第759話 第八章「醒め目の作戦夢」前編
作戦会議には、夢に似たところがある。
まだ起きていないことを、起きたように並べる。
敵はここから来る。
味方はここへ動く。
橋は持つ。
門は開く。
人は命令どおり走る。
会議室の机では、未来は従順である。
現実へ出ると、橋は濡れ、門は重く、人は怖がり、薬を忘れ、子どもは靴を落とし、敵は予想した場所へ来ない。
それでも人は、予行をする。
未来を当てるためではない。
外れた時、自分がどこから出られるかを知るためである。
出口のない予行は、訓練ではない。
従わせるための予言である。
【現実/夢灯都市・夜明け診療所常設棟/覚醒/軍事封鎖命令から三時間五十六分】
「昨夜、何時間寝た」
戦争が始まっても、メイ・カフの最初の質問は変わらない。
「寝ていない」とソムナ・リル。
「時間で」
「ゼロ」
「食事」
「苦い種を三粒」
「食事ではない」
「噛んだ」
「行動の説明ではなく栄養」
「スープを半分」
「いつ」
「昨日」
「時刻」
ソムナは一拍遅れて答える。
「……夕方」
「現在、低血糖二。低体温一。夢綴りの連続使用は禁止」
「作戦が必要」
「必要と、あなたが使う、は同じではない」
「他に夢葬師が三人」
「二人は避難所。ひとりは治療拒否」
「治療ではなく作戦夢」
「夢へ入ることを拒否している」
「同じではない」
「本人には同じ」
メイは帳簿の頁を速くめくる。
怒っている。
夢灯都市の診療所には、戦争より前から治療拒否者がいた。
夢を見られたくない。
夢へ意味を付けられたくない。
苦痛を薄められたくない。
眠ったまま運ばれたくない。
平時、拒否は治療計画の一項目だった。
戦時、拒否は非協力と呼び替えられやすい。
「全市作戦夢へ入れば、避難手順を一度で共有できる」と防災官。
「一度で共有できるのは、同じ夢だけ」とソムナ。
「同じ手順が必要だ」
「同じ出口は、詰まる」
「個別に作る時間はない!」
「個別に全部作らない」
「では何を」
「入口と出口だけ」
「作戦がない!」
「作戦を本人が現場で変える」
「夢の意味がない!」
「変えられない夢の方が、現実で役に立たない」
ソムナの声は柔らかい。
返事まで一拍遅い。
遅い声は弱いとは限らない。
相手の言葉を自分の比喩へ変えず、そのまま置く時間を持つ。
防災官が机へ一枚の紙を叩く。
『全市民、共有作戦夢へ参加。中央夢灯塔の指示に従い、北避難路を使用』
発信者名、中央防災網。
個人名なし。
終了時刻なし。
拒否窓口、停止。
「北避難路の状態」とメイ。
「現在通行可能」
「何人」
「全市」
「幅」
「一時に二千」
「全市は一万を超える」
「順次」
「共有夢は同時に見せる」
防災官が黙る。
メイは比喩を使わない。
数字は、ときどき最も強い反論になる。
夢灯都市の灯りは、一つずつ消えていた。
紙屋根の灯。
橋灯。
診療灯。
起床灯。
敵が灯を壊しているのではない。
中央夢灯塔が、全市の夢力を一つの共有夢へ集めている。
眠れば作戦を見られる。
起きていれば、街が暗くなる。
「全員を眠らせるため、起きてる人の灯を使う」とソムナ。
「設計したのは市側」とメイ。
「攻撃者は起動しただけ」
「責任を分ける。攻撃は攻撃。脆弱な設計は脆弱な設計」
夜明け診療所の患者組合は、共有夢への参加を三つに分けた。
参加。
不参加。
今は保留。
不参加者には、現実の地図と、触って分かる出口縄。
保留者には、いつでも入れる小さな個別夢。
参加者にも、同じ作戦内容を強制しない。
「夢の中で見るものを選ぶ」とソムナ。
「選択肢」とメイ。
「一、火災。二、落橋。三、人混み。四、暗闇。五、何も見ず、出口だけ練習」
「身体条件」
「低血糖、呼吸器、妊娠、光過敏、過去の夢売却歴を別に確認」
「退出方法」
「視覚、音、触覚から本人が選ぶ」
「退出不能時」
「現実側が夢灯を切る」
「夢葬師が反対したら」
「患者側の退出を優先」
「あなた自身」
ソムナは止まる。
「案内」
「退出方法」
「僕は起きている」
「夢へ入る」
「案内人として」
「参加者としても数える」
「……後で」
「今」
「時間が」
「自分を数えない案内人は、最後に倒れる」
「倒れたら起こして」
「出口を作れ」
メイの頁が速い。
「分かった」とソムナ。
言った。
書かなかった。
重要な約束を紙へ残さなかった時、物語はそこを忘れない。
参加申込は、作戦会議より長くなった。
夢へ入るかどうかを一人ずつ聞くからである。
「時間の無駄だ」と防災官。
「無駄にした時間を、本人へ請求しない」とメイ。
「町が燃えたら」
「燃えている場所を言え」
「比喩だ!」
「比喩で人を急がせるな」
最初に椅子へ座ったのは、ボウ・レンだった。
夜明け診療所の常設棟を直す職人。
夢治療を拒みながら、診療所の扉や手すりや水管を直している。
「参加しない」とボウ。
「理由は書く?」ソムナ。
「書かない」
「聞いてよい範囲」
「出口縄の太さ。現実訓練の時間。火の映像は見せるな、じゃなく、夢そのものを使うな」
