第259話 第十章「受取人のいる一歩」前編
『ここ!』
キリ。
違う声。
違う場所。
どれもカゲノハ村へ来ない。
自分の場所から返事する。
「トマリギ島の始標旗!」
ナギが叫ぶ。
遠いトマリギ島で、青い始標旗が光る。
標術《帰着》。
カゲノハ村へ移動しない。
ナギが帰りたいと選んだとき、トマリギ島までの道を作る。
今は、そこに立つ。
『帰る場所は、持ち歩かない!』
イオラの声。
モトノママの《帰》の文字に亀裂。
「でも、別々なら会えない!」
獣が銅色の三番旗を引く。
何本もの帰路が、同じ口へ重なる。
「再会する場所は、一つにできる!」
カナタが言う。
「住む場所は別!」
三番港から、銅色の光。
ミオが旗を掲げる。
『標術――《再会標》!』
銅旗がモトノママの口から抜けた。
ナギが受け取る。
広場の中央へ立てる。
銅色の三本線。
違う道から来る。
同じ場所へ一度会う。
そのあと、また別々へ進める。
「カゲノハ村は、全員の故郷じゃない」
ナギが言う。
「でも、会う場所にはなれる」
旅人宿の紫岸家族が現在へ戻る。
彼らの故郷は紫岸。
今の滞在先はカゲノハ村。
同じにしない。
マツバ婆の故郷。
トウヤの行き先。
フィオの仕事場。
ザンバの責任の場所。
ナギの複数の帰る場所。
銅の再会標が、それぞれを一度だけ広場へ会わせる。
モトノママの口が二つに裂けた。
『別れれば、失う』
「会う約束を残す!」
『帰らなければ』
「返事がないと残す!」
『死んでいれば』
「終わった道を記録する!」
今までの旗の答えが、一つずつ返る。
獣は何百本もの帰路を引き切れない。
それでも、現在の広場を自分の内側へ閉じようとする。
透明な六番旗。
六つの弧が閉じた輪になり、外から来る者を押し返す。
複数の故郷を別々に保ったまま、アカリが門の縁へ目を向けた。
ユラとエルの声が、二つの岸から重なる。
『迎える側が、最後まで作らないで。一歩ぶん、空けて!』
迎える場所を作る時、キヌ婆は旅人宿の戸を全開にはしなかった。
「今いる客の部屋まで、帰還者の道にしないよ」
内と外の境界をなくすのではなく、誰がどこまで入ってよいか現在の返事で決める。
ソウも新しい戸口から一歩ぶんだけ外へ出る。ツヅラの昔の鍵は使わない。鍵束を二度鳴らし、今日の戸を開けた。
「迎える側が全部作ったら、帰る人は運ばれるだけになる」
アカリは黄緑線を一歩手前で止めた。
カナタは二歩目へ立つ。最後の一歩を自分が先に踏まない位置だった。
透明な六番旗は、モトノママの門の縁へあった。
内。
外。
昔からいた者。
後から来た者。
故郷の者。
旅人。
すべてを線で分ける。
ナギの足元に《外》。
紫岸の家族にも。
第一歩号の旅先の板へも。
「また消える!」
カナタが白旗を向ける。
「ナギまでの道!」
「待って!」
アカリが止める。
「私たちが全部作ったら、六番目の事故と同じ」
「じゃあ!」
「向こうの一歩」
ナギを見る。
ナギは透明な線の外側。
自分の青い鈴を持つ。
「入る?」
アカリが訊く。
「入れてくれる?」
「一歩ぶん空ける」
「おかえり?」
「言葉は、入ってから決める」
「受け取った」
アカリは黄緑の旗で、門の内側までの道を示す。
最後の一歩は作らない。
カナタも未踏路を一歩手前で止める。
ナギが自分で踏む。
透明な境界を越える。
「ここ」
五つの鈴。
村人たちが返す。
「おかえり、響路士!」
今度は一人ではない。
アカリ。
セノ。
フィオ。
マツバ婆。
旅人宿。
ナギが笑う。
「ただいま、連標網の一番目」
透明な六番旗が開いた。
閉じた輪から、六つの弧へ。
中央に一歩ぶんの空白。
標術《迎標》。
外から来る者の足元へ、自分で踏める場所を残す。
六番旗が獣から抜ける。
カナタが受け取る。
次に、第一歩号。
船体の旅先の板へ《外》が浮かんでいる。
「船も入る?」
ルゥが甲板へ向かって叫ぶ。
第一歩号が五つ返す。
「最後の一歩、船が踏める?」
「脚が八本!」とカナタ。
「一歩を八つにしない!」
八脚雲着輪の一本が、帰還広場の空白へ下りる。
船が自分で半歩進む。
現在の桟橋へ。
小鐘が鳴る。
第一歩号の《外》が消える。
「船、おかえり!」
カナタが叫ぶ。
船底から五つ。
返事。
モトノママの門が大きく裂けた。
外を決めなければ故郷を守れない、という線が崩れる。
新しい人。
