第752話 第四章「無契約船の入港」後編

 問題は、七隻が港門へ近づいた時に起きた。

 外係留環は千隻の船を継いでできている。

 港門も一隻の巨大門ではない。古い船腹十六枚を縦へつなぎ、荷重を左右の係留船へ渡す。

 東側へ七・三パーセント偏る。

 数字は、予告だった。

「東五番索、切れる!」

 低い破裂音。

 外係留環が沈む。

 先頭避難船の船首が港門下へ潜り、後続六隻が押し込む。

「港門閉鎖!」役人。

「今閉めたら先頭を挟む!」ジル。

「開けたら東環が落ちる!」

「どっちでも落ちる!」

「正確」とミラ。

 義足帆を開く。

 星晶の小帆が赤茶のコート下で展開する。

「ミラ!」ジル。

「風返し。先頭七隻の進入速度を外へ返す」

「義足接合、雨で腫れてる!」

「痛み二」

「顔は四」

「顔の監査はセレナだけで足りる!」

「今いねえから私がやる!」

「三割。命が懸かるなら四割!」

 ミラは港門から飛び出した。

 走るのではない。

 左義足の小帆へ横風を受け、船腹を滑る。

 第一船の舷側。

 第二船の折れ帆。

 第三船の武器吊り索。

 右手の帆刃を突き、流れ込む速度を一度だけ盗む。

 風盗は、動きを奪う。

 だが三度目以後の使い方を、彼女は変えた。

 奪った勢いを自分のものにしない。

 別の方向へ返す。

 風返し。

「外へ三度!」

 先頭船の船首が浮く。

 後続が減速する。

 ミラの身体へ、奪った反動が入る。

 左脚のない場所が痛む。

 幻肢痛。

 存在しない足が、存在するより強く痛む。

「接合部、四!」

「報告できて偉い!」ジル。

「褒めるな!」

「褒めたんじゃねえ、次を渡せ!」

 ミラは空中で振り返る。

 一人で七隻を止められる。

 止めた後、動けなくなる。

「ジル、張力!」

「受領!」

「パル、東環の中を見ろ!」

「先に値段!」

「粥二杯!」

「成立!」

 ジルが二本の係留索へ手を置く。

 二点の張力を一度だけ均等にする結索が走る。片側へ集中した荷重が左右へ分かれる。

 パルは門船の隙間へ身体を畳んだ。

「人いる!」

「何人!」

「数えない!」

「危険人数だけ!」

「三! 一人、動けない! 二人、動けるけど出たくない!」

「理由」

「黒制服!」

 第三船から落ちた三人。

 敵かもしれない。

 味方かもしれない。

 港門は沈む。

「救う」とミラ。

「拘束は」と役人。

「生還後!」

 パルが六本指で二人の手首へ別々の縄を結ぶ。

「出たくないなら、ここに残ると門ごと落ちる」

「港へ入れば捕虜になる!」黒制服の一人。

「生きてから嫌がれ」

「子どもに言われる筋合いは」

「私より先に落ちる大人、偉くない」

 パルが一人を蹴る。

「規則外暴力!」ジル。

「現場注記!」

 三人が隙間から出る。

 ミラは義足帆を閉じ、右脚だけで港門へ着地した。

 左接合部へ荷重を掛けない。

「次!」

「東五番索、代替!」

「何を使う」

 ジルが避難船三隻の予備索を見る。

「借りる」

「契約は」役人。

「今は救助!」ミラ。

「精算は」パル。

「生還より後!」

 三隻から索が飛ぶ。

 署名はない。

 所有権の確認もない。

 一本は細い。

 一本は濡れている。

 一本は、船名を伏せた船から来た。

 三本を結び、東環へ渡す。

 港門が持ち上がる。

 七隻は、同時には入らない。

 ばらばらの順で入る。

 それでも港は落ちない。

【現実/千艘港・共同倉庫前/覚醒/七隻入港から二十六分】

 受入れ人数は、最終的に二百十九だった。

 最初の推定より七人多い。

「どこから増えた」と港役人。

「増えてない」とパル。「最初からいた」

「名簿へ」

「名前は聞かないって言った」

「人数だけ」

「数え方を先に決める」ミラ。

 同じ人が船から隔離区画へ移れば、二か所で数えられる。

 家族が一つの毛布に隠れれば、一人に見える。

 食事を断れば、配膳数に出ない。

 拘束された黒制服を、乗員から捕虜へ移せば数字が減る。

「人頭札を首へ掛けない」とパル。

