第751話 第四章「無契約船の入港」前編
港は、船を受け入れる場所ではない。
船を受け入れない理由を、陸より多く持つ場所である。
喫水が深い。
積荷が危険。
病がある。
税を払っていない。
旗が違う。
旗がない。
船名が読めない。
船名を名乗りたくない。
海でも空でも、港は入口である前に選別器になる。
誰でも入れる港は、誰も守れない港だと言われる。
誰も入れない港は、守るべき誰かが最初からいない。
自由港が自由であるためには、門をなくすのでは足りない。
門を開けた後、誰が食料を出し、誰が熱を測り、誰が武器を預かり、誰が名前を聞かないかまで決めなければならない。
自由は無料ではない。
無料でないことと、払えない者を落とすことは同義ではない。
【現実/千隻の廃船をつないだ自由港〈サウザンド・ハル〉・外係留環/覚醒/軍事封鎖命令から一時間十三分】
「三十七人!」
「三十五!」
「四十一!」
三つの数字が、同じ船から降りてきた。
ミラ・ベルウェザーは、左脚の義足帆を畳んだ。
減速が急すぎた。
星晶義足の接合部へ痛み二。腰へ一。右膝はまだ動く。
「順番」と彼女。
煙にかすれたアルトが、港門の喧騒を切る。
「三十七、誰」
白い布を振る避難船の船頭が答える。
「乗船時の人数!」
「三十五、誰」
甲板の結び札を持つ港役人。
「入港索を渡した人数!」
「四十一、誰」
パルが、橙色の大きすぎる甲板服から顔を出す。
「重さ」
「人を重さで数えるな!」港役人。
「人を札で消すな」
パルの右手は六本の指で、二種類の縄を同時に持っている。
一本は船から港へ。
一本は船倉の通気口へ。
通気口の奥で、息を殺す音がした。
「隠れてる」とパル。
「何人」ミラ。
「先に値段」
「粥一杯。情報料じゃない。食べる権利」
「蓋付き?」
「蓋付き」
「四人。たぶん」
「たぶんを足すと四十一」
船頭が顔を青くする。
「乗せていない! 知らない!」
「知らないことを罪にすると、船倉に隠れた奴が悪人になる」とジル・カスク。
長い身体を係留索へ預け、右耳ではなく左耳を船へ向けている。右の高音は聞こえにくい。代わりに船板の低い軋みを足裏で読む。
「紙が濡れたら何が残る。今残ってんのは、船頭の記憶三十七、役人の結び三十五、船の重さ四十一。どれも嘘とは限らん」
「どれも正しいなら、人数が増殖してる!」役人。
「途中で二人が別船へ移った。結びは移動前。船頭は移動後に二人乗せたと思ってる。隠れ四人は最初から数えてねえ」
「差し引き」
「人を差し引くな」とパル。
「算術へ怒るな」ミラ。
「算術が人を消す時は怒る」
「成立」
「何が」
「怒る権利」
「それ、いくら?」
「無料」
「怪しい」
自由港の外係留環には、船が百二十七隻並んでいた。
登録船、四十九。
仮登録、二十一。
署名なしで使える救難路〈フリー・ライン〉から入った船、三十八。
船名を伏せた船、十三。
船名そのものがない筏、六。
合計は百二十七。
乗員数は、三千四百から三千八百の間。
「間、広すぎ」と港役人。
「生きてる人間は書類の桁へきれいに座らない」とミラ。
「食料配分は間でできない!」
「だから最悪値で出す。三千八百」
「備蓄は三千五百人で四日」
「なら三日と半分」
「三日目に飢える!」
「四日ある顔をする方が、四日目に死ぬ」
ミラは帳簿へ数字を書く。
人数、三千八百想定。
確認済み、三千四百二十六。
未確認範囲、三百七十四。
「誤差を人として書くな」とパル。
「未確認範囲」
