第67話 第十章「分かれる足音」前編

三番目の旗が立って、三日目。

再会原には、まだ地面がなかった。

金色の《未踏路》

銀色の《継ぎ路》

灰色の《岐点》

三つの島から渡した橋板と、鍋蓋が一枚。

それらを銅色の《再会標》が束ね、町一つぶんの広場を空へ浮かべている。

「鍋蓋を数に入れるな!」

広場の中央で、カナタが叫んだ。

ミオは修理板へ木札を一枚足す。

「再会原を最初に支えた足場、一枚」

「翼だ!」

「今も地面」

「第一歩号へ返せ!」

「船の修理が終わったら」

「地面がなくなる!」

「だから、返せない」

「俺の翼が町になった!」

カナタの後ろでは、第一歩号が三つの島から伸びた作業索に吊られていた。

右舷は鉄歩島の工房へ。

左舷は森歩島の木工場へ。

帆柱は鐘歩島の鐘楼へ。

三方向から同時に直され、船体が少しずつ三角形になっている。

「ルゥ!」

「聞こえてる!」

鉄歩島側から声が返る。

「船が船じゃなくなる!」

「三方向へ引っ張るからでしょ!」

「一つの工房で直せ!」

「今それを言う!?」

ルゥの怒鳴り声に続き、鉄歩島の槌が四回鳴った。

森歩島から、鋸が三回。

鐘歩島から、調律鐘が五回。

ばらばらの修理音。

それでも、第一歩号の亀裂は一つずつ閉じていく。

再会原の外では、三つの島が三角形に浮かんでいた。

鉄歩島は雷風路の出口。

森歩島は雨風路の出口。

鐘歩島は鳴風路の出口。

同じ列には並ばない。

同じ速度でもない。

それぞれが自分の風へ錨を下ろし、三番旗だけを見える位置に置いている。

「前より遠い」

カナタは言った。

「前より近いよ」

ミオが答える。

「歩けば三刻かかるぞ」

「前は、隣にいても行きたい場所を言えなかった」

ミオは銅旗を見上げる。

「今は、違う島からでも返事が来る」

「でも遠い」

「嫌?」

「嫌だ」

カナタは即答した。

「じゃあ戻す?」

「戻さない」

「どっち?」

「嫌だけど、戻さない!」

ミオが笑う。

「少し、三番目」

「全部、三番目だ!」

「全部って言った」

「今のはいい全部!」

再会原の端で、三つの島の代表者たちが円になっていた。

ただし、円の中心には誰も座らない。

鉄歩島の工房長バルカ。

森歩島の農路長リーネ。

鐘歩島の鐘守長カネオ。

バルカは椅子へ座っても背もたれを使わず、いつでも立てる前傾姿勢。足元には規格外札と古い机の取っ手。

リーネは公用と私用の二冊を膝へ重ねず、左右へ置く。冷えで一度眩暈が来たが、自分の薬だけまた荷へ入れ忘れていた。

カネオは余韻糸を胸の高さへ下げてもらい、肩を上げずに三島の音を測る。決断の前、古傷を親指でなぞり、小さく震えた。

三人とも共同体を守る指導者だが、見るものは違う。炉。畑。返事。円の中心を空けるだけでは、意見まで同じにはならなかった。

その間に、住民から選ばれた九人。

レグルは円の外に立っている。

以前なら、中央だった。

紺色の《同道旗》を持ち、三つの町の答えを一つへまとめる場所。

今は、問いを出す役だけをしていた。

「修理のため、一月は同じ場所へ留まる」

レグルが言う。

「反対は」

三本の旗が上がった。

「理由を」

最初は、鉄歩島の工房長バルカ。

「雷風路が太いのは、あと六日だ」

工房炉は、季節の雷を蓄えて一年ぶんの刃と脚部品を作る。

ここへ留まれば、炉だけではない。

森歩島へ渡す農具も、鐘歩島の鐘金も足りなくなる。

「速く行きたいからではない。受け取る仕事があるから、鉄は雷へ行く」

言い終えると、バルカは無意識に冷えた茶へ息を吹いた。カナタと同じ癖に気づき、二人で一瞬だけ睨み合う。

「俺も吹く!」

「熱いかもしれん」

「冷たいぞ」

「知っている」

工房長が本当に欲しいのは、いつも見送る側ではなく、一度は若者たちに仕事を渡して見送られることだった。雷へ行く決定は、島を抱え込むためではなく、次の職人へ炉を渡すためでもある。

