第719話 第十二章「自分たちの死亡記録」前編
死亡記録は、死者のために作られるのではない。
死者は読まない。
残された者が財産を分けるため。
制度が配給を止めるため。
軍が損耗を数えるため。
歴史家が戦いを終わったことにするため。
死を書いた紙は、生者の行動を変える。
だから未来の死を過去形で書いた紙は、予言である前に命令である。
人は「ここで死ぬ」と読んだ場所へ近づかない。
あるいは、その死を避けるため、紙が望んだ道へ進む。
死の記録が最も危険なのは、当たる時ではない。
当たると信じた人間が、自分で舞台を完成させる時である。
【現実/白い塔・七層排出室/覚醒/暫定台帳起動から四分】
「触るな」
セレナの声が、紙へ先に届いた。
ハルはもう触っている。
「触った」
「見れば分かります」
「落ちてきたから」
「落ちてきた物を全部拾う癖を、事件の最中だけ直してください」
「なくし物を放っておけない」
「あなたの死亡記録です」
「俺がなくした覚えはない」
「その論理で所有しないで」エリア。
「名が書いてある」
「名前が書いてあれば本人の物とは限りません」とアムナ。
昨日までなら、彼女は名のある紙を持ち主へ返すと言った。
今は違う。
「誰が作ったか分からない。何のためかも」
「成長」とロロ。
「評価しないで」
「俺じゃなくても言うんだな、それ」
セレナは薄い手袋を左手だけへ着けた。
右手首は古傷があるため、紙を押さえず単眼鏡を持つ。
「順に確認します。枚数六」
「俺たち五人とノクス」とカイル。
「ノクスも公的記録?」
「夜獣ノクス、とあります」
「ナァ」
「本人確認は」ハル。
「鳴き声だけでは」
「今は不満の声」とハル。
「翻訳を証拠にしません」
「記録形式」とエリア。
紙の上端。
事故番号。
発生時刻。
場所。
対象。
行動。
死亡確認。
処理済み欄。
「未来時制じゃない」とセレナ。
「『死亡する予定』じゃない」とハル。
「『死亡した』」カイル。
「時刻はまだ来ていない」
「どれくらい先」とロロ。
セレナは紙を並べる。
「最短で明日。最長で九日。全て近い」
「紙の年代」
「新しい。塔内の同じ紙束。切断面、排出円筒と一致」
「インク」
「塔の油墨。今朝以前に印字された可能性も、直前印字の可能性もあります」
「書いた人」
「不明」
「未来を見た?」ハル。
「不明」
「罠の計画?」エリア。
「不明」
「白い塔が作った?」
「排出したことは確認。内容生成元は未確定」
「不明が多い!」カイル。
「多い時に減らさない」
セレナの原則。
分からない箇所へ、分かりやすい敵や奇跡を入れない。
「俺の」とハル。
紙を読む。
時刻。
場所。
橋梁上。
行動欄には、全文ではなく最初の一行だけ見えている。
救助対象を確認。
その下は、折り目へ隠れた。
「全部読む?」エリア。
「読む」
「今?」
「俺のだ」
「本人の名があるだけで本人の物とは限らないって、今」
「でも、俺の行動が書いてある」
「それも、誰かがそう書いた」
「読まない方がいい?」
「私が決めない」
エリアは紙を取り上げない。
「読むと、あなたの選択が変わる。読まなくても、書かれていると知った時点で変わる。どちらも元には戻れない」
「選択肢が同じ場所へ戻らない地図」
「地図ではなく、条件」
「似てる」
「違う」
いつものやり取り。
だがエリアは、次の言葉を急がない。
「一人で決めないで」
命令ではない。
「一緒に読む?」ハル。
「それを頼んでいるなら」
「頼む」
「読む」
二人で紙を持つ。
セレナが第三者として記録。
全文。
救助対象を確認。
最短経路へ単独で進入。
三拍跳躍の第三拍を省略。
崩落床へ右足で着地。
左肩の固定が外れる。
救助対象を索外へ投げる。
本人は橋梁下へ落下。
死亡確認。
「俺っぽい」とハル。
「褒めていない」とエリア。
「二拍で飛ぶところ以外」
「怖い時、三を言えない」
ハルは黙る。
台帳にだけ書かれている癖。
仲間も知っている。
「過去の記録を使ってる?」
「可能性」とセレナ。
「未来じゃなく、俺がやりそうなこと」
「それ以上は断定できません」
「場所と時刻は」
「具体的です」
「明日、橋へ行かなければ」
「回避できるかもしれない」カイル。
「橋へ行かないように何か起きたら」ロロ。
「それ自体が誘導かもしれない」とエリア。
「考えると全部罠!」ハル。
「だから、今日は結論を出さない」セレナ。
紙を封筒へ入れる。
「破棄しないの?」アムナ。
「証拠です」
「見れば動く」
「見ない条件を作ります」
「誰が持つ」
「本人、記録者、共同保管。三者のうち二者で開封。ただし緊急時は本人一人でも開ける」
「本人が恐怖で開けたら」
「それも本人の選択」
「止めない?」
「説明はします。所有はしません」
アムナは六枚を見る。
