第750話 第三章「学院の七拍」後編
【現実/王立星航学院・全校局地投票/覚醒/救難筒受領から十八分】
全校投票は、全員同時には行わなかった。
同時を待てば、所在不明者が永遠に欠席になる。
外壁班。
医務班。
寮班。
地下工房班。
飛行具班。
未確認者探索班。
班ごとに、七拍権限を誰へ預けるかを決める。
ティアは学院全体の司令官にならない。
各班の命令が衝突した時だけ、七拍の調整権を受ける。
賛成。
反対。
保留。
回答不能。
未確認。
五つを同じ箱へ入れない。
「面倒」と一年生。
「面倒です」とティア。
「戦争中なのに」
「戦争中だから」
「速い方が助かるんじゃ」
「速く決めるため、決めてよい範囲を小さくする」
「全部を決めない?」
「全部を決める人を作る方が遅い。間違えた時、全部を直すから」
投票が続く間、黒艦の係留索は九本へ増えた。
主塔が傾く。
学院旗が空へ引かれる。
気候主任が窓を叩く。
「もう待てない。主塔へ防衛班を」
「出しません」
「学院が落ちる!」
「建物は落ちる可能性」
「象徴もだ!」
「人は撤退させる」
「学院を捨てるのか!」
「捨てない。持ち出す」
「何を」
「生徒」
ティアは双規刃を抜く。
「第一条。学院は校舎ではなく、学ぶ権利と教える責任から成る」
「そんな定義を今作るな!」
「今まで建物と同じだと思っていたなら、今作るしかない!」
右膝が痛む。
痛み三。
マオが制御室から発言灯を一度点滅する。
「命令権、七拍。対象、避難路の競合調整。終了後、口閉じろ」
「最後は規則文ではない!」
「現場注記」
ティアは笑いかけ、笑わない。
「指揮権、受領」
一拍。
「外壁班、西足場を固定せず、医務班通過後に切り離す!」
二拍。
「寮班、主塔へ向かわない。地下工房へ三列。階段不可者は保守軌道!」
三拍。
「飛行具班、敵索を切るな。主塔が急反動する。索へ白布を結び、避難中を表示!」
四拍。
「探索班、未確認三十二名のうち十七名を旧講堂で確認。残り十五。名簿へ不在と書くな!」
五拍。
「気候主任、春庭蔓を避難索へ。雷庭は閉鎖せず、音に弱い者の通過まで放電間隔を広げる!」
六拍。
「学院旗を下ろす!」
食堂が静まる。
「旗を」と気候主任。
「係留索の照準標になっている。下ろす」
「降伏と見られる」
「生徒が生きていれば、後で説明できる」
七拍。
「全班、目的は主塔保持ではなく生徒撤退。指揮権、返却!」
八拍目。
マオが全発言灯を消す。
気候主任が口を開く。
灯が消えているのを見て、閉じる。
命令はない。
代わりに、現場から音が上がる。
保守軌道、車輪三回。
医務班、白布二枚。
旧講堂、残り十五名のうち四名発見。
春庭蔓、荷重超過。
マオは聞く。
「蔓、誰が乗ってる」
『三人。うち一人、左腕負傷』
「降ろす順、本人に聞け」
『負傷者が最後でいいと言っています』
「理由」
『自分で索を持てるから』
「採用。負傷者だから先、にするな」
九拍目。
次の命令者は、医務班の一年生だった。
教員ではない。
ティアでもない。
「七拍、受領します。目的、春庭避難。最初の命令――蔓へ乗る前に、降りる方法を全員へ説明してください」
学院旗が下りる。
黒艦は砲撃しなかった。
主塔を守る者が集まると予測していたからである。
生徒たちは、三つの別方向へ退く。
階段。
保守軌道。
春庭の蔓。
同じ命令には従わない。
八拍目だけ、誰も次を急がせない。
三つの避難路は、三つとも正しくなかった。
階段は幅が広い。
しかし途中に氷枝が落ち、片側が塞がれている。
保守軌道は速い。
しかし車輪音が雷庭の放電を呼ぶ。
春庭の蔓は段差がない。
しかし荷重が増えるほど、古い壁から剥がれる。
「最適路を!」気候主任。
「ない」とティア。
「またその答えか!」
「同じ質問だからです」
右膝が痛む。
三。
彼女は階段へ行こうとする。
マオが装具杖を横へ出す。
「どこ」
「氷枝を除去」
「右膝三」
「報告済み」
「報告は許可証じゃない」
「では誰が」
ティアは周囲を見る。
飛行具班。
医務班。
一年生。
清掃員。
自分が一番上手くできる仕事を、自分がやる必要はない。
「飛行具班、氷枝を吊る。切断しない。落下先を確保してから持ち上げる」
「命令権は?」
「終了済み」
「じゃあ従わなくていい?」
「提案。現場責任者を決めて」
飛行具班の三年生が、一年生を見る。
一年生は首を振る。
「私、機体は分かるけど氷枝は分からない」
清掃員が手を上げる。
「冬庭の落枝なら毎週片づける」
「現場責任、お願いできますか」ティア。
「生徒じゃないぞ」
「枝は学籍を読みません」
「先生の許可は」
気候主任が口を開く。
