第753話 第五章「分裂した群れの合流点」前編

群れは、一つになるために集まるのではない。

 同じ水を飲み、同じ敵から逃げ、同じ季節だけ同じ方向へ歩く。その条件が終われば分かれる。分かれた後、互いを裏切り者と呼ばないことまで含めて群れである。

 国家は、分裂を失敗と呼ぶ。

 戸籍を分け、税を分け、軍を分け、地図を分けるからである。

 移動する生き物は、分裂を呼吸と同じに扱う。

 大きく息を吸えば胸が広がり、吐けば狭まる。広がった胸を、元の形へ戻らない反乱とは呼ばない。

 問題は、分かれることではない。

 分かれた者が、同じ狭い道へ同時に来ることである。

【現実/翠獣戦線・走る森南北合流崖/覚醒/軍事封鎖命令から二時間六分】

 大地が二つ、向かい合って走っていた。

 北から来るのは、灰白の国土獣ルゥの背。

 南から来るのは、深緑の国土獣ナアの背。

 一頭だけでも村、森、井戸、墓地、畑を載せる。

 二頭が同じ峡路へ入れば、国同士の衝突ではなく地形同士の衝突になる。

「止めろ!」

 誰かが叫ぶ。

 止まらない。

 国土獣は、列車ではない。

 脚一本を止めるだけでも、背の村へ地震が起きる。四脚を同時に止めれば、腹側の浮力嚢が潰れ、背の川が逆流する。

「同調させる!」

 ガンガ・オルバは、鐘棍ドゥルガを地面へ立てた。

 百九十センチの巨躯。

 緑の鬣髪。

 額の白角。

 裸足の足裏が、国土獣の背を読む。

 右手を胸へ。

 左足を大地へ。

 ルゥの心拍。

 ナアの心拍。

 違う。

 ルゥは、四つに一度、長く沈む。

 ナアは、三つに一度、短く跳ねる。

 人間の行軍なら、どちらかへ合わせる。

 大地の行軍では、合わせた瞬間に片方の脚が折れる。

「兄さん」

 ネムの声は、傷めた喉から短く出た。

 ガンガは目を開ける。

「名で呼べ」

「ガンガ。違う」

「分かっている」

「なら、同調と言うな」

 ネムは小さな鼓を二つ持っている。

 長い一打。

 短い一打。

 聞いた。

 同意していない。

「二頭の停止時刻を合わせるのではない。接触しない歩幅へずらす」ガンガ。

「それも合わせる」

「交差のため」

「一つになるためじゃない?」

「違う」

「言葉だけ?」

 ネムの灰色の瞳は、兄の胸を見ている。

 心拍を聞き過ぎた時、ガンガは胸骨中央の白い傷を押さえる。

 今も押さえている。

「頭痛」とネム。

「二」

「吐き気」

「一」

「他人の恐怖」

 ガンガは答えない。

「三」とネム。

「俺の感覚を決めるな」

「決めてない。顔」

「顔で三まで分かるか」

「兄さんの顔、数が少ない」

「名で呼べと言った」

「ガンガの顔、数が少ない」

 言い直せばよい問題ではない。

 遠くで、ルゥ側の森が揺れた。

 村の屋根が一列、樹冠から落ちる。

 南のナア側では、井戸塔が傾く。

 二頭を囲む空へ、黒い封鎖艇が並んでいる。

 攻撃していない。

 峡路の左右へ圧風杭を打ち、進路を狭めている。

 北へ逃げれば黒杭。

 南へ逃げれば黒杭。

 中央だけが開いている。

「合流させたい」とガンガ。

「ぶつけたい」とネム。

「同じではない」

「結果、同じ」

 封鎖艇から、低い召集音が流れた。

 王獣鈴の写しに似ている。

 似ているだけで、本物ではない。音の後ろに骨へ入る深さがない。

『全群、中央合流点へ集結。統一指揮を受けよ』

 発信者名なし。

 終了時刻なし。

 異議窓口なし。

 ガンガの群れの一部が、反射的に中央へ向きを変える。

 王獣鈴が国の時間だった頃の癖が、身体へ残っている。

「止まれ!」

 ガンガが叫ぶ。

 叫びは遠くへ届く。

 届き過ぎる。

 ルゥ側の小群れまで、彼の声へ足をそろえた。

 ネムが鼓を打つ。

 長。

 短。

 聞いた。

 同意していない。

 もう一度。

 長。

 短。

