世界の果てに、最初の旗を

世界を支える巨大樹アトラス。その第七百二枝、太陽が年に三分しか差さないカゲノハ村で、空白の旗を持つ少年カナタは、誰も帰らぬ樹頂を目指していた。道を示す紋章も標術もない彼の武器は、道がなければ作ればいいという無鉄砲な信念だけ。幼なじみの機巧師見習いルゥと選抜試験を目前にした日、村の命を支える〈朝火〉を狙い、父の過去を知る黒旗の登枝士が襲来…

全話一覧

  1. 第1話 第一章「朝のない村」前編

    『第1話 第一章「朝のない村」前編』 道がないなら、最初の一歩になればいい。 それが、カナタの信条だった。 もっとも、その信条の半分ほどは勇気で、残りの半分は、道を探すより先に飛び出してしまう性分からできていた。 ただし、飛び出したあとに誰が困るかまで見えていないわけではない。見えたうえで、自分が先に着けば間に合うと思い込む。 カナタは…

  2. 第2話 第一章「朝のない村」後編

    『第2話 第一章「朝のない村」後編』 「お前、分かってるな!」 「褒めてない。まだ何も描いてないってこと」 「これから描く!」 「どこまで?」 カナタは旗を肩へ担ぎ、天井の向こうを指した。 家の天井。 枝の天井。 天樹を覆う暗い葉の、そのさらに上。 「天樹のてっぺんまで。世界の果てを見つけて、そこにこいつを立てる!」 「帰ってくる?」…

  3. 第3話 第二章「空白旗」前編

    『第3話 第二章「空白旗」前編』 三日後。 カナタは十五歳になった。 その日は、登枝士の選抜試験が行われる日でもある。 試験場は、村の一番上にある訓練枝。 細い足場。 揺れる縄橋。 落ちれば雲海まで止まらない空洞。 受験者は自分の標術を使い、指定された旗を取って戻る。 ただし、受付には大きな条件が一つ書かれていた。 ――道標旗に紋章を持…

  4. 第4話 第二章「空白旗」後編

    『第4話 第二章「空白旗」後編』 移動側のククリが、勢いのまま幻の板へ足を置いた。 足裏が抜ける。 「行ける――」 言葉の途中で体が落ちた。 腰の縄が張る。 固定側のユワは反射的に縄を巻き込み、足指で板を掴んだ。弟を放さないため、予定より短く持つ。短くし過ぎた縄が彼女自身を足場から引き剥がした。 「ククリ、返事!」 「いる! 下! 縄一…

  5. 第5話 第三章「道の下にある道」前編

    『第5話 第三章「道の下にある道」前編』 北橋の根元には、枝の内部へ下りる点検口がある。 鍵は閉まっていた。 「ルゥ」 「何」 「俺が蹴る?」 「鍵が傷つく」 「扉は?」 「もっと傷つく」 「じゃあ静かに蹴る」 「矛盾してる」 ルゥは工具箱を三度叩いた。細い工具を差し込み、三呼吸で開ける。鍵の傷は増やさない。壊すより、どこで負荷が逃げる…

  6. 第6話 第三章「道の下にある道」後編

    『第6話 第三章「道の下にある道」後編』 幻を退けた場所の壁に、小さな穴が五つ並んでいた。 ルゥが鋲を一本差す。 ぴたりとはまる。 「これ、もともと印を入れる穴だ」 「五つ?」 「たぶん、場所、時刻、持ち主、行き先、更新者」 「分かりやすく!」 「今の道を、昔の記憶と区別するための情報」 穴の横に、細い字。 アステルの筆跡だった。 ルゥ…

  7. 第7話 第四章「黒旗と残る者」前編

    『第7話 第四章「黒旗と残る者」前編』 アカリは姿勢だけをまっすぐにした。相手が人を一つの重さへ揃えるとき、誤配の前と同じ冷えが背中を走る。薬箱のへこみを親指でなぞりながら、それでも声は大きくしなかった。 広場が静かになる。 アカリは薬箱を抱えた。 「熱がある人。足が悪い人。小さい人。道を直せる人。薬を作れる人。みんな違う」 「だから選…

  8. 第8話 第四章「黒旗と残る者」後編

    『第8話 第四章「黒旗と残る者」後編』 トウヤは最後まで迷っていた。 昇標なら足場へ届く。 天頂門に近づける。 登枝士への最短路に見える。 母が背中を押した。 「行きなさい」 「母さん」 「行きたいんでしょう」 「でも」 「私たちはフィオと広場にいる」 フィオが目を見開く。 「私まで数えられてる」 「嫌かい?」 「嫌じゃない。でも、トウ…

  9. 第9話 第五章「逆さ滝」前編

    『第9話 第五章「逆さ滝」前編』 鉄輪の先には、細い保守棚が残っていた。 二人は這い上がる。 保守棚は、途中から二つに折れていた。 片方はカナタたちの足元。 もう片方は、風の向こうで上下逆さまに揺れている。 その上に、人影が二つあった。 「誰かいる!」 カナタが叫ぶ。 返事の代わりに、金属を叩く音。 こん。 こん。 こん。 こん。 こん…

  10. 第10話 第五章「逆さ滝」後編

    『第10話 第五章「逆さ滝」後編』 ただし、カナタが行き先を言い。 ルゥが今いる場所を確かめ。 二人が実際に踏まなければ、次は生まれない。 最後の光板が裂け目の手前へ出る。 「また手前!」 「最後は自分で!」 「分かった!」 二人は同時に跳んだ。 上層枝の苔原へ転がり込む。 直後、ミチバミの牙が裂け目へ突っ込んだ。 硬い岩が砕ける。 竜…

  11. 第11話 第六章「父の残した野営地」前編

    『第11話 第六章「父の残した野営地」前編』 笑う者。 傷を負った者。 旗をザンバへ渡す者。 ここまで一緒に来て、途中で別れた者たち。 最初に前へ出たのは、丸眼鏡の女だった。 肩から何枚もの地図を下げている。靴底を左右交互に三度こすり、集落の入口へ残った人影を一人ずつ数えてから前へ出た。 『ノマ』 現在のザンバが名を言った。 残照のノマ…

  12. 第12話 第六章「父の残した野営地」後編

    『第12話 第六章「父の残した野営地」後編』 「今いる者を、死者の記憶から剥がすためだ」 「今いる者へ聞いたのか!」 ザンバの片目が細くなる。 「落ちる枝に残りたいと答える者へ、責任を持てるか」 「持つ!」 「十五歳のお前が?」 「十五歳でも、いる場所は俺が決める!」 白旗が小さく光る。 野営地の端に、一歩分の光板が生まれた。 黒い線の…

  13. 第13話 第七章「今いる場所の旗」前編

    『第13話 第七章「今いる場所の旗」前編』 板の五つ目の穴へ、遠くから細い振動。 まだ音にはならない。 「カナタたち?」 「分からん」 「何かへ触れた」 アカリは、分かった形へ戻さずに言った。 セリは朝火のない祭壇を見る。 「ザンバは門へ向かった。ミチバミの操具は外れたけど、朝火の匂いを追う。カナタたちはそのあと」 「生きてる?」 「大…

  14. 第14話 第七章「今いる場所の旗」後編

    『第14話 第七章「今いる場所の旗」後編』 白い帰還路が一度だけ明るくなる。 足元へ紙のような光が浮かびかけ、すぐ消えた。 代わりに、一呼吸だけ別の音が混じる。 朝葉機関のまだ不揃いな歯車。 南橋を叩く金槌。 誰かが薬箱を置く音。 どれも見えない。 道にもならない。 「村だ!」 「村らしい音」 「同じだ!」 「同じにしない。誰の、いつの…

  15. 第15話 第八章「天頂門」前編

    『第15話 第八章「天頂門」前編』 白い輪へ一本。 自分の旗へ一本。 「標術とは、生き方の形だって言ったわね!」 ザンバを睨む。 「私の《継ぎ路》は、誰かの後ろへ戻す力じゃない!」 銀糸が三角形を作る。 「違う形のまま、必要な力を渡す!」 朝火管の光が、黒旗だけでなく白い帰還輪へ分かれた。 ザンバの刃が一瞬軽くなる。 カナタが踏み込む。…

  16. 第16話 第八章「天頂門」後編

    『第16話 第八章「天頂門」後編』 一度。 二度。 五度。 「ビン」 サラが板へ手を置く。 光の中に短い景色。 上層港。 雲漁船。 助けを呼ぶ夫の姿。 声は届かない。 現在地だけ。 それでも十分だった。 「上へ着いた」 サラは夫の名を呼ぼうとして喉を一度鳴らした。別々の道が別れになる恐怖は消えない。それでも、上着の留め具を回す手を止める…

  17. 第17話 第九章「朝の道」前編

    『第17話 第九章「朝の道」前編』 朝火が祭壇へ戻ったとき、カゲノハ村の苔灯りは一つずつではなく、ばらばらに灯った。 薬場。 南橋。 機巧小屋。 家々。 今そこにいる者が、自分の灯りを受け取るように。 最後に中央祭壇の結晶が輝く。 枝全体へ金色の筋が走った。 灰色に枯れかけていた樹皮が、ゆっくり色を取り戻す。 「戻った……」 アカリは帰…

  18. 第18話 第九章「朝の道」後編

    『第18話 第九章「朝の道」後編』 無数の道が手を取り合う金色の紋。 中央の空白。 「これ、何ていう標術だ」 ルゥが訊く。 「《未踏路》」 「前と同じ?」 「一歩しか出ないのも同じ!」 「成長してないみたいに言わないで」 「でも、誰の一歩か聞くようになった」 「そこは成長」 ザンバが裂けた黒旗を拾う。 「帰るぞ」 カナタが振り向く。 「…

  19. 第19話 第十章「朝のあと」前編

    『第19話 第十章「朝のあと」前編』 広場の宴へ残れと何人も引き止めた。 焼き茸。 朝火で温めた根酒。 登枝士の歌。 けれど、父の部屋を一人で見たかった。 玄関には、扉が二つ重なっている。 今の鉄の取っ手。 昔の木の取っ手。 朝火が戻ったため、古いほうは薄い。 それでも消えていない。 カナタは今の取っ手を握る。 「帰ったぞ」 家は返事を…

  20. 第20話 第十章「朝のあと」後編

    『第20話 第十章「朝のあと」後編』 カナタは朝火炉を大きくし、上へ進む力を増やしたがった。 「速ければ、全部の危険を追い越せる!」 「止まれない危険が増える!」 ルゥは炉を小さくし、代わりに帆と舵を増やした。行き先を途中で変えられる船にするためだ。 ザンバは船腹へ、緊急時に一部だけ切り離す灰色の板を要求した。 「切る前提で造るな!」…

  21. 第21話 第十一章「返事の鐘」前編

    『第21話 第十一章「返事の鐘」前編』 「途中の病室に置いた」 「なぜ」 「昔の場所と今の道を分けるため」 「なら配達済みだ」 弁償には加えなかった。 天頂門の横には、小さな保守所が建っていた。 セリとオウギ。 上層港から来た作業員。 カゲノハ村の職人。 違う場所の人々が、アステルの旗を一人へ任せないため交代で働いている。 入口の地図に…

  22. 第22話 第十一章「返事の鐘」後編

    『第22話 第十一章「返事の鐘」後編』 四歩目で、鍋蓋が発着場の旗索を引っかけた。 村中の洗濯物が一斉に空へ上がる。 「壊してない!」 「持っていってる!」 アカリは弁償板へ書く。 ――洗濯物、二十七枚。帰着時に返すこと。 第一歩号は、白い布を尾のように引きながら上昇した。 朝見台は、天頂門を越えた先にある小さな観測枝だった。 昔、カゲ…

  23. 第23話 第十二章「最初の旗」前編

    『第23話 第十二章「最初の旗」前編』 カナタは白旗を突いた。 「朝見台の手前!」 一歩分の光板。 帰還路ではない。 目に見える枝へ向かう、ただの一歩。 第一歩号が乗り上げる。 船体が大きく跳ねた。 錨が張る。 朝見台の外側へ、もう一度横づけされた。 三人はしばらく何も言わなかった。 右の空には父もいない。 左に古い机もない。 野営地の…

  24. 第24話 第十二章「最初の旗」後編

    『第24話 第十二章「最初の旗」後編』 まだ音にはならない。 途中の誰かの手を通り、発着場の白杭へ細い振動だけが届く。 「返事試験、第一便」 アカリが言う。 「もう始まってる!」 カナタが鐘を五回返す。 「まだ村にいる」とルゥ。 「今、ここ!」 「正しいけど近い!」 発着場の人々も、足元を五回叩いた。 船に乗る者も、残る者も、門にいる者…

  25. 第25話 第一章「返事のない二十二日」前編

    『第25話 第一章「返事のない二十二日」前編』 道がないなら、最初の一歩になればいい。 けれど、一歩だけなら、それは足跡だ。 離れた誰かが「聞こえた」と返し、その先へ二歩目を重ねて、初めて道になる。 カナタは、自分が一歩を置けば、みんなも同じ先へ来ると思っていた。 カゲノハ村を出て、二十二日目。 飛空艇《第一歩号》は、順調に同じ港へ三度…

  26. 第26話 第一章「返事のない二十二日」後編

    『第26話 第一章「返事のない二十二日」後編』 裏にも同じ言葉が書かれていた。 カナタの下敷きになった少女が、石畳へ拳を叩きつける。 「また戻ったぁぁぁ!」 その腰で、小さな鈴が五回鳴った。 ちりん。 ちりん。 ちりん。 ちりん。 ちりん。 カナタの返事の鐘が、一呼吸遅れて震えた。 こん。 島の鐘とは違う。 遠い誰かが、今いる場所を知ら…

  27. 第27話 第二章「五回鳴る鈴」前編

    『第27話 第二章「五回鳴る鈴」前編』 「立たなかった」 「探す!」 「白迷海へ入れば、お前も帰れん」 「帰れないから探すんでしょ!」 ガルドの杖が石畳を強く叩いた。 「外へ行くことだけが、明日ではない!」 「同じ道を回ることを、明日って呼ばないで!」 塔の鐘が低く唸る。 閉じた円の旗が、強くはためいた。 カナタは二人の間へ一歩出る。…

  28. 第28話 第二章「五回鳴る鈴」後編

    『第28話 第二章「五回鳴る鈴」後編』 文字は半分、水に滲んでいる。 「『カナタへ。村は――』」 「何だ!」 「読めない」 「つなげろ!」 「意味は勝手につながない!」 カナタは紙を明かりへかざす。 消えた部分のあとに、残った文字。 ――変わってる。 「村は変わってる?」 カナタは首を傾げた。 「屋根ができて、階段が増えて、机を使う人も…

  29. 第29話 第三章「二本で一つの旗」前編

    『第29話 第三章「二本で一つの旗」前編』 「始点と終点ではないのだな」 「終点?」とコヨリ。 「昔の俺は、道には必ず一つの終わりが要ると思っていた」 「帰る道の終わりは?」 ザンバは答えかけて止まる。 カゲノハ村。 アステルの帰還路。 第一歩号の甲板。 終わりと呼べる場所は、今の自分には一つではない。 「返事を受け取った場所だ」 よう…

  30. 第30話 第三章「二本で一つの旗」後編

    『第30話 第三章「二本で一つの旗」後編』 「一枚にする!」 カナタは旗を振る。 「母さんの音まで!」 ナギの道が太くなる。 その瞬間、第一歩号の船尾が島へ引かれた。 「俺の行き先は!?」 ザンバが帆柱を掴む。 「安全な距離を越えた」 「じゃあ、もっと安全に!」 「安全を広げるな」 ルゥの道は、島の周囲へ円を描く。 帰鐘路を測るには、端…

  31. 第31話 第四章「残る者の港」前編

    『第31話 第四章「残る者の港」前編』 船を完成させ過ぎれば、持ち主が変更を怖がり出航できなくなる。だからバンロは、直せる余白と外せる補強を必ず一つ残す。鍋蓋の増設も、その一つだと本人だけは本気だった。 「拡張!」 「風を受ける面積が増える」 「揺れる!」 「回せば重錨にもなる」 「鍋蓋を錨にしないで!」 「翼にもなる」とカナタ。 「な…

  32. 第32話 第四章「残る者の港」後編

    『第32話 第四章「残る者の港」後編』 「今は《鐘聞き》」 「地味!」 「十五歳になったら、旗に聞く」 「それまで席を空ける!」 「荷物置くでしょ」 「置かない!」 「カナタの石がもう三個」とルゥ。 「世界の果てで使う!」 「普通の石!」 ザンバは生成りの旗を持つ老女の前へ立っていた。 老女の道標旗には、雲鳥の紋。 渡り鳥の翼だけを、永…

