「使わない!」

 ハルは羅針盤を配達鞄へ入れる。

 蓋を閉じる。

 親指で弾かない。

「俺の能力を、地球人だからって橋の杭にするな」

「おまえ自身が望んでも?」

「今の俺は望んでない」

「将来」

「将来の俺へ聞け」

「今、聞けない」

「だから使うな!」

 図面の地球側座標欄が、空白になる。

 ソウジはそこを見る。

 左の義手が、無意識に動きかける。

 ハルとの紐が締まり、止まる。

「父さん、手」

「分かっている」

「今、零星針を取ろうとした」

「取っていない」

「取ろうとした」

「思考は行動ではない」

「そう。だから責めない。でも手が動くぐらい、計画が身体に入ってる」

「おまえも、帰還門を見て飛びかけた」

「止めてもらった」

「自分で戻った」

「両方! 索を引いたのはみんな!」

「なら私も」

「引かせろ!」

 ハルは帰り線を父の腰へ結ぶ。

「ゼロスター号へ」

「私は艇を離れない」

「帰る先を決めるなって言ったの父さんだろ」

「私の帰る先はここだ」

「じゃ停止索。計画から戻る線」

「比喩では機械は止まらない」

「物理だよ!」

 淡緑の線が、ソウジの制御輪へ巻きつく。

 エリアの路図。

 制御輪が一定角度を越えると、線が切断信号を全船へ送る。

「一者停止」とエリア。

「勝手に図面へ」ソウジ。

「あなたが他者の天鍵共鳴を勝手に使ったから、同じことをしていいとは言わない」

「なら」

「今、緊急停止。期限十五秒。継続には、あなたを含む三鍵」

「誰の権限」

「現場救難。終了時刻、十五秒後」

「その後」

「再交渉」

「十五秒では」

「十五秒で決めない。十五秒、決めずに止める」

「停止も決定だ」

「そう。だから私一人では延長できない」

 ソウジは路図を切らない。

 切れる。

 星晶義手の刃を出せば一瞬である。

 だが切らない。

「十五秒」と彼。

「聞いた」とエリア。

 ハルは父の顔を見る。

「今、従った?」

「緊急停止に」

「俺たちの計画へ?」

「まだ」

「それでいい」

 十五秒。

 大径入力が四十から二十八へ落ちる。

 巨大落水柱が細くなる。

 境界圧、八・二。

 第五切断艦の三鍵審査が止まる。

『新規安定値を確認。異議窓を二十秒へ延長』

「二十!」ハル。

「借りた」とニア。

「返すの、成功で!」

 オルロイ号からエメ。

『逆潮側圧痛、五から四。出口修理の作業籠を入れられる』

「位置」とロロ。

『落水柱内周、ソウジ艇後方十九。静止点ではない。毎潮刻、右へ七』

「動く作業台!」

「今まで止まった工房しか使ったことない?」ハル。

「あるけど、工房ごと海に落ちた時だけ!」

「経験ある!」

「二度やりたくねえ!」

 ニアが作業籠へ入る。

 ロロも続く。

 二人の間に、工具箱を一つ。

「工具交換、忘れるなよ」とハル。

「今言うな!」

「忘れそうな顔!」

「顔で工程を増やすな!」

 作業籠が落水柱へ射出される。

 ゼロスター号は籠を追う。

 第五切断艦は照準を維持。

 一号測量艇は十五秒の停止から、再び選択へ戻る。

「ソウジ」とセレナ。

『聞いている』

「緊急停止終了。大径入力を再開する場合、現場三鍵を要求」

「同意しない」ソウジ。

「単独再開?」

「境界圧が八・五を越えた場合」

「誰が判断」

「測定値」

「操作者」

「私」

「単独」

「そうなる」

 ハルが首を振る。

「まだ同じ」

「時間は増えた。条件は変わった」

「父さんは変わってない」

「変わることを条件にするな」

「変わらなくていい。従わない」

「止める?」

「止める」

「私を」

「計画を」

「分けられるか」

「分ける。父さんを海へ落とさない。艇も壊さない。図面も残す。大径だけ止める」

「難しい」

「簡単な止め方は、切断艦が持ってる」

 ソウジが終端艦を見る。

 白い砲口。

「嫌か」とハル。

「嫌だ」

「俺も。だから、小さく止める」

 境界圧が、八・三。

 八・四。

 ソウジの右手が制御輪へ伸びる。

 路図の停止索が光る。

「三鍵なし」とセレナ。

「八・五で動く」とソウジ。

「今、八・四」とハル。

「上昇中」

「待て」

「何秒」

「十二」

「根拠」

「ロロが出口へ着く」

『到着十』ロロ。

「十二待って」

「八・七になる」

「その時、修理開始」

「失敗すれば」

「切断艦が撃つ」

「地球が」

「だから失敗させない」

「成功を前提に」

「父さんも自分が失敗しない前提!」

 八・四五。

 八・五。

 ソウジの手が輪へ触れる。

 ハルは手を重ねない。

 平金を、制御輪の歯と歯の間へ差し込む。

 工具ではない。

 安い荷箱用の平金。

 回せば曲がる。

 強く回せば折れる。

 折れた破片が制御卓へ入り、全体を壊す可能性がある。

 だからソウジは回せない。

「壊す気か」

「回さなければ壊れない」

「八・五」

「あと九秒」

「責任を」

「俺も持つ。でも一人で持たない」

「その平金が折れたら」

「修理代、俺」

「世界の」

「世界の修理代は、全員で請求先を決める!」

 八秒。

 作業籠が潮骨笛の下へ着く。

 七。

 ニアが黒刃を出す。

 六。

 ロロが三歯の再機輪を構える。

 五。

 第五切断艦の砲口が白くなる。

 四。

 地球の灯台が一度、裂け目を照らす。

 三。

 ハルは数えない。

 跳ぶ前ではない。

 助けを求める時でもない。

 今は待つ時である。

 二。

 境界圧、八・六。

 一。

『修理開始』ロロ。

 その瞬間。

 第五切断艦の通信が変わった。

『固定杭二番、偏位二・一。地球側根、急拡大。停止条件成立』

「待て!」ハル。

『本艦三鍵、発射決定』

「修理が始まった!」

『開始は成功ではない』

「十二秒!」

『地球側根が十二秒保たない可能性』

「可能性!」

『だから撃つ』

 白い砲口から、音のない光が出た。

 砲撃は、炎ではなかった。

 空と海の間へ一本の「切れている」という結果を先に置く。

 遅れて、現実がその結果へ追いつく。

 最終切断砲。

 白い線が、地球側境界根へ走る。

 ハルとソウジの間で、潮骨笛が鳴った。

 父の計画は止まり切っていない。

 姉弟の修理は始まったばかり。

 エリアの限定路はまだ人を通していない。

 論理は、間に合った。

 選択も、言葉も、証拠も揃った。

 それでも物理は、待たない。

 世界を切る光が撃たれた。