第69話 第十一章「三番目の旗」前編

三本の線。

雷。

雨。

音。

その上に、まだ空白。

「いつか、一人で上道へ来るか」

「分からん」

「待つ」

「来ないかもしれん」

「来ないと決めない」

レグルは娘の言葉を使った。

ザンバはほんの少しだけ笑う。

「なら、先で会おう」

夕方。

三番港の現標板に、五枚の札が並んだ。

ミオ。

――現在地、三番港。

――次、三島の巡回。

――その先、岐路守。

テオ。

――現在地、鉄歩島。

――次、逆さ銀樹ミナモ。

――同行、なし。

スズ。

――現在地、鐘歩島。

――次、ここ。

――残ることを選択。

ルゥ。

――現在地、鉄歩島。

――次、逆さ銀樹。

――その先、未定。

ザンバ。

――現在地、旧上道。

――次、第一歩号。

――その先、答えず。

「答えず、って何だ!」

カナタが言う。

「返事だ」とザンバ。

「書け!」

「書いてある」

「もっと先!」

「お前も書け」

最後の空欄。

カナタは木札を持つ。

――現在地、三番港。

――次、世界の果て。

書こうとして、ルゥに止められた。

「間が広すぎる」

「途中は全部、世界の果てへの道!」

「次は逆さ銀樹」

「その次!」

「分からない」

「分かる! 世界の果て!」

ナギが札を一枚差した。

――カナタ。次、逆さ銀樹。

――長い行き先、世界の果て。

――途中、未定。

「三つも!」

「今と、次と、願いは別」

「全部同じ前だ!」

「違う」

ナギは自分の札を、その隣へ入れる。

――ナギ。現在地、鐘歩島。

――次、第一歩号。

――帰る場所、トマリギ島。

――長い行き先、まだ聞いている途中。

「四つ!」

「私の返事」

七人ぶん。

どれも同じ長さではない。

同じ先を指さない。

それでも、今は三番港の一枚の板に並んでいる。

カナタは全部を見た。

読める字は増えた。

読めない字も多い。

「これ、いつ消す?」

ミオが訊く。

「会ったら?」

カナタが答える。

「違う」

ナギが首を振る。

「次の返事が来たら、下へ移す」

「古いのは?」

「記録箱」

「いらなくならない?」

「来た道」

ルゥが言った。

「今の行き先に変わっても、前の返事を間違いにはしない」

ミオは自分の札へ触れる。

三日前まで、彼女の現在地は上道だった。

その前は森歩島。

どれも今ではない。

どれも消えてはいない。

「じゃあ、残す」

記録箱へ最初の七枚を入れる。

蓋には、三本の違う線。

交わるのは、中央ではない。

少し先。

これから会う場所だった。

三番港ができて、二十七日目。

三つの島は、初めて別々の日に出発した。

鉄歩島は、二日前。

雷風路を北東へ。

森歩島は、昨日。

雨風路を南へ。

鐘歩島は、今朝。

鳴風路を西へ。

その二十七日のうち、ルゥが第一歩号で眠ったのは四日だけだった。

残りは鉄歩島の工房。

十八基の脚核を一つずつ試し、《別歩機関》の止め方を三人の職人へ渡した。

最初の七日は、ルゥが手を離すたび二基が同じ速さへ戻った。

十二日目、テオが逆向きの歯を一本折った。

十五日目、折れた理由まで記録できた。

二十日目。

テオと二人の職人が、ルゥの手を借りずに三基を止めた。

責任札の下へ、四人の名が並んだ。

ルゥは仮責任者を降りた。

最後の日、十八基すべてが正常でも、ルゥは無傷の機関へ一つだけ点検口を残した。休日に直す物がないと落ち着かず、将来の故障まで作ろうとする悪癖を、今回は「次の人が開けられる場所」へ変えた。

