第72話 第十二章「別々のまっすぐ」後編
カナタは少しだけ顔をしかめる。
「分かった」
乗船欄へ、ルゥ。
次にナギ。
「今、乗るか」
「乗る」
「どこまで?」
「次の返事が聞こえるところまで」
「分かりにくい!」
「今は逆さ銀樹」
「分かった!」
ナギ。
ザンバ。
「監視役」
「何だ」
「今、乗るか」
「乗る」
「どこまで」
「お前が一人で道を決めなくなるまで」
「もう決めてない!」
「なら、すぐ降りられるな」
「世界の果てまで見張れ!」
「今は乗る」
ザンバ。
最後の欄。
カナタ。
ミオが訊く。
「船長は、今乗る?」
「俺の船だ!」
「答え」
「乗る!」
「どこまで?」
「世界の果て!」
「次は?」
「逆さ銀樹!」
「途中は?」
カナタは三つの地図を見る。
「聞く!」
「何を?」
「みんなの前!」
ミオは現標板へ最後の札を差した。
――乗船、四。
――見送り、一。
「やっぱり五人!」
「役目が違う」
「でも、今ここ!」
「それは同じ」
カナタは白旗を掲げた。
「行くぞ、第一歩号!」
「待って」
ナギが言う。
「何だ!」
「雨風路へ呼び声」
「道は見えてる!」
「今、通れるかは別」
響路を開く。
三番港から南。
雨風路の入口。
返事なし。
「行ける!」
「返事なし!」
「道がある!」
「向こうから船が来てるかもしれない」
「見れば分かる!」
「雨の中」
カナタは白旗を下ろす。
待つ。
十呼吸。
「長い!」
「もう一回」
呼び声。
今度は、細い雨音が返る。
『通行、一刻後』
南の中継塔。
「一刻!?」
「今は向こうから荷舟」
「横を通る!」
「雨風路は一隻ぶん」
「上!」
「雨が下!」
「じゃあ、別の道!」
カナタは雷の地図へ手を伸ばす。
ルゥが叩く。
「今、雨を選んだ!」
「一刻待つのか!」
「待つ」
「世界の果てが!」
「二日と一刻」
「増えた!」
ザンバは椅子へ座る。
「出航前に分かってよかったな」
「よくない!」
ミオが笑う。
「見送り、一刻増えた」
「何する!」
「弁償」
第一歩号が壊した第八十七枚目の洗濯布を持ってくる。
「まだあった!?」
「三島に分かれて見つかった」
「全部、同じ洗濯物だろ!」
「持ち主が違う」
一刻。
カナタは布を干す。
右へ。
左へ。
三番港の銅旗の下。
白い布が何十枚もはためく。
出航の帆に見えた。
ミオは一枚ずつ持ち主の札を結ぶ。
「同じ白でも、返す場所が違う」
「分かってる!」
「本当に?」
「今回で!」
一刻後。
雨風路から荷舟が三隻出てきた。
一隻目。
森歩島の野菜。
二隻目。
鐘歩島の響瓶。
三隻目。
鉄歩島の黒い箱。
「別々の道なのに、同じ雨から来た!」
カナタが驚く。
「途中で乗り換えた」
ナギが荷札を読む。
「道を変えても、宛先は残る」
黒い箱を開ける。
中には、鍋蓋の取っ手が一つ。
テオの札。
――地面から返してもらった。
札の裏には四つの槌跡と、失敗の五つ目が一つ。最後の一打だけ斜めだった。
――五つ目は、次の人が止める音にした。
ルゥは指で跡をなぞり、工具箱へしまわず現標板へ留めた。テオの仕事を、自分の成果へつなぎ直さないためだ。
ミオが三番港の足場を見る。
鍋蓋があった場所には、三島から持ち寄った板が新しく組まれている。
「返せる」
「俺の翼!」
カナタは取っ手を掴む。
金色の板から鍋蓋が外れる。
三番港は一瞬だけ傾いた。
「待って!」
「返せるって言った!」
「順番!」
ミオが銅旗へ飛びつく。
ルゥが銀鋲を投げる。
ザンバが《岐点》を足場へ置く。
ナギが三島へ現在地を送る。
カナタは鍋蓋を抱えたまま、傾く港の端へ滑る。
「俺のせい!?」
「主に!」
「返したのはテオ!」
「外したのはあんた!」
三島の返事が別々に届く。
鉄。
『右板を締めろ!』
森。
『木支柱を一歩前!』
鐘。
『銅旗、三拍待って!』
「全部!」
カナタが白旗を突く。
「今のはいい全部!」
右板の手前へ一歩。
木支柱の下へ一歩。
銅旗が三拍ぶん耐える場所へ一歩。
三枚は一つへ重ならない。
別々の場所を支える。
三番港が水平へ戻った。
ミオは銅旗を抱えたまま、カナタを見る。
「一刻待って学んだことは?」
「鍋蓋を外す前に聞く!」
「そこ?」
「大事!」
鍋蓋は第一歩号の船首へ戻った。
新しい三路舵の前。
一枚目。
二枚目。
三枚目のように見える。
「やっぱり第三翼!」
「一枚しか増えてない!」
「三番港から来た!」
「好きにして!」
雨風路の中継塔から、通行可の返事。
