第716話 第十章「消えた住民を数える」後編
【現実/白峡谷・下橋口避難庫/覚醒/同日・夜】
避難庫へ、四十三枚の木札を並べた。
一枚ずつ、本人へ聞く。
アムナは質問を変えた。
「名前。もう一度」ではない。
「何を、覚えてよい?」
最初の人。
「人数」
「一」
「位置」
「今夜だけ、下橋口避難庫」
「呼称」
「薬袋」
「期限」
「薬を渡すまで」
「公的名」
「戻したい。医療と家族だけ」
「公開」
「村内」
「検索」
「なし」
「口承」
「娘へ」
アムナは、一人分を一行へまとめない。
人数は木札。
位置は配送票。
呼称は紙。
公的名は封筒の内側。
公開条件は壁板。
口承先はウルの結び目。
二人目。
「人数だけ」
「呼び方」
「いらない」
「医療」
「吸入薬」
「公的名」
「戻さない」
「生活権」
「配給と通行」
三人目。
「全部戻して」
「公開も?」
「公開も」
「期限」
「一月後に聞いて」
「なぜ」
「今は、消されたことへ腹が立ってる。怒りが収まったら変えるかもしれない」
「怒って決めたらだめ?」
「怒りも私。でも、私の全部じゃない」
アムナはそれも書く。
決定理由は公開しない。
再確認期限だけ。
四人目。
「名は夫へだけ」
五人目。
「死後は公開」
六人目。
「死後も非公開」
七人目。
「村の歌には入れてよい。文字へは書かない」
八人目。
「文字だけ。声にしないで」
九人目へ進む前に、ロロが札を数え直した。
「四十四」
「実数四十三」とセレナ。
「俺の札は四十四」
「私の位置表は四十二」とエリア。
「私の記憶は四十三」とアムナ。
「全員違う!」ハル。
「違うから照合できる」とセレナ。
「今、その言葉を便利に使ってない?」
「便利でも正確です」
三つの数を一つへ平均すれば、四十三になる。
だから四十三が正しい、とはならない。
誤り同士を足して正答へ近づくことはある。
しかし、誰を二度数え、誰を落としたかは平均では分からない。
「ロロ、札を置いた順」とセレナ。
「上橋口から。踵、爪先、杖、薬袋――」
「二十五と二十六」エリア。
「背高二、背高三」
「同じ人?」
「違う。俺の目では」
「根拠」
「靴幅」
「札へ書いていない」
「頭で」
「頭の記録は公開条件がない」とアムナ。
「今だけだ!」
「今だけも条件」
「訂正する!」
ロロは札へ靴幅を刻む。
背高二、靴幅広。
背高三、靴幅細。
別人。
「重複は別」とエリア。
彼女の位置表を広げる。
中央塔から十二、老人。
中央塔から十三、籠。
中央塔から十四、空欄。
十五、爪先。
「十四が空」ハル。
「揺れた時、位置を移した。線を引き直す前に救助が進んだ」
「落とした人?」
「そこにいた人は、十五へ動いた可能性」
「誰」アムナ。
「呼称なし。顔は覚えている」
「顔の特徴」
「右頬に縦の皺。上着の留めが二つ」
避難庫を探す。
右頬に縦の皺、上着の留め二つ。
二人いる。
「色があれば」とハル。
「色だけで分けていたら、色が消えた今もっと困る」とエリア。
「片方、指が曲がってる」とアムナ。
「もう片方、左耳へ布」ノクスの視線を追ったハルが言う。
ノクスは二人の足元を行き来し、片方へ一声、もう片方へ二声鳴く。
「足音が違う」とアムナ。
「位置表へ、足音の型を書いてよいですか」セレナ。
一声の人は頷く。
二声の人は首を振る。
「では、あなたを位置表で区別するため、何を使ってよい?」
二声の人は、自分の袖を三度叩いた。
「袖三回」とアムナ。
本人がもう一度、三度叩く。
「期限」セレナ。
指で夜を示す。
「今夜まで」
エリアの空欄へ、袖三回。
「四十三」と彼女。
「俺はまだ四十四」とロロ。
「私が四十三で、エリアが四十三。多数決?」アムナ。
「しない」とセレナ。
ロロの札を、本人へ一枚ずつ返して確認する。
三十一枚目で、同じ女が二枚受け取った。
「右大袋と縞靴」
「私」
「二つ呼び方を使った」とハル。
「荷物を置いた後、呼び方を変えた」
