第240話 第十二章「十の次の一」後編
――船長、帰郷を決定。
空白だった予定欄へ、日付はまだ書かない。
代わりに。
――帰路、開始。
出航の日。
十本の雨桁から、違う雨が昇っていた。
苗雨。
飲雨。
薬雨。
炉雨。
染雨。
響雨。
塩雨。
灯雨。
眠雨。
返雨。
同じ空へ向かい、同じ水にはならない。
次雨窪では、十一人家族が二台の昇降箱へ分かれて乗った。
途中まで別。
上で再会する。
コナミは一台目。
クヌギは二台目。
クヌギは半席へ体を畳まず、木の義足に合う広さの席へ座った。孫へ譲ることを制度にせず、二台へ分かれる選択を自分で取る。
「二台目だから遅い?」とコナミ。
「逆に、先に着くかもしれん。……逆ではないな」
長い説明にコナミが笑う。二人の鈴は、同じ箱へ重ねられず、別々の現在を返した。
二人の鈴は、互いの現在を鳴らす。
イツキは上と下、二枚の関係札を持つ。
現在地は一つ。
関係は二つ。
十三歳のイツキは、出航を見送る一刻だけ二枚の札を家へ置いた。数や順番から外れ、誰かが探す前に自分で戻るという小さな遊びを試すためだ。もちろんナギへ現在は返してある。
役目を持たない時間も、行方不明ではない。
ミズハの黒雨は、まだ由来未確認。
ミズハは片眼鏡を外し、開封判定を次の薬師へ渡した。自分の発熱は下がったが、休憩札を三日分残す。コナミは新しく作られた小棚へ、名前のない瓶を一つだけ置いた。誰にも勝手に整理されない、自分の場所だった。
次雨蔵に札を残す。
分からないまま、捨てない。
カサネは返雨塔の記録説明席へ座った。
決定鈴は持たない。
十年前の公式板と訂正板を、一人ずつへ説明する。
アマネは大旗の下。
《次雨守見習い》。
「見習いのまま?」
「次へ渡す方法、まだ一つ」
「二つ目を見つけたら!」
「そのとき考える」
「九回見つければ十!」
「数を合わせない!」
第一歩号の十連雨帆へ、一滴ずつ逆雨が入る。
一。
二。
十。
十滴ぶんの重さが、一つの追い風へ渡る。
小枡は消えない。
次の一滴が右帆へ入る。
新しい一。
船首が右へ傾いた。
「曲がる!」
「左へ一滴!」とルゥ。
「どこから!」
「雨!」
「全部上!」
アマネが一滴を投げる。
カナタが白旗で受ける。
「未踏路!」
「水は作れない!」
「受け取るだけ!」
左の小枡へ。
二つの新しい一。
船体が戻る。
「第十翼、全開!」
「十連雨帆!」
第一歩号が出航台を離れる。
逆雨原の人々が旗を振る。
「行ってこい!」
「帰ってこい!」
「残したら!」
アマネ。
「次に見る人を決める!」
「期限が来たら!」
「もう一度、今を確かめる!」
「十になったら!」
「足跡を消さず、次へ渡す!」
カナタは空色の小旗を振る。
次に、白旗を来た道へ向けた。
九転脈輪。
歩いた航路を、一脈ぶん折り返す輪。
今度は、間違いを直すためではない。
帰る道を選んだから。
「現在確認!」
ナギ。
「船長!」
「船首!」
「航路機巧師!」
「操舵輪!」
「響路士!」
「十結節!」
「監視役!」
「船尾」
「第一歩号!」
五つ。
「行き先!」
「カゲノハ村!」
「受取先!」
アカリの声。
『到着した日の案内役』
「帰還門の状態!」
『長期不在者、未成功』
「帰路詳細!」
『未確認』
「それでも進む?」
カナタは答える。
「進む!」
「折返しを受け取る?」
四人が別々の声で返す。
「受け取る!」
「必要なら!」
「現在を聞いてから!」
「道を見てからだ」
同じ返事ではない。
それでも、同じ船首を帰路へ向ける答えだった。
九転脈輪が回る。
第一歩号は、来た道へ船首を向けた。
戻る一歩。
それでも、冒険は後ろへ進まない。
十本の旗を数え終えたあと。
次の一は、前にだけあるわけではなかった。
六週間後。
逆雨原では、焼き雲豆を一個ずつ買えるようになった。
十個入りの袋。
横へ一個。
「十と、一」
店主が言う。
子どもが答える。
「十一」
「どっちでもいい?」
「何へ数えるか、札に書けばいい」
昇降箱の足形も変わった。
十個の枠。
その横に、次の一を受ける可動板。
十一人目を押し出さない。
広さが足りなければ、二台目を動かす。
誰を一人へ重ねたかではなく、誰がどの箱へ乗ったかを残す。
次雨蔵には、毎日違う数の袋が入る。
薬雨三。
今夜使う。
翌日の七と、数をそろえるために待たない。
灯雨九。
一本の道を終え、九本へ配る。
黒雨一。
由来未確認。
期限を延ばした理由と、次の二人の名を書く。
最初の六週間で、確認忘れは二件。
受取人違いは一件。
危険な混合は、ゼロ。
十全獣の幼体による誤報は三件。群れかけたのは一件。
