第760話 第八章「醒め目の作戦夢」後編
旧救難灯が七回、暗くなった。
光るのではない。
消える。
一。
二。
三。
四。
五。
六。
七。
八つ目は消えない。
遠い誰かの合図。
「誰から」と防災官。
「分からない」とソムナ。
「敵かもしれない」
「うん」
「使うのか」
「従わない」
「無視」
「使う」
「この問答、各地で流行っているのか!」
誰も知らない。
ソムナは、苦い種を一粒噛む。
航路札の紙灯籠。
患者が一粒ずつ持ち帰り、空になるたび別の種を入れる。
今は二粒。
「七拍の夢。その次の一拍を、醒め目にする」
「目?」
「夢の中に、現実を見ない場所を作る」
「現実を見るのでは」
「夢から何も指示しない場所」
「空白?」
「そこで、退出、続行、変更を選ぶ」
「敵も真似る」
「真似られる」
「危険」
「だから、醒め目に命令を置かない。誰かが『進め』と見せたら偽物と分かる」
「空白を偽造できない?」
「できる」
「なら」
「本人の退出札を優先する」
秘密の合言葉ではない。
本人へ権限を戻す時間。
【夢/参加者ごとに異なる夢灯都市/半覚醒/第一作戦周期】
ソムナは、同じ街を作らなかった。
一人目には、北避難路が水路に見える。
水の恐怖がないから。
二人目には、階段が畑の畝に見える。
足元の段差を身体で覚えやすいから。
三人目には、何も見えない。
腰へ結んだ縄の引きだけで、出口を練習する。
四人目は、夢へ入らない。
現実で同じ縄を触る。
五人目は、途中でやめる。
「怖い」と彼女。
「今は答えなくていい」ソムナ。
「続けるか聞いてる」
「聞いてない。出口を見せる」
「逃げたら、他の人に迷惑?」
「あなたが残ることを前提にした作戦は、あなたの作戦じゃない」
「でも、灯が足りない」
「現実側で調整する」
「本当に?」
「分からない」
「安心させてよ」
「分からないのに安心させると、夢の中だけ安全になる」
彼女は怒る。
「優しくない」
「うん」
「否定して」
「今は、できない」
七拍目。
街の灯が、一度だけ消える。
醒め目。
何も見えない。
音もない。
作戦の矢印もない。
彼女は退出札を握る。
現実へ戻る。
【現実/夜明け診療所・作戦夢室/覚醒/第一作戦周期終了】
「参加四十七。退出十二。続行二十一。変更十四。身体悪化三」とメイ。
「低血糖」
「参加者二。あなた一」
「僕は参加者じゃ」
メイが頁をめくる。
速い。
「言い直せ」
「僕も参加者」
「退出方法」
「苦い種」
「感覚は」
「味」
「夢の中で味覚が変わる可能性」
「左手首の輪痕」
「触覚」
「うん」
「記録」
ソムナは腕へ、小さな輪を描く。
左手首。
出口。
「食べろ」
メイが温かいスープを渡す。
湯気はない。
熱過ぎると、夢から戻った者が温度を誤認する。
「半分」
「全部」
「時間」
「食事も作戦」
「それは比喩」
「具体的。血糖が上がる」
ソムナは飲む。
共有夢へ入らなかった患者が、隣で出口縄を結んでいる。
「夢、見なくても参加?」
「参加ではない」とソムナ。
「同じ避難へ行く」
「協力」
「同じじゃない?」
「夢へ入らない選択を消したくない」
「面倒」
「うん」
「でも、そのまま書いて」
「書く」
夢へ入らず、現実訓練へ協力。
拒否したまま、都市を救う。
第二作戦周期で、敵の共有夢が入った。
全員が同じ北避難路を走る。
白い紙灯籠が道を示す。
中央夢灯塔の声が、七拍ごとに「進め」と言う。
美しい夢だった。
恐怖は薄い。
足は軽い。
