第61話 第七章「つなぎすぎた道」前編
三つの島が透けた。
鉄歩島の崖へ、森歩島の木々が重なる。
鐘歩島の家々が、工房の屋根と同じ場所へ浮かぶ。
鉄の根。
森の根。
鐘の根。
三種類の重さが、一つの輪郭へ押し込まれる。
最初は、うまくいった。
折れた森歩島の右脚が、鉄歩島の装甲根と同じ場所へ入る。
鐘歩島の軽い雲根が、二つの隙間を埋める。
三つで一本の脚。
島は沈まない。
「持ち上がった!」
歓声。
「中央門へ行ける!」
「誰も落ちない!」
レグルの紺旗が大きくはためく。
「全島、前進!」
三つの脚核が、同じ一歩を踏む。
どおん――。
音は一つ。
揺れもない。
十二年、町が求め続けた形。
人々は安心する。
カナタも、一瞬だけ笑った。
「ほら、全員いる!」
ルゥは笑わない。
銀糸が指へ食い込んでいる。
「同じ場所に押し込まれてるだけ」
「中央を越えたら!」
「誰がほどくの」
「俺たち!」
「今、私の継ぎ路は私の手にない」
同道旗が銀糸を引く。
鉄歩島の四拍子を、森歩島の三拍子へ重ね。
鐘歩島の五拍子を、その間へ削る。
同歩機関から、歯が一枚ずつ飛ぶ。
テオの招待状が、胸元から浮いた。
銀枝都市ミナモへの道を示す矢印が消える。
代わりに一本。
――前へ。
「俺の道!」
テオが紙を掴む。
文字は戻らない。
スズの五声旗も白く染まる。
五つの音紋が重なり、一つの大鐘。
「残る、が消える」
スズが旗を抱く。
「残るも前へ。出るも前へ。何も違わない」
ミオの銅旗。
三つに裂けた布が、紺色の糸で強く縫われる。
一本の細い布へ。
「離して!」
ミオが糸を引く。
指が切れる。
ナギは三枚の現標板へ響路を開いた。
「鉄、今!」
返事。
「前」
「森、今!」
「前」
「鐘、今!」
「前」
途中の音まで同じになり始める。
四拍子。
三拍子。
五拍子。
全部、一回。
どおん――。
響路の旗へ、白い一本線が入り込む。
開いていた輪の切れ目が閉じる。
二つの点が同じ場所へ重なる。
「返事が近すぎる!」
ナギは耳を押さえる。
全住民の声が、一つの口から入る。
前へ。
前へ。
前へ。
カゲノハ村からの響瓶も鳴った。
アカリの声が途中で変わる。
『今の村――前へ』
トマリギ島。
イオラ。
『返せない日――前へ』
「違う!」
ナギは響路を閉じようとする。
閉じた輪が外れない。
「私の標術まで、同じ返事を作ってる!」
ザンバは灰旗を振る。
黒い点から二本の線。
鉄と森を分けようとする。
線は一本線へ吸われる。
三つ目を出す。
また重なる。
「終点があれば切れる?」
カナタが叫ぶ。
「ない」
「戻らないのか!」
「終わった術だ」
「今だけ!」
「終わりを勝手に戻すな」
ザンバは灰旗を両手で握る。
「別の形を探す」
三島一体の影が、中央門へ近づく。
石針の壁。
一島分なら通れる。
透けた三島は、見た目には一つ。
住民たちから歓声が上がる。
「通れる!」
「同道は正しかった!」
「これで別れない!」
その足元。
光板の下から、白い糸があふれ始める。
カナタが作ろうとした横道。
ミオの雨の上道。
テオの銀枝都市への道。
スズが残る場所。
住民が寄りたかった店。
帰りたかった家。
まだ決めなかった者の空白。
選ばれなかった道が、光板の下へ押し出される。
「何だ、あれ」
カナタが身を乗り出す。
白い糸は絡み合い、長い胴になる。
無数の脚。
全部が同じ足跡へ置かれる。
右も左も見ない頭。
目は一つ。
額に、白い矢印。
口から伸びる舌は、道と同じ一本線だった。分岐標へ額を擦りつけ、角の先は長年の摩耗で丸い。喉の内側は、飲み込んだ拍子によって色が変わる。鉄の四拍で鈍い赤。森の三拍で緑。鐘の五拍で紫。異なる三色を抱え切れなくなると、全部を乳白色へ薄めて一音にする。
ヒトスジは悪意で違いを消しているのではない。繰り返される最後の一歩、同じ命令、同じ終点を食べる標災獣だ。揃った道ほど少ない力で腹を満たせるため、十二年かけて三脚群島の同道線を巣にしていた。
四、三、五を聞くたび、最後の一拍だけ尾を振る。人々が恐れて揃えるほど、獣には安全な餌場が増えた。
「標災」
ザンバが低く言う。
「《単路獣ヒトスジ》」
「知ってるのか!」
「以前、軍路で似たものを見た」
「何をする!」
「選ばれなかった道を食い、すべてを一本へ変える」
単路獣が光板へ噛みついた。
光そのものを食べたのではない。板の終端へ残った「前へ」という決定だけを舌で舐め取る。終わりを失った板は、どこへでも曲がれるはずなのに、獣の喉を通ると最も強い反復へ戻った。