次は、森歩島の農路長リーネ。

「南の雨へ、苗床を四十三枚移す」

畑は船の荷ではない。

家族が耕し、次の季節を食べる場所だ。

二十日遅れれば、種をまく年そのものを失う。

「同じ日に出る必要はない。森は、雨が来た日に出る」

リーネは公用帳へ出航条件を書き、私用帳には「若い農師が苗床二十枚を自分で決めた」と記した。仕事を奪われることを、安心と呼べるようになりたい。

「要するに」

と始めた説明が長くなり、バルカから「要していない」と返される。リーネは口を大きく開けて一度笑い、二度目は咳になった。

最後は、鐘歩島の鐘守長カネオ。

その横で、スズが五声旗を持つ。

「西の鳴風路なら、トマリギ島の十三本の鐘路と、返事待ちの船へ届く」

鐘歩島がここに残れば、遠い船の呼び声を聞く者がいなくなる。

「残るために西へ行く。聞く場所を、向こうへ残す」

カネオは肩の古傷をなぞり、幼い字の札を円へ置いた。

――ききなおす。

「鐘歩島が昔の音を守るだけなら、ここへ留まればよい。西へ行くのは、まだ聞いていない現在を受け取るためだ」

決定後も、反対意見を聞き切るまで黙った。沈黙は迷いではなく、相手の一歩を残す時間だった。

三つの理由。

利益も、期限も、守る相手も違う。

レグルは一本へまとめない。

「では、三島が留まる案は棄却」

カナタが目を丸くした。

「三人しか反対してないぞ」

「人数ではなく、島が一つずつ反対した」

「多数決は?」

「町の中で使う」

レグルは三つの島を見る。

「島の進路は、島ごとに決める。違う答えを、中央の人数で潰さない」

「面倒だな」

「そうだ」

レグルは少し笑った。

「十二年ぶん、面倒を避けた結果が単路獣だ」

レグルは笑い終える前に、三枚の議事札を一列へ並べかけた。途中で手を止め、円に沿って置き直す。最初の一枚だけ、また列へ戻りそうになる。

改めた制度より身体の癖は遅い。三島から別々の報告が届くたび、男の肩は固まり、白帯へ手が行く。円の外に立っただけで、統制の反射まで消えたわけではなかった。

次の議題。

再会原を新しい首都にするか。

最初に賛成したのは、到着旗を扱う商人たちだった。

三つの島が必ず戻る場所なら、店を建てれば客が集まる。

次に、橋守。

ここを中心に三島へ恒久橋を張れば、別々に歩いても人は行き来できる。

カナタも手を上げた。

「町にしよう!」

「何を建てる?」とミオ。

「港!」

「次」

「食堂!」

「次」

「第一歩号の修理場!」

「自分のためじゃない?」

「みんなも使える!」

反対の旗が上がった。

スズだった。

鐘歩島から細い響路を渡り、円の外へ立っている。

「町にしたら、ここへ残る人が必要」

「残りたい人が残ればいい」とカナタ。

「三島が来ない日も?」

「来るだろ」

「遅れることもある」

ミオの手が銅旗へ触れる。

七十三呼吸。

短くて、長かった待ち時間。

スズは続けた。

「店があるから来い。橋があるから同じ日に着け。待たせたら損が出る。そうなったら、再会が義務になる」

「会う場所だぞ」

「会わない日を選べるから、約束」

カナタは口を閉じた。

テオが鉄歩島から声を送る。

『地面だけ残せばいい』

「地面だけ?」

『旗と、雨を避ける屋根。壊れた船を一隻置ける桟橋』

「第一歩号!」

『置かない』

「なんでだ!」

『動く船だから』

円の中で笑いが起きた。

決まった。

再会原は町にしない。

誰かの暮らしを、三島の約束へ縛らない。

銅旗。

三つの現標板。

雨除けの小屋。

一隻ぶんの桟橋。

そして、来なかった者のための記録箱だけを置く。

名は、《三番港》になった。

港の外れでは、三つに分かれたヒトスジの影が、銅旗の根元を遠巻きに回っていた。人を襲わず、四、三、五の最後だけ尾を振る。

スズが再会時刻を一音鳴らすと、獣はその共通音だけを舌で舐め、三本の道には入らなかった。途中を揃える制度がなくなれば、同じ場所に会う時刻を知らせる生物として利用できるかもしれない。

「飼うのか?」とカナタ。

「まだ」とナギ。

「名前はある!」

「行動は未確認」

倒して終わるのではなく、制度が変わった後の生態を記録する札が、港の最初の仕事になった。

「港なのに町じゃない!」

カナタは喜ぶ。

「船が着く場所なら港」

ミオが言う。

「第一歩号の場所!」

「みんなの場所」

「俺たちも、みんな!」

「それなら正しい」

鐘歩島では、ナギとスズが三つの小鐘を並べていた。

鉄色。

森色。

鐘色。

どれも形が違う。

鉄色は厚く、短い音。

森色は木の舌を持ち、柔らかい音。

鐘色は細く、長い余韻。

「同じ大きさにしないの?」

スズが訊く。

「しない」

「音量はそろえたほうが聞きやすい」

スズは五本の指へ音名を当て、構造上の均衡を測る。ナギは三枚の札へ人名と最終返事を分けて書く。

「小さい鉄音が遠くで消えたら?」とスズ。

「増幅する。でも鉄の音だと分かる形で」

「大きい鐘が一人しか鳴らせなかったら?」

「人数と音量を別に記録」