第66話 第九章「三つの島、四つの役目」後編
レグルは旗を振り下ろした。
「標術――《同道》!」
三本の道の最後の一歩だけが、同じ空白へ重なった。
単路獣が絶叫する。
途中を一つにできない。
最後だけは、まだ旗がないため掴めない。
「ミオ!」
ナギが響路を開く。
「最後の場所、できた!」
『地面がない!』
「カナタ!」
全員の声が、森歩島の第一歩号へ届いた。
『一歩!』
『一歩だけ!』
『ミオの足元!』
カナタは白旗を構える。
ミオは見えない。
場所は、三つの音の先。
ナギの響路が銅の返事を運ぶ。
鉄の四拍子。
森の三拍子。
鐘の五拍子。
三つが未来の一点を示す。
「ミオの、足元!」
白旗を突く。
一歩分の光板が、遠い空へ生まれた。
ミオの足元に、金色の板が現れた。
一歩分。
再会号の鍋蓋が乗る。
沈みかけていた艇が止まる。
「カナタ!」
響路の向こうから大声。
『一歩だけ!』
「分かってる!」
金の板は薄い。
三つの風の重さが、別々の方向から引く。
ひびが入る。
「ルゥ!」
ナギが鉄歩島へ呼ぶ。
返事は四拍子のあと。
『場所!』
「金の板。三つの最後が重なるところ!」
『見えない!』
「銅の音!」
ミオが旗竿で板を三回叩く。
こん。
こん。
こん。
ナギが鉄へ送る。
ルゥは銀鋲を一つ、空へ投げた。
「《継ぎ路》!」
響路の音と、銀糸をつなぐ。
糸は距離を飛ばない。
途中の道がない。
ルゥは鉄歩島の脚核へ、もう一本の鋲。
第一歩号の船体へ残る古い銀留め。
トマリギ島の響瓶。
カゲノハ村の現標板。
連標網を一つずつ経由する。
鉄。
船。
島。
村。
再び響路。
遠い金の板へ、細い銀糸が届いた。
「長すぎる!」
ルゥの指から血。
「途中が多い!」
「道が違うから!」
ナギが叫ぶ。
「そのまま!」
銀糸が金板の縁を一周する。
ひびが止まる。
「二つ!」
ミオが叫ぶ。
単路獣の三つの頭が、再会原を見つけた。
雷の頭。
雨の頭。
音の頭。
三方向から同じ空白へ噛みつく。
「ザンバ!」
灰旗の黒い点が、三本の顎の間へ現れる。
「《岐点》!」
三つの進路を、さらに外側へ分ける。
頭は金板の左右と下を通り過ぎる。
灰色の三本線が、板の裏へ入り、支えになる。
「三つ!」
金。
銀。
灰。
ミオの足元へ、円形の小さな広場。
それでも銅旗は立たない。
旗竿を突く。
光の地面が押し返す。
「何で!」
ナギが響路で聞く。
「三本の布が、まだ別々の場所を向いてる!」
鉄の布は雷風路。
森の布は雨風路。
鐘の布は鳴風路。
同じ風を受けない。
「それでいい!」
スズが叫ぶ。
「三番旗は、同じ向きへする旗じゃない!」
「じゃあ、どうやって立てる!」
テオが鉄歩島から答える。
「三本が同じ場所から返事をすれば!」
ナギは三つの島へ呼び声を送る。
一度にではない。
鉄へ。
「今、ここ?」
四拍子。
『雷風路!』
森へ。
三拍子。
『雨風路!』
鐘へ。
五拍子。
『鳴風路!』
「再会原は!」
三つの返事。
時刻も。
音も。
言い方も違う。
『先!』
『ミオのところ!』
『銅の鐘!』
同じ言葉ではない。
同じ場所を指す。
ナギは三つの返事を重ねず、銅旗の三本布へ一つずつ送る。
鉄の布へ四拍子。
森の布へ三拍子。
鐘の布へ五拍子。
三本が別々にはためく。
旗竿の根元だけが、同じ地面へ向いた。
「今!」
ミオは銅旗を両手で振り上げる。
「別々の道を行く者が!」
金の広場へ突き立てる。
「また会う場所!」
旗竿が地面を貫く。
銅色の光。
三本の石針を越え。
雷風路へ。
雨風路へ。
鳴風路へ。
三つの道の先に、同じ銅旗が見える。
途中の風は違う。
景色も。
歩幅も。
最後の場所だけが見える。
「標術――《再会標》!」
ミオの声が空へ広がる。
三番目の旗が立った。
ミオは三本の三つ編みを鉄、森、鐘の順へ触れた。最後に、中央ではなく旗竿の根元へ両手を置く。三本の布は別々の風を受け、一本の竿だけが同じ地面へ立つ。
「父さん」
響路の向こうへ、家族の声に戻る。
「あたし、同じ道へ戻す旗は立ててない」
返事はすぐ来ない。待つことを選んだ沈黙だった。
単路獣の三つの頭が、銅の光へ飛びかかる。
三つの喉は赤、緑、紫のまま。以前なら異音を乳白色へ薄め、同じ終点を食べた。けれど銅旗は、途中を揃えず「最後に会う時刻」だけを共通音として差し出している。
ヒトスジの尾が一拍だけ揺れた。食べられる共通手順と、食べられない個別の道が初めて分かれている。獣は本能のまま旗へ噛みつくが、一本線の舌は三本の布を一度に舐め取れず、根元の銅音だけを覚え始めた。