マオが発言灯の消えた札を見せる。
「今、空白」
主任は口を閉じる。
清掃員が決める。
「吊り点は三つ。真ん中を先に上げるな。両端から。持ち上げたら、階段下の人が全員出るまで固定」
生徒たちは従う。
教員の命令ではない。
枝を知る者の提案を、現場が採用した。
保守軌道では、音に弱い生徒が耳を押さえていた。
「列車を止める?」
「止めたら後ろが詰まる」
「雷庭を閉鎖」
「閉鎖機械が七拍遅れる」
「じゃあ我慢して!」
マオが振り向く。
「誰の便利?」
「全体の!」
「全体に、その子の耳は入ってる?」
「でも一人のために」
「一人を数えない全体は、最初から一人少ない」
音に弱い生徒は言う。
「先に行って。私は次」
「次の軌道車は来るか不明」とマオ。
「じゃあ、歩く」
「距離」
「分からない」
「足」
「大丈夫」
「顔は」
「……二」
ティアは自分の右膝を思い出す。
大丈夫という言葉は、動ける、助けを求めたくない、他人を待たせたくない、痛みを見られたくない、のどれにでもなる。
「選択肢」とティア。
「軌道車へ乗る。耳栓を追加。雷庭放電の七拍目だけ車輪を止める。歩く。ここで次を待つ」
「待つのは安全?」
「不明。壁の回転予測、十二分後。次車両、八分から十五分」
「耳栓で乗る」
「途中退出は」
「できる?」
「保守足場で一回」
「そこまで」
生徒は耳栓を二重にする。
車輪は七拍走り、八拍目だけ動力を上げない。
完全には静かにならない。
痛みはゼロにならない。
それでも、我慢する以外の条件を本人が選んだ。
春庭の蔓では、記録箱を持った生徒が乗車を拒んだ。
「箱が重い」医務班。
「置いていけない」
「命と記録、どっち」
「その二択にしないで」
箱の中は、試験制度改訂の反対意見。
賛成票より多い。
避難を急ぐ時、最初に捨てられやすい紙である。
「箱を三つに分ける」とティア。
「順番が崩れる!」
「目録を付ける」
「時間」
「七拍」
「足りない」
「八拍目に作業を止め、持てる量を確認。次の七拍で残り」
「敵が来る!」
「来るまで全部を守れるとは言わない」
箱を開く。
一冊目――賛成。
二冊目――反対。
三冊目――保留、欠席、回答不能。
「反対から持つ」とマオ。
「公平なら同じ量」生徒。
「賛成は制度になって、別の場所にも残ってる。反対はここだけ」
「偏り」
「失われやすさを同じにする」
ティアは反対冊を持つ。
右膝へ荷重がかかる。
マオが半分を取る。
「装具」ティア。
「二」
「顔は」
「二・五」
「端数で交渉するな」
「うつった」
二人は同じ量を持たない。
持てる量を分ける。
春庭の蔓が壁から一指剥がれる。
七拍。
八拍目。
全員が次の命令を待たず、自分の荷重を言う。
「一」
「二」
「まだ」
「降りたい」
「箱、持てる」
蔓は落ちない。
三つの避難路は、三つとも不完全だった。
だから生徒たちは、三つとも使った。
最後に旧食堂を出たのは、ティアではなかった。
気候主任でもない。
床下へ落ちた反対札を拾っていた一年生である。
「それ、必要?」ティア。
「反対した人が、後で反対してないことにされたら困る」
「必要です」
ティアは即答した。
主塔の上部が、黒い係留索に引かれて一尺傾く。
白い尖塔が夕空へ斜めになる。
歴史画なら、ここで学院の敗北を描くだろう。
旗は下り、塔は傾き、生徒は撤退する。
だが学校が未来でできているなら、未来へ人を送った日は敗北とは限らない。
ティアは右膝を引きずり、旧天文台の鐘楼へ上がった。
「無理するな」とマオ。
「装具板が曲がっている者に言われたくない」
「私は無理を報告してる」
「私も痛み三と報告済み」
「歩き方は二のふり」
「訂正。三」
鐘楼には、救難筒が通った傷がある。
ティアは帯の七つの刻みを、古い鐘打ちへ合わせる。
「どこへ送る」とマオ。
「分からない」
「学院の成功を?」
「成功していない」
「撤退を?」
「内容は送れない」
「じゃあ何」
「判断を始めた時刻」
鐘を鳴らす。
一。
二。
三。
四。
五。
六。
七。
八拍目、鳴らさない。
九拍目に、もう一度。
一。
二。
三。
四。
五。
六。
七。
学院は勝たなかった。
主塔も守らなかった。
それでも、誰かの命令へ未来を預けず、生徒を三つの道へ送り出した。
ティアは故郷側の目盛り札へ、新しい一本を刻む。
七つの目盛りの後。
空白を一つ。
その先へ、短い線。
「何の線」とマオ。
「次に決めるための開始線」
「終わりじゃない?」
「規則は終わった時より、次に誰が直せるかで評価する」
遠い空から返事はない。
学院は、返事を待たない。
勝利ではなく、生徒撤退を選んだ。