第754話 第五章「分裂した群れの合流点」後編

 橋を渡る者を決める前に、渡らない者を決めなければならなかった。

 北の薬草医十二人のうち、五人は熱病患者へ接触している。

 南の修理工八人のうち、二人は井戸塔の内側で油を浴びている。

 病を持ち込むかもしれない。

 油が薬草を駄目にするかもしれない。

「全員、洗ってから」と南の代表。

「水を持っている側が言うな」と北。

「水を渡す前に病を渡されたら、両方失う」

「薬草医を止めたら、北で今夜死ぬ」

「修理工を止めたら、南で井戸が落ちる」

 互いの緊急は、互いへは脅迫に見える。

 急いでいる者は、待てと言う相手を冷酷と呼ぶ。

 待たせる者は、急げと言う相手を無責任と呼ぶ。

 どちらも、自分の背後にいる人間を数えている。

「人数」とガンガ。

「また?」北。

「待てない人数」

「病床四十三。高熱十一。子ども七」

「井戸塔の下、住居百六。崩落予測は夜半前」と南。

「死ぬ人数は」

「分からない!」

「分からないを、ゼロにするな」

 ガンガは地面へ二つの円を描く。

 北の円。

 南の円。

 重ねない。

「橋中央に、第三の場所を作る」

「橋は狭い」

「人を置かない」

「何を」

「荷物」

 薬草医が薬を持ち、修理工が工具を持って渡るから、互いの身体まで移動させる必要がある。

 薬草と工具を先に中央へ置く。

 相手側の者が取りに来る。

「技術は人にある」と北。

「薬の調合も人にある」と南。

「全部は渡せない」とガンガ。

「半端な救助」

「全員を同じ場所へ集める完全な救助より、半端を七回」

「七回も橋が持つか」

 ネムが浮根橋の根を叩く。

 長。

 短。

 短。

 一本目、乾燥。

 二本目、虫食い。

 三本目、まだ生きている。

 彼女は光へ分ける譜を使わない。

 自分の耳と手で聞く。

「荷重」とネム。

「何人」とガンガ。

「違う。重さ」

 薬草医六人と修理工四人は、人数だけなら十。

 だが担架、工具、水樽を含めれば、南側が二倍重い。

「人数を同じにすると落ちる」とネム。

 北の代表が眉を寄せる。

「公平ではない」

「同じ人数が?」

「交換なら同数が」

「薬草医一人と水樽一つ、同じ?」

「価値の話だ」

「橋は価値で折れない。重さで折れる」

 ネムの短い声は、議論を切る。

 ガンガが鐘棍の端を橋へ載せ、たわみを測る。

「第一回。北から薬草医三、薬籠二。南から修理工二、工具籠一、水樽四」

「少ない!」

「第二回を残す」

「敵が待つか」

「待たない」

「なら一度に!」

「一度に落ちたら、第二回は永遠に来ない」

 南側で、少女が一人、橋へ近づく。

 背に小さな木箱。

「誰」と南の代表。

「井戸塔の弁模型」

「子どもは戻れ」

「模型を見せないと、北の修理助手が弁を逆に回す」

「名前」

 少女は答えない。

 名前を言わないのではない。

 喉が乾き、声が出ない。

 ネムが水袋を差し出す。

 少女は受け取らず、木箱を先に見せる。

「持ち主?」ネム。

 うなずく。

「渡す?」

 首を振る。

「見せる?」

 うなずく。

「本人が行く」ガンガ。

「子どもを危険へ!」代表。

「本人の物を、本人抜きで持って行く?」

「保護だ!」

「保護の終了条件」

「今それを」

「今決めない保護は、帰り道を消す」

 少女は木箱を開く。

 弁模型の取っ手には、左右で違う布が巻かれている。

 文字を読めない者でも回す方向を間違えないためだ。

 北の薬草医が言う。

「箱だけ先に渡して、本人は二回目」

 少女は首を振る。

「理由」とネム。

 少女が自分の胸を指す。

 次に模型。

 それから南の井戸塔。

「説明できるのが本人だけ」とガンガ。

「声が出ないぞ」

 少女は布の端を引く。

 赤、二回。

 青、一回。

 手順を結び目で示す。

 声はない。

 説明はある。

「行くか」とガンガ。

 うなずく。

「戻るか」

 うなずく。

「途中で怖くなったら」

 少女は橋の外を指し、次に胸を二回叩く。

「止まる」ネム。

 うなずく。

