第245話 第三章「帰路の一歩手前」前編

――利用者、フィオ、セノ、見習い二名。

――ルゥの旧工具、保管。

――帰還後、配置協議。

最後。

発着場へ戻る。

帰還予定欄。

以前は空白だった。

今は一行。

――帰路中。

到着日だけは、まだ書かない。

「待ってるって書かない?」とトウヤ。

「村は動いてる」

「帰ってこい?」

「救難みたい」

「おかえり?」

「まだ着いてない」

「書くことない!」

「現在を書く」

アカリはその日の一行を足した。

――三つ鐘。南荷道、交換完了。

――旅人宿、満室一。

――帰還門、短距離試験成功。

――長期不在試験、一歩手前で停止。

――英雄像、本人未確認。

――村、現在。

返事の鐘を五回鳴らす。

遠い第一歩号へ。

音はそのまま届かない。

天頂門。

外縁枝。

トマリギ島の中継。

いくつもの人の手と鈴を通る。

最後に、ナギが受け取る。

アカリは白紙の十三枚目へ手を置いた。

「帰ってくる日にも、道は変わる」

だから、その日に描く。

カナタのためだけではない。

その日、村にいる全員のために。

白紙をしまった直後、南荷道から訂正の鐘が来た。

アカリは「三つ鐘で一段下」と書いたが、交換板の一本が湿気で膨らみ、作業は四つ鐘へ延びたという。

「十三枚目、もう間違った?」とセノ。

「まだ描いてない。でも、配達札は古くなった」

アカリは札を破らず、赤糸で囲って新時刻を隣へ書く。案内役が現在を知っているのではない。変わったと返してもらい、何度でも直す役だった。

キヌ婆は旅人宿の玄関から鍵束を二度鳴らした。

「客室一、今夜は空き。明日は未定。英雄用には取らないよ」

「本人が帰った日くらい」と村長。

「帰る人のために、今いる客を消す宿は、帰る場所にならない」

紫岸の子どもが窓から手を振る。アカリはその名も、カナタの名と同じ丸い角の札へ書いた。

古い村が見えた瞬間、カナタの右足は半歩先へ出た。

白旗の中央へ手が伸びる。けれど、握る直前に端へ移した。後悔している時だけ出る持ち方を、ルゥもナギも見逃さなかった。

「アカリ。今の道は、どこまで出していい」

響瓶の向こうで、一呼吸。

『船首の一歩手前まで。最後は私の旗へ合わせて』

「受け取った」

任せろ、とは言わなかった。帰る者が、迎える者の仕事まで奪わないためだった。

カゲノハ村まで、残り三本の大枝。

金色の帰還路が、第一歩号の前へはっきり現れた。

幅は船一隻ぶん。

道の両側には、カナタが知っているカゲノハ村が浮かんでいる。

薄暗い広場。

青白い苔灯り。

小さな家。

作業小屋。

大きな苔玉。

十五歳の出航の日。

「見えた!」

カナタが船首へ立つ。

「村!」

「記憶像!」

ルゥが銀鋲を甲板へ打つ。

現在図の十二枚目と船をつなぐ。

銀色の細道が、金色の帰還路の横へ現れる。

細い。

曲がる。

途中に工事札。

「こっちが今」とルゥ。

「狭い!」

「現在の道幅!」

「父ちゃんの道は広い!」

「船ごと昔へ入れるから危ないの!」

ナギは二つの鈴を左右へ置いた。

左。

黒い記録鈴。

右。

カゲノハ村の現在鈴。

金色の道から声。

『たまには帰れ』

左が一音。

「記録」

銀色の細道から声。

『現在地、帰還門』

右が五つ。

「現在」

カナタは両方を見る。

「同じ方向だぞ」

「最後が違う」

金色の道は、出発した日の発着場へまっすぐ。

銀色の道は、途中で左へ四十三歩ぶん曲がる。

新しい帰還門。

「最後だけなら、近くへ行ってから曲がる!」

「船で四十三歩は近くない!」

「一歩ずつ!」

「第一歩号の一歩は家三軒!」

金色の帰還路が強く光った。

白旗の中央へ、古い村の紋が浮かぶ。

家。

祭壇。

一本の道。

カナタの手が操舵輪へ伸びる。

ルゥが叩く前に、ナギが鈴を鳴らした。

五つ。

『カナタ』

アカリ。

『現在地』

「第一歩号、船首!」

『行き先』

「カゲノハ村!」

『先頭』

カナタの口が少し遅れる。

「……アカリ」

『二歩目』

「俺!」

『船は』

「三十歩目!」

『減速して』

「遠い!」

『今の入口は、昔の入口より四十三歩左』

「見えてる!」

『どっち』

「両方!」

『じゃあ、私の旗を見る』

銀色の細道の先。

黄緑の小さな光が一度だけ上がった。

アカリの《宛標》

現在の帰還門を示す。

「小さい!」

『今の旗は、父親の記憶より小さい』

「大きくして!」

『近づいて』

「近づく!」

カナタは操舵輪から手を離した。

ルゥが握る。

「先頭、受け取った?」

「受け取った!」

「本当に?」