「変更札を作らなかった」ロロ。
「誰の責任」アムナ。
「俺と、呼称を聞いた全員。本人へ変更手順を説明していない」
「本人は」
「間違ってない」
「自分で呼び方を変えた」
「変える権利はある。救難札が同じ人だと結べなかったのが問題」
「結び方」
「本人が持つ変更半札。旧呼称を公開せず、新札へ移した印だけ」
「今作る?」
「今は旧二枚を本人へ渡し、一枚へまとめる。本人が選ぶ」
女は「縞靴」を残し、「右大袋」を折った。
ロロの札、四十三。
「一致」とハル。
「まだ」とセレナ。
「三つ全部四十三!」
「同じ人を全員が落とし、同じ別人を全員が二度数えれば一致します」
「疑い始めると終わらない!」
「終える条件を決めます」
橋上で使った結び索の数。
下橋口を通過した足音。
避難庫の寝床。
配給水の碗。
四つ目の媒体。
結び索は四十三。
足音はノクスが四十三組を区別。
寝床は四十二。
水碗は四十四。
「また!」
寝床一つに、親子が一緒に座っていた。
水碗一つは、ノクスの分。
「ノクスも一人?」カイル。
「荷重計算では一頭」とセレナ。「配給水では一受取。住民数には含めない」
「分類差」
「はい」
「同じ数へ揃えない」アムナ。
「対象が違うから」
住民四十三。
夜獣一。
寝床四十二。
水碗四十四。
数字が違うまま、全員がいる。
「人を数えるって、一つの数を出すことじゃないのか」とハル。
「何のために数えるかで変わる」とカイル。「避難なら荷重。食事なら口。寝床なら組。投票なら権利主体」
「税なら」ロロ。
「今はやめろ!」
「王子が一番逃げる分類!」
「税制は逃げない! 後で議論する!」
「後で、は期限」アムナ。
「帰国後三十日以内!」
「記録」とセレナ。
「本当に残すのか!」
カイルは頭を抱えた。
避難庫に、笑いが戻る。
四十三人を一つの名簿へ戻さなくても、誰がここにいるかを確認できた。
ただし、確認は一度で終わらない。
朝になれば位置が変わる。
食事を取らない者もいる。
寝床を共有する者もいる。
呼び方を変える者もいる。
「更新時刻」とセレナ。
「朝食前」と住民の一人。
「毎日?」
「橋が直るまで」
「誰が数える」
「一人ずつ交代」
「中央へ送る?」
「人数と必要物資だけ。呼称は送らない」
「人数でも追跡できる」とアムナ。
「日ごとに丸める」とエリア。「四十三を、四十以上五十未満。救難荷重だけは現場へ正数」
「中央は概数、現場は正数」
「正数の保管期限、一日」
「事故調査」
「事故があった日は、本人選択の呼称なしで位置と荷重だけ保全」
「遅い」とハル。
「人が多い」と全員。
今度はアムナも同時に言った。
言葉がそろう。
全員が同じ考えになったわけではない。
同じ問題を、違う場所から見ていることだけが分かった。
同じ名でも、保存方法は同じではない。
アムナの外套は、一枚の布へ全部を書いていた。
表裏の違いはある。
しかし布ごと奪われれば、全部が一緒に奪われる。
彼女は外套を脱いだ。
床へ置く。
「捨てる?」ハル。
「違う」
「分ける?」
「本人へ聞く」
外套に書かれた名を、一人ずつ見直す。
もう会えない人もいる。
死者もいる。
所在不明もいる。
「聞けない人は」
「公開しない」とウル。
「消える」
「消さない。封じる」
「誰が持つ」
「一人では持たない」
「切る?」
ロロが工具を出す。
「本人確認できる部分だけ、袋へ分ける。確認できない部分は外套ごと封印。複写しない。開く時は三人」
「三人は誰」
「今決めない」
「また保留」
「保留も条件を書く」とセレナ。「七日以内に現地で決める。それまではアムナ一人で開かない」
アムナは外套の留めを外した。
文字が重すぎて、布が立つ。
名を守るために着た外套が、身体を動きにくくしていた。
軽くなることを、喜んでよいか分からない。
四十三人の選択を聞き終えた時、アムナは自分の分へ来た。
「何を、覚えてよい?」セレナ。
同じ質問を返す。
「人数」