 橋を渡る者は、勇敢な者ではない。

 止まる方法を持つ者である。

 北側からは、熱病の子どもを抱えた父親が橋へ来る。

「医師を先に!」

「橋へ患者を出すな」と薬草医。

「この子は今!」

「症状」

「熱、息が速い、昨日から水を吐く」

「移動で悪化する。北側で待つ」

「南に水がある!」

「水をこちらへ渡す」

「医師は南へ行くんだろ!」

「二人残る」

「腕の良い方は?」

 薬草医が止まる。

 腕の良い者を先に送れば、南は助かる。

 北に残せば、目の前の子どもを助けられる。

 救助順は、能力の高い者をどこへ置くかという差別を必ず含む。

「本人へ聞く」とガンガ。

 薬草医たちは相談する。

 一人は南へ。

 一人は北へ残る。

 三人は橋中央の荷渡し。

 残りは次回。

 誰が一番腕が良いかを、代表が決めない。

 患者の状態、井戸塔の必要、本人の得意、戻れる可能性を分けて決める。

 時間はかかる。

 その間にも二頭の大地は近づく。

「残り、四十九歩」と北の見張り。

「ナアは三十六」と南。

「歩幅が違う!」

「だから歩数をそろえるな」とネム。

 彼女は橋中央へ、白と緑の布を二本置く。

 白は北の停止位置。

 緑は南。

 重ならない。

 間に、何も置かない幅を一人分。

「空ける?」ガンガ。

「人が落ちた時」

「誰の場所でもない?」

「助ける人の場所」

 空白とは、何もしない場所ではない。

 予定外の人が現れた時、押し出さずに置ける場所である。

 北の父親が、子どもの額へ布を置く。

 南の少女が模型箱を抱える。

 薬草医と修理工が、それぞれ異なる荷を背負う。

 二つの群れは、一つの隊列を作らない。

 七拍だけ、同じ橋を使う準備をした。

 第一の七拍。

 北から薬草医六人。

 南から修理工四人、水樽二十。

 同じ速度ではない。

 薬草医は担架を持つ。

 修理工は工具を背負う。

 水樽は転がる。

 橋中央で、白と緑の光が近づく。

 一拍。

 二拍。

 三拍。

 ルゥが足を踏み替える。

 橋が北へ傾く。

「北、遅れ!」

「南、進み過ぎ!」

「合わせるな!」ネム。

 四拍。

 南の修理工が止まりかける。

 北の薬草医が走る。

 五拍。

 水樽一つが縄から外れる。

 六拍。

 ガンガの身体が動く。

 橋へ出る。

 大きな腕で樽を止める。

 胸へ、二頭の心拍が入る。

 白。

 緑。

 恐怖。

 焦り。

 怒り。

 自分の感情との境が薄くなる。

 七拍。

「止まれ!」

 ガンガが叫ぶ。

 全員が止まる。

 止まり過ぎる。

 北の薬草医も。

 南の修理工も。

 水樽を支える者も。

 橋下の小型獣も。

 彼の一声へ、二つの群れが一つにそろった。

 八拍目。

 ルゥだけが足を動かした。

 大地は、ガンガへ従わない。

 橋が跳ねる。

 薬草医一人が欄干を越える。

 南の修理工が手を伸ばすが届かない。

 ガンガは鐘棍を捨て、飛ぶ。

 胸の拍を広げれば、全員の動きを一つにできる。

 そうすれば救える。

 同じ失敗を、救助のために繰り返す。

「ガンガ!」

 ネムの短い声。

 長。

 短。

 聞いた。

 同意していない。

 ガンガは能力を閉じた。

 心拍が消える。

 目で見る。

 落ちる薬草医。

 南の修理工。

 北側の細い根索。

 水樽の転がる向き。

「南、手!」

 命令ではない。

 相手へ頼む。

 修理工が身を乗り出す。

「北、根索!」

 薬草医の仲間が索を投げる。

 ガンガは落下者の腰を押す。

 自分で引き上げない。

 南の手へ渡す。

 南の修理工が受け、北の根索が二人を支える。

 薬草医は、南側へ引き上げられた。

「行き先、逆!」北の代表。

「生きてる」とネム。

「だが北の人間だ!」

「今は橋の人間だ」とガンガ。

 八拍目。

 誰も次を命じない。

 落下者本人が息を整え、言う。

「南へ行く。井戸側にも熱病が出ている」

 北の代表が口を開く。

 閉じる。

「本人が決めた」とネム。

 第二の七拍。

 北の薬草医は五人。

 南の修理工は三人。