「首以外」役人。

「人へ掛けない」

「どう数える」

 ジルが縄を机へ置く。

「船単位。危険だけ共有」

 結びを四種類。

 歩行可能。

 介助必要。

 医療優先。

 所在保留。

 色ではなく、形。

 高音ではなく、低い木鈴。

 名前ではなく、船と区画。

「匿名性を守ったまま、船単位の危険情報だけ共有」とミラ。

「人が船を移ったら」

「結びも移す」

「盗まれたら」パル。

「予備を作る」

「偽造されたら」

「食料数、寝床、足音と比べる」

「面倒」

「生きてる人間は面倒」

「契約成立」

 七人多い、という言い方にも、問題があった。

 増えた七人が、どの船から来たかは分からない。

 先頭船の船頭は三十七人と言った。

 港役人の結びは三十五。

 船体の沈みから換算した生活荷重は四十一人分。

「三十七が正しい」と船頭。

「自分を数えた?」パル。

「数えた」

「眠ってる二人」

「数えた」

「船底の箱」

「人じゃない」

「中身」

「言わない」

「重さは人四人分」

「重い箱だ」

 船頭は嘘をついているかもしれない。

 箱に人がいるかもしれない。

 追跡記録かもしれない。

 薬かもしれない。

 死者かもしれない。

「開ける」と港役人。

「令状」とミラ。

「敵が入ってるかもしれない!」

「かもしれないで開けるなら、全船の全箱を開ける」

「非常時だ!」

「非常時の終了時刻」

「今それを決める暇が」

「決めない非常時は、明日も非常時」

 ジルが船底へ耳を当てる。

 右耳ではなく左。

「音、二種類」

「人?」

「一つ、液体。もう一つ、金属が擦れる。呼吸は聞こえない」

「なら開けろ」

「聞こえないは、いないじゃない」

 パルが六本指を箱の継ぎ目へ置く。

「内側から触った跡、ない」

「人じゃない」

「触れない人かも」

「全部疑えば何もできない!」

「全部断定したら、もっとできない」とミラ。

 船頭へ聞く。

「箱の危険だけ」

「水へ入れるな」

「火」

「近づけるな」

「衝撃」

「三まで」

「生き物」

 船頭は答えない。

「沈黙は、はいに数えない。いいえにも数えない」ジル。

「隔離区画へ運ぶ」とミラ。「開封しない。火、水、衝撃条件を表示。生体可能性、未確認」

「人が入っていたら」港役人。

「本人が出るか、医療緊急が確認されるまで、所有者の拒否を残す」

「敵が出たら!」

「その時、拘束」

 箱は開けない。

 四十一人分という沈みは残る。

 三十七人という申告も残る。

 三十五の結びも残る。

 数が一致しないことを、不正の証明にはしない。

 同時に、見なかったことにも書き換えない。

 食事を配る時、差はさらに増えた。

 椀は四十一減った。

「人いる!」港役人。

「同じ人が二杯食べた」と子ども。

「誰」

「言わない」

「何杯」

「言わない」

「配給詐欺だ!」

「腹減ってた」と子ども。

 パルが訊く。

「まだ足りない?」

 子どもは首を振る。

「隠れてる人へ持っていった?」

 答えない。

「聞き方、悪い」パル。

 自分で言う。

「次の食事、何杯必要」

 子どもは指を三本立てる。

「あなた含む?」

 首を振る。

「四杯」

 うなずく。

「病気」

 一本指。

「歩ける」

 二本。

「分からない」

 一本。

「名前、聞かない。場所、医療班だけに言える?」

 子どもは考え、ジルを指す。

「ジルだけ?」

 うなずく。

 ジルがしゃがむ。

「紙には書かない。医者へ危険だけ渡す。いい?」

 子どもが耳元へ場所を言う。

 ジルは復唱しない。

 名前を預からない。

 医療班へ、船番号と区画だけを結び目で渡す。

 四十一椀は、四十一人の証拠ではない。

 四人分の食事が必要だという証拠にはなる。

「数、どう書く」と役人。

 ミラは帳簿へ三列を作る。

『自己申告 三十七。

 確認結び 三十五。

 生活必要量 四十一相当。

 差 未解消。』

「一つにしない?」

「一つにすると、誰かを嘘つきにする」

「嘘つきかもしれない」