「範囲は食べない」
「三百七十四食を余分に作る」
「ならいい」
「会計は良くない!」役人。
「会計へ後で謝る。人へ先に食わせる」
ミラは風鈴ピアスを一度鳴らす。
決断の音。
ただし、三つのうち一つは鳴らない。
パルが別素材で作り直した木の鈴である。
軍事封鎖命令は、港門を閉じろとは書かなかった。
未登録船、停船。
停船させる場所は書かれていない。
港の外で止めれば、入港拒否になる。
港の中で止めれば、受入れになる。
同じ一文で、正反対の行動ができる。
「中央港務局の解釈」と港役人。
追加の紙を掲げる。
未登録船は外係留線より内側へ入れない。
識別不能船は敵性の可能性として隔離。
港門を閉鎖。
「発信者」ミラ。
「中央港務局」
「局長名」
「なし」
「終了時刻」
「なし」
「異議窓口」
「封鎖中につき停止」
「契約不成立」
「これは契約ではなく命令!」
「だから、もっと不成立」
「命令は相手の同意を必要としない!」
「なら命令者の責任は、契約より重い」
「港を攻撃されたら誰が責任を」
「私」
即答。
ジルが銅笛を噛む。
「船長でもないのに?」
ミラの肩が一度だけ止まる。
自由港制度の設計者。
失職した元船長。
今は救難操舵手。
肩書で呼ばれれば訂正する。
責任だけは、肩書がなくても取ろうとする。
「救難路の運行責任」とミラ。
「港全体じゃない」とジル。
「分ける」
「どう」
「港門を開ける責任、私。食料配分、共同倉庫。武器預かり、三船団。感染区画、診療船。停船位置、各船長」
「無船長船は」とパル。
「乗ってる人が決める」
「子どもだけなら」
「子どもへ聞く」
「大人が代わりに答えたら」
「パルが蹴る」
「契約成立」
「蹴ることを契約へ入れるな」とジル。
「実効性」とミラ。
「暴力を規則外へ置くと偉い奴だけ使う」とパル。
「学院の小娘みたいなこと言い始めたな」
「ティア?」
「名前出すと来そうで嫌だ」
遠い学院で、ティアは今ごろ別の誰かに「第一条」と言っている。
自由港の誰も知らない。
世界は、知り合いが自分の場面に出ていない時にも続く。
警鐘が鳴った。
高音が三回。
低音が二回。
木の鈴が二回。
ミラは色旗を見ない。
切れ込みを読む。
「北東、避難船七。うち二隻、武装あり」
「敵船!」港役人。
「武装あり、は敵ではない」とジル。
「避難船が砲を積むか!」
「戦場から逃げてきた船なら積む」
「黒い制服が見える!」
「服が敵を決めるなら、盗んだ制服で国が変わる」とミラ。
遠眼鏡の向こう。
七隻。
先頭は帆が半分ない。
二隻目は左舷から煙。
三隻目の甲板へ、黒い外套が十数人。
四隻目は白布。
五隻目、船名板を裏返している。
六隻目、子どもの靴が舷側に並ぶ。
七隻目、砲口が港側を向いている。
「砲口、敵性」と役人。
「船体が右へ傾いてる。砲架が固定できず、港側へ落ちてるだけ」とジル。
「撃てる?」ミラ。
「撃てる。狙えねえ」
「危険情報、砲一門、固定不能。乗員の所属、不明。入港希望、不明」
「聞けないのか」
「通信網は死んでる。手旗は」
先頭船の白布が、七回上がった。
下りる。
上がらない一拍。
もう七回。
港の三つの風鈴が、風もないのに鳴った。
魔法ではない。
係留柱の向こう、旧救難鐘が同じ拍を中継している。
一。
二。
三。
四。
五。
六。
七。
空白。
「学院?」ジル。
「分からない」とミラ。
「ゼロスター号?」
「分からない」
「偽物?」役人。
「できる」
「なら無意味だ!」