名を返した直後に、死が名へ結ばれた。
名があるから、本人へ届く。
名があるから、罠も本人を選べる。
記録しないだけでは逃げられない。
記録するだけでも守れない。
残り五枚は、本人が開封範囲を選んだ。
エリアは場所と時刻だけ読む。
行動欄は封じる。
ロロは全部読む。
「機関室。俺、残る。爆発。書き方が雑!」
「死亡記録へ編集評を付けない」とセレナ。
「工具の型番がない! 原因もない! これで事故報告を名乗るな!」
「怒る場所が技術」ハル。
「死ぬ場所より記録品質が腹立つ!」
「でも機関室へ残る?」アムナ。
「残る」
「記録どおり」
「だからって船を捨てるか!」
「他人へ渡す」とエリア。
「俺の船!」
「共同船です」
「修理責任は俺!」
「権限と責任を一人へ集めないと、王都の危機で」カイル。
「事件を数えるな!」
ロロは紙を折った。
「読む。保管する。従わない。あと機関室の交代手順を作る」
「今から?」
「今から」
「死を避けるため?」
「前から必要だった。紙に言われて始めるのが腹立つから、紙代は請求しない」
「無料!」
「そこだけ喜ぶな!」
カイルは場所と行動欄を読む。
声が小さくなる。
「全負荷を一人で受ける」
「王盾炎?」
「書かれている。だが、この国では使えない」
「なら外れる?」ハル。
「外へ出れば戻る」
「使わなければ」
「誰かが傷つく時、使わないと決められるか」
「一人で決めない」とエリア。
カイルは右籠手を左拳で二度叩く。
「共同防御手順を作る」
「今から?」
「今からだ!」
エリアも紙を封じたまま、口元を右手で隠した。
「笑った?」
「全員、紙へ腹を立てて生活改善を始めている」
「死の記録が健康診断に!」ハル。
「笑い事ではない」
「笑ってる」
「口元を見ないで」
セレナは自分の紙を読む。
途中で止める。
「空白を埋める」
「何で死ぬ?」
「不明箇所を証言で補完し、誤った立証へ進む、とあります」
「セレナが?」
「過去の私は、空白を嫌いました」
「今は」アムナ。
「不明と書きます」
「それで外れる?」
「外れる保証はありません。必要な手順です」
ノクスの紙。
本人は読めない。
ハルが読む前に、ノクスへ紙を見せる。
「読んでいい?」
「ナ」
「今のは」
「近づけるな」セレナ。
「何で分かる!」
「前脚で押しています」
「行動観察!」
ノクスは紙を嗅ぐ。
誓いの匂いはない。
紙、油、塔の煤。
紙の角を噛む。
「破棄?」
「ノゥ」
吐き出す。
「味見」とロロ。
「採用しません」とセレナ。
紙は封じる。
塔を出る前に、アムナは排出円筒を止めなかった。
「また出る」とハル。
「止めたら、何が出る予定だったか分からない」
「危険」
「監視する。出力先を袋へ」
ロロが受け袋を作る。
公開ではない。
破棄でもない。
受け取った内容を、本人へ選択させるまで封じる袋。
「全部読むのをやめた」とネイ。
「まだ、読みたい」
「我慢?」
「違う。先に聞く」
「いつまで」
「忘れるまで」
「忘れたら」
「聞き直す」
「僕の名は」
アムナは答えない。
忘れたふりをしない。
覚えていると誇示しない。
「今は、呼ばない」
「今日はそれで」
【現実/三窓の宿/覚醒/同日・夕刻】
町は、名前を取り戻していた。
正確には、名を戻したい人が、選んだ場所へ戻していた。
サエルは医療所と宿の壁へ。
ミレは学校と家へ。
麦番は名前なしで窯と配給へ。
右手の子は、右手の印だけで学校へ入る。
中央地図には、家数と生活者数。
公開名は本人が選んだ分だけ。
名を公的記録へ載せない区域〈ブランク・ワード〉。
以前は、中央から見れば空白の地区という意味だった。
今、住民は意味を変える。
空白にされた地区ではない。
何を空白にするかを住民が選ぶ地区。
戻った名が、本当に生活へ届くかを確かめるため、翌朝、三つの試験をした。
医療。
配給。
通行。
名を戻したと宣言するだけなら、白い塔が以前したことと変わらない。
紙の中で人を復活させ、扉の前では死なせることができる。
最初はサエル。
医療所の第一扉へ、本人半札を入れる。
表示。
――生活者一。
――医療接続あり。
――公開名、村内のみ。
第二扉が開く。
「俺の名、出てない」とサエル。
「医療者側の封筒へだけ」とセレナ。
「扉は何で俺だと」
「半札と、今朝の本人確認。三か月で失効」
「失くしたら」
「救命は人数札で先に。病歴接続は、姉と医療者の二者確認」
「姉がいなかったら」
「あなたが選んだ第三確認者」
「まだ決めてない」
「七日以内。決まるまで病歴は本人申告と紙の控え」
「面倒だな」
「一つの名札を見せれば全部開いた方が速い」とハル。
「それで全部閉じた」とサエル。
扉を通る。
開いたことを成功と記録する。
同時に、半札紛失時の負担と、第三確認者未定を未解決へ残す。