第749話 第三章「学院の七拍」前編
学校は、平時には未来を教える。
戦時には、誰を未来へ送るかを選ばされる。
校舎は石と木でできている。
学院は、時間でできている。
入学前。
在学中。
卒業後。
その三つを一本の線へ並べ、今ここで学ぶ者を、まだ役に立たない者でも、もう役に立つ者でもなく、やがて役に立つかもしれない者として扱う。
戦争は、その「やがて」を嫌う。
今すぐ戦え。
今すぐ守れ。
今すぐ所属を証明しろ。
未来を教える場所へ「今すぐ」を投げ込めば、学校は最も簡単に軍隊へ変わる。
【現実/冠都環・王立星航学院・嵐庭園外壁/覚醒/軍事封鎖命令から五十一分】
「第一条! 私の指揮権は残り四拍!」
ティア・グランツは、落ちながら宣言した。
「落ちてから数え始めんな!」
下からマオ・ケルンが怒鳴る。
嵐庭園の外壁は、鐘が鳴るたび九十度回る。
今は鐘が鳴っていない。
それでも回っている。
軍事封鎖と同時に学院の中央制御が切れ、四つの人工気候がそれぞれ「安全姿勢」へ移ろうとした結果、春庭は上、冬庭は下、雷庭は横、砂庭は自分が上だと主張した。
建物に人格はない。
人格がない物ほど、自分の設定を疑わない。
灰銀の短髪が重力と反対へ流れる。
ティアは右手の規則剣を壁の目盛り溝へ突き、左手の剣で落下する生徒の制服帯を引っ掛けた。
「一拍! 西側足場を水平へ!」
制御室の生徒が手回し輪を押す。
「二拍! 雷庭弁、閉鎖!」
「閉まらない!」
「理由!」
「旧命令が七拍残ってる!」
「誰の!」
「気候主任!」
気候主任は三十歩向こうの壁にぶら下がっている。
「私は六拍前に解除を命じた!」
「解除命令の有効化が次拍です!」
「第三条! 命令の終了より機械の終了が遅い場合――」
「条文を増やす前に右!」マオ。
右から、氷の枝が飛んだ。
ティアは双規刃を交差する。
目盛り刃が枝を受け、身体ごと壁へ叩きつけられた。
右膝。
痛みは三。
彼女は左足から立つ。
右足も同じ角度にそろえる。
「立ち方で隠すな!」マオ。
「何を」
「膝! 毎回、左右そろえりゃ公平だと思ってんのか!」
「見えているなら隠れていない!」
「見せてないのと、見抜かれたのは別!」
正しい。
腹立たしい。
「残り二拍!」
ティアは痛みを報告札へ三と書く。
「第四条! 外壁班、東の保守梯子へ退避!」
「東は私の命令で閉鎖中だ!」気候主任。
「あなたの指揮権は終了した!」
「閉鎖機械は終了していない!」
「残り一拍!」
西側足場が水平になる。
同時に東梯子が収納される。
雷庭弁は半開。
春庭の蔓が上から下へ伸びる。
「指揮権、返却!」
七拍で切れる臨時指揮権〈セブン・ビート〉が終わる。
次の一拍は空白。
誰も命令しない。
――はずだった。
「雷庭弁を閉じろ!」
「東梯子を出せ!」
「西足場を固定!」
三つの声が重なった。
空白へ、終わった命令の残響が入る。
機械は命令者の任期を知らない。
生徒は、誰の声が現在か分からない。
東梯子が出る。
西足場が回る。
雷庭弁が閉じかけて開く。
外壁全体が、逆へ跳ねた。
「伏せろ!」
ティアが叫ぶ。
空白拍に命令した。
彼女自身が作った規則を、彼女自身が破った。
生徒三人が壁へ滑る。
一人の靴が脱げ、空へ飛ぶ。
マオは左脚装具を床溝へ固定し、右手で手回し軸を逆へ押した。
「空白弁、閉める!」
「そんな弁はない!」
「今作った!」
装具の外側に挟んでいた短い鉄板を、二つの歯車の間へ突っ込む。
火花。
歯車が止まる。
外壁も止まる。
マオの身体が前へ投げ出される。
ティアは規則剣の柄を伸ばし、彼女の上着を引っ掛けた。
「助け方を先に聞け!」マオ。
「落下中に質問時間を設けられるか!」
「上着! 装具じゃない! 今回は正解!」
「採点するな!」