ナギが頷く。
「今、行ける」
カナタは白旗を振り上げる。
今度は、すぐに道を出さない。
「ルゥ!」
「雨羽、開く!」
三路舵の木羽が一枚だけ前を向く。
「ナギ!」
「中継塔、返事あり! 三番港、記録開始!」
「ザンバ!」
「左右に分岐なし。後方、荷舟なし」
「ミオ!」
「三番旗、見えてる!」
カナタは笑う。
「俺!」
「何するの?」と三人。
「最初の一歩!」
白旗を空へ突く。
「標術――《未踏路》! 雨風路の手前!」
一歩分の光板。
第一歩号が乗る。
その先は、雨風路自身の道。
カナタは二枚目を出さない。
船首が光板の端へ来る。
「次は?」
ルゥが訊く。
「船!」
第一歩号が自分の帆で踏み出した。
雨の道へ入る。
三番港が少しずつ遠ざかる。
銅色の旗。
白い洗濯物。
ミオの姿。
カナタは船尾へ走った。
「ミオ!」
「何!」
「一緒に来るなら、まだ間に合う!」
「行かない!」
「嫌だ!」
「止める?」
カナタは白旗を握る。
「止めない!」
「先で会おう!」
「どこで!」
「三番港!」
「それは後ろ!」
「次の三番旗!」
「まだない!」
「作れ!」
「一人で?」
「誰かと!」
ミオは銅旗を高く掲げる。
三本の三つ編みへ、鉄、森、鐘の順で触れる。最後に自分の胸へ手を置いた。四つ目ではない。三島のどれにも代わらない、ミオ自身の現在地だった。
レグルは少し離れた港で、三脚の椅子を円へ置こうとしている。一脚をまた列へ戻し、ミオに睨まれ、置き直す。改める仕事も別々の速度で続いていた。
ヒトスジの三影は銅旗の共通時刻だけを一度舐め、三本の道へ入らず丸くなる。明日も同じとは限らない。そのための観察札が、旗の根元で風に鳴った。
「先で会おう!」
雨風路が二人の声を分けた。
返事は響路へ回り。
鉄歩島。
森歩島。
鐘歩島。
トマリギ島。
カゲノハ村へ届く。
カゲノハ村で、アカリは現標板へ新しい札を差した。
――第一歩号。
――乗船、四。
――三番港を出航。
――次、逆さ銀樹。
その下。
――道、雨風路。
横には、別の札。
――テオ。雷風路。
――ミオ。三番港。
――スズ。鐘歩島。
同じ頁へ書く。
同じ線では結ばない。
帰還路の脇にある三本の白杭が、風を受ける。
十年前。
出航の日。
今日。
今日の杭へ、第一歩号の出航音が届いた。
アカリは、次の更新杭を立てる場所を空ける。
誰の何日目になるかは、決めない。
明日、橋が動けば位置も変わる。
変わらなければ、「今日は同じ」と記す。
三本は答えではなく、比べるための途中だった。
「先で会おう、だって」
トウヤが響瓶の記録を聞く。
「先って、どこ」
「まだない場所」
アカリはへこんだ薬箱を背負う。
「ないのに会える?」
「作る人たちだから」
「カナタが?」
「カナタだけじゃない」
アカリは今日の配達へ出る。
朝見台。
南橋。
新しい枝道。
三つの行き先。
一人の配達人。
同じ道にはしない。
返事の場所だけ、残していく。
第一歩号は雨風路を進む。
船首の鍋蓋が雨を割る。
黒鉄の舵は眠り。
木羽が曲がり。
音板が次の風を知らせる。
四つ目の椅子で、ナギが三つの返事を聞く。
ルゥは操舵輪を握る。
ザンバは後方の分かれ道を見る。
カナタは船首に立つ。
同じ船。
四つの足音。
カナタの右足は先へ出たがる。ルゥの左手は痛む日は握れない。ナギは音が重なると片目を閉じる。ザンバの機巧腕は雨で幻肢痛を返す。
旅を終えても、体の癖も痛みも消えない。四人は互いを継ぎ合わせて、一人の完全な旅人になるのでもない。それぞれの制約を言い、道具を変え、役目を渡し、必要な時だけ同じ船体へ重さを載せる。
空いた席は保存されていない。今日の四人が、今日座る位置を決めた。
同じ雨へ入っても、見ている先は少しずつ違う。
「世界の果てへ!」
カナタが叫ぶ。
「まず逆さ銀樹!」とルゥ。
「次の返事まで」とナギ。
「雨風路の出口まで」とザンバ。
「ばらばらだ!」
「聞いたでしょ」と三人。
カナタは笑う。
「じゃあ、今は逆さ銀樹!」
第一歩号が一歩、雨を踏む。
その隣を、遠い雷風路が走る。
別の空では、鐘の道が鳴る。
どれも、まっすぐだった。
向きが違うだけで。
最初の一歩を自分が踏まなくても、道は始まる。
同じ船を降りても、仲間は消えない。
別々のまっすぐが、もう一度会う場所を持ったとき。
別れは終点ではなくなる。
三番目の旗が、雨の向こうで小さく光っていた。
世界の果ては、まだ遠い。
そこへ向かう道は、もう一本ではなかった。
了