第172話 第二章「八番目の町」後編
「おう!」
「なぜ、その状態で誇れる」
「着いたから!」
「主に壊して」とザンバ。
「そこまで噂が来てるのか!?」
「今のは観察だ」
「毎回分かりにくい!」
カイラは第一歩号の白旗を見る。
無数の道が手を取り合う紋。
中央の空白。
「力を借りたい」
「いいぞ!」
即答。
ルゥが船底から工具を投げた。
「話を聞いて!」
カナタは白旗で受け止める。
「条件は?」
「順番が逆!」
カイラは前方を示した。
星根街道の先。
黒い空に、白い根が一本伸びている。
途中から細くなり、霧の中へ消えていた。
「二日後、歩雲群は《根抜け野》へ入る」
「根がない?」
「古い星根が枯れ、新しい根がまだ空へ出ていない場所だ。先頭の一歩だけが、次の足場を探せる」
カイラの旗が光る。
「私の標術《先歩》は、一番雲の足跡を七雲へ伝える。だが、一番雲は十二年、群れの重さを受け続けた」
「限界ね」
ルゥが一番雲を見る。
遠目にも、雲底が灰色になっている。
「《未踏路》で、一番雲の前へ新しい足場を置いてほしい」
次にルゥを見る。
「《継ぎ路》で、八雲すべてをその道へ結ぶ」
ナギの旗へ視線を移す。
「《響路》で、八雲の歩鐘を一つへそろえる」
「一つへ?」
ナギはすぐに頷かなかった。
「同じ歩幅へ合わせるためだ」
「今の返事も?」
「歩いている最中に、八つの意見を聞く余裕はない」
最後にザンバ。
「《岐点》で、余分な分岐を一番雲の道から外す」
「余分かどうかは誰が決める」
「先頭だ」
カイラの答えは迷わない。
「乱せば、根抜け野で散る」
「踏み替えればいい!」
メグが声を上げた。
「八番雲へ先頭を渡して。右歩脚は直す。後ろで集めた踏み跡もある!」
「許可しない」
「まだ何も見てない!」
「見る必要はない」
カイラの声は冷たい。
けれど、紺旗を握る指が白くなっていた。
「十年前、《踏み替え》で一雲が落ちた」
町の空気が止まる。
「先頭を受け取ったのは、メグの父セトだ」
カナタが二人を見る。
「父親?」
「今の話で分かったでしょ」とルゥ。
「髪の色が違う」
「そこから離れて!」
メグの薄青い旗が揺れる。
七つの足跡の先の空白。
「父さんが落ちたのは、踏み替えたからじゃない」
「戻らなかった」
「だから、何が起きたか確かめる!」
「確かめるために、お前まで落とせと?」
「私の道よ!」
「だから守る!」
二人の声がぶつかる。
カナタは白旗を担ぎ直した。
「俺が先頭の道を作る」
メグが振り向く。
「カナタ?」
「一番雲が壊れないくらい、でかい道を作る。八番雲も引っ張られないようにする!」
「それで、誰が一番?」
「一番雲」
「私は?」
「後ろから来ればいい」
メグの顔から、期待が消えた。
「何だよ。助けるぞ」
「私が頼んだのは、もっと安全な最後尾じゃない」
薄青い旗を背負い直す。
「最初の一歩を、返してって言ったの」
メグは歩き去った。
七つの足跡が、風に引かれて前を向く。
最後の空白だけは、どこにも向かなかった。
カイラはその背中を見送る。
「二日後までに、答えを」
「もう決めた!」とカナタ。
「お前には訊いていない」とルゥ。
「誰に?」
「私と、ナギと、ザンバと、船と、自分の旗に!」
「全部、俺と一緒だろ!」
「一緒だから同じ答えとは限らない!」
ザンバが灰旗の石突を地面へついた。
「八番目の町で、三番目の話を忘れるな」
「覚えてる!」
「なら、顔に出せ」
「顔?」
「分かっていない顔だ」
前方で、一番雲が一歩を踏んだ。
七つの雲が続く。
最後の八番雲だけが、また半歩遅れる。
その遅れを埋めるように、光索が強く張った。
第一歩号の修理には、一日かかる。
ルゥはそう言った。
カナタは半日で終わると言った。
ホロは三日分の弁償働きだと言った。
三人の意見を合わせ、カナタが一日半働くことになった。
五往復目、カナタの右膝が雲板の縁で止まった。上体だけが前へ出る。板を落とさなかった代わりに、膝の内側へ熱が走った。
「助走が足りなかった!」
声だけは明るい。だが恐怖や痛みが強いと、普段より一音低くなる。ルゥは聞き逃さず、工具箱から細い膝帯を投げた。