  33. 第33話 第五章「白迷海」前編

    『第33話 第五章「白迷海」前編』 「俺たちも本気!」 カナタは大きな声で答えた。 見張り六人が同時に振り向く。 「静かに!」 ルゥが口を塞ぐ。 「作戦は?」とザンバ。 甲板の下。 レトが、予備の朝火炉を組んでいた。 小さい。 力は通常の半分。 島の修理舟用。 「主炉の鍵がなくても、一刻は飛ぶ」 「足りる!」とカナタ。 「白迷潮の中では…

  34. 第34話 第五章「白迷海」後編

    『第34話 第五章「白迷海」後編』 納得はしていない。 それでも、今はナギの音を行き先にすると決めた。 「次の鐘」 「うん」 「そのあと、三回の船」 「まだ返事があれば」 「五回も!」 「返事があれば」 「七回!」 「書いた」 現標板の脇へ三枚の札。 救えなかった者ではない。 まだ会っていない者。 第一歩号は霧の奥へ進んだ。 しばらくし…

  35. 第35話 第六章「昔の村からの返事」前編

    『第35話 第六章「昔の村からの返事」前編』 「カナタ」 今度は、白迷海が父アステルの姿を借りた。 白い旗の隣。 五歳の頃に別れた姿。 口元が動く。 『たまには帰れ』 一呼吸後。 同じ速さ。 同じ息。 同じ声で、もう一度。 『たまには帰れ』 「父ちゃん」 呼びかけても、父の目は動かなかった。 胸が痛む。 一度でいい。 父と同じ家へ帰りた…

  36. 第36話 第六章「昔の村からの返事」後編

    『第36話 第六章「昔の村からの返事」後編』 ばらばらだから、何隻いるか分かる。 「母さんの音、聞いたことある?」 ナギは一、三、一を鳴らした。 ユアンの顔が変わる。 「二日前――こっちでは二日前だ――同じ合図が北の深い層から来た」 「北は?」 「今は下」 「どっち!」 「この縄の七つ目を右へ。三回返るところで、結び目のない側」 「分か…

  37. 第37話 第七章「七日目と七年目」前編

    『第37話 第七章「七日目と七年目」前編』 ザンバの機巧腕が灰旗を握り込み、金属指が一度軋んだ。最適な一本を切れば、目の前の危機だけは早く終わる。その誘惑を、本人が誰よりよく知っている。 生身の左手で機巧腕を押さえた。切る手を、受け取る手が止める。 ワダチの尾が第一歩号へ巻きつく。 進んだ距離が吸い戻される。 現標板から、青燕号の記録が…

  38. 第38話 第七章「七日目と七年目」後編

    『第38話 第七章「七日目と七年目」後編』 カナタの声が少し硬くなる。 イオラは逃げずに頷いた。 「帰るつもりと、帰れる道を残すことは同じじゃなかった」 イオラは非利き手で次標旗の札を触った。娘をまた置いていく話になると、片足へ重心が偏る。 「私は被害に遭った。でも、それだけじゃない。帰る時期を言わず、分かってもらえると思って説明をやめ…

  39. 第39話 第八章「三つ目の現在地」前編

    『第39話 第八章「三つ目の現在地」前編』 「父は七年老いた。ナギは十四歳。コヨリは旗織り見習い。港の船も人も変わった」 「場所は同じ!」 「場所も変わる」 イオラはカナタを見る。 「あなたの村は?」 「カゲノハ村!」 「今の村」 「同じ!」 「旅人宿の屋根は?」とルゥ。 「緑!」 「紙札では、建ててる途中」 「今はできた!」 「色は?…

  40. 第40話 第八章「三つ目の現在地」後編

    『第40話 第八章「三つ目の現在地」後編』 石の行き先が消え、桟橋が塔の前へ折り畳まれる。 「鐘守!」 作業員が叫ぶ。 「今鳴らさなければ、島が潮へ呑まれる!」 ガルドはナギの鈴を思う。 七年前、返事を待たずに鳴らした。 今は返事がある。 けれど、何と答えるかを決められない。 帰ってこい。 それだけなら、また同じ輪を作る。 行ってこい。…

  41. 第41話 第九章「港を閉じる鐘」前編

    『第41話 第九章「港を閉じる鐘」前編』 イオラが隣へ来る。 「父さん」 声が重なる。 「ただいま、とはまだ言えない。まだ帰る道の途中だから」 青い波が、帰鐘塔へ進む。 一歩。 もう一歩。 最後の一歩手前で止まった。 ガルドの返事はない。 「聞こえてる?」 ナギが訊く。 島の鐘は《帰れ》を繰り返すだけ。 ごおん。 ごおん。 同じ音。 「…

  42. 第42話 第九章「港を閉じる鐘」後編

    『第42話 第九章「港を閉じる鐘」後編』 『道は、傷を避けるためだけにあるのではない。傷を抱えても、行きたい場所へ進むためにある』 「黒旗のザンバ」 『今は灰だ』 「お前が言うか。道を切った男が」 『だから言う』 灰色の旗の影が銀旗へ映る。 『俺は、失うのが嫌で道を切った。最後には、切るものしか残らなかった』 「閉じた輪なら、誰も失わな…

  43. 第43話 第十章「帰る船、残る船」前編

    『第43話 第十章「帰る船、残る船」前編』 「覚えてる」 家舟の輪がほどけ、一隻の船へ戻った。 ワダチの胴が半分まで崩れる。 ザンバの黒い線は、まだ輪の切れ目を保っていた。 灰旗の黒布が、一筋ずつ燃える。 「ザンバ!」 カナタが叫ぶ。 「旗が!」 「見れば分かる」 「なくなる!」 「終点の旗は、ここで終わる」 最後の黒布が灰になる。 黒…

  44. 第44話 第十章「帰る船、残る船」後編

    『第44話 第十章「帰る船、残る船」後編』 遠くの帰鐘塔から、今までとは違う二つの音が返った。 行ってこい。 帰ってこい。 並んだ二本の道が、帰る船を一隻ずつ受け止めた。 トマリギ島には、帰ってくる船の数を数える鐘がなかった。 今までは、一隻ずつ帰鐘に引かれ、同じ港へ戻っていたからだ。 その日。 十二本の到着桟橋へ、違う方向から船が現れ…

  45. 第45話 第十一章「二番目の旗」前編

    『第45話 第十一章「二番目の旗」前編』 大人より鋭い答えを言ったあと、十二歳らしい要求を忘れない。レトは黙って、折り畳み板の下へ小さな箱を一つ付けた。 「聞いた!」 「成長!」とナギ。 「一歩!」とルゥ。 レトが寝台の横へ、折り畳み板をつけた。 二人ぶんに開ける。 一人で使う日は畳める。 「どっちへ戻るか決めた?」 ガルドがニノへ訊く…

  46. 第46話 第十一章「二番目の旗」後編

    『第46話 第十一章「二番目の旗」後編』 「船に乗らなくても冒険?」 「島を昨日と違う形にしてる」 「それならアカリと同じ!」 「会ってみたい」 「三か月後、一緒に乗る?」 「酔う」 「鍋蓋を増やせば安定する!」 「増やさない!」 港の向こうからルゥが怒鳴る。 ザンバの灰旗からは、黒い布が完全に消えていた。 中央に小さな黒い点。 それだ…

  47. 第47話 第十二章「行ってきますの鐘」前編

    『第47話 第十二章「行ってきますの鐘」前編』 船首の鍋蓋は、以前より一指ぶん大きい。 ルゥは認めていない。 バンロは完成祝いだと言っている。 ザンバは灰旗を肩へ担ぎ、窓の間に立つ。 コヨリは儀式用の帯をナギへ巻いた。 外の色を七色入れた布。 島に残る者が織った、出ていく者の帯。 「行き先を言え」 ガルドが鐘守の声で告げる。 ナギは白旗…

  48. 第48話 第十二章「行ってきますの鐘」後編

    『第48話 第十二章「行ってきますの鐘」後編』 ――まだ道がない場所。 カナタは紙を読み上げてもらう。 「アカリも外へ行ってる!」 「村から出てない」とルゥ。 「村の外へ!」 「境目が広がってる」 ナギが言う。 「カゲノハ村も、出航の朝のままじゃないんだね」 カナタはカゲノハ村の方角を見る。 目には何も見えない。 頭の中には、昔の村が浮…

  49. 第49話 第一章「東風路交換点」前編

    『第49話 第一章「東風路交換点」前編』 道がないなら、最初の一歩になればいい。 誰かが二歩目を重ねれば、足跡は道になる。 けれど、三歩目まで同じ足跡を踏む必要はない。 別の方角へ進む一歩があるから、道は一本の線ではなく世界になる。 それでも、違う道を選んだ者と、もう仲間ではいられないのだろうか。 カナタには、離れることと、いなくなるこ…

  50. 第50話 第一章「東風路交換点」後編

    『第50話 第一章「東風路交換点」後編』 「違う!」 カナタが船首から跳んだ。 ナギは空中で身をひねる。 カナタを避け。 光板を一歩。 甲板へ二歩目。 四つ目の椅子の前へ、きれいに着地した。 カナタだけが風車へ向かって飛んでいく。 「俺は!?」 「自分の道を作って!」 「薄情!」 「船長!」 ルゥが銀鋲を投げる。 「《継ぎ路》!」 光糸…

  51. 第51話 第二章「四つ目の椅子」前編

    『第51話 第二章「四つ目の椅子」前編』 「世界の果ての途中で!」 「途中じゃないかもしれない」 「世界の全部は途中だ!」 「便利な言い方」 ルゥが笑う。 「私は逆さ銀樹を見たい」 カナタが振り向く。 「三脚群島の向こう!」 「着いたら、しばらく工房を見たい」 「一刻?」 「一か月かも」 「長い!」 「決めてない」 「第一歩号は待つ!」…

  52. 第52話 第二章「四つ目の椅子」後編

    『第52話 第二章「四つ目の椅子」後編』 十五歳。 森歩島の《岐路守》見習い。 そして、第一歩号が巻き込んだ洗濯物のうち、十三枚の持ち主だった。 「十二枚じゃないか?」 カナタが並べた布を数える。 「靴下が片方ない」 「片方なら十二枚半」 「一足で一組!」 「足は二本ある!」 「だから二枚!」 「数え方が難しい!」 「弁償の数だけ覚えて…

  53. 第53話 第三章「山に追い越される」前編

    『第53話 第三章「山に追い越される」前編』 三脚群島では、三日に一度だけ、三つの島の市場が同じ場所へ重なる。 名を《三つ編み場》という。 鉄歩島の工房通り。 森歩島の実り市。 鐘歩島の音具店。 三本の道が一本へ潰れるのではない。 右から鉄。 左から森。 上から鐘。 短い距離だけ、順番に触れ合い、また離れる。 十二年前まで使われていた仕…

  54. 第54話 第三章「山に追い越される」後編

    『第54話 第三章「山に追い越される」後編』 ルゥはテオの銀板を写している。 ナギはスズと音路を比べている。 ザンバは途切れた上道を見ている。 「……いる!」 「今決めた?」 「みんなで!」 三人の若者は、それぞれの島へ戻った。 同じ市場を出て。 違う方向へ。 また会う日時だけを残して。 三脚群島には、十二年前の事故を三つの方法で記した…

  55. 第55話 第四章「ひとつの前しかない町」前編

    『第55話 第四章「ひとつの前しかない町」前編』 ナギは、三つの島へ一枚ずつ現標板を置いた。 鉄歩島には、四角い鉄板。 森歩島には、赤い木板。 鐘歩島には、大小五つの鐘片。 同じ形にしなかった。 「試作《連標》なのに?」 カナタが訊く。 「同じ板だと、どこから返ったか分からない」 「名前を書けば!」 「音で読む」 「字も覚えろ」とザンバ…

  56. 第56話 第四章「ひとつの前しかない町」後編

    『第56話 第四章「ひとつの前しかない町」後編』 「座って」とルゥ。 「昨日より軽い」 「痛い日の言い方」 「何で分かる」 「同業者」 ルゥは椅子を出すのではなく、作業台を低くした。座ることを弱さと思う少年へ、仕事を続けられる形で休ませた。 「四拍子を三と五の間へ押すたび、どこかが余る」 「同じ間隔にしないと橋が揺れる」 「だから、一番…

  57. 第57話 第五章「十二年前の三日」前編

    『第57話 第五章「十二年前の三日」前編』 ナギは五声台の中央へ響瓶を置く。 トマリギ島の返事は、まだ風待ち。 カゲノハ村からは、今朝一度だけ届いた。 アカリの声。 ――帰還路の試航で、今日の鐘が古い音に埋もれた。 ――帰路を直すのではなく、村の今日だけを返す鐘がほしい。 ――鐘歩島の音を借りたい。 「アカリ、私より先に仕事を頼んでる」…

  58. 第58話 第五章「十二年前の三日」後編

    『第58話 第五章「十二年前の三日」後編』 「私は、雨の上道」 滑走路を蹴る。 光板の横。 何もない空へ飛び出す。 「ミオ!」 カナタが追おうとする。 ザンバの旗竿が胸を止めた。 機巧腕の留め具が強く鳴った。ザンバも「先に助ける」判断へ戻りかけている。けれど右で止め、左手は開いたままにした。ミオの次の一歩を受け取る余地だ。 「聞け」 命…

  59. 第59話 第六章「三つの足音」前編

    『第59話 第六章「三つの足音」前編』 カゲノハ村では、帰還路の脇に三本の白杭が立っていた。 一番目。 十年前の村を記録した杭。 二番目。 第一歩号が出航した日の杭。 三番目。 今日の村を測る杭。 三本は、帰還者を正しい道へ送る設備ではない。 同じ場所が、違う日にはどう鳴るかを比べるための記録杭だった。 「一番目、鳴らすよ!」 トウヤが…

  60. 第60話 第六章「三つの足音」後編

    『第60話 第六章「三つの足音」後編』 右腕の接続部へ激痛が走る。幻肢の指まで梁を握っている感覚。ザンバは「風向きのせい」と言いかけ、今は誤魔化さなかった。 「右腕、三呼吸」 自分の限界を声へ出す。三呼吸後、生身の左手で梁の端を次の住民へ渡す。壊す手と受け取る手を一人で完結させず、重さを共同作業へ変えた。 灰旗の石突を橋へ刺す。 人の力…

  61. 第61話 第七章「つなぎすぎた道」前編

    『第61話 第七章「つなぎすぎた道」前編』 三つの島が透けた。 鉄歩島の崖へ、森歩島の木々が重なる。 鐘歩島の家々が、工房の屋根と同じ場所へ浮かぶ。 鉄の根。 森の根。 鐘の根。 三種類の重さが、一つの輪郭へ押し込まれる。 最初は、うまくいった。 折れた森歩島の右脚が、鉄歩島の装甲根と同じ場所へ入る。 鐘歩島の軽い雲根が、二つの隙間を埋…

  62. 第62話 第七章「つなぎすぎた道」後編

    『第62話 第七章「つなぎすぎた道」後編』 カナタは尾へ跳ぶ。 光板を一歩。 二歩目を出す。 単路獣の体に、後ろから噛みつく形。 獣が身をよじる。 三島の進路が一瞬遅れる。 岩壁まで、三百歩。 「止まった!」 「遅れただけ!」 尾がカナタへ巻きつく。 白旗の中央へ、一本の太い矢印が入り始める。 カナタは旗の中央を握れなくなり、布の端へ指…

  63. 第63話 第八章「一本線の危機」前編

    『第63話 第八章「一本線の危機」前編』 テオは四回、輪を叩く。四拍目で終わった。余計な五拍目はない。けれど腰をかばう姿勢をルゥが見つけ、作業台を一段下げる。 「座れとは言わないんだ」 「弱いと思うからでしょ」 「思ってない」 「本人が」 役目を渡すとは、相手が痛みを隠すのまで見過ごすことでも、代わりに全部やることでもなかった。 二人は…

  64. 第64話 第八章「一本線の危機」後編

    『第64話 第八章「一本線の危機」後編』 「ただし、私も行く」 「それでいい」 二人は鐘歩島へ向かう上道を走った。 同じ速度ではない。 ザンバが先。 レグルが遅れる。 ときどき位置を入れ替える。 どちらが先頭かを、固定しなかった。 響路を開くと、世界は声でいっぱいになる。 鉄歩島の槌。 森歩島の足音。 鐘歩島の鐘。 単路獣の白い「前へ」…

  65. 第65話 第九章「三つの島、四つの役目」前編

    『第65話 第九章「三つの島、四つの役目」前編』 ミオは目を閉じる。 テオの四拍子。 スズの五拍子。 カナタの大きすぎる三回。 今いる場所。 これから進む道。 到着する時刻。 三つが同じではないから、再会原は幾何学の真ん中にはない。 「鉄、あと何歩!」 響路。 『百二十!』 「森!」 『九十! たぶん!』 「鐘!」 『百五十!』 「歩幅…

