第96話 第十二章「未完成の出航」後編
最後。
ナギがカナタへ訊く。
「船長。今、第一歩号へ乗る?」
「俺の船だ!」
「答え」
「乗る!」
「どこまで」
「世界の果て!」
「次」
「星喰いの夜海!」
「帰還路の登録先」
カナタは一瞬止まる。
「カゲノハ村」
「使うか」
「未定!」
「帰路の詳細」
「未確認!」
「返事、あり」
四つの欄が埋まる。
船へ乗らない者の欄は、別にある。
キリ。
ミナモ、次稿工房。
テオ。
ミナモ、雷路工房艇。
オルド。
原図庫。
ガド。
根重区。
リネ。
暮重区、歌鐘台。
マロ。
炉重区、三角型工房。
リクサ。
現在重観測。
同じ船には乗らない。
現標板から消えない。
「見送り、多い!」
カナタが喜ぶ。
未定入口の周囲に、人が集まっている。
「弁償の確認」とキリ。
「見送りだろ!」
「完成品搬入口の看板」
「最初の日!」
「検査輪、三」
「直った!」
「透明羽根、七」
「町を救った!」
「廃図庫の紙束」
「次稿工房になった!」
「重場栓」
「落重期で壊れた!」
「最初に抜いたの、第一歩号」
「全部、町の続きになった!」
キリは弁償板を見る。
「確かに」
「なし!」
「費用は残る」
「厳しい!」
オルドが銀の小箱を持ってくる。
中には、第一歩号が壊した完成門の破片。
まっすぐな銀板。
「修理材に使え」
「弁償?」
「町から船へ」
「もらっていいのか!」
「今は不要だ」
「廃図?」
「次稿材」
カナタは銀板を船首へつけようとする。
「そこは鍋蓋!」
ルゥが止める。
「二枚目!」
「増やさない!」
結局、銀板は船尾の補強へ。
原図復元の傷の横に入った。
ザンバはオルドへ灰旗を差し出す。
「何だ」
「縫い目が緩んだ」
落重期で黒へ戻りかけた布。
オルドの銀指が傷を読む。
「原図へ戻すか」
「冗談か」
「今のは分かりやすかっただろう」
「お前が言うと分かりにくい」
灰布の裂け目へ、違う長さの留め具を三本。
「同じ鋲ではないのか」
「今の裂け方が違う」
「学んだな」
「遅いと言われた」
オルドは旗を返す。
「帰ったら、見せろ」
「どこへ」
「戻る場所へ」
「お前に報告する理由はない」
「では、返事を聞く」
ミナモ標の小鐘を指す。
ザンバは何も答えない。
灰旗を背負う。
キリはルゥへ、五十八枚目の紙を渡す。
――遠隔次稿の試験。
第一歩号で変えた機巧を、ミナモへ音で送る。
「毎日?」
「変えたとき」
「カナタがいると毎日」
「じゃあ毎日」
「無理!」
「次の人へ渡して」
「誰に!」
「ナギ」
「記録はする」とナギ。
「図は描かない」
「ザンバ」
「断る」
「カナタ」
「描く!」
「読めない」と三人。
キリは笑い、紙の下へ書く。
――誰が描くか、保留。
テオは四枚羽根の工房艇へ乗っていた。
「見送り飛行!」
「飛ぶのか!」
「三拍!」
「四拍目は!」
「着地!」
「落ちるんだろ!」
「違う! 今度は!」
工房艇が桟橋から飛ぶ。
一拍。
雷羽。
二拍。
雨羽。
三拍。
破れ羽根。
四拍目。
新しい銀羽根が開く。
艇は落ちなかった。
少しだけ横へ曲がり、未定入口の看板へ突っ込んだ。
がん――。
看板が斜めになる。
斜めねじが締まる。
「飛んだ!」
テオが腕を上げる。
「看板!」
キリの声。
「着地!」
「衝突!」
「一呼吸飛んだ!」
「五十九枚目!」
「成功欄!」
「事故欄も!」
第一歩号の四人が笑う。
別の船。
別の道。
同じ空。
「先で会おう!」
カナタが叫ぶ。
「次は壊してない港で!」
テオが返す。
「難しい!」
「努力しろ!」
出航路の観測板に、三つの道が出ている。
一つ。
星屑帯の外を回る安全路。
遠い。
二つ。
逆雨の細道。
早いが、第一歩号の帆が濡れる。
三つ。
まだ地図にない暗い風路。
星喰いの夜海から、五つの音が届いている。
こん。
こん。
こん。
こん。
こん。
今、ここだ。
「夜海から返事!」
ナギが耳を澄ます。
「リラ?」
「同じ合図。でも、誰かは分からない」
「行く!」
カナタが即答する。
ルゥは船体を見る。
「暗い風路。重場図なし」
ザンバ。
「分岐は三つ。戻り路、一つ」
ナギ。
「呼べば返る。次の音まで、十呼吸」
カナタは三人を見る。
「どうする!」
以前なら、自分で暗い道を選んでいた。
今は聞く。
「安全路なら、船は確実」とルゥ。
「暗い風路なら、今いる人へ早い」とナギ。
「逆雨路なら、中間」とザンバ。
「三つ!」
「船長は?」
カナタは五つの音を聞く。
「暗い風路」
「理由」
「呼んでる」
ナギが頷く。
ルゥは少し考える。
「可変重継舵の試験には、一番危険」
「じゃあだめ?」
「一番必要」
「どっち!」