「一」
「位置」
「今は、下橋口」
「呼称」
「アムナ」
「公開範囲」
「ここにいる人」
「公的姓」
「保留」
「医療接続」
「必要」
「検索」
「しない」
「封印名」
「アムナ・エクリプス」
「誰が持つ」
アムナは考える。
「私と、ウルと、もう一人」
「誰」
ハルを見る。
すぐに選ばない。
エリア。
セレナ。
ロロ。
ネイ。
誰かを選ぶことは、選ばれなかった者を信じないことではない。
役割を一つ渡すだけである。
「ロロ」
「俺?」
「魔法なしで、開ける物を作る」
「開けない物じゃなく?」
「三人なら開く。私一人では開かない」
「材料費」
「笑い話一つ」
「値上がりしてない?」
「前はレンズ。今は鍵」
「相場が違う!」
「払う」
「採用!」
「本人案を技術的に採用」とセレナが訂正する。
ロロは満足そうに頷いた。
夜のうちに、白い塔への命令経路を追う試験を始めた。
橋は落ちた。
上橋口へ戻れない。
白い塔は下橋口からさらに白峡谷の縁を二里。
エリアが紙へ管路を描く。
「医療、配給、通行の三系統は別の管に見える」
「塔前で合流」とロロ。
「なぜ分かる」
「機械音の遅れ。医療区から二十七秒。配給区から三十四。通行板から十一。距離差と一致」
「中継所」セレナ。
「二つ。峡谷東と、塔下」
「命令の向き」ハル。
「試す」
三枚の仮札を作る。
本人の名ではない。
試験用呼称。
石一。
石二。
石三。
「名前みたい」とアムナ。
「物標」とセレナ。「人へ結びつけません」
石一を医療台へ。
石二を配給台へ。
石三を通行板へ。
各台で、存在確認の手動信号を一度だけ送る。
白い塔が鳴る。
かち。
十一秒後、通行板の石三が白くなる。
二十七秒後、医療台の石一。
三十四秒後、配給台の石二。
「塔から戻ってる」とロロ。
「塔が作った命令か、中継した命令か」とセレナ。
「塔へ行けば分かる」ハル。
「橋がない」とエリア。
「下側にいる」
「塔まで白峡沿い。今夜は風が上がる」
「明朝」カイル。
「その間に何人消える」アムナ。
「公的名は消える」とセレナ。「手書きの重なりで生活権の仮運用を続ける」
「完全じゃない」
「完全を待つ間に薬が止まる」
「行く」
「今夜は行かない」カイル。
王太子の声。
アムナが彼を見る。
「命令?」
「救難隊の期限付き判断。理由は、橋救助で全員が疲労。峡谷風が夜鐘二つで最大。明朝までに仮札を全戸へ配り、出発時刻は第一光。異議は今聞く」
「私が一人で」
「却下」
「本人の身体」
「あなたの身体で、途中救助が必要になれば別の人が危険を負う」
「止める権利」
「一夜限り。第一光で失効」
「失効しなかったら」
「セレナが記録し、エリアが止め、ロロが俺を縛る」
「王太子を縛る費用は高いぞ」とロロ。
「何で嬉しそうなんだ!」
「高額案件!」
アムナは反論を探す。
見つかる。
名が消える。
薬が止まる。
塔が次を送る。
同時に、自分の記憶が混じった。
橋で子供を危険へ動かした。
眠っていない。
咳も増えている。
「第一光」とアムナ。
「第一光」とカイル。
「遅れたら」
「あなたが俺の仮札を折れ」
「王子札?」ハル。
「人間札だ!」
仮札を配る。
名前なしでも、配給へ一人を足す。
名前なしでも、医療扉の手動名簿へ一床を足す。
名前なしでも、避難計算へ荷重を足す。
完璧ではない。
中央設備はまだ拒否する。
人間が横で扉を開け、薬を数え、橋の代わりに索を張る。
生活を、朝までつなぐ。
アムナは仮眠の前に、白い塔の方角を見る。
塔へ向かう三本の管。
医療。
配給。
通行。
異なる生活が、一つの命令源へ集められている。
手書き地図の線が、三本とも白い塔を指す。
消去命令の経路は、そこへ向いていた。
原因か中継かは、まだ分からない。
分からないことを、白い塔の悪意で埋めない。
ただし、そこへ行く。
一人で全てを覚えるためではない。
何を覚えなくてよいか、誰が決められる仕組みを取り戻すために。