  66. 第66話 第九章「三つの島、四つの役目」後編

    『第66話 第九章「三つの島、四つの役目」後編』 レグルは旗を振り下ろした。 「標術――《同道》!」 三本の道の最後の一歩だけが、同じ空白へ重なった。 単路獣が絶叫する。 途中を一つにできない。 最後だけは、まだ旗がないため掴めない。 「ミオ!」 ナギが響路を開く。 「最後の場所、できた!」 『地面がない!』 「カナタ!」 全員の声が…

  67. 第67話 第十章「分かれる足音」前編

    『第67話 第十章「分かれる足音」前編』 三番目の旗が立って、三日目。 再会原には、まだ地面がなかった。 金色の《未踏路》。 銀色の《継ぎ路》。 灰色の《岐点》。 三つの島から渡した橋板と、鍋蓋が一枚。 それらを銅色の《再会標》が束ね、町一つぶんの広場を空へ浮かべている。 「鍋蓋を数に入れるな!」 広場の中央で、カナタが叫んだ。 ミオは…

  68. 第68話 第十章「分かれる足音」後編

    『第68話 第十章「分かれる足音」後編』 スズは音を公平に並べたい。ナギは一人の小声が多数の大鐘に埋もれないようにしたい。二人の正しさは少しずれていたから、連標網は一人の設計で完成しなかった。 「大きい返事だけ残る」 ナギは三つの鐘の間を、一歩ずつ空ける。 「ここから鉄」 こん。 「ここから森」 ころん。 「ここから鐘」 りん。 「一緒…

  69. 第69話 第十一章「三番目の旗」前編

    『第69話 第十一章「三番目の旗」前編』 三本の線。 雷。 雨。 音。 その上に、まだ空白。 「いつか、一人で上道へ来るか」 「分からん」 「待つ」 「来ないかもしれん」 「来ないと決めない」 レグルは娘の言葉を使った。 ザンバはほんの少しだけ笑う。 「なら、先で会おう」 夕方。 三番港の現標板に、五枚の札が並んだ。 ミオ。 ――現在地…

  70. 第70話 第十一章「三番目の旗」後編

    『第70話 第十一章「三番目の旗」後編』 「七つ目?」 カナタが訊く。 『違う。三番目の白杭』 アカリが答える。 『今日の記録を足した音』 「六つ鐘と一緒にするのか?」 『一緒に送ったら、今混じった』 「じゃあ失敗」とナギ。 『うん』 アカリはすぐ認めた。 左手で誤配線を赤く囲み、消さない。初めての多地点配達が成功した記念頁へ、最初の失…

  71. 第71話 第十二章「別々のまっすぐ」前編

    『第71話 第十二章「別々のまっすぐ」前編』 「競わない!」 テオの四拍子が遠ざかる。 雷風路へ入る前の、最後の返事。 『先で!』 ルゥは鉄の板へ銀鋲を一つ打った。 「会おう!」 返事は雷に呑まれた。 聞こえたかは分からない。 現標板へ書く。 ――テオ。雷風路へ出航。 ――最終返事、今朝。 ――再会予定、逆さ銀樹ミナモ。 予定であって…

  72. 第72話 第十二章「別々のまっすぐ」後編

    『第72話 第十二章「別々のまっすぐ」後編』 カナタは少しだけ顔をしかめる。 「分かった」 乗船欄へ、ルゥ。 次にナギ。 「今、乗るか」 「乗る」 「どこまで?」 「次の返事が聞こえるところまで」 「分かりにくい!」 「今は逆さ銀樹」 「分かった!」 ナギ。 ザンバ。 「監視役」 「何だ」 「今、乗るか」 「乗る」 「どこまで」 「お前…

  73. 第73話 第一章「雨の上へ落ちる」前編

    『第73話 第一章「雨の上へ落ちる」前編』 道がないなら、最初の一歩になればいい。 誰かが二歩目を重ねれば、足跡は道になる。 三歩目が別の方角へ進んでも、また会う旗があれば道は途切れない。 けれど、その先が自分の手には届かないとき。 終わらせられない仕事は、失敗なのだろうか。 まだ会っていない誰かへ、途中の形と、試したことと、残った空白…

  74. 第74話 第一章「雨の上へ落ちる」後編

    『第74話 第一章「雨の上へ落ちる」後編』 二人は四方向の重さの真ん中で激突した。 その瞬間、重場栓が抜けた。 銀枝の透明羽根が、ばらばらに開く。 第一歩号は少女と作業籠と重場栓をまとめて引きずり、銀枝都市の外周へ突っ込んだ。 最初に壊したのは、巨大な銀の看板だった。 ――完成品搬入口。 「何て書いてある!」 「今、読む必要ある!?」…

  75. 第75話 第二章「響路台と五本脚」前編

    『第75話 第二章「響路台と五本脚」前編』 第一歩号は、廃図庫の外周桟橋へ移された。 移されたと言っても、自分で飛んだわけではない。 町の重場索へ吊られ、半分銀色のまま横向きに運ばれた。 「修理桟橋は?」 ルゥが訊く。 「完成門の先にある」とキリ。 「完成してない船は?」 「完成させてから入れる」 「先に修理が必要!」 「だから、廃図庫…

  76. 第76話 第二章「響路台と五本脚」後編

    『第76話 第二章「響路台と五本脚」後編』 「原図が今と違うなら、毎回使う値でしょ」 「そう言うと、感情的だと言われる」 「感情は?」 「誤差」 言ったあと、リクサは低い一音で笑った。親しい相手の前なら二音になる笑いは、まだ一音だけだった。 リクサはルゥを見る。 「外の機巧師も、そう思う?」 「外じゃなくても思う」 四つ鐘の一つ目が鳴っ…

  77. 第77話 第三章「天衡機の四つ目」前編

    『第77話 第三章「天衡機の四つ目」前編』 天衡機は、町の中央に吊られた銀色の球だった。 入口は一つ。 ただし、重さが変わるたび場所が変わる。 一つ目の鐘では床。 二つ目では壁。 三つ目では天井。 四つ目では、昨日の入口へ戻る。 「今日はどこ!」 カナタが球の周りを走る。 「今は左」とキリ。 「俺の左?」 「天衡機の」 「球に左があるの…

  78. 第78話 第三章「天衡機の四つ目」後編

    『第78話 第三章「天衡機の四つ目」後編』 表からは、設計図の山で見えない。 鍵は四本。 どれも形の違うねじ。 「一本の鍵で開けないのか?」 カナタが訊く。 「一本だと原図機関に見つかる」とキリ。 「四本なら?」 「どれが鍵か分からない」 「全部!」 「今のは正しい」 一本目を、四角い工具。 二本目を、曲がった工具。 三本目を、テオの黒…

  79. 第79話 第四章「継承図の町」前編

    『第79話 第四章「継承図の町」前編』 ミナモでは、名前より先に原図を聞かれる。 「家は?」 「カゲノハ村!」 「原図は?」 「白旗!」 「職は?」 「未踏路士!」 「原図番号」 「ない!」 カナタは継承図塔の受付で、三度同じところへ戻されていた。 修理工区へ入るための仮札が必要なのだ。 「原図がない者は、廃図扱いになる」 受付の女は…

  80. 第80話 第四章「継承図の町」後編

    『第80話 第四章「継承図の町」後編』 ナギは第一歩号から音を拾う。 「北壁、返事七! 水路下、三! 歌鐘台、二!」 「返事なしは!」 カナタが白旗を構える。 「三角パン工房!」 「マロ!」 「ここ!」 すぐ横から声。 「聞こえなかった!」 「パンを持ってた!」 「口で返事するな!」 「今、叫んだ!」 工房の床がさらに浮く。 丸パンの炉…

  81. 第81話 第五章「今の村から四枚目」前編

    『第81話 第五章「今の村から四枚目」前編』 カゲノハ村の現標板には、三枚の村図が並んでいた。 十年前。 第一歩号が出航した日。 今日の朝。 アカリは、その横へ四枚目を置いた。 左手で地図を書く。右手は薬箱と札を受取人へ渡すために空ける。「書く手」と「渡す手」を混ぜないのが、アカリの私的な決まりだった。 間違えた線は消さない。赤糸で囲い…

  82. 第82話 第五章「今の村から四枚目」後編

    『第82話 第五章「今の村から四枚目」後編』 「原図機関へ、未登録の答えを一度に流した。修正対象が町全体へ広がった」 「町全体が原図と違うから」 「だから、四つ鐘で保っている」 「保ってない。毎日戻して、毎日人が作り直してる」 「その繰り返しで十二年生きた」 「明日は落ちる!」 キリの声が修理床へ響く。 「十一年前と同じ図へ戻したら、今…

  83. 第83話 第六章「十一年前の続き」前編

    『第83話 第六章「十一年前の続き」前編』 それでも手を動かす。 『支点、今の枝へ。解錠、第三区画だけ。航向、帰れる重場へ』 『四つ目は!』 『空ける!』 『何を言っている!』 『私のあとに触る人が、今を見て描く!』 曲がる銀枝が、都市中の重さを読んで形を変える。 天衡機が動く。 散りかけた区画が、残った枝へ戻る。 その代わり、機関室の…

  84. 第84話 第六章「十一年前の続き」後編

    『第84話 第六章「十一年前の続き」後編』 カナタは白旗を振る。 「今いる人の下!」 一歩分の光板。 二枚。 三枚。 落ちる家族を受け止める。 光板は原図機関に引かれ、十一年前の空き地へ戻ろうと曲がる。 「そこじゃない!」 カナタは旗竿を両手で押さえる。 「今はここだ!」 ナギが翼重区の羽鐘を鳴らす。 「現在地、吊り家跡! 人、三十二!…

  85. 第85話 第七章「名前を返す鐘」前編

    『第85話 第七章「名前を返す鐘」前編』 「今日、失敗した数!」 『該当項目なし』 「五十四枚目は?」 『原図外』 「着地は?」 返事が途切れる。 キリの指が、ほんの少し止まった。 止まった小指だけが、他の四本よりわずかに上がった。五十三枚の失敗を数えるときの、自分の疲れた手。 風眼鏡の奥で、乾いた目が十度続けて瞬く。完璧なエルナの記録…

  86. 第86話 第七章「名前を返す鐘」後編

    『第86話 第七章「名前を返す鐘」後編』 今の返事として、連鐘へ残った。 カゲノハ村では、朝葉機関の鐘が鳴り続けていた。 ミナモから来る音は、途中で銀色の雑音へ変わる。 一度。 古い村の鐘。 二度。 第一歩号が出航した日の音。 三度。 今の連鐘。 どれも同じ道へ重なろうとしている。 「分けて!」 アカリが現標板の前で叫ぶ。 フィオとトウ…

  87. 第87話 第八章「五十四枚目」前編

    『第87話 第八章「五十四枚目」前編』 『町が動いてる!』 ――値を固定しない。 「第一歩号!」 ナギが船へ呼ぶ。 返事。 往還翼の鍋蓋。 三路舵。 朝火炉。 終路鐘。 響瓶。 現標板。 響路台。 どれも別の町でもらった部品。 どれがなくても、同じ第一歩号ではない。 「今の形!」 カナタが叫ぶ。 「つぎはぎ!」 「設計名にしないで!」…

  88. 第88話 第八章「五十四枚目」後編

    『第88話 第八章「五十四枚目」後編』 今度は、カナタの短い光板を一つに集めようとした。 根。 翼。 炉。 暮らし。 別々の場所にある一歩。 同じ幅へ直しても、つながらない。 獣の百本脚が、四方向へ裂かれた。 「効いてる!」 ザンバが灰旗を構える。 「まだだ」 ヒトカタの胸。 閉じた設計図の中央に、銀色の核がある。 原図に戻せなかったも…

  89. 第89話 第九章「一歩手前の道」前編

    『第89話 第九章「一歩手前の道」前編』 ――使用終了。 銀紙が震えた。 『完成品は、終了しない』 「使う者が決める」 『原図は永続』 「記録としてな」 『命令』 「終わりだ」 オルドは旗竿を、最後の一行へ突き立てた。 ザンバが灰旗を振る。 「標術――《岐点》」 閉じた設計図の中で、二つの道が分かれる。 一つ。 保管庫へ。 十一年前の図…

  90. 第90話 第九章「一歩手前の道」後編

    『第90話 第九章「一歩手前の道」後編』 以前なら、四つ鐘で一つへ戻していた。 今朝、鐘は鳴らなかった。 原図庫の端では、ヒトカタの殻片が低い一音を返していた。 近くの子どもが、壊れた回転玩具の脚へそっと当てる。殻片は玩具を昔の形へ戻そうとはせず、欠けた一指ぶんだけを仮に支えた。復元命令が途切れた今、平らな面へ寄る性質だけが小さく残って…

  91. 第91話 第十章「四番目の旗」前編

    『第91話 第十章「四番目の旗」前編』 「だから直す!」 テオは胸を張る。 「ミナモへ残る」 「え?」 カナタの顔が止まった。 テオは鉄歩島から、別の雷風路を通って来た。 三番港で約束した。 先に着いたら、銀枝を一本残す。 その銀枝は今、次稿工房の天井に刺さっている。 「逆さ銀樹を見たら、次へ行くんじゃなかったのか」 「見た」 「じゃあ…

  92. 第92話 第十章「四番目の旗」後編

    『第92話 第十章「四番目の旗」後編』 仮責任者の札を外す。 区切りまで残る、という選択だった。 ミナモは違う。 次稿工房の棚は、朝になるたび増える。 天衡機は動くたび別の誤差を出す。 キリへ渡しても、その次の受取人が現れる。 ここに残るなら、何かが完成するまでではない。 終わらない仕事を、自分の場所として選ぶことになる。 ルゥは一晩…

  93. 第93話 第十一章「次稿は誰のもの」前編

    『第93話 第十一章「次稿は誰のもの」前編』 次稿工房へ、最初の正式な依頼が来た。 依頼主は二人。 北水路区の水運長。 翼重区の空船長。 持ってきた図は、一枚。 意見は、反対だった。 「橋を低く」 水運長が言う。 「重液の樽を、根重区からまっすぐ運べる高さに」 「橋を高く」 空船長が言う。 「翼艇が下を通れる高さに」 「二本作る!」 カ…

  94. 第94話 第十一章「次稿は誰のもの」後編

    『第94話 第十一章「次稿は誰のもの」後編』 カナタは船首の箱へ座る。 箱の底が抜けた。 「椅子!」 「荷箱!」 床へ尻から落ちる。 ナギの椅子は、四人が作った形のまま揺れなかった。 「それ、ずっと使うのか」 カナタが訊く。 「今は」 「また変える?」 「壊れたら」 「降りたら?」 ナギは椅子の小鐘へ触れる。 「次の人が使うかも」 「降…

  95. 第95話 第十二章「未完成の出航」前編

    『第95話 第十二章「未完成の出航」前編』 「聞く?」 「何を」 「アステルの記録」 カゲノハ村から届いた帰還路の声。 原図庫へ写しを置くか、まだ決めていない。 「ここへ置くものではない」 「どこ」 「帰還路」 「聞かない?」 ザンバは片目を閉じる。 天頂門。 アステルが最後に笑った場所。 自分がその選択を恨んだ時間。 「一度だけ」 ナ…

  96. 第96話 第十二章「未完成の出航」後編

    『第96話 第十二章「未完成の出航」後編』 最後。 ナギがカナタへ訊く。 「船長。今、第一歩号へ乗る?」 「俺の船だ!」 「答え」 「乗る!」 「どこまで」 「世界の果て!」 「次」 「星喰いの夜海!」 「帰還路の登録先」 カナタは一瞬止まる。 「カゲノハ村」 「使うか」 「未定!」 「帰路の詳細」 「未確認!」 「返事、あり」 四つの…

  97. 第97話 第一章「暗い風路で五つ鳴る」前編

    『第97話 第一章「暗い風路で五つ鳴る」前編』 道がないなら、最初の一歩になればいい。 誰かが二歩目を重ねれば、足跡は道になる。 三歩目が別の方角へ進んでも、また会う旗があれば道は途切れない。 四歩目を、自分より先へ行く誰かへ渡せば、まだ会っていない手が続きを作れる。 では、五歩目はどこへ置けばいい。 前でも、後ろでもない。 急いで次を…

  98. 第98話 第一章「暗い風路で五つ鳴る」後編

    『第98話 第一章「暗い風路で五つ鳴る」後編』 「船団!」 カナタの目が輝く。 「今、喜ぶところ!?」 少女が鎖を離した。 「ホシマルは船団の星錨につながってる! 引かれる!」 「ちょうどいい! 着港できる!」 「この速度で!?」 ホシマルが逃げる。 第一歩号と小舟が、その後ろへつながる。 ナギは響路士席の小鐘を五回叩いた。 「第一歩号…