「意味を命令にするから」とパル。
ミラは赤茶の航路札を取る。
三つの鈴。
一つは木。
船側の札が遠くで鳴ったわけではない。
こちらの札が、港鐘の震動を受けただけである。
札の革には、以前の傷がある。
救難窓口を開いた日。
赤字になった日。
規則を変えた日。
今、誰かが七拍と空白を送っている。
「採用?」ジル。
「変更」ミラ。
「何へ」
「港の拍」
ミラは三つの鈴を外す。
高音はジルが聞きにくい。
色はミラが色だけで判別しにくい。
光は霧で消える。
残るのは、切れ込み、結び、低音。
「七隻へ、入港判断を一拍ずつ渡す」
「一隻一拍?」港役人。
「違う。七拍の間、港側が危険を一つずつ確認。八拍目に各船が入る、待つ、離れるを選ぶ」
「全部同時に入ったら」
「入れる場所だけ開ける」
「場所が足りない!」
「足りないと表示する」
「追い返さない?」
「追い返す理由がある船だけ。理由を船単位で出す。所属ではなく、船体、病、武器、荷重」
「黒制服は」
「衣服」
「敵兵かもしれない!」
「敵兵でも溺れれば救難。拘束は生還後」
「甘い!」
「救命と免罪を混ぜる方が甘い」
ミラの声が細かくなる。
「港門を閉じた場合、七隻推定二百十二人。三十分以内に帆損失四隻、衝突二隻、落下確率二八・四パーセント。受け入れた場合、備蓄不足は一日と七時間早まる。武器預かりへ十二名。感染疑い隔離、最低二十床不足。港内荷重、東へ七・三パーセント偏る」
怒っている。
傷ついている。
だから小数になる。
「それでも入れる?」ジル。
「入れる。足りない分を足りる顔で隠さない」
「契約外」
「救助は契約より前。精算は生還より後」
「それ、もう何回言った」パル。
「守れるまで」
第一拍。
先頭船の帆損傷。
港側は、切れ込み一つの太縄を掲げる。
自力停止不能。
第二拍。
二隻目の煙。
酸っぱい匂い。火災ではなく薬品漏れ。
丸結び二つ。
隔離必要。
第三拍。
黒制服の船。
甲板へ武器箱四。
負傷者十八。
所属不明。
四角結びと、低音一回。
第四拍。
白布船。
乗員名簿なし。
船倉で咳。
結びを一つ、途中で止める。
第五拍。
船名板を伏せた船。
入港後も船名非公開を希望。
危険情報は船体亀裂一。
第六拍。
子どもの靴が並ぶ船。
大人八、子ども二十六。船頭なし。
パルが右手六指で、拒否の結びを先に示す。
第七拍。
砲口が港へ向く船。
砲架固定不能。火薬は水没。操舵索切断。
八拍目。
港鐘を鳴らさない。
七隻が、それぞれ決める。
先頭船、入港。
二隻目、隔離桟橋へ。
三隻目、武器箱を索で外へ吊り、入港。
四隻目、待つ。
五隻目、船名を伏せたまま入港。
六隻目、子どもたちが船内投票を始め、保留。
七隻目、港へ入らず外側で砲を海へ落とす。
「命令してないのに、ばらばら」と港役人。
「だから衝突する」とミラ。
「失敗じゃないか!」
「衝突しないよう、次を決める」
自由は、各自が好きに動けば完成するものではない。
好きに動く者同士がぶつかる場所へ、再び話し合いを置く必要がある。
「先頭、東一。隔離、北三。船名非公開、南二。六隻目は外側へ食料筒を送る。七隻目、砲を落としたら曳航索を受けるか本人判断」
「今のは命令」ジル。
「港側の場所条件。船の入港判断ではない」
「言葉遊び」
「場所が足りない時、言葉を分けないと人が落ちる」
ジルが咳のように笑う。
「船長じゃねえ顔になったな」
「船長じゃない」
「知ってる」
ミラは風鈴を握る。
鳴らさない。