第766話 第十一章「七つの時刻、八つの撤退」後編

【雷鎖環・第九小駅時計 十三時十三分】

 病院列車は、逆方向へ走った。

「中央救難駅は反対!」看守が叫ぶ。

「知ってる」とテト。

 赤錆色の髪。

 赤と緑の見分けが弱いから、信号を形で読む。

「次の停車は?」イヴァ。

 乗客へ聞く。

「中央!」

「家族のいる南!」

「止まるな!」

「薬のある駅!」

「どこでもいい!」

「どこでもいいは、どこへでも連れて行っていいじゃない」テト。

「次を選べない状態」とイヴァ。

 左耳の聴力半分。

 心拍が乱れる。

 右手の震え二。

 彼女は中央時刻表を持たない。

 各車両に、地域ごとの停車条件がある。

 第一車両――火災なら最寄り。

 第二――透析患者の水が四割を切れば給水駅。

 第三――子どもの発熱が三人を超えれば医療所。

 第四――乗客過半数が行き先を保留したら、保留駅。

 病院列車は第四条件で逆走した。

 中央駅へ行くかを決められない者が多かったからである。

「保留で逆走するな!」看守。

「中央へ進むのも決定」とイヴァ。

「止まれ!」

「線路上で止まれば後続と衝突する」

「なら中央へ!」

「中央だけを前と呼ばないで」

 第一拍。

 前方に黒い封鎖車。

 第二拍。

 後方に貨物列車。

 第三拍。

 右分岐は崩落。

 第四拍。

 左分岐に第九小駅。

「廃駅だ!」

「屋根がある」テト。

「医療設備がない!」

「水塔がある」

「敵に囲まれる!」

「中央も囲まれてる」

 第五拍。

 イヴァが右手を制御輪へ置く。

 震える。

 以前なら、全車両の行き先を一人で決めた。

「各車両、停車条件を確認」

「指揮しないのか!」

「次の停車は、あなたが決めて」

 第六拍。

 第一車両、火災なし。

 第二、水三割八分。

 第三、発熱四人。

 第四、保留継続。

 第七拍。

 第二と第三が第九小駅を選ぶ。

 第一は通過を選ぶ。

 第四は分割を選ぶ。

「列車を分ける!?」

「独立車両」イヴァ。

「今分けたら、後ろが追いつく!」

「八拍目に加速しない」

 八拍目。

 全車両が、動力を上げない。

 前方の黒い封鎖車は、病院列車が中央へ突っ込むと予測し、加速していた。

 後方の貨物列車も、病院列車が逃げると予測して加速していた。

 病院列車は速くならない。

 前の黒車は行き過ぎる。

 後ろの貨物は、停止距離を確保する。

 九拍目。

 連結器が外れる。

 第一車両は直進。

 第二と第三は第九小駅へ。

 第四は駅手前の保留線へ。

 イヴァは全員を同じ駅へ連れて行かない。

 列車とは、同じ目的地へ行く箱ではない。

 同じ線路をしばらく共有し、途中で別れてよいという約束である。

【夢灯環・醒め目なし 現実時計午前五時四十二分】

 ソムナ・リルは、目を開けない。

 夢の中で、七つの扉を見送った。

 一人目が戻る。

 二人目が戻る。

 三人目は治療を拒否する。

 四人目は夢を見ない。

 五人目は途中で起きる。

 六人目は別の出口を選ぶ。

 七人目は、自分の夢を持ち帰る。

 ソムナの扉はない。

 彼は、全員を夜明けへ連れて帰ると誓っていた。

 誓いは、条件を失っても残る。

 残るから、呪いになる。

「体温、三十四・八」メイ。

 現実側。

 比喩を使わない声。

「血糖、低。水分、足りない。呼吸、浅い。作業、終了していない」

 夢の中へ聞こえる。

 ソムナは答える。

「起きたあとも、ここにいる」

「起きてない」

「ここにいる」

「身体はここ。返事は夢」

「今は答えなくていい」

「答えろ。帰るか」

「全員が」

「全員は帰った」

「一人、残ってる」

「誰」

 ソムナは答えない。