二人は壁へぶつかる。
空白の一拍が終わった。
負傷者、ゼロ。
装具外板、変形。
西側足場、停止。
雷庭弁、半開。
規則違反、一件。
命令者、ティア・グランツ。
【現実/王立星航学院・旧食堂/覚醒/外壁停止から十二分】
学院の戦時会議は、丸い食卓で行われた。
長机は上座を作る。
円卓は上座を消す。
だが座る椅子の高さが違えば、円は簡単に上下へ戻る。
マオは左脚を伸ばせる低い椅子へ座り、変形した装具板を食卓へ置いた。
「まず、これ誰が直す」
「学院工房」と気候主任。
「いつ」
「封鎖解除後」
「今使う」
「予備装具を」
「寸法が違う」
「では安静に」
「それ、誰の便利?」
気候主任が黙る。
黙った者の反対を、賛成へ数えない。
発言しない者の反対余地〈サイレント・ビート〉は、そのために作られた。
だが反対余地は、反対者へ修理部品を渡さない。
権利があっても、身体は動かない。
「装具板は、外壁班の薄板を切って当てる」とティア。「本人確認後」
「聞いた。切れ」
「第一議題。学院主塔防衛命令」
食卓中央に、軍事封鎖と同時に届いた一文がある。
王立星航学院は主塔を保持。
全航路生、外壁防衛へ参加。
未参加者、資格停止。
発信者名なし。
終了時刻なし。
異議窓口なし。
「資格停止って、誰がする」とマオ。
「中央学務網」と気候主任。
「止まってる」
「解除後に記録される可能性がある」
「未来の資格のために、今の生徒を壁へ出す?」
「学院を落とせば、卒業資格そのものが無意味になる」
「落ちるの、建物?」
「象徴もだ」
「象徴、飯食う?」
「ケルン生」ティア。
「何」
「質問は有効。ただし相手の答えを食事へ限定しない」
「じゃあ象徴、呼吸する?」
「限定が近くなっただけだ!」
食堂の窓外を、黒い封鎖艇が通る。
砲撃はしていない。
主塔へ太い係留索を撃ち込み、学院を空路から動けなくしている。
敵の目的は破壊ではない。
学院をその場へ残し、学生を主塔へ集めること。
「全員を一か所へ」とティア。
「守りやすい」と気候主任。
「閉じ込めやすい」とマオ。
「防衛線を分散すれば各個撃破される」
「避難路を一つにすれば一回で止まる」
「どちらも正しい」とティア。
「便利な言い方」とマオ。
「正しいことが一つなら、規則は短くて済む。二つ以上あるから会議をする」
ティアは右膝を伸ばした。
痛み三。
食堂へ来るまでに二へ下がっていない。
「現在、学院内の生徒は四百九十二名。教職員百一名。主塔へ移動可能、三百八十七。階段を使えない、十六。雷鳴で発作危険、九。飛行具なし、四十八。所在未確認、三十二」
「未確認を主塔防衛の参加者へ入れるな」とマオ。
「入れていない」
「資格停止対象に入ってる」
命令文の「未参加者」。
未確認も、負傷も、拒否も、同じ不参加になる。
「命令を採用しない」とティア。
気候主任が椅子を鳴らす。
「あなた一人で?」
「一人で決めない。七拍権限の付与を投票する」
「今から全校投票?」
「全員の賛成を待てば敵索が増える」
「なら非常権限が必要だ」
「必要だから期限を付ける」
「誰に」
「私に」
「自薦か」とマオ。
「他薦を待つ時間がない」
「権力欲の正直さは評価」
「欲ではない!」
「欲しくない人が持つ権力ほど危ないって、前に言ってた」
ティアは言葉を止めた。
自分が作った言葉は、他人に使われた時、初めて規則になる。
「訂正。権限を引き受ける意思がある。必要だと考える。適任かは投票対象」
「投票できない人は」
「反対へ数えない。賛成へも数えない。未確認として残す」
「沈黙を反対余地へ残す」
「そう」
「でも、未確認の三十二人を探すのは誰」
「権限がなくても探す」
「そこからだろ」
マオが食卓を叩く。
