第15話 第八章「天頂門」前編
白い輪へ一本。
自分の旗へ一本。
「標術とは、生き方の形だって言ったわね!」
ザンバを睨む。
「私の《継ぎ路》は、誰かの後ろへ戻す力じゃない!」
銀糸が三角形を作る。
「違う形のまま、必要な力を渡す!」
朝火管の光が、黒旗だけでなく白い帰還輪へ分かれた。
ザンバの刃が一瞬軽くなる。
カナタが踏み込む。
白旗と黒旗がぶつかる。
「小娘一人の分岐で、門の流れは変わらん」
「一人を数えないから、あんたの道は減るの!」
ルゥは四本目の鋲を、ミチバミの操具跡へ投げる。
竜の首から外した黒い金具。
まだザンバの旗へ細い線を残している。
「カナタ! 竜の操具、まだ切れてない!」
「外したぞ!」
「物理は! 標力は残ってる!」
「分かりやすく!」
「ザンバは、竜が食べた道の力まで旗へ入れてる!」
黒旗の周囲で、消えた橋や昇枝路の影がうごめいている。
《終点》だけではない。
村から奪った道を、刃の重さにしている。
「返せ!」
「道に持ち主の名はない」
「ある!」
カナタの白旗へ結ばれた札が揺れる。
北橋。
南橋。
薬師橋。
人が使い、待ち、直してきた道。
「名前を知らなくても、誰かの行き先だった!」
ザンバは黒旗を振る。
竜の操具から伸びた線へ《終点》を置こうとする。
ルゥは先に銀糸を引いた。
「切れたものの向こう側を、勝手にないことにしない!」
操具の標力が二つへ分かれる。
一つはザンバ。
一つは、帰還路の下方。
村へ奪った道の残りが、細い光となって戻り始める。
黒旗の刃がさらに軽くなった。
「今!」
ルゥの声に、カナタはザンバの正面へは行かなかった。
「どこ!」
「私の反対!」
「分かりにくい!」
「ザンバの左!」
「それ!」
一歩分の光板。
カナタはザンバの左へ。
ルゥは右の支柱裏から銀糸を引く。
二人は別々の場所から、同じ黒旗を狙った。
ザンバは一人を止められる。
二人を同じ終点へ入れることはできない。
ルゥは床へ三本の鋲を打つ。
切られた糸の両端を、別の経路でつなぐ。
右。
左。
柱の裏。
「《継ぎ路》は一本じゃない!」
光糸が三方向からザンバの足へ絡む。
外套が石床へ縫い止められた。
「今!」
カナタが懐へ入る。
「道を作るってのは!」
拳を引く。
「自分が歩くだけじゃねえ!」
全力の拳が、ザンバの頬へ叩き込まれた。
男の体が一歩下がる。
口元から血。
「相手にも、一歩踏ませることだ!」
ザンバは頬を拭った。
「相手が踏みたくない道でもか」
黒旗が朝火を飲む。
布が巨大な刃へ変わった。
ルゥの光糸。
石床。
門へ伸びる帰還路。
すべてを一度に狙う。
「標術奥義――《万路終断》」
黒い刃が振り下ろされる。
カナタは白旗で受けた。
衝撃。
旗竿に亀裂。
膝が沈む。
「カナタ!」
ルゥが銀鋲を投げる。
一本。
二本。
残った全部。
銀糸が白旗の亀裂を縫う。
「標術とは、生き方の形だ」
ザンバの黒刃が、さらに重くなる。
「俺の《終点》は、不要な道を捨てる力。迷いを断ち、一つを残す」
「俺の旗は――」
カナタは歯を食いしばる。
「まだ空いてる!」
「だから、生き方がない」
「これから入る!」
「何をだ」
「みんなの道!」
白旗の中央が光った。
カナタの頭に、村が浮かぶ。
老人。
子ども。
ルゥの作業場。
アカリの薬箱。
落ちかけた家。
全員を助ける道。
全員で上へ来ればいい。
門の向こうなら、枝は落ちない。
「カゲノハ村から、天頂門へ!」
カナタは白旗を地面へ突き立てた。
「標術――《未踏路》!」
巨大な光が爆発した。
門から下方へ。
森を抜け。
逆さ滝を越え。
カゲノハ村まで、一本の太い光路が伸びる。
人も家も載せられるほど広い道。
「出た!」
カナタが叫ぶ。
「これなら全員――」
「違う!」
ルゥの声。
光路の表面に、一つの巨大な矢印が浮かんだ。
上。
門へ。
カナタが決めた行き先。
下層枝から、悲鳴が届く。
光路が村を引き始めた。
家々の土台。
橋。
祭壇。
人々の足。
誰が望んだかに関係なく、すべてを上へ運ぼうとする。
「止まれ!」
カナタが旗を引く。
光路は止まらない。
「俺は助けるために!」
「行き先を一人で決めた!」
ルゥが銀糸を光路へ伸ばす。
「切る!」
「切ったら村が落ちる!」
「このままでも壊れる!」
ザンバが黒旗を押し返した。
白旗の亀裂が広がる。
「見ろ」
その声に勝ち誇った色はなかった。
ただ、十年前から知っていた答えを確認する冷たさ。
「先頭が全員の道を持てば、こうなる」
白い光路が帰還路へ重なる。
昔の村。
今の村。
カナタの決めた未来。
三つが一度に引かれ、天頂門の光糸が悲鳴を上げた。
父アステルの旗が大きくしなる。
カナタの声が低くなった。
「俺は、助けるつもりだった」
説明が急に長くなりそうになる。どの家をどう運び、誰をどこへ置くか、訊かれていない細部まで言えば失敗を薄められる気がした。けれど、ルゥの手の傷を見て、言葉を切る。