  99. 第99話 第二章「止まれない船団」前編

    『第99話 第二章「止まれない船団」前編』 星航船団ノクティルには、地面がなかった。 代わりに、道が動いていた。 数百隻の大型船を骨組みにし、その間へ回転橋と灯索を渡して町を作っている。 橋は常に流れ。 船も常に進み。 店の床さえ、ゆっくり回っていた。 立ち止まって品物を見ると、入口から出口へ運ばれる。 「焼き星芋、一つ!」 カナタが流…

  100. 第100話 第二章「止まれない船団」後編

    『第100話 第二章「止まれない船団」後編』 「世界の果て!」 「かもしれない」とルゥ。 「行く!」 「だから、かもしれない!」 リラが星図の端へ、切れた細縄を置いた。 「その前に暗舟」 「リラ」 マーレの声が硬くなる。 「今朝、五つ鳴った」 「灯索の夜鳴りだ」 「響路士も聞いた」 「外来者の判断だ」 「今いる人の返事!」 リラの黒い耳…

  101. 第101話 第三章「灯を拾う仕事」前編

    『第101話 第三章「灯を拾う仕事」前編』 ナギの耳が動く。 「今どこへ、全部」 「風。星の重さ。船の傾き。乗っている者」 ドウマは船腹を叩く。 「一つでも分からなければ、止まったつもりで落ちる」 「止まるの、難しい!」 「だから、この船団はやめた」 老人は遠くの停泊船を見る。 「昔は休泊日があった」 「止まった?」 「泊星の影で炉を落…

  102. 第102話 第三章「灯を拾う仕事」後編

    『第102話 第三章「灯を拾う仕事」後編』 「機巧へ?」 「船へ。船員へ。今の荷へ」 カナタが胸を張る。 「俺が聞く!」 「まず第一歩号を直せ」 船の山から、嫌な音がした。 仮留め輪を外した船首が、少しずつ下へ沈んでいる。 「第四翼が!」 「支えを外したから!」 全員で走る。 バルドだけが、動く椅子へ座ったまま呟いた。 「止まる前に、壊…

  103. 第103話 第四章「星のない船」前編

    『第103話 第四章「星のない船」前編』 こん。 こん。 こん。 こん。 こん。 長い沈黙。 右から、一つ。 左から、一つ。 遠くから、三つ。 合計五つ。 今度は、さらに別の方向から五つ。 また五つ。 夜海のあちこちで、船腹を叩く音が返ってきた。 一隻ではない。 十隻でもない。 暗闇に、見えない船団がいる。 「生きてる」 リラの声が震え…

  104. 第104話 第四章「星のない船」後編

    『第104話 第四章「星のない船」後編』 木片が落ちる。 鐘の舌を、一呼吸だけ止める。 その間。 遠い場所から返事が来る。 ミナモ。 今、ここ。 次の一呼吸。 三番港。 今、ここ。 「返事の間」 アカリが言う。 「止まるためじゃない」 「聞くため」 セノは止まり輪の内側へ、同じ木片を入れる。 回す。 一周。 二周。 三周。 五周目で、一…

  105. 第105話 第五章「返事の間」前編

    『第105話 第五章「返事の間」前編』 「まだ朝じゃない」 アカリは広場の鐘を見上げる。 「授旗の日は、鐘より先に起きてよい」 セルクが言った。 「誰が決めたの」 「今、村長が」 「記録する?」 「しなくていい」 「本人応答あり」 「そういう日ではない」 広場には、マツバ婆。 ハルガ。 トウヤ。 フィオ。 セノ。 朝見台の見習い二人。…

  106. 第106話 第五章「返事の間」後編

    『第106話 第五章「返事の間」後編』 三枚目。 ――三番港。返事なし。 「三番港?」 ナギの眠気が消える。 連標網の途中。 ミナモ。 三番港。 トマリギ島。 カゲノハ村。 三番港が返さなければ、後ろの声が前へ来ない。 「もう一度」 鈴を鳴らす。 返事なし。 「風が変わった?」 ルゥが星図を見る。 「夜海と三番港の間は、ミナモの銀枝標を…

  107. 第107話 第六章「今の村から五つ」前編

    『第107話 第六章「今の村から五つ」前編』 リラが黙る。 初めて聞く話らしい。 「その二刻で、ネブラは一つ先の泊星を食べた。航路を失った外周船が百三十六隻、影潮へ流された」 「兄さんの船は、そのあと切った」 「ああ」 「二刻待ったから?」 「二刻しか待てなかったからだ」 マーレの左手の火傷が、星図の端へ触れた。 白い星図の境目を見失わ…

  108. 第108話 第六章「今の村から五つ」後編

    『第108話 第六章「今の村から五つ」後編』 船団の半分で、初めて自分たちの現在地を数える作業が始まった。 薄青い泊星アウラは、遠くで一度だけ大きく光った。 ノクティル中の人々が顔を上げる。 次の瞬間。 星の下半分が、黒く欠けた。 「ネブラ!」 外周から警鐘が走る。 星喰いは、泊星リュミナではなく、先にアウラへ回っていた。 ネブラの尾は…

  109. 第109話 第七章「星渡り会議」前編

    『第109話 第七章「星渡り会議」前編』 ユメ号へ追いつくまでの三十呼吸で、ナギの小鐘へ二百を超える声が入った。 『第一歩号、戻れ!』 『外周二番、灯索が張る!』 『畑船、炉温上昇!』 『暗舟の音が消えた!』 『ユメ号、応答せよ!』 『カゲノハ村、聞こえる!』 『ミナモ標、返事!』 『誰の呼び声だ!』 『今どこだ!』 すべてが同じ鐘へ重…

  110. 第110話 第七章「星渡り会議」後編

    『第110話 第七章「星渡り会議」後編』 「四十二人だぞ!」 「だから一人ずつ」 「俺ならまとめて――」 「まとめない」 「まだ何も言ってない!」 「顔」 ルゥが星熱炉の蓋を外しながら答えた。 「全部乗せる顔してる」 「一人ずつ抱えて第一歩号へ運ぶ!」 「もっと時間がかかる!」 ユメ号の名簿は、船長室の壁へ貼られていた。 四十二人。 朝…

  111. 第111話 第八章「響路士の限界」前編

    『第111話 第八章「響路士の限界」前編』 ザンバの旗が軋む。 「持ち主が今どうしたいかとは関係なくな」 「返してもらう!」 カナタが先星号の方角へ白旗を向ける。 「道を――」 「今、どこ」 ナギが止めた。 「マーレのところ!」 「第一歩号のどこ」 「船首!」 「体」 「ここ!」 「眠い」 「眠くない!」 ルゥが頬をつねる。 「痛っ!」…

  112. 第112話 第八章「響路士の限界」後編

    『第112話 第八章「響路士の限界」後編』 イオラ。 「一呼吸以上は?」 『戻りすぎる!』 「一呼吸!」 カゲノハ村から、五つの違う音。 『現標板、返事あり!』 アカリ。 『止まる場所が決まったら送って!』 「まだない!」 『決まってないこと、記録した!』 連標網は答えを持ってこない。 今いる場所から、試したことを返す。 ルゥは白い帳面…

  113. 第113話 第九章「泊星の手前」前編

    『第113話 第九章「泊星の手前」前編』 《連標網》は、一枚の地図ではなかった。 形の違う板。 音の違う鐘。 字の読めない人が描いた絵。 眠っている者の寝台札。 返せない者を見た隣人の声。 全部が、自分の場所で今を残す。 「統一しろ!」 先星号の航路士が叫ぶ。 『合図が違いすぎて読めない!』 「統一したら、疾行獣に一つへ食われる!」 ル…

  114. 第114話 第九章「泊星の手前」後編

    『第114話 第九章「泊星の手前」後編』 「本当に?」 「嫌だけど!」 リラは少し笑う。 白い脚が落ちる。 その直前。 ユメ号の船腹から、四十二人の返事が鳴った。 声。 手。 瞬き。 隣人の代理。 赤子の泣き声。 同じ音ではない。 けれど、全員が今いる。 夜色の旗の空白へ、最初の小さな点が生まれた。 リラは喜ぶ前に黒い耳飾りを五度触った…

  115. 第115話 第十章「名前のない一人」前編

    『第115話 第十章「名前のない一人」前編』 ナギは一つにまとめない。 全部を板へ残す。 ――三日前、拾得。 ――氏名、不明。 ――ヤミツバメ号との返事あり。 ――ノイ号移送説あり。 ――現在位置、未確認。 「寝台を叩いて!」 リラが叫ぶ。 遠い暗舟で、弱い音が二つした。 こん。 こん。 同じ場所から。 「ヤミツバメ号、意識なしは一人じ…

  116. 第116話 第十章「名前のない一人」後編

    『第116話 第十章「名前のない一人」後編』 「カナタ!」 「一歩手前!」 白旗が最後の光板を置く。 ノイ号は、自分の一歩でその先へ乗った。 直後。 《在標》の点が、一つだけ夜裂きの向こうへ残った。 「待って!」 リラが叫ぶ。 ヤミツバメ号。 人は全員移したはずの船。 その暗い船腹に、空いた輪が一つある。 夜裂きは、あと十呼吸で閉じよう…

  117. 第117話 第十一章「五番目の旗」前編

    『第117話 第十一章「五番目の旗」前編』 船団のあちこちで、人々が同じように眠り始める。 治療船の一角では、ネリサが凹凸札を指で読み直していた。娘は温めた産着の中で、右足だけ同じ角を蹴り出す。低い船腹音では左を向き、高い鈴では眉間へ皺が寄った。 ネリサは一度眠り、起きて水を飲み、もう一度子の呼吸を数えた。それから名簿の空欄へ指を置く。…

  118. 第118話 第十一章「五番目の旗」後編

    『第118話 第十一章「五番目の旗」後編』 布の周囲には、さらに小さな輪がいくつも縫われている。 「完成?」 カナタが訊く。 「今は」 リラは答えた。 「返事した人は点」 一つを指す。 「声が出せなくても、隣が見ている人は淡い輪」 二つ目。 「名簿にいるけど、今の場所が分からない人は空いた輪」 三つ目。 「名簿から消すんじゃないんだな」…

  119. 第119話 第十二章「初めて止まる場所」前編

    『第119話 第十二章「初めて止まる場所」前編』 アカリが呼んだ。 『監視役』 ザンバは返さない。 『ザンバ』 灰旗の石突が、甲板を一つ叩く。 次。 五つ。 「第一歩号。船尾」 『本人応答あり』 「それだけか」 『屋根板の弁償、まだ』 「現在地と関係あるか」 『今も残ってる』 「帰ったら払う」 ザンバは生身の左手で弁償板を受け取る仕草を…

  120. 第120話 第十二章「初めて止まる場所」後編

    『第120話 第十二章「初めて止まる場所」後編』 ノクティルでは、全船の眠りが一巡し、次の見張りが返事をした時刻を朝と呼ぶようになっている。 誰か一人の鐘では決めない。 寝台船。 畑船。 工房船。 外へ出た夜影隊。 それぞれの朝が、《在標》へそろったとき、新しい一日が始まる。 休泊港には、第一歩号を見送る人々が集まっていた。 マーレ。…

  121. 第121話 第一章「空の折り目へ刺さる」前編

    『第121話 第一章「空の折り目へ刺さる」前編』 道がないなら、最初の一歩になればいい。 誰かが二歩目を重ねれば、足跡は道になる。 三歩目が別の方角へ進んでも、また会う旗があれば道は途切れない。 四歩目を、自分より先へ行く誰かへ渡せば、まだ会っていない手が続きを作れる。 五歩目を急がず、今いる者を数えれば、返事の遅い誰かを消さずに待てる…

  122. 第122話 第一章「空の折り目へ刺さる」後編

    『第122話 第一章「空の折り目へ刺さる」後編』 第一歩号は白線から離れる。 離れたまま、旗索に沿って猛烈な勢いで岸へ滑った。 白い折り目に沿って、巨大な町が伸びている。 半分は青空側。 半分は紫空側へ垂直に折れている。 家々は床にも壁にも建ち。 六本の大塔が、白線をまたいでいた。 町の外周には、数えきれないほどの旗。 赤。 青。 金。…

  123. 第123話 第二章「旗だらけの岸」前編

    『第123話 第二章「旗だらけの岸」前編』 左右の靴底は同じ厚さではない。左が半指ぶん高く、古い脚の差を埋めていた。それでもセイガは境界線の上だけを選び、どちら側へも踵を落とさない。 旗を持つのは左手。人へ触れる時だけ使う右手は、今は外套の内側にしまわれていた。歩くたび、親指が白黒の縫い目を一度なぞる。町を分ける線を確かめているのか、自…

  124. 第124話 第二章「旗だらけの岸」後編

    『第124話 第二章「旗だらけの岸」後編』 「私も」 「危ないぞ」 「ひいひいおばあちゃんの旗」 ネネは旗縄の端を足指で拾い、両手を空けて結び目を直した。トワが取り上げようとすると、欠けた歯を見せて睨む。 「子どもだからって、持つだけにしないで。どこへ仮置きするか、私にも訊いて」 答えを知っている子どもの声ではない。自分の家の旗について…

  125. 第125話 第三章「響きは鏡にならない」前編

    『第125話 第三章「響きは鏡にならない」前編』 カゲノハ村からの返事は、六本の界塔が二度目に鳴ったころ届いた。 九つの音が重なったところで、ナギの口にまた金属の味が広がった。左の耳栓を深くし、五拍を数える。今回は五つ目まで届いたが、額の奥が脈打つ。 「聞き分けは三路まで。残りは書き手を二人」 能力が落ちたとは言わない。今できる数を先に…

  126. 第126話 第三章「響きは鏡にならない」後編

    『第126話 第三章「響きは鏡にならない」後編』 世界の果てには、まだ誰の受取札もなかった。 日暮れまで、あと半刻。 カナタたちは、オリベの到達証会館へ呼ばれた。 町で最も大きな建物。 床にも。 壁にも。 天井にも、番号札が並んでいる。 第一到達。 第十。 第百。 北風路最初。 夜間最初。 一人旅最初。 到達の仕方が違うたび、新しい一番…

  127. 第127話 第四章「裏へ送る一歩」前編

    『第127話 第四章「裏へ送る一歩」前編』 向きの違う六つの半円が、中央の空白を囲んでいる。 ユラの透明旗と同じ。 「十三年前、ここへ六つ目の岸杭を立てるはずだった」 ユラが言う。 「でも、届かなかった」 「どこから?」 「向こうから」 セイガが塔の階段を上ってくる。 二色旗を肩へ担ぎ、顔はいつもどおり硬い。 「第六杭は、裏岸が作る予定…

  128. 第128話 第四章「裏へ送る一歩」後編

    『第128話 第四章「裏へ送る一歩」後編』 ナギは青い帳面の空白へ書く。 ――エル。 ――本人応答あり。 ――現在地、未確認。 「場所!」 ナギが声を通す。 「エル。今、どこ」 返事。 『紫岸……仮泊……第六杭』 「第六!」 カナタが叫ぶ。 「人数!」 『船……四十七』 「人は!」 『百八十六』 ナギの筆が止まる。 数えられる。 反影で…

  129. 第129話 第五章「十三年前の落岸」前編

    『第129話 第五章「十三年前の落岸」前編』 閉岸準備の夜。 セイガは、ザンバを第一界塔へ呼んだ。 「俺だけ?」 「黒旗の《終点》を持っていた者に聞きたい」 「今は岐点だ」 ザンバの機巧腕の留め具が、塔の冷えで低く鳴った。ない指が、閉じる線の数だけ痛む。彼は機巧の右手で壁を支え、生身の左手で名簿を受け取った。 「切ることを知っている。だ…

  130. 第130話 第五章「十三年前の落岸」後編

    『第130話 第五章「十三年前の落岸」後編』 「返らなくなったら?」 『消えたと決めない。最後の確認時刻を書く』 「助けを求めてるかは?」 『本人の合図』 ――待つことと救助を分ける。 五つ目。 カゲノハ村。 アカリ。 「知らない人の場所を、どう空ける」 『全部空けない』 「なんで!」 『住んでる人もいる』 「じゃあ、どれくらい!」 『…

  131. 第131話 第六章「一歩手前の実験」前編

    『第131話 第六章「一歩手前の実験」前編』 最初の試験は、人ではなく木箱で行うことになった。 「俺が行く!」 「人ではなく木箱」とルゥ。 「俺、木箱を持てる!」 「持つ人が行ったら同じ!」 「じゃあ、俺を箱に!」 「人!」 第一歩号の甲板に、表側用の試験箱が置かれる。 中身は、カゲノハ村の干し茸一袋。 トマリギ島の青鈴。 三番港の銅板…