 自分を患者として数えていない。

 紙灯籠の内側で、七つの苦種が弾ける。

 一。

 二。

 三。

 四。

 五。

 六。

 七。

 八つ目はない。

 夢が、新しい景色を書こうとする。

 安全な診療所。

 温かい毛布。

 全員が帰った朝。

「書くな」とメイ。

 夢は比喩を理解する。

 メイの言葉は比喩ではない。

「新しい景色を作るな。床、木。窓、二。外、火災なし。患者、七人帰還。医師、一人未帰還。食事、冷めた粥。帰宅、未」

 現実を、一つずつ置く。

 夢の美しさへ勝とうとしない。

 美しくない事実を、事実のまま置く。

 八拍目。

 夢は書かない。

 ソムナの足元に、何もない場所ができる。

 扉ではない。

 出口でもない。

 ただ、夢ではない空白。

「これは、帰り道?」ソムナ。

「知らない」メイ。

「安全?」

「知らない」

「僕がいなくなったら?」

「診療所は赤字。患者組合は怒る。ボウは夢治療を受けない。私は勤務を続ける。お前の部屋の粥は捨てる」

「悲しまない?」

「質問が抽象的」

「僕を、必要とする?」

「必要とする。医師としてだけじゃない。説明は起きたあと」

 ソムナは笑う。

「今は答えなくていい、って言いたい」

「今答えた」

 彼は、空白へ足を置く。

 夢がない場所は、夢より怖い。

 自分が誰かの治療者ではなく、一人の十五歳として起きる場所だから。

 九拍目。

 現実で、ソムナの指が動く。

 メイは抱きしめない。

「体温、三十四・九。水、飲める?」

「少し」

「帰宅は?」

「保留」

「記録」

「夢の中で、誰かが八拍目を空けた」

「誰」

「分からない」

「なら、不明」

「うん」

 ソムナは、自分で醒め目を作らなかった。

 誰かが作ってくれたのでもない。

 誰も夢を書かなかった二秒へ、自分で足を置いた。

【逆潮環・第六圧刻 時刻表示反転中】

 三つの鍵がそろう。

 構造鍵、ニア。

 現場鍵、エメ。

 住民鍵、代表。

「切る対象を確認」とニア。

「主圧路ではない」とエメ。

「敵側支線でもない」と代表。

「第三保守弁の自動命令索」

 主圧路を切れば、六百二十以上が落ちる。

 敵側支線を切れば、向こう側の避難索が落ちる。

 切るのは、両方へ同じ命令を送り続ける細い索。

 切断そのものは小さい。

 判断は遅い。

「三鍵」とニア。

 一。

 二。

 三。

 三つの鍵を回す。

 切断刃が命令索へ入る。

 敵側の三人も、同時に刃を下げた。

 顔は見えない。

 所属も分からない。

 向こうも三人いる。

 一人が構造図を持つ。

 一人が現場弁を押さえる。

 一人が子どもの靴につながる避難索を握る。

「同じ手続?」作業員。

「断定しない」とニア。

「でも、止めた」

「観測」

「味方かも」

「未確定」

「敵じゃないかも」

「未確定」

「言葉、固い」エメ。

「管より柔らかい」

「冗談?」

「確認中」

 命令索が切れる。

 主圧路の自動圧が止まる。

 七本の保守管へ、圧が分かれる。

 一号、九。

 二号、十一。

 三号、八。

 破裂まで二十二分だった計算が、四十三分へ伸びる。

 救えたのではない。

 手作業を続けられる時間を買った。

「撤退」と住民代表。

「どこへ」ニア。

「上層は上へ。下層は下へ。保守班は残る」

「一つに集めない?」

「集めたら、また一つの管を切れば全員落ちる」

「承知」

 ニアは、自分が最短路を選ばないことを覚えた。

 選ばないことを、正しさにしないことも覚えた。

 三鍵は遅い。

 遅いから死ぬ可能性がある。

 単独切断は速い。

 速いから、他人の死を一人の計算へ閉じ込める。

 どちらも欠点を持つ。