誰も転ばない。
「出典」とソムナ。
夢の縫い目を探す。
ない。
敵夢は、自分を現実として見せる。
ソムナは長い綴灯杖を床へ置く。
「縫い目を付ける」
夢の空へ、粗い糸を走らせる。
白い灯籠の輪郭へ、縫い跡。
中央塔の声へ、紙札。
出典、中央夢灯網。
作成者、不明。
退出、未表示。
「案内人!」
参加者が呼ぶ。
「北へ行けばいいの!」
「夢はそう言っている」
「正しい?」
「現実の北路は通行可能。でも全員が同時なら詰まる」
「じゃあ南?」
「あなたの出口は、北でも南でもない」
「どこ!」
「醒め目」
七拍。
敵夢は「進め」と言い続ける。
八拍目。
ソムナが灯を消す。
何もない。
参加者ごとの退出札だけが残る。
視覚。
音。
触覚。
戻る者。
続ける者。
別の夢へ移る者。
敵夢は、全員を一方向へ走らせられない。
だが現実側では、中央夢灯塔が北路の門を開いた。
【現実/夢灯都市・北避難路/覚醒/第二作戦周期中】
「人流、千二百!」メイ。
「夢から退出してない人?」
「共有夢だけを見た人。診療所管理外」
「北路、容量」
「一時二千。ただし紙屋根火災で八百へ低下」
「超える」
「比喩でなく、何分」
「六分」
メイは作戦夢室を離れない。
夢の中のソムナへ、現実の数字を送る。
生活の状態を方眼光へ変える診療譜〈デイリー・グリッド〉。
治す光ではない。
睡眠。
食事。
体温。
住居。
仕事。
今は、出口ごとの人数。
夢の地面へ方眼が現れる。
北路、赤い方眼八百。
現在、千二百。
「色だけで表示するな」とテトなら言う。
メイは色に加え、四角の数と振動を付ける。
「ソムナ。北路、容量超過。南路、火災。東水路、暗闇。西、橋損傷」
夢の中で返事が一拍遅れる。
『了解』
「あなたの体温三十五・二。血糖低下。次周期で退出」
『了解』
「今、返事の紙札が先に鳴った」
嘘をつく時の癖。
『……次周期で再確認』
「拒否」
『患者が』
「患者組合があなたの代理犠牲を承認していない」
『犠牲では』
「言葉を変えるな。退出」
メイは夢灯の切断鍵へ手を伸ばす。
患者側の退出を優先する鍵。
だが全員を一度に切れば、夢内で方向を失う者が出る。
「三十秒後、案内人灯を切る。参加者へ表示」
【夢/北避難路を模した紙の街/半覚醒/第三作戦周期】
ソムナは、四十人の夢を同時に持たない。
一人ずつ、出口の縫い目だけを見る。
それでも数が多い。
名前を覚える。
顔を覚える。
出口を覚える。
覚醒後、夜明けまで記憶を失う代償が積もる。
「案内人」と子ども。
「ソムナ」
「先生?」
「案内人」
「出口、ない」
見る。
子どもの出口札が、敵夢の白い灯籠へ縫い込まれている。
「誰が」
「お母さんと同じにした」
「誰が決めた」
「大人」
「あなたは」
「一緒がいい」
「本当に?」
「分からない」
「今は答えなくていい」
七拍目。
醒め目を開く。
子どもは母と別の出口を選ぶ。
母は現実で先に目覚めている。
別々に出ても、現実で会える。
ソムナは子どもの札を縫い直す。
その時、自分の左手首の輪が薄くなった。
出口を一つ作るには、夢の縫い目を一つ切る。
材料が足りない時、案内人は自分の縫い目を使える。
使ってはならない。
知っている。
子どもの出口が今必要で、自分は後で作れる。
そう考える。
善意は、いつも「後で」を自分へだけ使う。
「ソムナ、退出」
メイの声。
「次の醒め目で」
「今」
「この子」
「現実側で母が待つ。出口は完成」
「あと一針」