  132. 第132話 第六章「一歩手前の実験」後編

    『第132話 第六章「一歩手前の実験」後編』 船首。 中央。 船尾。 返事は、船尾。 さらに上下。 裏空の下。 荷室。 「確認」 エルたちは紫岸側の細い救助索を、船尾荷室へ向ける。 届かない。 あと五歩。 「未踏路、出す?」 カナタが訊く。 「本人が求めた」とナギ。 「どこまで?」 「紫岸救助索の手前」 「最後までじゃない?」 「向こう…

  133. 第133話 第七章「閉岸評議」前編

    『第133話 第七章「閉岸評議」前編』 「小さく!」 「お前の旗は大きい」 「布を半分!」 「白旗は、今も道を作る」 「じゃあ、写し!」 「名板でもいい」 セイガの条件。 到達名板。 「旗じゃない」 「なぜ旗でなければならない」 カナタは答えかける。 父の白旗。 空白だった布。 村人の願いが集まった紋。 旅のすべて。 「こいつで来たから…

  134. 第134話 第七章「閉岸評議」後編

    『第134話 第七章「閉岸評議」後編』 ユラは、向こうの場所をこちらの言葉で埋めない。 トワは、旗の表だけを正面にしない。 セイガは、内を一つだけに決めない。 「役目、多い!」 カナタが白い帳面を見る。 「自分の一つだけ覚えて」とルゥ。 「最後を作らない!」 「救助要請がなければ」 「増えた!」 「覚えて!」 第一歩号を第六塔の横へ固定…

  135. 第135話 第八章「向こう側からの第一歩」前編

    『第135話 第八章「向こう側からの第一歩」前編』 最外旗区の避難が始まった。 旗を抜けば、町の重さが減る。 抜かなければ、旗ごと人が外へ引かれる。 回せば、風は逃げる。 しかし、回転輪が足りない。 「手で持つ!」 ネネが片靴旗へしがみつく。 「子どもは避難!」 「私の旗!」 「俺が持つ!」 カナタが旗竿を受け取る。 同時に白旗も。 二…

  136. 第136話 第八章「向こう側からの第一歩」後編

    『第136話 第八章「向こう側からの第一歩」後編』 セイガの旗に、細い空白が生まれる。 閉岸線が一呼吸だけ止まる。 ユラとエルは同時ではなく、互いの足を見て最後の半歩を出す。 透明な中央。 足が着く。 向きは逆。 重さも違う。 同じ場所へ立つ。 手を伸ばす。 指が触れる。 透明膜を一枚挟んで。 「エル?」 「ユラ?」 初めて、顔と声と触…

  137. 第137話 第九章「一番が多すぎる」前編

    『第137話 第九章「一番が多すぎる」前編』 先占獣サキドリは、第一到達碑を食った。 噛むのは左顎だけだった。石より先に、六人の名の周囲へ打たれた《第一》の金属粉を舐め取り、喉袋へ溜める。袋が満ちるほど一字角は真っ直ぐになり、何千本の旗脚も一本の線へ揃った。 逆に、迎え岸の無記名板や、皆で使う救助索には鼻先すら向けない。そこには「最初の…

  138. 第138話 第九章「一番が多すぎる」後編

    『第138話 第九章「一番が多すぎる」後編』 銀色の《一》は、カナタの手の中。 「捨てる?」 ユラが訊く。 「捨てない」 「戻す?」 「戻さない」 「どうする」 「持つ」 カナタは金属片を握る。 「最初になりたいって思ったことまで、なくしたくない」 「それでいい」とルゥ。 「褒めた?」 「気持ちを」 「俺は?」 「行動を見てから」 「厳…

  139. 第139話 第十章「中央の空白」前編

    『第139話 第十章「中央の空白」前編』 空白が、誰かのために空けられている。 所有者のいない場所へ、一番は立てない。 金属面に亀裂。 「誰の岸だ!」 獣の何千もの声。 「来た人の岸!」 ユラが答える。 「次に来る人の分も!」 エルが旗を高く掲げる。 透明岸が一歩から二歩へ。 三歩。 踏み出した人の分だけ広がる。 青岸から、ネネが走る。…

  140. 第140話 第十章「中央の空白」後編

    『第140話 第十章「中央の空白」後編』 「助けて!」 本人の声。 「聞いた!」 完全な一歩を出す。 光路が船体を支える。 四人が走る。 自分で最後を踏む。 一人は仲間に抱えられ、未踏路へ。 迎え岸へ着く。 「全員!」 ナギが数える。 一。 二。 三。 四。 五。 「本人応答あり!」 直後、古船が潮へ消える。 人は残る。 船の終わりと…

  141. 第141話 第十一章「両岸の返事」前編

    『第141話 第十一章「両岸の返事」前編』 折返し潮から、三日後。 迎え岸には、まだ屋根がなかった。 青岸側から運ばれた柱は、青い空を下にして立とうとする。 紫岸側から運ばれた柱は、紫の空を下にして立とうとする。 二本をそのまま組むと、屋根は真ん中から開いた。 「ちょうどいい!」 カナタが、開いた屋根の下で両腕を広げる。 「雨が両方へ流…

  142. 第142話 第十一章「両岸の返事」後編

    『第142話 第十一章「両岸の返事」後編』 遠い中継鐘が順番に返る。 最後。 へこんだ薬箱の底を叩く音。 『カゲノハ村。発着場の現標板。今、ここ』 「アカリ!」 カナタが鐘へ顔を近づける。 『近い』 「世界の向こうだぞ!」 『声が』 「前もやった!」 「なら離れて」とルゥ。 カナタの額が鐘へ当たり、余計な一音が鳴った。 『今の何』 「カ…

  143. 第143話 第十二章「世界の果てから始まる」前編

    『第143話 第十二章「世界の果てから始まる」前編』 「次に来る人の?」 カナタが訊く。 「誰か一人の名前を先に決めない板」 ユラが答える。 「着いた人が、自分で返事をするまで空ける」 「俺の名板が、六番目になった!」 「元から空白」とルゥ。 「譲った!」 「欲しかったことは本当」とナギ。 「そこも書く?」 「必要なら」 「書かない!」…

  144. 第144話 第十二章「世界の果てから始まる」後編

    『第144話 第十二章「世界の果てから始まる」後編』 「たぶん」 「行く!」 「話を聞いて!」 ルゥが工具を投げる。 カナタは白旗で受け止めた。 「条件は?」 「頼まれてない!」 「じゃあ、困ってない?」 「片方の灯が十年、消えてる」 エルは紫側の記録を広げる。 「到着した船が、着いたことにならない。門を通っても、また外へ出る」 「面白…

  145. 第145話 第一章「七回着いて、まだ着かない」前編

    『第145話 第一章「七回着いて、まだ着かない」前編』 道がないなら、最初の一歩になればいい。 誰かが二歩目を重ねれば、足跡は道になる。 三歩目が別の方角へ進んでも、また会う旗があれば道は途切れない。 四歩目を、自分より先へ行く誰かに渡すこともできる。 五歩目を急がず、今いる者を数えることもできる。 六歩目を置く場所に先客がいたなら、一…

  146. 第146話 第一章「七回着いて、まだ着かない」後編

    『第146話 第一章「七回着いて、まだ着かない」後編』 じゅっ、と短い音。 光の尾が消える。 七音も止まった。 同時に、到着索が消える。 第一歩号を支えていたものがなくなった。 「止まった!」 「落ちる!」 「止まるのと落ちるの、近いな!」 「近くない!」 第一歩号は到着輪の内側へ落ちた。 今度こそ港へ入る。 最初に突っ込んだのは、《第…

  147. 第147話 第二章「終わらない朝の港」前編

    『第147話 第二章「終わらない朝の港」前編』 双灯港アケヨイには、夜がなかった。 空そのものは暗くなる。 遠い星も見える。 けれど金色の発ち灯が町を照らし続けるため、道も家も人の顔も、いつも朝の色をしていた。 町の鐘は、始まりの音しか鳴らない。 ごおん――。 仕事を始める鐘。 ごおん――。 出航を始める鐘。 ごおん――。 次の作業へ移…

  148. 第148話 第二章「終わらない朝の港」後編

    『第148話 第二章「終わらない朝の港」後編』 それでも子どもだった。手紙を書き直す前に「帰ってきたら、蜜豆は僕の分を残して」と一行足しかけ、恥ずかしくなって消した。行かないでだけではない。自分の好きなものを、明日も一緒に食べたいという欲もあった。 コハクより二つ上。 「母さんから?」 ナギが訊く。 「違う。僕が書いた」 宛先は、空欄。…

  149. 第149話 第三章「到着札三千二百枚」前編

    『第149話 第三章「到着札三千二百枚」前編』 終路局は閉じられた。 「なぜ辞めた」 ザンバが訊く。 「終わらせる道がなくなった」 「役目は?」 「到着札を数える」 「終わってない!」とカナタ。 「だから残った」 トバリはヨイの旗を見る。 「また終路火へ触った?」 「消しただけ」 「六つ目まで」 「七つ目は出ない」 「当然」 「何で」…

  150. 第150話 第三章「到着札三千二百枚」後編

    『第150話 第三章「到着札三千二百枚」後編』 九年の帆を畳む段になると、逆に説明が長くなった。折り目の順、紐の向き、棚の湿り気。別れ際ほど言葉が増える男だった。本当は、自分がいつも船を見送る側ではなく、新しい船の出航を誰かに見送ってほしかった。 帆には九年ぶんの補修跡。 白。 青。 金。 直すたび別の布を足したため、第一歩号より派手だ…

  151. 第151話 第四章「古い声と、生きた返事」前編

    『第151話 第四章「古い声と、生きた返事」前編』 双灯港の子どもたちは、夕方を知らなかった。 空が暗くなる時刻は知っている。 星が出ることも。 けれど、それは朝が薄くなるだけだった。 仕事を終える鐘も。 家へ帰る合図も。 今日と明日の境目もない。 「最後の頁を開いて」 暮梢の小さな教室で、教師が言った。 九歳のコハクが本をめくる。 長…

  152. 第152話 第四章「古い声と、生きた返事」後編

    『第152話 第四章「古い声と、生きた返事」後編』 ――連標網外。 ――固定七音。 ――問いへの変化なし。 ――分類、保留。 「いない、じゃない」とカナタ。 「うん」 「じゃあ、いるかもしれない!」 「だから白抜き。いないとも、生きているとも書かない」 「でも音はある!」 「音があることは書く」 ナギは黒い記録札を一枚取り、カナタの前へ…

  153. 第153話 第五章「第七帰航隊の名簿」前編

    『第153話 第五章「第七帰航隊の名簿」前編』 朝見台は二倍の高さになり。 天頂門へ続く階段には休み場が三つ増え。 村の外から来た旅人のための宿が、枝の南側にできている。 ルゥの作業小屋には、別の名前が二つ書き足されていた。 セノ。 フィオ。 「ルゥさん、怒るかな」 セノが地図を覗く。 「机を使ってること?」 「右側を削った」 「怒る」…

  154. 第154話 第五章「第七帰航隊の名簿」後編

    『第154話 第五章「第七帰航隊の名簿」後編』 ナギが一枚ずつ読む。 「名前」 「全部呼ぶの?」とアサギ。 「青札を確かめる」 「六十九人」 「一人ずつ」 「朝鐘までに終わらない」 「終わらなくても、呼んだところまで残す」 トバリが小さく頷く。 七枚を数え、八枚目へ触れた指がまた一枚目へ戻った。本人は気づいている。直そうとすると背中の古…

  155. 第155話 第六章「セナの最後の命令」前編

    『第155話 第六章「セナの最後の命令」前編』 引き出しが増え。 返事輪がついている。 「勝手に……」 ルゥの眉が動く。 「怒る?」 カナタが訊く。 「怒る」 「戻す?」 「戻さない」 「怒るのに?」 「私の机だった。今は、あの子たちも使ってる」 昔の机を見つめる。 「でも、この風車を作ったことは消さない」 白い帳面へ形を写す。 羽根の…

  156. 第156話 第六章「セナの最後の命令」後編

    『第156話 第六章「セナの最後の命令」後編』 終えた仕事。 眠るはずだった一日。 すべてが、最後の一歩を上げたまま止められている。 「本来は、着いた道をここで受け取る」 ルゥは黒い内壁を叩いた。 「受け取った標力を、発ち灯へ渡す。終わった道が、次の出発を照らす」 「終わりが、始まりの燃料?」 カナタが訊く。 「燃やすんじゃない。返すの…

  157. 第157話 第七章「終わりを決める会議」前編

    『第157話 第七章「終わりを決める会議」前編』 六つ鐘が鳴った。 ごおん。 一日の最後の音。 村人たちは橋へ順番に手を触れた。 薬を運んだ人。 怪我人を背負った人。 喧嘩して、途中で引き返した人。 夜中に生まれた子どもを抱えて渡った人。 それぞれが、自分の道へ言葉を置く。 「ここまで、ありがとう」 「もう渡らない」 「孫へ話す」 「新…

  158. 第158話 第七章「終わりを決める会議」後編

    『第158話 第七章「終わりを決める会議」後編』 顔を見たことはない。 「俺は、戻してほしくない」 会堂の何人かが振り向く。 「父さんを知らないから?」 ナギが訊く。 「知らない人に、父親の顔で帰ってこられたくない」 言葉が鋭い。 けれど、手は震えている。 「母は、毎年父の話を変えた。優しかった。臆病だった。歌が下手だった。高い場所が嫌…

  159. 第159話 第八章「夕方を知らない子ども」前編

    『第159話 第八章「夕方を知らない子ども」前編』 「書いたら、本当に終わる?」 「頁はね」 アサギが答える。 「明日の授業は?」 「次の頁から始める」 「次の頁、白い」 「だから書ける」 コハクは《了》の最後を引いた。 授業札が淡く光る。 今日の頁が閉じた。 隣に、新しい白紙が開く。 コハクは目を丸くした。 「消えなかった」 「何が?…

  160. 第160話 第八章「夕方を知らない子ども」後編

    『第160話 第八章「夕方を知らない子ども」後編』 「灯替え潮!」 警鐘が鳴る。 終わらない朝の町に、初めて夜色の鐘が混じった。 ごおん。 からん。 ご、ごおん――。 発ち灯の金色が脈打つ。 一度。 二度。 三度目で、表面の亀裂が十倍に広がった。 「今夜までじゃなかったの!?」 カナタが叫ぶ。 「港に夜がないから、潮が時刻を読み違えた!…

  161. 第161話 第九章「大連灯式」前編

    『第161話 第九章「大連灯式」前編』 二灯旗から伸びた金線が、着き灯へ突き刺さった。 黒い球が膨らむ。 一度。 二度。 三度目で、表面に白い亀裂が走った。 「術を切れ!」 ザンバが灰旗を抜く。 「切れば、発ち灯が砕ける!」 レオンは旗竿へ両手でしがみつく。 もう、自分で振っていない。 十年間、始めることだけを集めた発ち灯。 終えられな…

  162. 第162話 第九章「大連灯式」後編

    『第162話 第九章「大連灯式」後編』 「セナ!」 景色の女は振り向かない。 「俺だ!」 七音。 「ヨイは生きている!」 七音。 「返事をしろ!」 七音。 レオンは二灯旗を振り上げる。 「道を動かせば――」 ザンバの旗竿が、その手を止めた。 「動かして何を訊く」 「今の意思を!」 「記録から作るのか」 「黙れ!」 二灯旗と灰旗がぶつかる…

  163. 第163話 第十章「ここまでの音」前編

    『第163話 第十章「ここまでの音」前編』 脱出箱が光った。 十四歳のヨイを乗せた箱が、ナナツボシ号から離れる。 一歩。 着き灯へ。 二歩。 港へ。 三歩目はない。 箱は、十年前の到着場所で止まった。 景色の中のセナが、初めて操舵輪から手を離した。 ヨイへ向く。 声は届かない。 それでも、唇は動いた。 ――行っておいで。 ヨイは首を振っ…

  164. 第164話 第十章「ここまでの音」後編

    『第164話 第十章「ここまでの音」後編』 レオンは長い間、札を見つめた。 やがて、自分の指で欄へ書く。 ――第七帰航隊六十九名。 ――白抜き札、現在地未確認。 ――事故記録、保存。 ――帰航路、閉鎖。 最後の印で手が止まる。 「閉鎖したら、帰れない」 「今ある帰航路は、十年前の事故へしかつながってない」 ルゥが答える。 「生きている人…

  165. 第165話 第十一章「夜明け前の灯」前編

    『第165話 第十一章「夜明け前の灯」前編』 古い着き灯がなくなると、双灯港は半分だけ落ちた。 「落ちる!」 「半分だけ!」とルゥ。 「十分落ちる!」 第一歩号は港の下へ回り込む。 船首の二枚鍋蓋が、傾く到着区を受け止めた。 「第六翼が町を支えた!」 「三呼吸だけ!」 「長い!」 「短い!」 ヨイは新しい灯の種を抱え、着き塔の空いた台座…