「作戦夢なら治療ではない」と防災官。
ボウは彼を見ない。
「俺の頭へ入る行為を、お前の帳簿で別名にするな」
「避難が遅れる」
「現実で練習する」
「夢なら一分だ」
「現実なら手すりが錆びてるのも分かる」
ボウは腰袋から短い鉄棒を出した。
出口縄の留め輪を一度叩く。
鈍い音。
「この輪、二人分しか持たない。夢なら十人つかまっても切れない」
「夢は手順を」
「切れない手すりで覚えた手順を、切れる手すりで使わせるな」
ソムナは申込札へ書く。
『夢、不参加。
現実訓練、参加。
確認対象、出口縄・留め輪・手すり荷重。
理由、非公開。』
「それでいい」とボウ。
「拒否を、非協力と記録しない」
「当たり前を恩にするな」
「うん」
「でも続けろ」
ボウは立つ。
左の扉を開け、現実訓練班へ行く。
夢を見ない者が、夢から戻った者の足場を作る。
次は、白い布で目を覆った老女だった。
「暗闇を選ぶ」と老女。
「暗闇の夢?」
「違う。夢でも何も見せない」
「音は」
「鐘は嫌い」
「触覚」
「右手に縄」
「左手は」
「孫を持つ」
「孫の同意」
「まだ寝てる」
「起こして聞く」
「時間がない」防災官。
「孫は物じゃない」と老女。
孫は七歳。
起こされる。
「おばあちゃんと一緒に行く?」ソムナ。
「夢?」
「夢でも、現実でも。別々も選べる」
「おばあちゃん、手を強く握る」
「嫌?」
「痛い」
老女の手が緩む。
「ごめん」
「でも、離れるのも嫌」
「どこを持つ?」ソムナ。
子どもは考え、老女の袖をつまむ。
「手じゃなく、ここ」
夢の出口は、右手の縄。
現実では、子どもが袖を持つ。
同じ動作にしない。
夢は現実の代用品ではない。
現実で話し合うための試着である。
三人目は、夢売却歴のある男だった。
自分の幼少期の街並みを、一部覚えていない。
「避難路が昔の市場に見えたら、入れない」と男。
「市場が嫌い?」
「売ったから、知らない」
「嫌いかも分からない?」
「知らない景色を懐かしいと言われるのが嫌だ」
ソムナは夢の背景を白くする。
白い廊下。
影なし。
匂いなし。
音は本人の足音だけ。
「何もないと怖い」と男。
「何を置く?」
「今の家の戸当たり音」
「録音していい?」
「夢の中だけ。保存するな」
「終了後、削除」
「削除した証拠は?」
問いが止まる。
削除を証明する記録を残せば、削除した内容があったことは残る。
「削除実施時刻と確認者だけ。音の種類は書かない」メイ。
「確認者は?」
「患者組合から一人。あなたが選ぶ」
男はうなずく。
四人目は、参加すると言い、途中で保留へ変えた。
「理由」と防災官。
「理由を求めない」とソムナ。
「作戦人数が変わる!」
「人数変更は書く。理由は本人のもの」
「敵前で気分に付き合えるか!」
「気分で撤退する人を数えない作戦は、現場で人数を失う」
五人目は、参加するが出口を持たないと言った。
「全員と同じ時に起きればいい」
「全員と同じ時に起きられなかったら」
「置いて行って」
「それを今の本人が決める?」
「迷惑をかけたくない」
「迷惑の量を、誰が決めた」
「私」
「起きられないあなたは、決め直せない」
「じゃあ誰が」
「決めない。退出補助だけ残す」
「勝手に助ける?」
「勝手に起こさない。現実側から名前ではなく、選んだ刺激を送る。返事がなければ夢灯を切る」
「それも助けるでしょ」
「うん」
「矛盾」
「安全と同意は、きれいに同じにならない」
ソムナは、相手を安心させる答えを出さない。
出せないのではない。
出せるふりをしない。
六人目。
七人目。
申込札が増える。
視覚出口。
音出口。
触覚出口。
匂い出口は、街の火災臭と混同するため使用不可。
味覚出口は、低血糖者には誤認の恐れ。
ソムナの筆跡が途中から薄くなる。
「手」とメイ。
「動く」
「質問は震え」
「一」
「体温」
「分からない」
メイが額ではなく、耳下の温度札を読む。
「三十五・二。下がった」
「まだ」
「休む」
「七人残ってる」
「別の聞き手へ渡す」
「夢条件が」
「条件は本人が言う。あなたしか聞けないと制度化するな」
患者組合の女性が椅子へ座る。
「質問表を貸して」
「夢葬師じゃない」防災官。
「聞くのに資格が要る?」
「専門判断が」
「専門判断は後でソムナが確認する。本人の拒否は今聞ける」
ソムナは質問表を渡す。
自分がいなくても進む工程を作る。
それは、自分の価値を減らすことではない。
自分が倒れても他人の権利が止まらないようにすることである。
「食事」とメイ。
「半分」
「今」
「あとで」
「あとでは作戦終了後という意味?」
「……今」
冷めた粥を三口。
ソムナは左手首へ出口輪を描こうとし、筆を止める。
「何」とメイ。
「後で、ちゃんと作る」
「今」
「参加者の確認が」
「自分を数えろ」
「分かった」
彼は答えた。
だが、輪を最後まで閉じなかった。
自分の出口を作ることは、他人の出口を作るより怖い。
他人には帰ってほしいと言える。
自分が帰った後、何をしなければならないかを知っているからである。