「巻いて」
「荷物が増える!」
「それ以上壊したら弁償欄に船長を一人足す」
カナタは文句を言いながら巻いた。メグは八歩ごとに振り返り、六往復目から板の半分を持った。誰が先頭かではなく、同じ荷物の左右を持つ。カナタはそれを「二人とも一番」と言いかけ、「今は運ぶ人」と言い直した。
「数え方がおかしい!」
「働いてから言って」とルゥ。
カナタは雲底靴板を背負い、八番雲の端から端へ運ぶ。
一往復目。
二往復目。
三往復目で近道を作ろうとし、未踏路が一番雲へ曲がった。
「また前へ行く!」
「近道禁止!」とメグ。
「先頭が呼んでる!」
「旗が引かれてるだけ!」
四往復目から、カナタは普通の道を歩いた。
「遅い!」
「歩く速さ!」
「空なら一歩!」
「今は町!」
八番雲には、一番雲から一刻ごとに命令が届いた。
次の足跡まで、右へ二指。
歩幅、七十二歩。
荷重、前へ三割。
余分な雲を切り落とせ。
前方の星根だけを見よ。
六番雲の鐘が鳴る。
命令は七つの雲を通り、最後尾へ来るころには少し遅れている。
それでも内容は同じ。
各雲は返事として、同じ一音を返す。
――了解。
ナギは、八番雲の歩鐘の隣へ座っていた。
「本当に了解してる?」
メグは雲針を磨きながら答える。
「しなくても、同じ音」
「右へ二指で大丈夫?」
「八番雲は左へ一指。後ろの雲底が薄いから」
「返した?」
「地図へ書いて送った」
「鐘では?」
「同じ一音」
「一番雲は、どっちを見る?」
「地図は見る。たぶん」
「返事は?」
「命令が来る」
ナギは帳面へ二列を作る。
左。
――一番雲からの命令。
右。
――八番雲からの修正。
行は同じ時刻。
内容は違う。
「二つとも道に要る」
「先頭は、一つでいい」
「道は?」
「一つ」
「雲は?」
「八つ」
「じゃあ、八つの返事が要る」
メグはナギを見る。
「響路士は、返事を増やすの?」
「聞こえるようにする」
「増えたら、決められない」
「決める人が、全部聞けばいい」
「時間がないときは?」
「何を聞かなかったか残す」
ナギの答えは、カナタのように速くない。
でも、途中で変わらない。
その日の午後。
一番雲から、地図の受領音が来た。
一音。
内容はない。
「読んだのかな」とメグ。
「受領と読了は違う」
ナギは帳面へ二つの欄を作った。送った。届いた。読んだ。判断した。四つは同じ印にしない。
メグは雲針を磨きながら、八つの髪輪を後ろから触る。七つ目で指が止まった。
「先頭になったら、後ろから見えるずれを誰が拾うんだろう」
「渡す?」
「まだ誰に、って決めてない」
先頭を望む少女は、先頭になれば失う視点も知っていた。ナギはその迷いを《反対》へも《賛成》へも入れず、未確認欄へ残した。
「受け取った」
「同じ?」
「違う」
ナギは即答した。
「受け取るのと、読んで選ぶのは違う」
カナタが靴板を抱えて戻ってくる。
「何の話だ!」
「先頭が、後ろの地図を見たか」
「カイラなら見るだろ!」
「どうして?」
「歩頭長だから!」
「俺たちの便り、全部読んでる?」
ナギの問いが変わった。
「読んでる!」
「アカリの今の村の地図。新しい薬師渡りはどこ?」
カナタは胸を張る。
「昔の薬師橋の上!」
「二本上」
「近い!」
「ルゥの机、誰が使ってる?」
「セノ!」
「もう一人」
「机が二人を使うのか?」
「フィオ」
「聞いた!」
「地図は?」
「……赤いところが増えた」
「読んでない」
「見た!」
「今の村を、昔の村へ直して見てる」
カナタは反論しようとする。
言葉が出ない。
「カイラも、後ろの地図を一番雲の地図へ直してるかもしれない」
ナギは帳面の二列を見せる。
「同じ前へ進むために、違う返事を消してる」
「でも、歩雲群は十二年落ちなかった」
カナタが言う。
「父ちゃんの村も、十年残った」
「帰還路で」とナギ。
「変わらない記録だけでも、支えられることはある」
「なら、いいだろ」
「今の返事がなくても?」
カナタは白旗を肩へ置く。
答えない。
一番雲から、次の命令が来た。
――根抜け野まで、残り三十六歩。
――全雲、歩幅を一番雲へ統一。
八番雲の右歩脚が、雲底板の下で小さく軋んだ。