  166. 第166話 第十一章「夜明け前の灯」後編

    『第166話 第十一章「夜明け前の灯」後編』 いつもなら同じ問いを三度繰り返すところを、今日は一度だけで手を離した。自分が最後まで抱えず、受け取った相手の返事まで聞いて初めて、成功した引き継ぎとして札へ丸をつける。 その足元を、ほどけたハテナシの小型個体が一匹歩いた。人の顔には反応せず、《明日、様子を見る》とだけ書かれた札の前で、七つの…

  167. 第167話 第十二章「次の最初の一歩」前編

    『第167話 第十二章「次の最初の一歩」前編』 夫の席は消さず、現在地の欄へ白抜き札を置いた。 飲みたい日には二杯を淹れ、冷めたら自分で温めた。 四週目。 ヨイとトバリは、一隻ずつ到着を受け取る訓練をした。 アサギは、出航路を開く前に帰着予定と次の確認時刻を書くようになった。 レオンは七船記録庫の鍵を預かり、同じ七音を聞くたび、答えを足…

  168. 第168話 第十二章「次の最初の一歩」後編

    『第168話 第十二章「次の最初の一歩」後編』 あと指一本で触れるところで止めた。先にヨイを見る。 「どの区間?」 問いが出るまで、ルゥは安全蓋を閉めなかった。カナタが道具へ勝手な翼番号をつける癖は変わらない。それでも使う前に持ち主へ範囲を訊く一拍が増えた。 「試す!」 「区間を言って」 「双灯港への旅!」 「どこから?」 「世界の果て…

  169. 第169話 第一章「雲に履かれる」前編

    『第169話 第一章「雲に履かれる」前編』 道がないなら、最初の一歩になればいい。 誰かが二歩目を重ねれば、足跡は道になる。 三歩目が別の方角へ進んでも、また会う旗があれば道は途切れない。 四歩目を、自分より先へ行く誰かに渡すこともできる。 五歩目を急がず、今いる者を数えることもできる。 六歩目を置く場所に先客がいたなら、一歩ぶん空けて…

  170. 第170話 第一章「雲に履かれる」後編

    『第170話 第一章「雲に履かれる」後編』 カナタは第六翼を下ろした。 二枚の鍋蓋が雲脚へ触れる。 今度は足先ではない。 雲の横腹へ引っかかった。 第一歩号が振り子になる。 八番雲の下を大きく回る。 一回。 二回。 三回。 「船が歩かずに走ってる!」 「感想はあと!」 ルゥが操舵輪を切る。 透明羽根が雲の重さを拾う。 ナギは響路台へ鈴を…

  171. 第171話 第二章「八番目の町」前編

    『第171話 第二章「八番目の町」前編』 歩雲群ヤエは、八つの巨大な雲でできていた。 先頭から一番雲。 二番雲。 三番。 最後が、今いる八番雲。 それぞれの雲には町が載り、役目がある。 一番雲は、星根を読む航路町。 二番雲は、水を運ぶ貯雨町。 三番雲は畑。 四番雲は炉と工房。 五番雲は家々。 六番雲は鐘と伝令。 七番雲は治療所。 八番雲…

  172. 第172話 第二章「八番目の町」後編

    『第172話 第二章「八番目の町」後編』 「おう!」 「なぜ、その状態で誇れる」 「着いたから!」 「主に壊して」とザンバ。 「そこまで噂が来てるのか!?」 「今のは観察だ」 「毎回分かりにくい!」 カイラは第一歩号の白旗を見る。 無数の道が手を取り合う紋。 中央の空白。 「力を借りたい」 「いいぞ!」 即答。 ルゥが船底から工具を投げ…

  173. 第173話 第三章「後ろから届く修正」前編

    『第173話 第三章「後ろから届く修正」前編』 翌朝。 第一歩号は、歩雲群の上を一番雲から八番雲まで往復する許可を得た。 許可を出したのはカイラ。 条件は三つ。 歩調を乱さない。 各雲の上空で炉を吹かさない。 船長を操舵輪へ近づけない。 「最後だけ俺の名前だ!」 「条件じゃなく安全規則」とルゥ。 「船長なのに!」 「船長だから!」 第一…

  174. 第174話 第三章「後ろから届く修正」後編

    『第174話 第三章「後ろから届く修正」後編』 観測鏡も。 椅子も。 すべて前向きに固定されていた。 「後ろを見る窓がない」 カナタが言う。 「前に道がある」とレン。 「後ろに仲間がいる」 「光索でつながってる」 「顔は?」 レンは振り向こうとする。 椅子の背が高く、七雲を隠す。 カナタはその背を掴んだ。 「外す!」 「壊すな!」 「見…

  175. 第175話 第四章「先頭塔の食卓」前編

    『第175話 第四章「先頭塔の食卓」前編』 歩雲群には、八つの町がある。 けれど、八つの町が同じものを見ているわけではなかった。 第一歩号は修理のため、八番雲へ半日残ることになった。 カナタは弁償働き。 ルゥは船底修理。 ナギは六番雲との響路試験。 ザンバは監視。 「俺だけ仕事の名前がない!」 「弁償労働」とメグ。 「長い!」 言い争い…

  176. 第176話 第四章「先頭塔の食卓」後編

    『第176話 第四章「先頭塔の食卓」後編』 「二番雲と三番雲と八番雲が、北を出してる」 「水と風と後踏みの記録」 「今の記録」 「一番雲の星図にはない」 「星図は、いつの?」 「昨日」 「フウカが同じこと言ってた」 レンは眉を寄せる。 「歩雲群は、見えない根へ町ごと踏み出す。『あるかもしれない』では進めない」 「東は見える?」 「残照が…

  177. 第177話 第五章「十年前の二つの一歩」前編

    『第177話 第五章「十年前の二つの一歩」前編』 八番雲の下へ降りる《踏み舟》は、船ではなかった。 細い板。 左右に白い雲袋。 袋から一呼吸ぶんの足場を吐き、雲の裏側を歩く。 「帆がない!」 カナタが乗る。 「飛ばないから」とメグ。 「落ちる?」 「歩く」 「俺たちと同じ!」 「あなたは飛空艇で歩いた」 「新しい!」 「事故」 ルゥとナ…

  178. 第178話 第五章「十年前の二つの一歩」後編

    『第178話 第五章「十年前の二つの一歩」後編』 ナギは別の言葉でも試した。名前。現在地。聞こえるか。音は同じ速さ、同じ息、同じ途切れ方で繰り返す。現在のセトがこちらを聞いている証拠にはならない。 メグが「もう一度」と言うたび、ナギは鳴らした。ただし帳面には《固定記録》と書き続ける。希望を消さないことと、記録を生者へすることは違う。 声…

  179. 第179話 第六章「先頭を受け取りたい人」前編

    『第179話 第六章「先頭を受け取りたい人」前編』 正しい答えを知る小さな賢者ではない。昨日は拾った靴を勝手に雲板へ縫いつけ、持ち主に泣かれた。今日はその失敗を思い出し、道具ではなく結び方を渡すと言えた。十歳の成長は、毎回まっすぐではなかった。 「教える」 「誰に?」 「カイラ」 カナタが笑う。 「歩頭長が網を持つ!」 「似合わない」と…

  180. 第180話 第六章「先頭を受け取りたい人」後編

    『第180話 第六章「先頭を受け取りたい人」後編』 その途中、遠い連標網の端が小さく鳴った。 カゲノハ村。 『アカリ。村外初便、受取完了。帰路』 トウカが一番雲の報告へ混ぜかける。 ナギは別の小鈴を差し出した。 「それは、カゲノハ村の現在」 「歩雲群の判断には使わない?」 「今は使わない。でも消さない」 小鈴へ、アカリの便だけを入れる。…

  181. 第181話 第七章「後ろへ落ちる」前編

    『第181話 第七章「後ろへ落ちる」前編』 ザンバは古い巡礼路で見た小型個体を思い出す。先頭札が一つの日は眠り、複数の道へ役目が分かれると、八つほどの小さな足へ分かれた。ただし、それぞれが自分の番を少しでも長くしようとする。消せば終わる獣ではない。制度の濃さで姿を変える生き物だった。 「倒しても、先頭を一つへ戻せばまた育つ」 カナタは白…

  182. 第182話 第七章「後ろへ落ちる」後編

    『第182話 第七章「後ろへ落ちる」後編』 「怖くても行くって、あんたは笑われた村で言ったんでしょ」 「誰から聞いた」 「噂」 「壊した場所の数?」 「主に、それ」 「やっぱり広まってる!」 「今、喜ぶところ?」 ルゥが呆れた声を出す。 少しだけ空気が緩む。 その奥で、古い足跡が光った。 メグの涙が一滴落ちた場所。 八番目の足跡。 薄青…

  183. 第183話 第八章「八つの返事」前編

    『第183話 第八章「八つの返事」前編』 ナギは、六番雲の鐘塔にいた。 第一歩号から落ちた七つの鈴を、独歩獣の背へ追ってきた。 トウカと二人。 命令鐘の下。 現在鐘の間。 八本の音路が、白い雲糸に呑まれかけている。 「一番雲!」 ナギが呼ぶ。 返事。 『先頭』 「名前!」 『先頭』 「カイラ!」 遠く、獣の頭。 『……カイラ』 一つ目の…

  184. 第184話 第八章「八つの返事」後編

    『第184話 第八章「八つの返事」後編』 すぐに納得はしない。カイラは「非効率だ」と三度言い、四度目にだけ黙った。その沈黙は同意ではなく、十二年間持たなかった空白だった。 「それが先頭だ」 「それが先頭なら、誰も受け取りたくなくなる」 遠くから、メグの声が届く。 『母さん!』 第一歩号が独歩獣の首筋へ近づいている。 帆は半分破れ。 船底…

  185. 第185話 第九章「誰かの一歩のあと」前編

    『第185話 第九章「誰かの一歩のあと」前編』 判断と責任を同じ人へ集中させない返事だった。 「メグ、渡す?」 ナギが訊く。 「水の確認を、スイへ渡す!」 「スイ、受け取る?」 『受け取る!』 二番雲の雫旗が光る。 二つ目の足跡が独歩獣から剥がれた。 「次、三番雲!」 北から横風が来る。 フウカが畑の風見を上げる。 『根はある! でも真…

  186. 第186話 第九章「誰かの一歩のあと」後編

    『第186話 第九章「誰かの一歩のあと」後編』 獣の腹は一つの身体を保てず、八つの小さな前脚核へ裂けた。核は逃げながら、それぞれ自分の色の足跡へ張りつく。消滅はしない。輪番の中で、自分の番を長くする生き物へ姿を変えただけだった。 「あとで捕まえる!」とメグ。 「倒して終わりじゃないのか!」 「町の歩き方が戻れば、飼い方も見張り方も変わる…

  187. 第187話 第十章「八番目の旗」前編

    『第187話 第十章「八番目の旗」前編』 カナタは言う。 「俺は次!」 白旗を八番雲へ向ける。 「ホロの前じゃない! ホロの次!」 一歩分の光板。 雲底へ潜るホロの踏み舟の後ろへ出る。 第一歩号が続く。 八脚はまだない。 船底へ残った独歩獣の雲足が、仮の爪を作る。 八番雲の裏側。 白い洞窟。 ホロが雲針で音を探る。 「右」 「右!」 カ…

  188. 第188話 第十章「八番目の旗」後編

    『第188話 第十章「八番目の旗」後編』 だが、作業着の袖をまくった。 最初に拾ったのは、片方だけの子どもの靴だった。 靴の脇では、小型のヒトアシが一体、三番雲札へ爪を立てていた。カイラが引き剥がそうとすると、前脚だけを大きくして抵抗する。 「力で取ると、先頭札の匂いが濃くなる」とホロ。 「では?」 「次の担当札を見せる」 メグが《拾い…

  189. 第189話 第十一章「八つの足音」前編

    『第189話 第十一章「八つの足音」前編』 カイラが白い作業着の袖をまくった。 「渡したあと、何をすればいいか分からなかったのだろう」 レンが星図を見下ろす。 「黙れば、私の地図まで捨てられる気がした」 スイは濡れた靴を脱ぐ。 「受け取ったのが、水の判断だけか、町全体か分からなかった」 フウカ。 「順番が来たから、風が弱くても何か決めな…

  190. 第190話 第十一章「八つの足音」後編

    『第190話 第十一章「八つの足音」後編』 発着場が二つ。 新しい宿。 薬師渡り。 村外便の白杭。 天頂門へ向かう安全階段。 外から来た旅人の家。 旧広場の一部は、荷物置き場になっている。 「俺の家は?」 『ある』 「変わってない?」 アカリが少し考える。 『屋根を直した』 「ほかは?」 『窓を増やした』 「ほか!」 『ルゥの古い部品と…

  191. 第191話 第十二章「次の最初」前編

    『第191話 第十二章「次の最初」前編』 「脚だぞ!」 「着陸用!」 「一歩だけ!」 「一歩なら――」 ルゥが言い終える前に、カナタはレバーを倒した。 八本脚が動く。 一番脚。 二番。 順番に。 船体がゆっくり前へ出る。 「歩いた!」 町の子どもたちが歓声を上げる。 カナタは二歩目のレバーを引く。 八本脚が、今度は全員同時に出た。 船体…

  192. 第192話 第十二章「次の最初」後編

    『第192話 第十二章「次の最初」後編』 ――八番核、拾い手補助として一件使用。担当終了後、糸網へ戻る。 「獣まで返事する?」とカナタ。 「返事ではない。行動記録」とナギ。 「仲間?」 「生き物。使うなら、都合のいい道具にしない」 ヒトアシは悪い思想が消えて消滅したのではない。歩雲群の制度が変わるたび、別の生態で残る。観察を続けることが…

  193. 第193話 第一章「根に飲まれる船」前編

    『第193話 第一章「根に飲まれる船」前編』 道がないなら、最初の一歩になればいい。 誰かが二歩目を重ねれば、足跡は道になる。 三歩目が別の方角へ進んでも、また会う旗があれば道は途切れない。 四歩目を、自分より先へ行く誰かに渡すこともできる。 五歩目を急がず、今いる者を数えることもできる。 六歩目を置く場所に先客がいたなら、一歩ぶん空け…

  194. 第194話 第一章「根に飲まれる船」後編

    『第194話 第一章「根に飲まれる船」後編』 ――返路札保管庫。 「札の場所だ!」 少女が喜ぶ。 「ちょうどいい!」 カナタも喜ぶ。 「止まって!」 「終路鐘!」 船首の鐘――カナタの中では《第七翼》――の綱を引く。 から……。 最後まで鳴らない。 「何で!」 「船員全員の現在地が、まだ合ってない!」とナギ。 「俺は着きたい!」 「私は…

  195. 第195話 第二章「前しかない町」前編

    『第195話 第二章「前しかない町」前編』 星脈市ネウラには、九つの鐘があった。 第一脈区の進路鐘。 第二脈区の水脈鐘。 第三脈区の種鐘。 第四脈区の炉鐘。 第五脈区の家鐘。 第六脈区の伝鐘。 第七脈区の治鐘。 第八脈区の荷鐘。 第九脈区だけ、鐘楼が空だった。 「返鐘は九年前に外された」 シノは空の鐘台を見上げる。 「返す音を出す仕事が…

  196. 第196話 第二章「前しかない町」後編

    『第196話 第二章「前しかない町」後編』 カナタが訊くと、カイセはすぐ「左ならまだ使える」と答えた。質問への返事ではない。怖いと認めれば、危険な配達を任された立派な兄ではいられなくなると思っている。 「怖かったことを聞いた」 「……一周して間に合わなかったら、怖い」 ようやく言い、拾った石を握り直した。褒められるより先に、怖さを数えて…

  197. 第197話 第三章「古い地図の町」前編

    『第197話 第三章「古い地図の町」前編』 「一池に三刻。池は二十七」 「八十一刻」 カナタが胸を張る。 「数えられた!」 「長い!」 「そこは分かった!」 ナユには、生まれたばかりの孫がいる。 水を止めれば、飲み水が先に尽きる。 戻るための準備をしている間も、町は生きる。 「間違いなら戻るべき」 ナユは言った。 「でも、戻ると言った者…

  198. 第198話 第三章「古い地図の町」後編

    『第198話 第三章「古い地図の町」後編』 「道は消えた」 シノが言う。 「根脈は枯れる。位置は残る」とロウガ。 「港が同じ場所にある証拠は?」 「鐘がある」 第六脈区のオトハが、観測筒を鳴らす。 白い霧の向こうから、三つの鐘。 ごおん。 ごおん。 ごおん――。 人々がざわめく。 「星心港の入港鐘だ!」 トウマの顔が明るくなる。 「弟の…