旗を食えば、最後の場所も一つの前にできる。
ミオは銅旗を握る。
「来ないって決めない!」
雷の頭が最初に迫る。
その口の中で、四拍子。
一。
二。
三。
四。
鉄歩島が雷風路から現れた。
装甲根が頭を踏む。
単路獣の白い歯が砕ける。
工房屋根に、ルゥとテオ。
「ミオ!」
「一本目!」
鉄歩島が再会原の左へ一歩を置く。
銀糸が銅旗の鉄布へつながる。
雷の頭がほどけ、失われた工房道へ戻る。
次に、雨の頭。
森歩島へ噛みついたまま、金の広場へ来る。
雨風路の奥から、第一歩号の船首。
鍋蓋は一枚。
左右の釣り合いが悪く、船体が斜めに回っている。
「まっすぐ来て!」
ミオが叫ぶ。
「操舵輪が逆だ!」
カナタの声。
「知ってる!」
第一歩号は再会原を一度通り過ぎる。
「通り過ぎた!」
「見えた!」
大きく旋回。
今度は森歩島の右脚へ一歩ずつ光板。
「次!」
人々が旗を振る。
赤い実。
青い葉。
雨を受ける屋根。
自分たちの行き先。
カナタはその一歩手前へだけ道を出す。
最後は島が踏む。
森歩島が再会原の中央へ一歩。
「二本目!」
雨の頭がほどける。
第一歩号は銅旗の横へ不時着した。
金の板へ船首が刺さる。
「着港!」
「再会原!」
「同じ!」
「違う!」
ミオは笑いながら、カナタへ鍋蓋を返す。
「足場、ありがとう」
「翼!」
「今は足場だった」
「帰りは翼!」
「好きにして」
残るは、鐘歩島。
鳴風路は閉じたまま。
一刻。
十呼吸。
二十。
音がない。
ミオの手が、銅旗を強く握る。
足元の板を一枚ずつ整える。金。銀。灰。鍋蓋。怒りや恐怖が強いほど物を揃え、全部整った時に決断する。
再会の祝い用に用意した三皿は、まだ布の下にある。鉄と森が着いても開けない。鐘歩島の一皿だけ冷めるのではなく、三皿を同じだけ冷ませる。先に祝わないと決めた。
耳たぶは真っ赤だった。
「来る」
自分へ言う。
三十呼吸。
四十。
カナタは白旗を持つ。
「見に行く!」
「待って」
ルゥが銀糸を掴む。
「何かあった!」
「だから旗を消さない」
「助けに行く!」
「行ったら、鐘歩島が着く場所を失う!」
「俺が戻る!」
「その間、誰が旗を支える!」
「ミオ!」
「一人にするの?」
カナタの口が止まる。
待つこと。
何もできない時間。
父を待った十年が胸へ戻る。
「違う」
ナギが言った。
響路の旗を掲げる。
「呼び続ける。返事を探す。行ける準備をする。待つだけじゃない」
「返事は!」
「今、聞く」
鳴風路へ細い呼び声。
単路獣の「前へ」。
閉じる。
もう一度。
五十呼吸。
返事なし。
ナギは札へ書く。
――鐘歩島、最終返事、四十七呼吸前。
――鳴風路、音壁。
――いなくなったと決めない。
「ザンバ!」
カナタが叫ぶ。
返事はない。
「レグル!」
ない。
六十呼吸。
ミオの頬を涙が伝う。
「来ないって、決めない」
銅旗をさらに深く押す。
「私は、ここにいる!」
七十呼吸。
小さな音。
ちりん。
ナギが顔を上げる。
もう一度。
ちりん。
鳴風路の奥。
何百もの鐘が、一つずつ近づく。
高い。
低い。
不揃い。
全部が重なり、大きな足音になる。
一。
二。
三。
四。
五。
金色の風が開いた。
鐘歩島が現れる。
先頭の鐘楼は半分崩れている。
屋根の上で、スズとナギ。
その隣にザンバ。
レグル。
紺旗の先は焼け、片袖がない。
灰旗には黒い点から三本の線。
「三本目!」
ミオが叫ぶ。
鐘歩島が再会原へ一歩を置く。
三つの足音。
四拍子。
三拍子。
五拍子。
ばらばらなのに、一つの曲に聞こえる。
レグルは島から降りる。
銅旗の前へ。
ミオはその場から動かない。
「待たせた」
「七十三呼吸」
「短い」
「長かった!」
「そうだな」
レグルは娘を抱きしめる。
「ただいま」
「おかえり」
銅色の三番旗が大きくはためく。
単路獣の最後の一つ目が砕けた。
白い破片は、食われていた道へ戻る。
店へ寄る横道。
家へ帰る道。
外へ出る道。
残る場所。
まだ決めない空白。
三つの島の間へ、無数の小さな航路が広がった。
一本ではない空が、再会原から世界中へ開いていく。
ナギの響路も、六つの細い波を保ったまま光る。
カゲノハ村。
トマリギ島。
鉄。
森。
鐘。
第一歩号。
アカリの声が遠く届く。
『返事、あり?』
「あり!」
ナギが答える。
「全部、違う!」
『それでいい』
三番目の旗は、誰も同じ場所へ住まわせなかった。
ただ、別々の道から見える約束を、一つ増やした。