 人数が同じではない。

 水樽は十五。

 一本の橋で、二つの移動が交差する。

 黒い封鎖艇が、圧風杭をさらに狭めた。

 ルゥとナアの進路が、中央へ押される。

「二頭、接触まで百四十拍!」

 ガンガは大地へ耳を付ける。

 聞かない。

 耳を付けても、能力を開かない。

 足音だけを読む。

「ルゥ、右前脚が遅い。ナア、左後脚が早い」

「そろえれば」と北。

「そろえない」

「ではぶつかる!」

「空白で互いを見る」

「国土獣が見るのか!」

「背の人間が、杭を外す」

 敵の進路制限を壊さなければ、何度拍を合わせても衝突する。

 論理の答えと、物理危機は別である。

「北の杭、誰が」

「南の修理工」とガンガ。

「南の杭は」

「北の薬草医?」

「医師に杭を抜かせるな!」

「北の樹夫を二人追加」

「交換条件みたい」とネム。

「交換ではない。交差救助」

 北の樹夫が南側の杭へ向かう。

 南の修理工が北側へ。

 自分の土地の杭を、自分たちだけで外さない。

 理由は象徴ではない。

 反対側からしか見えない固定具があるからだ。

 黒杭の根元には、解除輪が外側へ付いている。

 中央へ追い込まれた側からは届かない。

「敵、よく考えてる」とネム。

「褒めるな」

「事実」

「事実でも腹が立つ」

 七拍。

 北側杭へ、南の修理工が走る。

 南側杭へ、北の樹夫。

 八拍目。

 全員止まる。

 封鎖艇の砲手が、停止した人影へ照準を合わせる。

「空白を読まれた!」北。

「暗号じゃない」とガンガ。

「撃たれる!」

「空白で、同じことをしない!」

 南の修理工は伏せる。

 北の樹夫は進む。

 橋上の医師は白布を上げる。

 水樽班は樽を盾にする。

 ネムは鼓を打たない。

 敵は一斉停止を予測した。

 しかし空白は、停止命令ではない。

 砲撃が南の空床を抜く。

 北の樹夫が解除輪へ届く。

 次の七拍。

 杭一本が外れる。

 ルゥの進路が半歩広がる。

 別の七拍。

 南側も外れる。

 ナアが左へ一歩。

 二頭は、中央で合流しない。

 肩が触れそうな距離で、互いの外側へすれ違う。

 背の森が風を交換する。

 北の種が南へ飛び、南の葉が北へ落ちる。

 国は一つにならない。

 人だけが橋を渡り、必要な仕事を交換する。

【現実/合流崖・仮設共同火場/覚醒/国土獣すれ違いから一時間】

 夕食は、一つの鍋では作られなかった。

 北は香草粥。

 南は塩肉煮。

「混ぜれば早い」と北の料理番。

「病人の食事条件が違う」と薬草医。

「群れが分かれたまま食べるのか」と南。

「一緒に食うと一つになる?」ネム。

「ならない」

「じゃあ別でも裏切りじゃない」

 二つの鍋を、同じ火で温める。

 ガンガは大椀を受ける。

 ネムは小椀。

 均等ではない。

 必要量で分ける。

「頭痛」とネム。

「一」

「吐き気」

「ゼロ」

「他人の恐怖」

「聞いていない」

「逃げた?」

「閉じた」

「怖かった?」

「怖かった」

 ガンガは認める。

 能力を使わなければ、聞き落とすかもしれない。

 使えば、聞いたものを一つへしてしまうかもしれない。

「次は」とネム。

「お前が聞く」

「全部?」

「違う拍を分けるところまで。決めるのは本人」

「兄さんは」

「名で」

「ガンガは」

「杭を抜く」

「王候補なのに」

「王にならなかった」

「知ってる」

 ネムが短く一打。

 少しだけ面白い。

 故郷側の緑房へ、二本の毛が足される。

 白灰。

 深緑。

 一本へ撚らない。

 同じ結び目へ、別々に通す。

「合流点の印」とガンガ。

「合流してない」

「だから」

 ルゥは北西へ。

 ナアは南東へ。

 別々の方向へ去る。

 薬草医の一部は南へ残り、修理工の一部は北へ渡る。

 人も全員は戻らない。

 二つの群れは、完全同調を拒んだ。

 合流せず、交差救助だけを行った。

 遠い旧救難塔で、七拍の地鳴りがもう一度響く。

 ネムは八拍目を打たない。

 その空白で、ガンガは二つの大地が離れていく音を、同じ群れの別れとは呼ばずに聞いた。