  199. 第199話 第四章「後ろ向きの食卓」前編

    『第199話 第四章「後ろ向きの食卓」前編』 第九脈区の朝は、町の後ろから始まる。 前の八区が落としたものが、脈流に乗って届くからだ。 片方だけの靴。 宛先を間違えた手紙。 削りすぎた歯車。 止め忘れた炉の栓。 渡せなかった謝罪を書いた紙。 食べきれなかった根芋。 「最後の二つは戻せるのか?」 カナタが訊く。 「根芋は腐る前なら」とシノ…

  200. 第200話 第四章「後ろ向きの食卓」後編

    『第200話 第四章「後ろ向きの食卓」後編』 皿が一歩、ロウガへ戻る。 ロウガは札を外した。 皿がまた前へ進む。 「父さん」 「決めた」 「食べないって?」 「ああ」 「じゃあ、洗い場へ送る」 「前へ送れ」 「同じ場所へ行くから?」 「そうだ」 「二日かかる」 「構わん」 「明日、皿が足りなくなる」 ロウガは皿を見る。 ほんの小さなこと…

  201. 第201話 第五章「九年前の裂け目」前編

    『第201話 第五章「九年前の裂け目」前編』 「九年前、何があった」 ザンバが訊いた。 シノの深緑旗が揺れる。 答える前に、後ろの保守路から赤銅の光が来た。 ロウガ。 いつから聞いていたのか分からない。 「私が命じた」 男は後脈窓へ近づき、九叉心の古い光跡を見る。 「当時、前方の根崩れまで三十呼吸。全区を返す時間はないと判断した」 「母…

  202. 第202話 第五章「九年前の裂け目」後編

    『第202話 第五章「九年前の裂け目」後編』 『昔の記録として』 響路の奥で、別の声が鳴った。 『たまには帰れ』 アステルの固定記録。 速さも、息の長さも、いつも同じ。 ナギが左の黒い鈴へ分ける。 「記録」 右の鈴には、アカリの今日の呼吸。 「現在」 カナタは両方を聞いた。 「父ちゃんの帰還路も、昔は合ってた?」 『村を支える道としては…

  203. 第203話 第六章「貫通式」前編

    『第203話 第六章「貫通式」前編』 貫通式の前夜。 第一歩号の甲板に、四枚の札が置かれた。 カナタ。 ルゥ。 ナギ。 ザンバ。 カゲノハ村を出るとき、アカリが渡した現標札。 裏側は、その日にいる場所を書くための空白だった。 四人の札は同じ大きさでも、置き方が違った。カナタは右手で旗を持つため札を左へ。ルゥは工具箱の角と直角へ。ナギは問…

  204. 第204話 第六章「貫通式」後編

    『第204話 第六章「貫通式」後編』 進脈塔の鐘が一つ鳴った。 残り二刻。 カナタは白旗を肩へ担いだ。 反対を聞いた。 現在図も見た。 戻る方法も知った。 それでも、自分で前を選んだ。 その事実が、白旗の中央へ薄い一本線を描き始めていた。 明朝。 第一脈区の《進脈塔》には、九つの町の旗が集められた。 航路士の星。 根水師の雫。 農師の芽…

  205. 第205話 第七章「捨て脈」前編

    『第205話 第七章「捨て脈」前編』 統一された餌を失い、九つの口が別々の音へ噛みつく。 「ナギ!」 「同じにしない!」 青い帳面が風にめくれる。 「反対は反対! 返事なしは返事なし! 壊れた鐘は壊れたまま!」 「混乱する!」とロウガ。 「もう混乱してる!」 ナギの声が町中へ届く。 「一つにしたから、誰が困ってるか分からなくなった!」…

  206. 第206話 第七章「捨て脈」後編

    『第206話 第七章「捨て脈」後編』 ルゥはカナタの胸を指で押した。 「世界の果てへ行く旅を終わらせても、消えなかったでしょ」 「今度は終わりじゃない!」 「だから?」 「戻るんだ!」 「何から遠ざかるの?」 「前!」 「何の前?」 答えが出ない。 星心門。 世界の先。 自分が作るはずだった道。 どれも、今は見えない。 「俺は未踏路士だ…

  207. 第207話 第八章「前送を終える」前編

    『第207話 第八章「前送を終える」前編』 「できるって思った」 「うん」とルゥ。 「戻るより早いって思った」 「うん」とシノ。 「俺がやるのが、一番いいって」 ザンバが待つ。 誰も続きを代わりに言わない。 「俺が」 声が震える。 「俺が、間違えた」 声は大きくなかった。恐怖時の低い声のまま、右足を半歩戻す。白旗の中央から手を離し、端を…

  208. 第208話 第八章「前送を終える」後編

    『第208話 第八章「前送を終える」後編』 「九年、前へ進めた」 「戻れば全部、無駄」 赤銅旗へ《前》の文字が入る。 ロウガは旗を両手で握る。 「私は町を守った」 『うん』とシノ。 「八区を残した」 『うん』 「九年、止めなかった」 『うん』 「それでも」 シノは母の旗布を広げる。 『間違えた?』 枯星心まで、あと五歩。 第一脈区の先端…

  209. 第209話 第九章「九つの向き」前編

    『第209話 第九章「九つの向き」前編』 モドレズの九つの口が叫ぶ。 「戻るな!」 「前は一つ!」 「後ろは無駄!」 カナタの胸へ、声が入る。 「お前は未踏路士だ!」 「道を作れ!」 「後ろを歩けば、何も残らない!」 白旗の中央へ、《前》がもう一度浮かびかける。 カナタは拳を握った。 「前へ行きたい」 正直に言った。 モドレズの口が笑う…

  210. 第210話 第九章「九つの向き」後編

    『第210話 第九章「九つの向き」後編』 「このままじゃ、分岐の手前でばらばらになる!」 ルゥが銀糸を引く。 「一つに縫う?」 「だめ!」 カナタとシノが同時に言った。 「三番目で覚えた!」とカナタ。 「同じ道にするんじゃない」とシノ。 「じゃあ、どうつなぐ!」 シノは深緑旗を見る。 八つの矢印。 九つ目の空白。 母から受け取った横向き…

  211. 第211話 第十章「九叉心」前編

    『第211話 第十章「九叉心」前編』 九叉心までの戻り道は、三日かかった。 前送では一日で進んだ距離だった。 「戻るほうが遅い!」 最初の夜、カナタは言った。 「行きは九区を押したから」とルゥ。 「帰りは?」 「帰りじゃない」とシノ。 「折返し」 「言葉が違うだけで遅い!」 「返事を待ってるから」とナギ。 「待つと遅い!」 「うん」 「…

  212. 第212話 第十章「九叉心」後編

    『第212話 第十章「九叉心」後編』 九番目の道は、過去を作り直す力ではない。 「歩いたことを消したら」 シノは母の九輪台車へ触れる。 「母さんが残した言葉も消える」 ルゥは古い作業小屋の幻へ、銀鋲を一本投げた。 「私の机は、もう私だけのものじゃない」 幻の机と、アカリから届いた現在図をつなぐ。 机の横へ、新しい机。 知らない見習いの傷…

  213. 第213話 第十一章「九番目の旗」前編

    『第213話 第十一章「九番目の旗」前編』 青い脈へ入って三刻。 壁を流れる星光が強くなった。 遠くから鐘。 ごおん。 ごおん。 ごおん――。 「港だ!」 カナタが船首で叫ぶ。 「今度こそ!」 「現在の鐘!」とナギ。 「三回、返事あり!」 「まだ見えてない!」とルゥ。 「音がある!」 「二番目の旗みたいなこと言わないで!」 霧が開く。…

  214. 第214話 第十一章「九番目の旗」後編

    『第214話 第十一章「九番目の旗」後編』 カナタは「全部俺が直す」と言いかけた口を閉じた。責任まで独占すれば、修復を受け取る人の道をまた奪う。白旗の端をつまみ、九区の代表へ一人ずつ担当を訊く。 「じゃあ、担当を聞く!」 「それから、次に間違えたとき」 「大きく言う!」 「間違える前に聞く」 「難しい!」 「九番目だから」 星心港の職人…

  215. 第215話 第十二章「戻る一歩も前へ」前編

    『第215話 第十二章「戻る一歩も前へ」前編』 ルゥは第四脈区で、前送炉を九つの小炉へ分ける設計をイワオたちへ渡した。 前へ送る機能は残す。 逆歯車を入れられる空白も残す。 十二年の技術を捨てず、前だけへ固定する部分を外す。 ナギは九つの鐘を《連標網》へつないだ。 一つの大鐘にはしない。 第一脈区の星鐘。 第二の水鐘。 九つの違いを、そ…

  216. 第216話 第十二章「戻る一歩も前へ」後編

    『第216話 第十二章「戻る一歩も前へ」後編』 「多い!」 「九番目だから」とシノ。 「一人でも反対したら?」 「回らない」とナギ。 「船長命令!」 「回らない」 「緊急!」 「現在を聞く」 「落ちてるとき!」 「落ちながら聞く」 「長い!」 「間違った方向へ速く行くより短い」 試運転。 第一歩号を修理桟橋から一脈だけ前へ出す。 カナタ…

  217. 第217話 第一章「雨の向かうほう」前編

    『第217話 第一章「雨の向かうほう」前編』 道がないなら、最初の一歩になればいい。 誰かが二歩目を重ねれば、足跡は道になる。 三歩目が別の方角へ進んでも、また会う旗があれば道は途切れない。 四歩目を、自分より先へ行く誰かに渡すこともできる。 五歩目を急がず、今いる者を数えることもできる。 六歩目を置く場所に先客がいたなら、一歩ぶん空け…

  218. 第218話 第一章「雨の向かうほう」後編

    『第218話 第一章「雨の向かうほう」後編』 第一歩号の船首が乗り上げる。 船体は雨球ごと、空へ向かって跳ね上がった。 「近づいた!」 「だから離れてって言われたでしょ!」 透明な受け皿から、少女の絶叫が響いた。 『大きい一滴が来るぅぅぅ!』 第一歩号の周囲は、水だった。 透明な水の塊が船を丸ごと包んでいる。 それなのに、甲板へ水は入ら…

  219. 第219話 第二章「余滴蔵」前編

    『第219話 第二章「余滴蔵」前編』 ヒサメは袋を持ち上げる。 中に、透明な水が七滴。 「札と音が合わない」 ナギが言った。 ヒサメが初めて顔を上げる。 「音?」 「一滴だけ、鐘を通った」 ナギは袋へ鈴を近づけた。 六つの細い音。 最後に、短い終路鐘。 「双灯港の響雨が混じってる」 「外の港の?」 「たぶん、連標網を通った雨」 ヒサメは…

  220. 第220話 第二章「余滴蔵」後編

    『第220話 第二章「余滴蔵」後編』 「俺の腹には入る!」 「商品札には入らない」 「腹のほうが広いぞ!」 「そこを競わないで」 ルゥが十一個目の代金を払う。 隣では、十人用の長椅子に十一人家族が座ろうとしていた。 老人。 夫婦。 七人の子ども。 最後に、十一歳の少女。 栗色の髪を二つに結び、透明な雨靴を履いている。 名をコナミという。…

  221. 第221話 第三章「十本の雨桁」前編

    『第221話 第三章「十本の雨桁」前編』 ルゥはすぐに返雨式の手伝いへ入らなかった。 「先に、十本を見る」 「塔は上だぞ」とカナタ。 「町は下にもある」 「十本全部?」 「全部って言ったでしょ」 「俺の言い方がうつった!」 「意味は違う!」 ナギは連標網の鈴束を持つ。 ザンバは椅子を第一歩号へ残した。 「置いていくのか!」 「町は歩ける…

  222. 第222話 第三章「十本の雨桁」後編

    『第222話 第三章「十本の雨桁」後編』 一ノ雨桁から十ノ雨桁まで。 代表が一人ずつ座る。 壁際に、外来者用の長椅子。 会議室の天窓から強い返雨光が入り、カサネの視界が一度欠けた。彼女は誰にも気づかれないよう十まで数え、十一個目の資料をわざと右端へ置く。明暗しか見えない数呼吸のあいだ、札の色を取り違えないためだった。 ナギはその間を「考…

  223. 第223話 第四章「連標網の十番目」前編

    『第223話 第四章「連標網の十番目」前編』 記雨を集め終えたころ、カゲノハ村から現標鐘が鳴った。 五つ。 間を一つ空けて、六つ鐘。 今いる者からの連絡と、一日を数える現在の音。 「現在」 ナギは右の鈴だけを開いた。 左の閉じた鈴には、アステルの《帰還路》に残る固定記録が入っている。二つを同じ道へ流さないため、机の端と端へ離してあった。…

  224. 第224話 第四章「連標網の十番目」後編

    『第224話 第四章「連標網の十番目」後編』 「違う雨が一つへ流れたら、分岐まで戻す方法を借りたい」 『戻した履歴を消さないなら、受け取った』 ほかの六地点にも、同じように三つの問いを送る。 トマリギ島は、帰る場所を雨桁ごとに決めることを条件にした。 三番港は、別々の着地点を一つへ潰さないことを求めた。 ミナモは、試作を完成品として配ら…

  225. 第225話 第五章「返雨評議」前編

    『第225話 第五章「返雨評議」前編』 返雨評議の円卓には、十脚の椅子しかなかった。 カナタが自分の椅子を持ってきた。 「十一脚!」 「それ、第一歩号の四つ目」とナギ。 「今はアマネ!」 「私は座るって言ってない」 「空ける!」 「六番目を雑に使わないで」 ザンバの椅子は持ってこられなかった。 本人が座っていたからである。 結局、余滴窪…

  226. 第226話 第五章「返雨評議」後編

    『第226話 第五章「返雨評議」後編』 「次の土地を見てからじゃなく?」とルゥ。 「逆雨原で」 「受け取った」とナギ。 「逃げたら?」とザンバ。 「旗竿はなし!」 「最初は言葉で」 「成長!」 四人の行き先は、完全にはそろわない。 それでも、今は同じ仕事へ向いた。 違う雨を残したまま、町へ返す。 そのあと。 カナタは、自分の帰る道を余り…

  227. 第227話 第六章「十人乗り」前編

    『第227話 第六章「十人乗り」前編』 三ノ雨桁の薬園では、二本の管が一つへ縫われかけていた。 緑雨。 白雨。 別々なら熱冷ましと傷洗いになる。 同量化すると、どちらにも足りない薄い水になる。 「止めろ!」 カナタは管の前へ白旗を突いた。 「標術――《未踏路》! 別々の枡へ!」 二枚の光板が生まれる。 緑雨と白雨を別の受け皿へ導く。 「…

  228. 第228話 第六章「十人乗り」後編

    『第228話 第六章「十人乗り」後編』 箱の入口に、十個の足形。 カナタ。 ルゥ。 ナギ。 ザンバ。 アマネ。 ヒサメ。 六人で乗る。 扉は閉まらない。 ――四人不足。 「また!」 カナタが床を踏む。 「人がいるのに動かない!」 「六は十じゃない」とヒサメ。 「六人は六人だ!」 「規則の話」 「規則は人より狭い」とルゥ。 近くに、四人家…

  229. 第229話 第七章「繰上枡」前編

    『第229話 第七章「繰上枡」前編』 アマネの工房には、捨てられないものが多すぎた。 雨袋。 折れた枡。 由来不明の札。 十年前のねじ。 母サヤの工具。 何に使うか分からない管。 「全部、必要?」 ルゥが訊く。 「いつか」 「いつ?」 「分からない」 「誰が見る?」 「私」 「全部?」 「捨てたら戻らない」 アマネの顔色は昨日より悪いの…

  230. 第230話 第七章「繰上枡」後編

    『第230話 第七章「繰上枡」後編』 「帰るって書いた!」 カナタが見つける。 「確認よ!」 「帰らないとできない!」 「だから、確認!」 『受け取った』 アカリの返事。 「まだ日付は決めてない!」 『日付は書いてない』 現在の発着場で、見習いたちが斜めの留め具をもう一度回す。 ルゥを待たずに。 ルゥの図を捨てずに。 同じ形へ戻らずに。…

  231. 第231話 第八章「食い違う雨札」前編

    『第231話 第八章「食い違う雨札」前編』 返雨塔の記録庫には、事故記録が二つあった。 一つは公式板。 ――十年前、天攫潮増大。 ――余滴混入。 ――繰上枡破損。 ――雨桁三本落下。 ――技師サヤ、行方不明。 原因欄。 ――規格外雨の混入。 もう一つは、サヤの作業帳だった。 余滴窪の工房から見つかった。 濡れ。 文字が半分消えている。…