「かもしれないを残す」

「会計が合わない!」

「合わない会計を、合った数字で閉じる方が高くつく」

 パルが木鈴を一つ、金属鈴の代わりに結ぶ。

「これは?」ミラ。

「分からない分」

「音が違う」

「同じに聞こえたら、数え終わったと思う」

 木の鈴は、低く鳴る。

 不明があることを、港全体へ知らせる音だった。

 共同倉庫の扉が開く。

 中の備蓄は、計算より少なかった。

 豆袋十二不足。

 乾魚七箱に黴。

 飲料水樽三つ、漏れ。

 港役人が青ざめる。

「三日半もない」

 ミラは計算する。

 怒るほど細かくなる。

「現在人数想定三千八百十九。成人換算三千二百七十六・五。豆、二日と十一時間。乾魚、黴除去後一日と十九時間。水、配管修理なしで二日と四時間」

「港を閉めるべきだった!」

「閉めれば二百十九人が外で落ちた」

「中の三千六百人を危険にした!」

「した」

 ミラは否定しない。

「だから、今から食料船を出す。港税備蓄を開く。救難費を全船団へ割る」

「反対する船団が」

「反対を記録。払わない自由は残す。払わない船団の係留優先を後で協議」

「救助を借金にするな」とパル。

「個人債務にしない。港の共同費」

「港にいない人も払う?」

「交易で使う船は払う」

「未来の船まで」

「そこは保留」

「成立じゃない?」

「保留」

 ミラは風鈴を鳴らさない。

「ありがとう」と、黒制服の負傷者が言った。

 反射的に硬貨を求める手が動く。

 止まる。

「その親切、いくら?」と自分で言いかける。

 違う。

 親切をした側が値段を聞く言葉ではない。

「生還後、証言。救命の値段ではなく、所属と武器の経緯。答えたくない部分は記録」

「今は」

「今は寝ろ」

 無料とは言わない。

 借りとも言わない。

 救命と、後の責任を分けた。

 中央港務局の閉鎖命令は、夕刻に二度目が届いた。

 今度は音声である。

『自由港ヴェイン。未登録船を直ちに外係留線外へ退去させよ。従わない場合、港全体を敵性補給拠点と認定する』

 発信者名なし。

 終了時刻なし。

 異議窓口なし。

 港の船長たちが、ミラを見る。

 彼女は船長ではない。

「投票」とミラ。

「時間がない」と役人。

「全港一票じゃない。各係留環で、閉鎖、開放、条件付受入れ、保留」

「中央命令へ従うかを分けるのか」

「港は一枚の扉じゃない」

「敵性認定されたら」

「もう黒艦が外にいる」

「戦う?」

「救う」

「同じこと?」

「違う。戦う相手は選ぶ。救う相手は溺れてから選ばない」

 ミラは外係留環へ立つ。

 義足接合部、痛み四。

 歩行は右脚中心。

 風返し、次の使用禁止。

 それでも立つ。

 立てることと、無理をしていないことは別である。

「記録。ミラ・ベルウェザー。自由港救難路運行責任。中央港封鎖命令を拒否」

「理由」ジル。

「発信者、期限、異議窓口がない。未登録を敵性と同義にしている。港外退去に必要な水、帆、医療を示していない」

「代償」パル。

「備蓄不足。攻撃危険。会計赤字。私の責任範囲は港門開放と救難路運行。全港の同意は未確認」

「成立?」

「私の拒否は成立。港全体は各環が決める」

 港鐘を鳴らす。

 一。

 二。

 三。

 四。

 五。

 六。

 七。

 八拍目。

 鳴らさない。

 外係留環は開放。

 北倉庫環は条件付受入れ。

 南修理環は保留。

 中央市場環は閉鎖。

 診療環は医療船のみ。

 船村環は船名非公開のまま受入れ。

 古港環は返事なし。

 返事なしを、閉鎖へ数えない。

 開放へも数えない。

「ばらばら」と港役人。

「港だ」とジル。

 ミラは、七つの異なる答えを帳簿へ書く。

 自由港は、一つの門としては閉じなかった。

 全部の門を同じに開けもしなかった。

 中央からの港封鎖命令を拒否した。

 その夜、備蓄は足りないままだった。

 救助された者は腹を空かせ、港の古参は怒り、会計は赤字へ落ちた。

 正しい選択が、生活を楽にするとは限らない。

 それでも、港外へ追い出された船は一隻もなかった。