人の声にも同じ反応をする。「助ける」「全員」「一度だけ」。意味ではなく、繰り返しの拍を覚え、尾で次の命令を予測する。制度が育てた餌を、人間より正確に見つける生物だった。
ごきん、と硬い音。
レグルの紺旗から、一本線が獣の額へ移る。
「何を――!」
旗が引かれる。
単路獣は三つの島の前へ回り込む。
中央門ではない。
三本の石針の真ん中。
最も太い岩壁。
まっすぐ進めば、そこへぶつかる。
「曲げろ!」
レグルが旗を引く。
道は曲がらない。
「中央門へ行き先を置いた!」
ルゥが銀糸を見た。
「位置を重ねたとき、みんなの行き先を消した!」
「同じ前を作った!」
「誰の前か決めなかった!」
単路獣の一つ目が開く。
人々の口から同じ声。
「前へ」
「前へ」
「前へ」
三つの島が加速する。
岩壁まで、五百歩。
「カナタ、道を曲げて!」
ルゥが叫ぶ。
「中央門!」
カナタは白旗を振る。
「標術――《未踏路》!」
巨大な光板が、中央門へ向かって生まれる。
単路獣の一つ目が光る。
板の先端が曲がる。
岩壁へ。
「俺の道まで一本に!」
「行き先じゃなく、前って言葉だけを食ってる!」
「じゃあ横!」
一枚。
前へ曲がる。
「後ろ!」
一枚。
一度後ろへ出て、獣の体を一周し、前へ戻る。
「上!」
「下!」
「ミオ!」
「ルゥ!」
「ナギ!」
名前を行き先にしても、同じ。
光板は一度相手へ向き、最後に岩壁へ曲がる。
「最後を食われる!」
ナギが言う。
響路も同じ。
「テオ、返事!」
『前へ』
「スズ!」
『前へ』
「ミオ!」
『前へ』
声の途中に、苦しそうな息。
違う言葉。
それでも最後だけ同じ。
「途中を聞け!」
カナタが叫ぶ。
「聞いてる! でも道へできない!」
ナギは頭を押さえる。
舌へ鉄の味。視界から距離が消える。右耳の鈴も左耳の栓も、閉じた輪の中で同じ一音を返した。偏頭痛の前では、本人確認の判断まで歪む。
「道具のほうが疲れた」
反射的に隠そうとした言葉を、ナギは途中で止めた。
「違う。私が限界」
初めて、自分を記録の外へ置かなかった。
閉じた輪の中で、全員の声が反響する。
自分の声まで、前へと返る。
「響路を切れ!」
ザンバが言う。
「切れない!」
「旗ではない。耳を閉じろ」
「聞く役!」
「今は、同じ声を増やしている」
ナギの顔が青ざめる。
自分の標術が、単路獣へ全島の声を送っている。
返事の道が、命令の道になっている。
「閉じたら、みんなの場所が分からない」
「今のままでは、みんなを同じ場所へ送る」
ナギは迷う。
スズの言葉。
全部聞くことと、全部を同じにすることは違う。
響路の旗を胸へ巻く。
輪を布で押さえる。
音が一気に遠くなる。
静か。
怖い。
聞こえないことは、七年前の母を失うことに似ていた。ナギの指が小石袋を探す。カナタ。ルゥ。ザンバ。スズ。ミオ。名前ではなく、それぞれの音型を刻んだ石が掌へ当たる。
今聞こえなくても、さっきの返事は消えない。次に開くまで、記録が持つ。ナギはその重さを握り、響路を閉じたまま立った。
けれど、単路獣の額から白い波が一つ減った。
「閉じた!」
「今は」
ナギは歯を食いしばる。
「聞く方法を変える!」
ルゥは銀糸を引き抜こうとしている。
一本。
抜けない。
逆に三島の縫い目が締まる。
「私がつなぐほど、獣が太くなる!」
「切れ!」
カナタが言う。
「銀糸を切ったら、今の三島がずれる!」
「分けたいんだろ!」
「準備なしで分けたら、町が同じ場所に重なったまま裂ける!」
鉄歩島の工房と、森歩島の家が同じ位置。
鐘歩島の橋と、鉄の炉。
今ずれれば、互いを削る。
「つなぐのもだめ。切るのもだめ」
「三つ目!」
「何の!」
「別の方法!」
「今考えてる!」
ザンバは単路獣の胴へ黒い点を置く。
二本の灰線。
一つは岩壁。
一つは中央門。
「標術――」
まだ名がない。
線が震える。
単路獣が口を二つに裂く。
両方を前へする。
灰線が食われる。
「分けても、両方を自分の前にする」
「もっと増やせ!」
「増やすほど頭が増える」
単路獣の背から、二つ目の目。
三つ目。
すべて前だけを見る。
「じゃあ後ろに目を!」
カナタが獣の尾へ走る。
白旗を突く。
「単路獣の後ろ!」
一歩分の光板。
尾の先へ。
初めて、岩壁へ曲がらない。
「行けた!」
「獣に後ろの概念がない!」
ルゥが叫ぶ。
「そこから!」