テオは完成した部品を一度分解し、後輩へ組み直させた。四拍で成功。五拍目は出ない。自分がいなくても直ることを、初めて完成と呼んだ。

残る道を捨てたのではない。

今の仕事を、次へ渡してから船へ戻った。

「遅い!」

昨夜、三番港へ戻ったルゥへ、カナタが最初に言った言葉だった。

「二十日って言った」

「二十七日!」

「船の修理が七日増えた」

「誰のせいだ!」

「主に船長」

「俺は港を支えた!」

「鍋蓋を勝手に抜いた」

「返してもらった!」

ナギは二人の間へ、乗船札を一枚置いた。

――ルゥ。現在地、三番港。

――今、第一歩号へ乗る。

「今だけ?」

カナタが訊く。

「まず逆さ銀樹まで」

「その先!」

「着いてから」

カナタは嫌そうな顔をした。

それでも札を抜かなかった。

三番港に残ったのは、銅色の旗と、小さな現標板が三枚。

鉄。

森。

鐘。

そして、修理を終えた第一歩号だった。

「三脚群島、出航!」

カナタが船首で叫ぶ。

「もう一緒に出てない!」

ルゥが操舵輪から訂正する。

「名前は三脚群島!」

「三つをまとめて呼ぶときだけ!」

「今も三つ!」

「場所が違う!」

ナギは三枚を一つずつ叩いた。

鉄。

こん。

返事なし。

最終返事、二日前。

森。

ころん。

三拍子。

雨風路から返る。

鐘。

りん。

五拍子。

鳴風路から返る。

「鉄歩島だけ、返事なし」

「探しに行く!」

カナタが白旗を抜く。

「雷風路へ入ったら響瓶を閉じる予定」

「二日も返せない!」

「だから、次に呼ぶ時刻を書いた」

ナギは鉄歩島の札を裏返す。

――次の呼び声、今夜。

「今夜まで待つ?」

「準備する」

「何を!」

「今夜も返事がなかったとき、どこまで見に行くか」

「着くまで!」

「燃料」

「あるだけ!」

「帰り」

「そのとき作る!」

ザンバが灰旗の石突で燃料箱を叩いた。

空だった。

「出航前に決めろ」

「昨日、満タンだった!」

「三番港の足場を直した」

「俺の鍋蓋も貸してる!」

「地面だ」とルゥ。

「翼!」

今夜まで、第一歩号は動けない。

カナタは不満そうに鉄の現標板の前へ座った。

三十呼吸。

「長い!」

「二日を三十呼吸で縮めないで」

響瓶が震えた。

青い霧が、細い輪を三つ作る。

「鉄!」

カナタが飛びつく。

返ってきたのはアカリだった。

『違う』

「アカリ!」

『現在地は』

「三番港!」

『鉄歩島』

「雷風路。返事なし!」

『森歩島』

「雨風路。返事あり!」

『鐘歩島』

「鳴風路。返事あり!」

向こうで、木札を三枚打つ音。

『今日、カゲノハ村から最初の多地点配達をする』

「荷物!」

カナタの目が輝く。

「食べ物?」

『四つある』

「全部、三番港へ!」

『違う』

一つ目。

鉄歩島へ、熱を逃がす青苔と、ルゥが頼んだ細鋲。

二つ目。

森歩島へ、熱冷ましの薬草苗。

三つ目。

鐘歩島へ、カゲノハ村の六つ鐘を録った白木片。

四つ目。

第一歩号へ、現標板の増設札と今日の村便り。

「四つとも俺たちが運ぶ!」

『三つの島は、もうここにいない』

「あとで届ける!」

『今日届く道を試す』

アカリの声は少し硬い。

カゲノハ村で、アカリは薬箱のへこみを親指でなぞっていた。多地点配達は、自分が設計した初めての大きな運用だ。正確さを守りたいほど記録係の固い声になり、助けを頼めなくなる。

隣ではセノが斜め留め具を四つ並べる。耳鳴りが出ているのに「大丈夫」と言わず、片耳布の札を上げた。アカリも一呼吸休憩札を出す。二人とも、自分の不調を運用外へ追い出さなかった。

《連標網》は、荷物を一か所へ集める名前じゃない』

ナギは三枚の現標板を、響瓶の周囲へ離して置いた。

「鉄は返事なし」

『青苔は止める』

「森は返せる」

『苗を先に送る』

「鐘も」

『白木片は次』

カナタが三枚を見比べる。

「一緒じゃないのか」

『返事も、届く時刻も違う』

「一台の荷車のほうが速い!」

『道が同じなら』

アカリが言う。

『今は違う』

最初の荷は、薬草苗だった。

カゲノハ村の箱そのものが、空を飛ぶわけではない。

朝見台で苗を分ける。

天頂門の運び手が、同じ宛先札を受け取る。

トマリギ島で、イオラが次の鉢へ植え替える。

三番港で、ナギが森歩島の三拍子を確かめる。

物は少しずつ変わる。

根元の土と、宛先と、受け取った返事が道をつなぐ。

『苗、受け取った。次鉢へ』

イオラの声。

ナギの鈴。

森歩島。

三拍子。

『今、受け取れる!』

「送る!」

ナギが響路を開く。

緑の荷札が三番港の現標板へ光る。

カナタが白旗を抜いた。

「俺が道を出す!」

「一歩だけ」とナギ。

「箱まで!」

「最後の箱は森歩島側」

「何を運ぶ!」

「宛先と、次の手」

「字だけ!?」

「根もつながってる」

カナタは納得しきれない顔で、現標板と雨風路の間へ一歩分の光板を出した。

緑の荷札が板を渡る。

遠い森歩島で、同じ札が光る。

農路長リーネが箱を開ける。

トマリギ島で分けられた薬草苗。

根元には、カゲノハ村の土が一握り。

『受け取った!』

返事が一つずつ戻る。

『一つ目、配達完了』

アカリが言う。

「俺の未踏路も使った!」

『最後の一歩だけ』

「一番大事!」

『全部、大事』

「今のはいい全部!」

二つ目の荷。

鐘歩島へ、六つ鐘の白木片。

今度はカナタが口を挟まない。

ナギが呼ぶ。

スズが返す。

木片の音を、響路へ一つずつ渡す。

一つ鐘。

二つ鐘。

三つ。

カゲノハ村では一日を数える音。

鐘歩島では、まだ見たことのない村の今日になる。

六つ目。

低く。

長く。

余韻のあとに、小さな木の音が一つ混じった。