同じ透明雨を十日続けて与えた観察池で、十匹が円へ集まり、体表の色が薄くなった。次雨守は利用試験を即日停止し、異なる雨場へ戻す。均等化の兆候を見つける生物として役立つ一方、その役立ちを理由に同量の餌を作らない。観察記録には、再巨大化条件を未確認のまま残した。
失敗をゼロと書かない。
次の当番が、同じ棚で同じ間違いをしないために。
十種類の雨は、それぞれ別の仕事へ戻った。
苗雨は畑。
飲雨は宿と家。
薬雨は診療所。
炉雨は工房。
染雨は旗と衣服。
響雨は連絡と記録。
塩雨は冬の保存食。
灯雨は夜道。
眠雨は水を休ませる池。
返雨は、それぞれの行き先を最後に確かめる塔。
一つの大雨へ潰さない。
違いを保ったまま、町全体を支える。
カサネはサヤの訂正板を持ち、十本の雨桁を一つずつ回った。
公開訂正の翌朝、カサネは焼き雲豆を十一個買った。十個を並べ、十一個目を視界の端へ置いたまま食べられず、最後に受取札をつけて中央へ戻す。
――次に説明を聞き終えた人。
謝罪をした回数ではなく、相手が聞く仕事を終えた時刻を受取条件にした。
「今日は、三ノ桁の旧罰金を再確認した」
返事は場所ごとに違う。
怒り。
質問。
受取保留。
記録不足。
許しとは数えない。
説明した回数を、償いの完了とも数えない。
アマネは隣で聞く日がある。
聞かない日もある。
聞かない日は次雨蔵で、自分が一滴も「余り」を見つけられないことへ不安になり、棚を何度も探す。制度が良くなったから余りが減ったのか、誰かが隠したのか。ヒサメと二人で確認し、何もなければ《本日、該当なし》と書く。何もない日も、見落としと同じにはしない。
返す言葉は、その日の現在だけ。
連標網の十結節は、毎朝別々に鳴る。
カゲノハ村。
トマリギ島。
三番港。
ミナモ。
無灯泊。
迎え岸。
双灯港。
歩雲群。
星脈市。
逆雨原。
一つの大鐘にはしない。
その輪の外を、第一歩号の移動鈴が進んでいる。
――現在地、天樹アトラスへの帰路。
――行き先、カゲノハ村。
――帰還門、長期不在者未対応。
――到着日の現在図を待つ。
署名、ナギ。
カゲノハ村で、アカリが報告を受け取る。
帰還予定欄へ書く。
日付ではない。
――帰路中。
村は止まらない。
薬を配る。
旅人を迎える。
ルゥの机で、見習いたちが作る。
ザンバへ、名前で請求書を書く。
カナタの家だった旅人宿へ、棚を一段増やす。
帰ってくる者のためだけではない。
今いる者が、今の村を続けるため。
帰還門の外輪は、毎週一度試す。
アカリは左手で失敗表を書き、右手で試験者へ札を渡す。立ちくらみが出た日はセノへ案内役を譲り、自分の名も《休止中・返事あり》として現在図へ残す。レンカは通常路から今の家へ通い、帰還門で言えなかった「ただいま」を、弟と母へ別々に言い直した。
短期不在は、現在へ着く。
長期不在は、まだ一歩手前でずれる。
アカリは失敗表を隠さない。
十三枚目の現在図は、まだ白い。
道がないなら、最初の一歩になればいい。
誰かが二歩目を重ねれば、足跡は道になる。
三歩目が別の方角へ進んでも、また会う旗があれば道は途切れない。
四歩目を、自分より先へ行く誰かに渡すこともできる。
五歩目を急がず、今いる者を数えることもできる。
六歩目を置く場所に先客がいたなら、一歩ぶん空けて迎えればいい。
七歩目まで歩いた道が終わるなら、「ここまで来た」と旗を立てればいい。
八歩目の先頭を誰かへ渡しても、自分の足跡は消えない。
九歩目で道が違うと気づいたなら、選び直す場所まで戻ればいい。
十歩目まで歩いたなら。
一から九までの足跡を、一つの大きな跡へ潰さなくていい。
十歩ぶんの重さを、歩いた形のまま次へ渡せばいい。
十にならなかった一歩を、余りと呼ばなくていい。
それは、次の数え方の最初の一歩だ。
十番目は、道の最後ではない。
最初の一歩を、次の大きさへ渡す節目だ。
世界の果てから始まった旅は、十本の旗を数え終えた。
白旗の中央には、まだ大きな空白が残っている。
その空白へ、次の土地の名を急いで入れる必要はない。
帰る日を、いつまでも数の外へ置く必要もない。
カナタは、自分の意思で最初に出た場所へ向かう一歩を選んだ。
どう帰るかは、まだ分からない。
帰還路も、帰る者の心も、試されていない。
それでも、帰ると決めた。
出発した日の村ではない。
待ちながら変わった、今のカゲノハ村へ。
次の一は、帰り道だった。
第一歩号の船尾で、ザンバの椅子が一度だけ中央へずれた。
ルゥは十連雨帆の点検口へ、次に改造する者のための空欄を残す。
ナギは十結節と移動鈴を一人で抱えず、その日の受取人名を確認する。
カナタは冷えた朝食へいつものように息を吹きかけ、階段の最後の一段を跳ばずに下りた。
「到着は?」とルゥ。
「着いてから言う」
先に言い切らない一歩も、帰路には必要だった。
了