「聞かなかった」
門の根元に亀裂。
下層枝全体が沈む。
「やめろ!」
カナタは白旗を抜こうとする。
抜けない。
巨大な道が、旗を根にしている。
白い布の中央へ、一本の太い上向き矢印が描かれ始めた。
カナタは中央を握れず、旗の端を掴む。先頭へ立つ才能が、そのまま全員の一歩を奪う力へ変わる瞬間だった。
空白を埋める。
村中の行き先を、一つへ潰す紋。
「違う」
カナタは呟く。
アカリは朝火を迎える場所へ行くと言った。
ルゥは逆さ銀樹を見たいと言った。
村長は村に残る。
フィオは迷子を探す。
トウヤは逆さ滝を守る。
同じではない。
「違う!」
旗竿を両手で掴む。
矢印は消えない。
ザンバは黒旗を天頂門へ向けた。
「遅い」
朝火が刃の先へ集まる。
「アステルの道も、お前の道も、ここで終わる」
門の中心へ黒い線が走る。
父の旗まで、あと一歩。
カゲノハ村を貫いた光路は、救いの形をしていた。
広く。
明るく。
天頂門まで、まっすぐ続いている。
だからこそ、村人たちは一瞬だけ安心した。
「上へ行ける!」
「家ごと運ばれるぞ!」
「落ちない!」
次の瞬間、足が勝手に光路へ向いた。
薬場にいた老人。
橋を支えていた職人。
病人を抱えた家族。
全員が同じ速さで、同じ上へ引かれる。
「待って!」
フィオが老人の腕を取る。
翼旗の風まで、天頂門へ吸われた。
「私は南橋へ戻る!」
トウヤが足を踏ん張る。
昇標の光が上向きの道へ重なり、さらに強く引かれた。
「これ、カナタの道だ!」
アカリは帰還路の中心で叫んだ。
頭上に、巨大な上向き矢印。
白路へ置いた現在地の札が、一枚ずつ剥がれていく。
誰の名前も。
どこへ行きたいかも。
最後には同じ一文字へ変えられる。
上。
「違う!」
アカリは空白へ飛び込んだ。
地図を両腕で抱える。
光路が体を引く。
「アカリ!」
ハルガが腰へ縄を巻きつけた。
セルクがその縄を柱へ結ぶ。
三人まとめて上へ滑る。
「離せ!」とセルク。
「地図を?」
「違う、光路をだ!」
「どうやって!」
ハルガは工具を突き立てる。
光の表面に傷一つつかない。
「未踏路は、行き先がある限り消えん!」
「行き先を変える!」
アカリは薬箱を開けた。
残った白札を一枚、上向き矢印へ貼る。
――アカリ。
――帰還路の中心。
――次は、朝火を受け取る場所。
札は一瞬で剥がされる。
それでも、もう一枚。
――マツバ。
――中央広場。
――次は、家へ。
もう一枚。
――トウヤ。
――南橋。
――次は、逆さ滝の見張り。
「地上へ言って!」
アカリはセルクへ叫ぶ。
「全員、自分の旗を上げて! 今いる場所と、次に行く場所!」
「聞こえるか!」
「道がつながってる!」
セルクは帰還路の壁へ手を当てた。
選抜試験で何百人もの声を通してきた、よく響く声。
「カゲノハ村の者へ!」
白路が声を拾う。
広場。
橋。
家々。
村中へ広がった。
『行き先を、一人に決めさせるな!』
村人たちが顔を上げる。
『自分の旗を上げろ! 今いる場所を言え! 次に行く場所を言え!』
声だけでは、足は止まらなかった。
光路は村人の体だけでなく、家や橋まで上へ引いている。
中央広場の西端で、薬場の床が浮いた。
寝台が滑る。
マツバ婆が一人を押さえ、もう一人へ手が届かない。
ネルカは背もたれのない姿勢から飛び出し、二人目の寝台へ温石を挟んだ。患者を「二人」と一括りにせず、靴音と呼吸で別々に覚えている。
「骨折は右、熱は左。量を同じにしない!」
「フィオ!」
アカリが地図を見ずに呼ぶ。
「西薬場、二人!」
「見えた!」
フィオは翼旗を横へ開く。
上へ吸われる風を、寝台の下へ回す。
一台目が浮き。
二台目へぶつかる前に、二つの風を別々へ分けた。
「同じ場所へ寄せない!」
「どうして!」
「怪我が違う!」とマツバ婆。
一人は骨折。
一人は高熱。
必要な行き先は同じ薬場でも、寝台の置き方は違う。
フィオは二本の風を別々の角度で床へ戻した。
南橋では、ダンが支柱材を音の静かな順へ並べ、トウヤの昇標が光路に奪われていた。
「一人で支えるな、次の槌を持て!」
ダンは笑ってごまかしながら自分も一本を抱え過ぎ、フィオに半分取り上げられた。
上へ向く力が、すべて天頂門へ流れる。
「俺の旗なのに!」
橋の下では、支柱が落ちかけている。
トウヤは黒い足場を見たときと同じ迷いを覚えた。
上へ行く力。
自分の夢。
けれど、今必要なのは、上ではなく橋の真下。
「昇標は、上だけじゃない!」
旗を逆さに持つ。
矢印の先を、橋の底へ向けた。
「ここを上にする!」
支柱の下へ風が生まれる。
世界全体から見れば横。
トウヤにとっては、支える方向が上。
橋が半歩戻る。
「できた!」
「あと三本!」とセルクの声。
「喜ぶ時間が短い!」
帰還路の中心では、サラの青い旗が激しく震えた。
現標板の五つ目。
返事の穴へ、遠くから青い光が入る。