 制度とは、欠点がない手順ではない。

 欠点を誰が直せるかが明示された手順である。

 八拍目。

 ニアは新しい切断命令を出さない。

 敵側も出さない。

 九拍目。

 双方は、別方向へ住民を運び始める。

 刃を向けたまま。

 敵でも味方でもないという意味ではない。

 今この管を切らないという一点だけが、同じだった。

【終端外縁・ゼロスター号船内時計 時刻不明】

 時計が止まっていた。

 ロロが止めたのではない。

 終端軍の封鎖波が、船内の公的時刻登録を消した。

「時計、直す?」ハル。

「今は直さない」ロロ。

「修理屋が?」

「七戦線の時刻を一つにしたくない」

「珍しく詩的」

「実務だ! あとで全部の時計を別々に直して、ずれを記録する!」

「手間」

「請求!」

 ゼロスター号も撤退する。

 中央へ向かわない。

 学院へも、自由港へも、翠獣環へも行かない。

 自分たちが一番重要な船だと見せれば、敵は追う。

 だが一番重要だと信じれば、味方も追う。

「八つ目の撤退」エリア。

「七戦線じゃないの?」ハル。

「七空域と、私たち」

「僕らは空域じゃない」

「だから八つ目」

 ゼロスター号は終端軍の中央へ突っ込まない。

 右補助帆を畳む。

 左を開く。

 黒艦から見れば、故障して旋回したように見える。

 実際、故障している。

「作戦と故障の境界が薄い!」ロロ。

「使える現実を使う!」ハル。

「直せる現実は直させろ!」

 黒艦の包囲線が、七方向で同時に荷重を失う。

 学院は北ではなく地下へ。

 自由港は一箇所でなく四方へ。

 翠獣の二群は合流せず交差して離れる。

 鏡砂の都市は映像誘導を拒み二路へ。

 雷鎖の車両は分割。

 夢灯の患者は同じ夢からではなく各自の出口へ。

 逆潮の住民は上下へ。

 ゼロスター号は横へ。

 敵の中央制御は、すべての標的が同じ中心へ寄ると計算していた。

 命令は一つ。

 だから、異なる撤退へ弱い。

 七本の黒い封鎖鎖が、互いに引き合う。

 一つ目が外れる。

 二つ目が巻き戻る。

 三つ目は、民間船を巻き込む前に、敵側の手で停止される。

「敵が止めた!」ハル。

「観測」とセレナ。

「理由は」

「不明」

「今はそれでいい」

 四つ目。

 五つ目。

 終端側の黒い雲に、細い裂け目ができる。

 中央都市へ続く路。

 勝利の道ではない。

 追跡と調査の道。

 包囲を抜けるには使える。

 戻ってくる保証はない。

「進む?」カイル。

 ハルは一歩出る。

 二歩目で止まる。

「全戦線の撤退確認は?」

「完全にはできない」エリア。

「ソムナ」

「夢灯の熱信号、再点灯。本人かは不明」

「ニア」

「逆潮圧、低下。三鍵の作動痕あり」

「ティア」

「学院北鐘、停止。地下風路の排気あり」

「ミラ」

「港灯、四方向へ分散」

「ガンガ」

「二群、別方向」

「ユノ」

「西市、無映像のまま移動痕」

「イヴァ」

「列車信号、四系統」

「みんな、同じ命令に従ってない」

「だから残っている」エリア。

 ハルは裂け目を見る。

「進もう」

「中央司令として?」カイル。

「違う」

「英雄として?」

「違う」

「じゃあ何として」

「次に、誰が命令したか聞きに行く船として」

「返事をくれなかったら?」

「聞き方を変える」

「攻撃されたら?」

「逃げる」

「勝てそうなら?」

「助ける」

「敵を?」

「人を」

 ノクスが甲板に、航路札を七つ並べる。

 一。

 二。

 三。

 四。

 五。

 六。

 七。

 八つ目の場所を空ける。

「ナァ」

 ゼロスター号は、開いた路へ入った。

 背後で七空域の灯が、同じ色ではなく、別々の色に戻り始めた。