「それを言う修理工を何人も見た」
「僕は修理工じゃ」
「同じ顔」
ソムナは笑いかける。
夢では、表情も演出になる。
笑わない。
「分かった」
七拍。
八拍目。
醒め目。
左手首へ触れる。
輪痕がない。
現実の身体にはある。
夢の中で、出口として認識できない。
「メイ」
「聞こえる」
「僕の退出札」
「左手首」
「分からない」
「味覚。苦い種」
口へ種を入れる。
苦くない。
夢が味を再現している。
「視覚」
「長い杖の輪」
綴灯杖を見る。
患者の退出札が何十枚も輪になっている。
どれが自分か分からない。
「名前」とメイ。
「ソムナ・リル」
「もう一度」
「ソムナ・リル」
「現実の場所」
「夜明け診療所」
「椅子の向き」
「出口が見える向き」
「窓の黴」
「北枠に二点」
「スープ」
「半分」
「全部飲んだ」
記憶がずれる。
「全部」とソムナ。
「身体はここ。次の醒め目まで待つな。夢灯を切る」
「患者が」
「全員へ切断予告済み」
メイが現実側の鍵を回す。
夢の空が暗くなる。
参加者の退出札が、一つずつ光る。
視覚。
音。
触覚。
全員にある。
ソムナだけ、ない。
「僕を数えた?」
返事が一拍遅れる。
「数えた。あなたが自分の札を登録していない」
メイの声は平板である。
平板な声が震えないとは限らない。
「作る」
「何で」
材料。
夢の縫い目。
自分の輪は、子どもの出口へ使った。
「戻って」と、子どもが言う。
彼はもう出口の向こうにいる。
「起きたあとも、ここにいる」とソムナ。
「約束?」
「希望」
「違うの」
「約束は、守れない時に説明が必要」
「じゃあ説明して」
「今から」
夢灯が切れる。
参加者が現実へ戻る。
紙の街が一枚ずつ消える。
ソムナの足元だけ、残る。
七拍。
一。
二。
三。
四。
五。
六。
七。
八拍目。
醒め目が開かない。
【現実/夜明け診療所・作戦夢室/覚醒不能/夢灯切断から九秒】
四十七人が目を開けた。
一人だけ、開けない。
「ソムナ」
メイは比喩を使わない。
「呼吸、十二。脈、不整なし。体温三十四・九。血糖低下。瞳孔反応あり。夢灯接続は切断済み。覚醒反応なし」
防災官が言う。
「再接続を」
「拒否」
「救うためだ!」
「同じ共有夢へ戻せば、どの出口が本人のものかさらに分からなくなる」
「ではどうする!」
「現実側の状態を維持。夢側へ誰が入るか、本人の事前同意記録を確認」
「時間がない!」
「時間がないと同意が増えるのか」
メイの頁が、速くめくられる。
ソムナの事前指示。
患者の夢へ入る時、現実側監督を一人。
退出不能時、夢灯切断。
再接続は、別の夢葬師と医師の同意。
本人の出口札がない場合――空欄。
「空欄」とメイ。
「書き忘れ?」
「そう」
「なら医師判断で」
「空欄を許可にしない」
診療所の外で、北避難路の火が強くなる。
現実の救難は続く。
患者組合は、夢へ入らない班を北路へ送る。
作戦夢から戻った者は、自分が練習した出口と現実の違いを報告する。
共有夢へ入らなかった者が、最も早く現場の変化を見つける。
ソムナが眠り、案内人が動けなくても、都市の暮らしは止まらない。
メイはソムナの冷たい指を握らない。
触覚刺激として、本人が選んだ左手首の輪痕へ指を置く。
「ソムナ。現実。夜明け診療所。北窓に黴二点。スープは全部飲んだ。あなたの出口札は未登録。今から勝手に作らない」
返事はない。
紙灯籠の航路札で、苦い種が一粒だけ転がる。
八拍目。
夢の中で、ソムナ自身が戻れなくなった。