第70話 第十一章「三番目の旗」後編
「七つ目?」
カナタが訊く。
『違う。三番目の白杭』
アカリが答える。
『今日の記録を足した音』
「六つ鐘と一緒にするのか?」
『一緒に送ったら、今混じった』
「じゃあ失敗」とナギ。
『うん』
アカリはすぐ認めた。
左手で誤配線を赤く囲み、消さない。初めての多地点配達が成功した記念頁へ、最初の失敗も同じ大きさで残す。
「慰めは?」とフィオ。
「次は分ける」
「自分には?」
アカリは鼻の頭を掻いた。
「悔しい」
事実だけでなく感情も、遅れて返した。
『白杭は比較の記録。鐘歩島への荷じゃない』
ナギは六つ鐘の札と、木の一音を別々に置く。
同じ村から来ても、同じ宛先ではない。
白木片には六つだけを残す。
木の一音は、カゲノハ村の今日の記録へ戻す。
『六つ、受け取った』
スズの五拍子のあと、村の六つ鐘が一度だけ鳴った。
『木の音は返す』
「返したら消える?」とカナタ。
『記録板には残る』
「じゃあ、いい返送!」
「勝手に名前をつけないで」とナギ。
夕方。
鉄歩島へ呼ぶ刻。
ナギが鉄の板を叩く。
こん。
返事なし。
もう一度。
雷の雑音。
カナタは立ち上がる。
「行く!」
「三回目まで」とナギ。
三回目。
長い沈黙。
一。
二。
三。
雷。
四。
『聞こえてる!』
テオの声。
「遅い!」
『雷が多い!』
「無事か!」
『炉が二つ焼けた!』
「無事じゃない!」
『三つ残ってる!』
「多いのか少ないのか!」
ルゥが鉄板へ顔を近づける。
「青苔と細鋲。受け取れる?」
『今なら!』
カゲノハ村。
トマリギ島。
三番港。
鉄歩島。
青苔の荷札が進む。
ところが、三番港の三枚の現標板が同時に光った。
鉄。
森。
鐘。
「何で!」
ナギが板を押さえる。
地面の下。
単路獣が残した白い一本線が、まだ細く残っていた。
線の端では、ヒトスジの小さな三影が眠っている。三つが一つになる位置を探す癖は残ったまま。ただし今は、三枚の現標板そのものではなく、次の呼び声を知らせる共通時刻の札へ額を擦っていた。
制度が変わっても、標災獣の反復行動は一日で消えない。古い総称と獣の習性が重なり、今回の誤配を起こした。獣を退けた後も、運用の手入れは続く。
さらに、カゲノハ村側の宛先札には古い総称が書かれている。
――三脚群島。
青苔の札が三枚に増えた。
森へ。
鐘へ。
鉄へ。
「増えた!」
カナタが喜ぶ。
「薬草へ青苔を入れたら冷えすぎる!」
「鐘へ入れたら音が止まる!」
ナギとルゥが同時に叫ぶ。
「現標板を離して!」
二人が一枚ずつ掴む。
板は白い線へ縫いついて動かない。
「切る!」
ルゥが銀鋲を構える。
「切ったら鉄の受取時刻を逃す!」
「次の雷まで十呼吸!」
テオの声。
カナタは白旗を三枚の上へ構えた。
「全部、鉄の手前!」
「一つだけ!」
「どれが本物だ!」
青苔の札は三枚とも同じ。
形。
色。
文字。
「受取人へ聞く!」
ナギは三つの島へ、同じ問いを別々に送る。
「青苔を待っている?」
森。
三拍子。
『待ってない!』
鐘。
五拍子。
『音が冷える!』
鉄。
雷のあと四拍子。
『こっち!』
三つの札は、同じではなかった。
返事がある道だけが宛先になる。
「ザンバ!」
ナギが呼ぶ。
灰旗の黒い点が、白い一本線へ置かれる。
「《岐点》」
一本線が三つに分かれる。
「誰が選ぶ」
「受け取る人!」
「テオ!」
『鉄歩島!』
四拍子の線だけが黒い点を通る。
カナタがその手前へ一歩分の光板。
「鉄まで!」
青苔の荷札が板を踏む。
最後は、鉄歩島の受取台が引いた。
森と鐘の偽札は紙へ戻る。
ルゥが銀糸で捕まえた。
「同じ荷を増やしても、宛先は増えない!」
「覚えた!」
カナタが叫ぶ。
「次は最初から一つにする!」
「違う!」
三人の声が重なる。
『青苔、受け取った!』
テオの四拍子。
返事がカゲノハ村まで戻る。
『三つ目、配達完了』
アカリの声は、悔しそうだった。
『宛先札を直す。《三脚群島》は場所じゃなく、三つをまとめて呼ぶ名前』
「俺が言った!」
『今、ルゥが言った』
「同じ!」
『同じにしない』
向こうで紙を切る音。
アカリは運用札を三つ増やした。
――宛先は、返事のある一地点。
――返事がなければ、荷を止める。
――最終返事の時刻と、次の呼び声を別に書く。
ルゥは現標板の留め具を三本へ分ける。
ナギは音を三つの頁へ分ける。
ザンバは総称から分岐できる黒点を残す。