  232. 第232話 第八章「食い違う雨札」後編

    『第232話 第八章「食い違う雨札」後編』 ナギが頷く。 ザンバは仮設枡の周囲へ黒い点を十個置いた。 「雨路が一つへ引かれたら分ける」 「十一個目は?」とカナタ。 「まだない」 「作る?」 「必要なら」 「気合い!」 「最後だ」 カナタは白旗を空白の手前へ向ける。 「俺の未踏路は?」 「最後の一歩を作らない」 「また手前!」 「六番目で…

  233. 第233話 第九章「十重返雨式」前編

    『第233話 第九章「十重返雨式」前編』 「戻らない」 「私が謝れば」 「戻らない」 アマネは一つずつ答えた。 そのたび、言葉が工房へ落ちる。 逆雨原で、唯一、下へ落ちるもののように。 「では、何をすればいい」 カサネの声が、初めて役目のない声になった。 「私に決めさせないで」 アマネは言った。 「許す方法を、傷つけられた側へ作らせない…

  234. 第234話 第九章「十重返雨式」後編

    『第234話 第九章「十重返雨式」後編』 「一歩手前!」 終路鐘が呼応する。 からん――。 未踏路の先へ、小さな終わり。 ここまで。 その先は、まだ誰の一歩でもない。 余滴窪では、アマネが十一人家族の家へ着いた。 祖母は屋根の上。 上昇する黒雨池へ、縄を結んでいる。 「降りて!」 「池が飛ぶ!」 「人が先!」 怖さで視野が祖母と黒雨池だ…

  235. 第235話 第十章「十個の部屋」前編

    『第235話 第十章「十個の部屋」前編』 雨粒の中には、十個の空があった。 同じ大きさ。 同じ青。 同じ一滴。 カナタは一つ目へ落ちた。 一歩進む。 透明な足跡。 二。 九。 十歩目を踏んだ瞬間、最初の九歩が消えた。 十歩目だけが、深い一つの跡になる。 「俺の九歩!」 戻る。 足跡はない。 白旗を突く。 「標術――《未踏路》! ルゥの手…

  236. 第236話 第十章「十個の部屋」後編

    『第236話 第十章「十個の部屋」後編』 「みんなに余りを捨てさせた」 「ああ」 「謝って終わる?」 「終わらない」 カサネは自分の旗を見る。 一本線を失った十個の枡。 「私は、自分の間違いを数えなかった」 「今、数えた?」 「一つ目だ」 アマネは目を逸らさない。 「許さない」 「分かっている」 「今は」 「それも分かっている」 「町へ…

  237. 第237話 第十一章「雨算長の報告」前編

    『第237話 第十一章「雨算長の報告」前編』 雨が落ち着いた翌日。 返雨塔の前へ、二枚の大きな記録板が立てられた。 左は、十年前の公式板。 右は、現在確認した訂正板。 古い板を裏へ隠さない。 壊しもしない。 誰が、いつ、何を、なぜ変えたかを、横へ並べる。 十本の雨桁。 次雨窪。 渡雨使。 当時の作業員。 事故で家族を失った者。 罰金を払…

  238. 第238話 第十一章「雨算長の報告」後編

    『第238話 第十一章「雨算長の報告」後編』 ――《宛標》、現在方位を示す。 ――外輪、一歩手前で角度ずれ。 ――到着、失敗。 「私の旗は、弟の場所を分かってた」 アカリが言う。 「でも、最後まで引けなかった」とセノ。 「道を作る旗じゃないから」 「外輪を強くする?」 「強くしたら、帰る人を引きずる」 「内輪を弱く?」 「帰還路そのもの…

  239. 第239話 第十二章「十の次の一」前編

    『第239話 第十二章「十の次の一」前編』 コウネは見習い三人を呼び、それぞれ違う短音を重ねた。幼体が一つを真似ても、四人ぶんはそろわない。 日暮れまでに十一件目の由来は分からなかった。 けれど、消えもしなかった。 札には、こう残った。 ――本日、受取あり。 ――由来、未確認。 ――次に見る者、ヒサメ、アマネ、コナミ。 コナミは最後の名…

  240. 第240話 第十二章「十の次の一」後編

    『第240話 第十二章「十の次の一」後編』 ――船長、帰郷を決定。 空白だった予定欄へ、日付はまだ書かない。 代わりに。 ――帰路、開始。 出航の日。 十本の雨桁から、違う雨が昇っていた。 苗雨。 飲雨。 薬雨。 炉雨。 染雨。 響雨。 塩雨。 灯雨。 眠雨。 返雨。 同じ空へ向かい、同じ水にはならない。 次雨窪では、十一人家族が二台の…

  241. 第241話 第一章「帰り道を追い越す」前編

    『第241話 第一章「帰り道を追い越す」前編』 道がないなら、最初の一歩になればいい。 誰かが二歩目を重ねれば、足跡は道になる。 三歩目が別の方角へ進んでも、また会う旗があれば道は途切れない。 四歩目を、自分より先へ行く誰かに渡すこともできる。 五歩目を急がず、今いる者を数えることもできる。 六歩目を置く場所に先客がいたなら、一歩ぶん空…

  242. 第242話 第一章「帰り道を追い越す」後編

    『第242話 第一章「帰り道を追い越す」後編』 青い鈴。 ちりん、ちりん。 『始標塔、現在』 母イオラの声。 『ナギ、帰ったら屋根の続きを直すこと』 「帰ったら?」とカナタ。 「トマリギ島へ」 「今はカゲノハ村へ帰るぞ!」 「私の帰る場所は一つじゃない」 三番目の鈴。 『三番港、現在。再会原、晴れ』 ミオ。 四番。 『ミナモ、現在。天衡…

  243. 第243話 第二章「到着日の十三枚目」前編

    『第243話 第二章「到着日の十三枚目」前編』 「成功だな!」 トウヤが門へ近づく。 「短距離は」とオウギ。 「次が本番だ」 帰還門の外側で、一人の縄師が縄束を背負い直した。 縄師ツヅラ。四十三歳。 上枝の保守工事へ出て、一年三か月ぶりに村へ戻る者だった。 遠くの風路を読む目はよく、手元の札は拡大片眼鏡なしでは滲む。ところが片眼鏡は額へ…

  244. 第244話 第二章「到着日の十三枚目」後編

    『第244話 第二章「到着日の十三枚目」後編』 「誰と?」 ルゥは白い帳面を開いた。 カゲノハ村から届いた作業小屋の現在図。 古い机。 横へ増えた二台。 セノの斜め留め具。 フィオの風路図。 知らない見習いの失敗歯車。 「帰ったら、一緒に決めるって言った」 「昔の机、返してもらう?」 「使いたい場所は使う」 「全部じゃない?」 「全部私…

  245. 第245話 第三章「帰路の一歩手前」前編

    『第245話 第三章「帰路の一歩手前」前編』 ――利用者、フィオ、セノ、見習い二名。 ――ルゥの旧工具、保管。 ――帰還後、配置協議。 最後。 発着場へ戻る。 帰還予定欄。 以前は空白だった。 今は一行。 ――帰路中。 到着日だけは、まだ書かない。 「待ってるって書かない?」とトウヤ。 「村は動いてる」 「帰ってこい?」 「救難みたい」…

  246. 第246話 第三章「帰路の一歩手前」後編

    『第246話 第三章「帰路の一歩手前」後編』 正面ではない。 四十三歩右。 昔の発着場の方角だった。 「違う!」 アカリが叫ぶ。 十三枚目の図を読むカナタの指は、線の上を走っていた。文字の列は飛ばしても、線が止まれば本人も止まる。 古い発着場へ重なる金色の道だけは、指を使わなくても見えた。見慣れた苔玉、父の旗竿、昔の家。見える範囲を故郷…

  247. 第247話 第四章「ただいまが言えない」前編

    『第247話 第四章「ただいまが言えない」前編』 最初にマツバ婆が笑った。 「見れば分かるよ」 次にトウヤ。 「船が刺さった!」 フィオ。 「像も壊した!」 セノ。 「帰還門の斜め留め具、十七呼吸保った!」 ハルガ。 「帰ったなら、働け」 セルク。 「弁償を終えろ」 村長。 「話は朝食のあとだ」 返事がばらばらに来る。 誰も、用意された…

  248. 第248話 第四章「ただいまが言えない」後編

    『第248話 第四章「ただいまが言えない」後編』 「像、楽だな」 「代わる?」 「腹が減るから嫌だ!」 板は未完成のまま、台座へ立てかけた。 誰かが次に読む。 カナタが明日、続きを書く。 今度は、未完成を失敗と呼ばなかった。 キヌ婆は入口で鍵束を二度鳴らした。 「今夜の鍵は、客室一。昔の子ども部屋の鍵じゃないよ」 「俺の家なのに、客!?…

  249. 第249話 第五章「四人の現在」前編

    『第249話 第五章「四人の現在」前編』 錆びていない。 一月に一度、油を差した記録。 使われた工具もある。 勝手に削られた柄。 新しい持ち手。 「戻していい?」 セノが訊く。 「何を」 「机の高さ」 ルゥの口が開く。 戻して。 自分の机だから。 言いかける。 フィオの風路図が見える。 帰還門の減速風。 ルゥがいない一年八か月、村の船を…

  250. 第250話 第五章「四人の現在」後編

    『第250話 第五章「四人の現在」後編』 以前なら一人で直せる場所ほど一人で背負った。今は、村人へ役目を渡し、責任だけを消さない。 ザンバは、帰還広場へ最後に入った。 第一歩号を抜くときも。 朝食も。 案内も。 いつも少し外側に立っていた。 かつて黒旗で村の道を切った男。 喰路竜ミチバミを連れ。 朝火を奪い。 天頂門の帰還路を断とうとし…

  251. 第251話 第六章「帰る練習」前編

    『第251話 第六章「帰る練習」前編』 「第一歩号で?」 「聞いてない」 屋根へ。 ザンバは板を持っている。 「次!」 「屋根の次は保守路」 「冒険!」 「決めていない」 「第一歩号!」 「船長が決めることではない」 「船長なのに!?」 「三番目を忘れたか」 「覚えてる!」 予定板へ戻る。 空白。 カナタは少しだけ不安になった。 帰れば…

  252. 第252話 第六章「帰る練習」後編

    『第252話 第六章「帰る練習」後編』 「記録」 ナギが黒い鈴を一つ鳴らす。 マツバ婆は古い夫を見る。 現在図を見る。 新しい薬師渡りは、右へ七歩。 「昔はまっすぐだった」 「今は家がある」とアカリ。 「誰の」 「去年、紫岸から来た家族」 現在の家の窓から、子どもが手を振る。 「じゃあ、右」 マツバ婆が自分で答える。 アカリは右へ一歩。…

  253. 第253話 第七章「時間が道になる」前編

    『第253話 第七章「時間が道になる」前編』 時間の道へ入ると、五人の身体は別々の時点へ引かれた。 カナタの右膝は、六歳の着地前の軽さへ戻ろうとする。ルゥの指からは継ぎ路の傷が消え、同時に今の銀鋲の重さも薄れる。ナギの耳には、まだ母の返事しか知らなかった八歳の鈴。ザンバの右肩には、失う前の腕の重さ。 「体が昔を正しいって言ってる」とルゥ…

  254. 第254話 第七章「時間が道になる」後編

    『第254話 第七章「時間が道になる」後編』 歩かれなかった道。 それでも、自分が望んだことは消さない。 「帰るぞ」 ザンバが言う。 「どこへ?」とカナタ。 「請求書の続きへ」 「おかえりって言われてない!」 「必要ない」 「少しくらい!」 「お前は自分の心配をしろ」 ザンバの視線が先へ向く。 金色の道。 アステルの最後の記録が近い。…

  255. 第255話 第八章「昔のままの朝」前編

    『第255話 第八章「昔のままの朝」前編』 細道へ入る前、五人は限界を声にした。 「継ぎ路、あと十八呼吸」とルゥ。銀鋲を一本セノの受け板へ預ける。 「同時音、四つ。金属味あり」とナギ。判定をアカリと二人へ分ける。 「機巧腕、熱い。切断は左の返事を待つ」とザンバ。 「眩暈、一度。案内は続ける。現在図の更新、次はカナタ」とアカリ。 「右膝…

  256. 第256話 第八章「昔のままの朝」後編

    『第256話 第八章「昔のままの朝」後編』 「今いる!」 『故郷を、元の形へ』 新しい家が消える。 荷下ろし台が古い石畳へ。 四本の桟橋が一本へ。 帰還門の外輪が、昔の柵へ戻る。 その柵は、第一歩号が出航日に折った形だった。 「直す前まで戻すのか!」 カナタが叫ぶ。 「元って、いつだ!」 獣は答えない。 カナタが最も強く覚えている日。…

  257. 第257話 第九章「十三か所の崩落」前編

    『第257話 第九章「十三か所の崩落」前編』 ナギの点呼は、声が出る者だけで終わらなかった。 キヌ婆は鍵束を二度。ソウは木槌を五回。ツヅラは帰還縄を三度触ってから、自分の名を一度。紫岸の宿客は表と裏の食器を別々に鳴らす。 セノは銅杭を六本ではなく五本だけ鳴らした。飾りの一本まで返事へ数えないためだ。 返事の方法が違うほど、モトノママの滑…

  258. 第258話 第九章「十三か所の崩落」後編

    『第258話 第九章「十三か所の崩落」後編』 「父ちゃんに、おかえりって言わせようとした」 広場中へ聞こえる声で言う。 「記録だって聞いたのに、今の返事にしたかった」 モトノママの口が笑う。 『息子なら、当然』 「当然でも、俺が選んだ!」 『村も望んだ』 村長が一つ鐘の輪の中で顔を上げる。 何度も同じ杖を上げている。 帰還式を準備した。…

  259. 第259話 第十章「受取人のいる一歩」前編

    『第259話 第十章「受取人のいる一歩」前編』 『ここ!』 キリ。 違う声。 違う場所。 どれもカゲノハ村へ来ない。 自分の場所から返事する。 「トマリギ島の始標旗!」 ナギが叫ぶ。 遠いトマリギ島で、青い始標旗が光る。 標術《帰着》。 カゲノハ村へ移動しない。 ナギが帰りたいと選んだとき、トマリギ島までの道を作る。 今は、そこに立つ。…

  260. 第260話 第十章「受取人のいる一歩」後編

    『第260話 第十章「受取人のいる一歩」後編』 旗の宛先札が光った。 ――カゲノハ村、帰還広場。 ――到着日、今日。 ――迎え手、現在地にいる者。 『曖昧だ』 「現在は、毎日変わる」 『弱い』 「だから、毎日確かめる」 ナギが十個の鈴を掲げた。 「連標網。現在の返事を確認!」 黒い鈴。 ちりん。 アカリの黄緑鈴。 ちりん。 機巧小屋。…

  261. 第261話 第十一章「ただいま」前編

    『第261話 第十一章「ただいま」前編』 表と裏から一つずつ。 双灯港アケヨイ。 歩雲群。 星脈市。 逆雨原。 十の結節が、違う声で返る。 「村の重さを、遠くへ押しつけない!」 ナギが先に言った。 「返事だけ借りる!」 遠い場所は支柱にならない。 カゲノハ村を背負わない。 ただ、道の向こうに現在があると知らせる。 帰る場所は孤立した箱で…

  262. 第262話 第十一章「ただいま」後編

    『第262話 第十一章「ただいま」後編』 歓迎は一つの大声ではなく、これから続く関係の条件だった。 カナタは全部へ同じ返事をしなかった。 「受け取った」 「あとで聞く」 「そこは相談!」 違う声へ違う言葉を返しながら、ただいまの中へ入っていった。 「おかえり!」 アカリ。 「遅かったねえ」 マツバ婆。 「帰還確認!」 セルク。 「像の弁…

  263. 第263話 第十二章「旗を置いた朝」前編

    『第263話 第十二章「旗を置いた朝」前編』 ちょうど、天頂門から一隻の小さな配達舟が下りてくるところだった。 「帰還者!」 アカリが現在札を取る。 ナギが鈴へ耳を当てる。 「現在の呼び声。記録じゃない!」 新しい帰還路が光った。 一歩手前まで。 小舟はそこで止まる。 道は最後を作らない。 舟から、一人の若い薬師が降りた。 足を上げる。…

  264. 第264話 第十二章「旗を置いた朝」後編

    『第264話 第十二章「旗を置いた朝」後編』 カナタの予定板には、三つの欄。 ――帰還当番。 ――文字練習。 ――次の冒険。 最後だけ空白。 以前なら、すぐに千声湖と書いた。 今は、空白の横へ小さく書いてある。 ――相談日、十日後。 「十日も待つ!」 「五番目」とアカリ。 「止まるのと待つのは違う!」 「待ちながら何する?」 「帰還当番…