新しい家。
旅先の部品。
現在へ戻る。
迎える一歩を空けると、獣の背中に最後の大きな家が残った。
十個の小さな家を押し潰した屋根。
中央には、カナタの白旗を入れる形の空白。
空色の旗が、その上で揺れている。
『すべてを一つの帰還路へ』
「最後に一人へ持たせる気だ!」
ルゥが叫ぶ。
アステルの代わり。
カナタ。
一人の命。
一人の白旗。
村全体の帰る道を、また一人へ集めようとしている。
「一つにするんじゃない。違うまま、次へ渡す」
カナタが見上げた。
空色の旗まで、道がない。
モトノママの背中。
十個の昔の家。
その上に、一つの巨大な屋根。
屋根の中央へ、白旗の形をした穴。
カナタが入れば、帰還路は完成する。
一人の道として。
『父の続きを、息子が』
獣の声。
「父ちゃんの夢は、俺が続ける!」
天頂門で言った。
今も間違いではない。
世界の果てへ行った。
父の道を知った。
けれど、父が一人で背負った帰還路まで、一人で受け取る必要はない。
「夢と役目は違う!」
カナタは白旗を掲げる。
「帰る道は、村中で作る!」
『一人でなければ、道は弱い』
「弱くていい!」
ルゥが言う。
「帰る人を引っ張らない強さで!」
『迷う』
ナギ。
「返事を取る!」
『変わる』
アカリ。
「到着日に描く!」
『終わる』
ザンバ。
「終わったら記録する!」
村中から声が返る。
カナタは未踏路を出す。
「十番旗の一歩手前!」
一歩。
次。
空色旗まで、一歩空ける。
アカリが先頭。
カナタが二歩目。
ルゥ。
ナギ。
ザンバ。
村人たちが別々の道から支える。
最後の空白。
アマネの遠い声。
『そこへ、十個を持ったまま渡す!』
カナタは跳ぶ。
空色の旗を掴む。
十個の雫。
全部、違う。
「標術――《繰上》!」
空色の光がモトノママの背中へ広がる。
十個の家が、一つの同じ家へ潰れない。
一段上の空へ、それぞれの形のまま渡る。
カナタの昔の家。
ルゥの作業小屋。
マツバ婆の薬師橋。
村長の祭壇。
トウヤの試験場。
フィオの風路。
ザンバが見た天頂門。
アカリの病床。
ナギのトマリギ島。
旅人たちの遠い故郷。
一つ上の記録層へ。
下に、現在の広場が現れる。
空白。
誰か一人を入れる穴ではない。
次の帰還者が最後の一歩を踏む場所。
「下の十個は?」
カナタが訊く。
『消えない!』
アマネ。
十個の記録が空に残る。
「次の一は?」
『今の広場!』
現在の一。
十の過去を抱えたまま。
同じにせず。
次の数え方へ。
空色旗がモトノママから抜ける。
獣の背中が崩れ始める。
残った力が、白旗へ集中した。
十本の旗。
九つの写し。
一つの遠い青旗。
全部の道が、カナタの白旗を中心に回る。
『受け取れ』
モトノママが最後に言う。
『最後の旗となれ』
白旗が重くなる。
アステル一人が支えた村の重さ。
帰りたい何百人もの願い。
今いる人の返事。
全部がカナタの腕へ。
「一人で持たない!」
カナタが叫ぶ。
白旗を、帰還広場の中央へ向ける。
まだ立てない。
最後の一歩。
誰が踏むか。
誰が受け取るか。
そこだけが残っていた。
広場の端で、ツヅラとソウが一本の縄を両端から持っていた。
一年三か月の帰還試験で届かなかった最後の一歩。その失敗を隠さず、今日の支えへ使う。
ツヅラは古い家の匂いへ早口になりかけ、帰還縄を三度触る。ソウは鍵束を二度鳴らす。
「昔の戸口も見えてる」
「見ていい。こっちへ入るかは、自分で決めろ」
ソウは引かない。ツヅラも運ばれない。
その二人の間にできた現在の線を、アカリが十三枚目へ書き足した。帰還門に失敗した者も、最後の一歩を支える側へ回れる。
帰還広場まで、一歩。
光の道は、そこで終わっていた。
向こうに、アカリが立っている。
黄緑色の旗。
宛先札。
十三枚目の現在図。
その後ろに、村人たち。
マツバ婆。
セルク。
オウギ。
フィオ。
セノ。
ハルガ。
トウヤ。
旅人宿に泊まっていた、カナタの知らない人々。
帰還広場へ手伝いに来た子どもたち。
今朝生まれたばかりで、まだ名前のない赤子まで、母親の腕の中にいた。
「迎え手、一人を選べ」
モトノママの声が、崩れかけた家々から響く。
『一人が受け取れば、道は定まる』
「選ばない」
アカリが答えた。
『宛先は一つだ』
「場所は一つ」
黄緑の旗を上げる。
「受け取る人は、一人じゃない」