カナタは、受取人の一歩手前だけを作る。
どれか一人だけでは、荷は届かない。
四つ目の荷が、第一歩号へ届く。
薄い板札。
日付は今日。
――朝見台、羽根一枚交換。
――南橋、通行幅六歩。
――ルゥの机、右側セノ使用中。
――ザンバの弁償板、旅人宿横へ移動。
――カナタの配達棚、アカリの荷が半分。
「勝手に!」
『使ってないから』
「俺が帰ったら!」
言いかけて、カナタは板の日付を見る。
今日。
帰る日の地図ではない。
「次の板は?」
『必要な日に送る』
「毎日!」
『荷が詰まる』
「一日おき!」
『返せる日に』
アカリは、空の更新札を三枚添えた。
今日の板の下へ、明日以降の板を重ねずに留めるための札。
第一歩号の現標板も作り直された。
船の現在地。
船員の現在地。
次の行き先。
荷の宛先。
最終返事。
返事待ち。
同じ板に置く。
同じ欄へは入れない。
最後に、ナギの役割札。
――響路士、ナギ。
――合流予定。
古い二文字を、ナギが削る。
新しい札。
――乗船中。
カナタがその下へ書き足そうとする。
――ずっと。
ナギが筆を取り上げた。
「書かない」
「乗っただろ!」
「今、乗ってる」
「明日も!」
「たぶん」
「世界の果てまで!」
「まだ聞いてる途中」
「船長命令!」
「返事は、保留」
現標板へ札を一枚。
――船長の呼び声、一回。
――返答、保留。
「そこまで記録するな!」
「今の返事」
ルゥが笑いながら、役割札を船体へ銀鋲で留めた。
工具箱を三度叩く。左手はまだ完全には握れないため、銀鋲は右で打った。痛みが治ったことにはしない。第一歩号には、ルゥが休む日でも外せる点検札が増えている。
カナタはそれを見て「俺が直す」と言いかけ、「誰に聞けばいい」と言い直した。
ザンバは灰旗の石突で、その下へ小さな黒い点を打つ。
「選び直す道も残った」
「降りない!」とカナタ。
「今は乗る」とナギ。
ナギの席の鈴が、一度鳴った。
トマリギ島。
三番港。
カゲノハ村。
鉄。
森。
鐘。
六つの場所が、別々の音を返す。
《連標網》は、大きな一本の道にはならなかった。
小さな道が、必要なときだけ開く。
宛先を間違える日もある。
返事が遅れる日もある。
返事がなければ、閉じたまま荷を止める。
その閉じた場所も、地図から消さない。
翌朝。
三番港には、四人しかいなかった。
カナタ。
ルゥ。
ザンバ。
ナギ。
それから、見送り役のミオ。
「五人いる!」
カナタが数える。
「乗る人が四人」
ミオが言う。
「見送りも仲間!」
「うん」
「じゃあ五人!」
「船員は四人」
「細かい!」
「数える話、次でやって」
三番港の空に、三つの島は見えない。
鉄歩島は雷風路。
森歩島は南の雨。
鐘歩島は西の鳴風。
以前なら、見送りのために戻していたかもしれない。
今は戻さない。
それぞれの仕事と、風の時刻がある。
代わりに、三枚の現標板が港の端へ立っている。
出航前の食卓には、三皿の冷えた料理が置かれていた。鉄、森、鐘。再会の日、鐘歩島が遅れたためミオが先に祝わず残した皿だ。三日目の今、三島の代表が一口ずつ食べ、残りを第一歩号へ渡した。
ミオは一皿をさらに三等分し、一つだけ翌日用に包む。別れが近づくほど言葉が増え、鉄、森、鐘の三つ編みを何度も触った。
「次の再会日、同じ日にはしない。鉄は雷が弱い日。森は苗を移したあと。鐘は返事待ちの船が少ない日。だから、日付はあとで更新する」
「一日決めろ!」とカナタ。
「会うために暮らしを曲げない!」
耳たぶは赤い。強く言うほど、寂しさが近かった。
鉄。
返事は四拍子。
『聞こえてる!』
テオの声。
その後ろで、炉が爆発した。
『今のは予定どおり!』
「予定に爆発を入れるな!」
ルゥが叫ぶ。
『ミナモで先に待ってる!』
「雷風路を一人で抜けてから言いなさい!」
『一人じゃない! 工房艇が三人!』
「誰!」
『俺と、炉番と、修理番!』
「同じ人が兼ねてない?」
『俺と俺と俺!』
「一人!」
響路の向こうで、テオが笑う。
『先に着いたら、銀枝を一本残す』
「勝手に触らないで」
『後から来たら?』
「私が直す」
『壊す前提?』
「あなたでしょ」
『カナタよりは壊さない!』
「聞こえてるぞ!」
カナタが鉄の板へ顔を近づける。
「競争だ!」
『別の道だぞ!』
「同じミナモ!」
『着く日を決めてない!』
「先に着いたほうが一番!」
ミオが後頭部を叩く。
「何を学んだの?」
「最初に着いたことは消えない!」