「行く。途中で重場が合わなければ戻る」
ザンバ。
「戻り路は残す」
四人の答えがそろう。
同じ理由ではない。
第一歩号は、暗い風路を選んだ。
未定入口の鐘が鳴った。
一つ目。
第一歩号、出航準備。
二つ目。
乗船、四。
三つ目。
行き先、星喰いの夜海。
四つ目は、中央から鳴らない。
キリが工具で、桟橋の銀板を三回叩く。
テオが工房艇から四拍子。
リネの歌鐘。
ガドの杭。
マロの三角型。
リクサの誤差簿。
オルドの銀指。
違う音が、出航の返事になる。
キリは風眼鏡を額へ上げていた。見送りは私的な時間。その右手の小指は疲れで少し浮き、完全な機巧師の手には戻っていない。
テオは黒い手袋を逆向きに掛け、腰を伸ばすため工房艇の縁へ座る。リネの歌鐘は、兄ガドが代わりに鳴らさず、本人の一拍から始まる。マロは肩より高く型を掲げず胸の位置で鳴らし、リクサは自分の体重を加えた測定帳を叩く。
同じ見送りでも、誰一人同じ姿勢ではなかった。
ナギは一つずつ現標板へ書く。
「見送り、返事あり」
ルゥは操舵輪を握る。
可変重継舵。
四枚目の空枠は、まだ空。
「何をつける?」
カナタが訊く。
「夜海で決める」
「星!」
「重い!」
「小さい星!」
「釣らないで!」
「まだ何もしてない!」
「顔」
ザンバは船尾で灰旗を立てる。
暗い風路。
三つの分岐。
戻る道。
今は全部見える。
カナタは船首へ立つ。
白旗。
無数の道が手を取り合う紋。
中央の空白。
帆柱には、小さな灰青の写し旗。
欠けた歯車。
次の手が入る場所。
「出航!」
カナタが白旗を振る。
「待って」
ナギ。
「何だ!」
「暗い風路へ、もう一度」
「返事はあった!」
「今の返事」
五つの音を送る。
一。
二。
三。
四。
五。
十呼吸。
「長い!」
「数えない」
「一! 二!」
「数えてる!」
「三!」
「長く感じる!」
「四!」
「静かに!」
「五!」
暗い風路から、返事。
こん。
こん。
こん。
こん。
こん。
そのあと、別の音。
からん。
一度。
「何?」
カナタが訊く。
「道が一つ落ちた」
「今!?」
「右分岐、閉鎖」
ザンバが灰旗を見る。
「戻り路は左」
ルゥが可変重継舵を左へ合わせる。
「今、行ける」
ナギが言った。
「今度こそ!」
カナタは白旗を空へ突く。
「標術――《未踏路》! 暗い風路の手前!」
右膝の古傷が一瞬遅れた。カナタはそれを助走と呼ばず、甲板へ重さを戻す。
一歩を置く。
次の一歩を、自分で続けない。
白旗の端を握ったまま、第一歩号の返事を待った。
一歩分の光板。
以前なら、風路の奥まで何枚も出した。
今は一枚。
第一歩号が乗る。
船首が光板の端へ来る。
「次は!」
ルゥが叫ぶ。
「船!」
カナタが答える。
朝火炉が唸る。
帆が暗い風を受ける。
第一歩号が、自分の力で最後の一歩を踏んだ。
未定入口が遠ざかる。
キリが灰青色の旗を掲げる。
「続き、見せて!」
「お前も!」
カナタが帆柱の小旗を振る。
「完成したら?」
「次稿にする!」
「終わらないな!」
「冒険だろ!」
テオの工房艇が、一呼吸だけ隣を飛ぶ。
五十九枚目の銀羽根が震える。
「先で!」
「どこで!」
「まだない場所!」
「作れ!」
「そっちも!」
工房艇はミナモへ戻る。
第一歩号は暗い風路へ入る。
町の光が小さくなる。
連鐘は消えない。
ミナモ。
返事あり。
三番港。
返事あり。
トマリギ島。
返事あり。
カゲノハ村。
今の返事。
『行ってらっしゃい』
アカリの声。
その奥に、古い帰還路の固定記録。
『たまには帰れ』
同じ音路にある。
同じ声ではない。
ナギは灰札と黄緑の札へ分ける。
カナタは両方を聞く。
「行ってきます!」
今は、今日届いたアカリの声へ返す。
帰路の欄は空白のまま。
白旗が暗い風を受ける。
中央の空白は、まだ埋まらない。
最初の一歩。
二番目の往きと帰りの場所。
三番目のまた会う場所。
四番目の、次の手へ残す場所。
道は、完成したから続くのではない。
誰かが続きを受け取れるよう、途中を残すから続く。
第一歩号の四つの足音が、暗い風路へ重なる。
同じ船。
違う役目。
カナタの右足は先へ出たがる。
ルゥの左手は、痛む日は握れない。
ナギは音が重なると片耳を閉じる。
ザンバの機巧腕は、冷えた夜に幻肢痛を返す。
四人は互いの欠けを埋めて、一人の完全な旅人になるのではない。それぞれの制約を言い、道具を変え、必要な仕事だけ渡す。
第一歩号も、完成品ではなかった。だから、今日の四人が今日の形で乗れた。
次の一歩は、まだ誰のものでもない。
だから、踏める。
世界の果ては、まだ遠い。
そこへ向かう道に、四番目の旗が小さくはためいていた。
了