 小群れの足が、ガンガの声から外れる。

「大声だけが、群れの声じゃない」とガンガ。

「自分で言う?」

「今、自分へ」

「遅い」

「遅さを欠点として記録する」

「学院の人みたい」

「遠くでくしゃみする」

 ネムは笑わない。

 喉を痛めるからである。

 代わりに鼓を短く一つ。

 少しだけ面白い。

 合流崖は、昔から一頭ずつ通る道だった。

 崖の中央に、浮根橋がある。

 巨大樹の根を編んだ橋で、国土獣の脚ではなく、背に暮らす人と小型獣が別の大地へ移るための道である。

 今は二頭が両側から迫る。

 ルゥ側の背には、薬草医と産屋。

 ナア側の背には、水と修理工。

 北の村で熱病。

 南の井戸塔で亀裂。

 互いに必要なものを、互いが持っている。

「合流すれば全部渡せる」と北の代表。

「合流したら病も渡る」と南の代表。

「薬草医だけを」

「井戸修理工だけを」

「先にこちら」

「先にこちら」

 先を決める言葉が、争いを作る。

 ガンガは二人の間へ立つ。

「必要量」

「薬草医十二人」と北。

「修理工八人、交換水樽四十」と南。

「同じ人数でなくていい?」ガンガ。

「仕事が違う」と南。

「食料分配は体格と必要量で変える」と北。

「なら、先を同じにしない」

「どういう意味だ」

「二つの移動を同時に始めない。互いの停止時刻だけ合わせる」

「橋で衝突する」

「停止時刻に、互いを見る」

「見るだけ?」

「位置を見て、次を決める」

 北の代表が苛立つ。

「一歩ごとに会議をする気か!」

「大地が二つ走っている。会議より速く決めれば、大地が採決する」

「大地は票を持たない」

「潰れた人数で結果を出す」

 それは採決ではない。

 だが戦争は、しばしば死者数を多数決の代わりに使う。

 ネムが浮根橋の中央へ歩く。

 裸足ではない。

 薄い布靴。

 音を直接拾いすぎないためである。

「聞く」と彼。

「何を」

「別々」

 小さな鼓を左右へ向ける。

 異なる心拍を混ぜず光へ分ける譜〈セパレート・ビート〉

 北の拍は淡い白。

 南の拍は深い緑。

 混ざらない。

 優劣も付かない。

 橋の上へ二色が伸びる。

「同じ拍で進めない」とネム。

「ではどうする」と北。

 ネムは七回、鼓を打つ。

 白、緑。

 白、緑。

 一。

 二。

 三。

 四。

 五。

 六。

 七。

 八つ目を打たない。

 遠い峡路の上で、別の低い音が返った。

 翼鯨の声に似ている。

 だがこの空域に翼鯨はいない。

 旧救難塔が、どこかから届いた七拍を王獣用の地鳴りへ変換している。

 一。

 二。

 三。

 四。

 五。

 六。

 七。

 空白。

「誰」とガンガ。

「分からない」とネム。

 故郷側の緑の航路札が、木柱へ結ばれている。

 王獣の抜け毛を編んだ房。

 群れが分かれるたび、別の色の毛が一本ずつ増えた。

 風で揺れただけである。

 魔法の返事ではない。

 それでも、七拍と空白は、遠い誰かが判断を始めた時刻だと読める。

「従う?」北の代表。

「従わない」とガンガ。

「では無視?」

「使う」

「矛盾」

「兄さん、矛盾多い」とネム。

「名で」

「ガンガ、矛盾多い」

「今は言い直さなくていい」

 ガンガは鐘棍を横へ置く。

「七拍の間、北は薬草医を橋へ。南は修理工と水樽を橋へ。八拍目、全員止まる。互いの位置を見る。次の七拍は、その場所で決める」

「中央命令では」と南。

「提案。北も南も拒否できる」

「拒否した場合」

「別の道を探す。時間は失う」

「病人が」

「だから急ぐ。急ぐことと、同じにすることを分ける」

 北の代表は、白い拍を見る。

 南の代表は、緑の拍を見る。

「北、採用」

「南、変更して採用。水樽は二十ずつ。残りは次」

「成立」とガンガ。

「契約の人みたい」とネム。

「遠くで風鈴が鳴る」