「四十三歩、左!」

「よし」

第一歩号は銀色の細道へ入る。

金色の帰還路が船腹へぶつかった。

父の道は、帰る者を知っている場所へ運ぼうとする。

船首が右へ引かれる。

昔の発着場。

カナタの家。

アステルの背中。

金色の景色が、すぐ横にある。

「父ちゃん!」

人影が振り向く。

口が動く。

『行ってこい』

出発の日の記録。

それだけ。

カナタの足が船首へ一歩出た。

「現在!」

ナギの声。

右の鈴、五つ。

第一歩号も船底を五つ鳴らす。

カナタは止まった。

父の背中を見る。

黄緑の小さな旗を見る。

「左!」

ルゥが舵を切る。

第一歩号は現在の細道へ戻った。

金色の人影は消えない。

横を並んで進む。

帰る者の記憶として。

現在地ではないまま。

十三枚目の現在図へ、アカリは先頭の名を書かなかった。

南荷道はトウヤ。風の揺れはフィオ。機巧小屋前はセノ。帰還門外輪はセルク。薬師渡りはマツバ婆。案内の全体はアカリ。

役目の名をそれぞれ別の札へ書き、人名札だけ角を丸くする。

「誰が一番?」とトウヤ。

「今の場所ごとに違う」

トウヤは競争前と違う結び方で左右の靴紐を締めた。右肩の古傷が引く日は昇標の角度が浅い。それを隠さず、荷道担当へ書く。

先頭を渡すとは、何もしない者になることではなかった。

カゲノハ村では、十三枚目の現在図が描かれ始めた。

到着まで、推定一刻。

アカリは発着場の中央へ大紙を広げる。

「南荷道!」

「交換済み!」とトウヤ。

「旅人宿裏!」

「半幅!」とフィオ。

「機巧小屋前!」

「斜め留め具の試験台!」とセノ。

「英雄像!」

全員が像を見る。

布はない。

鼻もある。

「現在!」と村長。

「邪魔!」とアカリ。

「現在だ!」

地図へ描く。

大きすぎる像。

帰還門の正面から少し右。

第一歩号の進路には入っていない。

普通の船なら。

「減速札、二十枚!」

セルクが並べる。

――現在図を受け取るまで直進禁止。

――案内旗を確認。

――帰還門手前、一歩空ける。

――船長がカナタの場合、追加減速。

「最後だけ人の名前!」

アカリが札を見る。

「必要」とセルク。

オウギは帰還門の内輪を点検している。

古い現標板。

五つ目の穴へ返事の鈴。

「アステルの道が強すぎる」

老人が言った。

「帰る者が近いから?」

「それだけではない」

金色の内輪には、村人たちの記憶も映っていた。

十五歳のカナタ。

白旗。

出航の日。

笑って見送った人。

泣いた人。

帰ってこいと願った人。

全員の願いが、同じ昔の発着場へ集まっている。

「村も、昔へ引いてる」

オウギが現標板を叩く。

「待つ者の返事が強すぎれば、帰る者の今を聞かなくなる」

「返事を弱くする?」

「違う返事を増やす」

アカリは広場を見回した。

「帰ってこい、じゃなく」

マツバ婆が杖を上げる。

「薬師渡り、現在!」

フィオ。

「南風路、現在!」

セノ。

「機巧小屋、机三台、現在!」

トウヤ。

「天頂門便、今日も出る!」

旅人宿。

「客室一、空き!」

村長。

「カゲノハ村、現在!」

今あるものを、一つずつ返す。

昔のカナタを待つ声ではない。

今日の村を知らせる声。

帰還門の金色が少し薄くなった。

黄緑の案内線が見える。

「十三枚目、送る!」

アカリは現在図を筒へ入れた。

返事の鐘へつなぐ。

五つ。

天頂門。

外縁中継。

第一歩号。

遠いナギの鈴が受け取る。

『十三枚目』

アカリは声を送る。

『到着日のカゲノハ村』

『先頭、アカリ』

『最後の一歩は、作らない』

『受取先は、そのとき広場にいる人』

少し考える。

『カナタ以外の三人と、第一歩号も現在を送って』

返事が来る。

ルゥ。

『操舵輪』

ナギ。

『響路台』

ザンバ。

『船尾』

第一歩号。

五つ。

最後にカナタ。

『船首!』

「全員、現在」

アカリは黄緑の旗を掲げた。

帰還門の外側。

見えない第一歩号へ。

「配達先、今のカゲノハ村」

標術《宛標》

細い道が伸びる。

金色の大きな帰還路の横。

弱い。

曲がる。

それでも、今日の場所へ続いていた。

「来る!」

フィオが風を読む。

「右四十三歩!」

セノが外輪を開く。

「減速布!」

トウヤが二十枚を放つ。

「全員、下がれ!」

セルクが広場を空ける。

英雄像だけが残った。

「像も!」とアカリ。

「動かせん!」と村長。

「鼻だけ!」

「折るな!」

空の向こう。

枝葉が揺れた。

白い帆。

つぎはぎの船首。

二枚の鍋蓋。

第一歩号が、帰還門の正面へ現れた。