「会議に来られた人だけで、来られない人を守る規則を決めるな。先に所在確認。七拍権限は、その間の外壁停止だけ」
「敵索が主塔へ六本」
「主塔を守るのと、人を数えるの、どっちが先」
ティアは答えた。
「人」
気候主任が反対札を上げる。
「学院機能を失えば、今後救えない人数が増える」
「反対理由、記録」とティア。「採決。七拍のみ外壁停止権限を私へ。目的、所在確認の時間確保。終了後、再投票。賛成札」
十五。
「反対」
六。
「保留」
九。
「回答不能」
二。
出席者の過半数ではない。
全校の過半数でもない。
「成立しない」と気候主任。
「成立させない」とティア。「出席者の賛成だけで全校権限にしない。外壁班と所在確認班の範囲だけで再採決」
「遅い!」
「遅さを欠点として記録する」
「敵は待たない!」
「だから、今できる仕事を止めない」
規則を決める間、救助を止めてはならない。
救助を続けるため、規則を決めないまま権限を固定してもならない。
その間を埋めるのは、美しい理念ではない。
走る足と、壊れた装具板と、現在位置を書いた粗い紙である。
救難筒が学院へ届いたのは、その時だった。
正確には、学院へ届かなかった。
十四番中継柱へ届き、柱番が不在だったため、風筒は雨樋を逆流し、旧天文台の鳩小屋へ入り、驚いた鳩が筒を蹴り、屋根から落ち、春庭の蔓に引っ掛かり、蔓を切った一年生が「爆発物」と書いて食堂前へ転がした。
通信史の教科書には、後にこう書かれる。
旧救難網、作動。
十四人の手渡しは、実際には鳩を含めて十七だった。
「触るな!」気候主任。
「爆発物なら、触らないとここで爆発する」とマオ。
「専門員を」
「いる。私」
「爆発物の専門では」
「機械の専門。爆発する機械も機械」
「分類が強い!」
マオは装具を引きずって筒へ近づく。
ティアが先に止める。
「私が開ける」
「保護?」
「右膝が痛み三。あなたより逃げにくい」
「理由が最悪」
「事実」
「先に聞け」
「開けてよいか」
「いい」
ティアは規則剣の先で筒を回す。
蓋が外れる。
中には薄い帯。
七つの刻み。
空白。
もう七つ。
裏面の短い文章。
作成者、アムナ・エクリプス。
提案確認、船内六者と一頭。
七地域の同意は未確認。
受信者は採用、変更、破棄できる。
「命令じゃない」とマオ。
「そのように書いてある」と気候主任。
「命令じゃないと書く命令もある」
「ケルン生は疑い過ぎだ」
「先生は書いてあるもの信じ過ぎ」
ティアは帯を裏返す。
七枚の航路札の擦り跡。
その中に、自分の目盛り片がある。
命令ではない。
救援でもない。
遠い船が、こちらに何が起きているか知らないまま、判断を始める時刻だけ送ってきた。
「採用する?」マオ。
「変更する」
「どこ」
「八拍目」
「空けない?」
「空ける。ただし、空白を守る役が必要」
外壁での失敗。
指揮権が切れても、機械命令が残った。
前任者と次任者の声が空白へ入った。
ティア自身も命令した。
「空白番」とマオ。
「名称は暫定」
「役目は」
「七拍目に旧命令を閉じる。八拍目に新命令を出さない。現場の反対、保留、未確認を拾う。九拍目に次の命令者へ渡す」
「命令権は」
「ない」
「停止権」
「ある」
「じゃあ私」
「移動制限が」
マオの単眼鏡が光る。
「今、保護って言う?」
「言わない。空白番は制御室固定。あなたの装具と位置条件に適合する。ただし本人が希望するか先に聞く」
「希望する。あと、停止権は人にも使う」
「人を止める?」
「七拍終わってまだ命令してる奴の口へ札を貼る」
「物理的に?」
「必要なら」
「規則へ暴力を組み込むな!」
「暴力を規則外へ置くと、偉い奴だけ使う」
また正しい。
また腹立たしい。
「口へ貼るのは禁止。発言灯を消す」
「妥協」
「成立」