第98話 第一章「暗い風路で五つ鳴る」後編

「船団!」

カナタの目が輝く。

「今、喜ぶところ!?」

少女が鎖を離した。

「ホシマルは船団の星錨につながってる! 引かれる!」

「ちょうどいい! 着港できる!」

「この速度で!?」

ホシマルが逃げる。

第一歩号と小舟が、その後ろへつながる。

ナギは響路士席の小鐘を五回叩いた。

「第一歩号、乗員四! 星灯魚一! 小舟一! 進路、船団!」

「鍋蓋二!」

「数えない!」

「仲間だぞ!」

「道具!」

船団の外周で警鐘が鳴った。

からん。

からん。

からん。

動く桟橋から人々が旗を振る。

「減速しろ!」

「灯を落とせ!」

「停船するな!」

「どれだ!」

カナタが叫ぶ。

「全部!」と藍髪の少女。

「減速して、灯を落として、止まらない!」

「難しい!」

「普通の入港!」

「この船に普通を求めないで!」

ルゥが操舵輪を切った。

二枚の鍋蓋が夜の重さを掴む。

一枚目が上。

二枚目が横。

第一歩号は斜めに一回転した。

「第四翼が働いた!」

「働きすぎ!」

最初に巻き込んだのは、眠りながら歩く人々を運ぶ寝台船だった。

何十個もの吊り寝台が帆柱へ引っかかる。

眠っていた人々が一斉に目を開いた。

「朝か!?」

「事故です!」

「どっちも嫌だ!」

次に、移動食堂の煙突を三本さらった。

鍋が空へ舞う。

カナタが一つ受け止める。

「仲間!」

「返して!」

さらに回転橋へ乗り上げる。

橋は止まらない。

第一歩号を載せたまま横へ走る。

「船が道を走ってる!」

「前にもあった!」とルゥ。

「今度は橋が動いてる!」

「違いを楽しむな!」

少女の小舟は途中で鎖を外し、身軽に橋を滑った。

「停泊庫へ!」

「止まっていいのか?」

「緊急時だけ!」

「今は緊急!」

カナタは白旗を抜いた。

「標術――《未踏路》! 停泊庫の手前!」

一歩分の光板。

夜の重さに引かれ、途中で縦になる。

第一歩号が乗り上げた。

船体が九十度曲がる。

次の一歩。

また九十度。

星の間を階段のように下り、停泊庫の入口へ向かう。

入口には大きな看板。

――停止三十呼吸以上、厳禁。

「停泊庫なのに!?」

第一歩号が看板を真ん中から割った。

停泊庫には、止まった船が積まれていた。

帆を失った船。

炉の消えた船。

半分だけの舟。

船名板を外された船。

どれも、星航船団の速度についていけなくなったものらしい。

第一歩号は一隻目へ乗り上げた。

二隻目を押す。

三隻目が倒れる。

船の山が崩れた。

「左!」

ルゥが叫ぶ。

「左に船!」

「右!」

「右も船!」

「上!」

「船!」

「下!」

「全部船!」

「じゃあ前!」

「一番多い!」

第一歩号は黒い帆布の山へ突っ込んだ。

ぼふん、と夜色の布が舞う。

しばらくして、帆布からカナタの腕だけが出た。

「着港……!」

藍髪の少女が小舟から飛び降りる。

「止まってる!」

「停泊庫だろ!」

「この船団で、本当に止まる船があるなんて……!」

驚く場所が違った。

ナギは響路士席ごと帆布へ埋まっていた。

安全糸だけが、帆柱から一直線に伸びている。

「ナギ!」

カナタが糸を引く。

「返事!」

「いる」

帆布の中から声。

「五つ!」

「近い」

「点呼!」

ナギは見えない場所から、船腹を五回叩いた。

こん。

こん。

こん。

こん。

こん。

「今、ここ」

ルゥは操舵輪へ逆さまにぶら下がっている。

「ルゥ!」

「いる!」

「五つ!」

「見えてるでしょ!」

「点呼!」

ルゥは工具の柄で船腹を五回。

「ザンバ!」

「ここだ」

男は倒れた船の上へ、椅子ごと着地していた。

日除けも無事。

「なんでお前だけ!」

「停泊の準備をしていた」

「ずるい!」

「三度言った」

「俺には?」

「主にお前へ」

ザンバも旗竿で五つ。

最後にカナタ。

ナギが呼ぶ。

「船長」

「ここ!」

「五つ」

「今返事した!」

「記録」

カナタは帆布から這い出し、胸を五回叩いた。

四つ目で咳き込み、五つ目だけ弱くなる。

「今、ここだ!」

「全員、返事あり」

ナギは青い帳面へ書く。

帆布の中で音が一度に跳ね返り、ナギの舌へ薄い金属味が出た。左耳の栓を替え、片目を閉じる。奥行きが失われる代わりに、今は四人の声を一つずつ近くへ戻せる。

「道具のほうが疲れた」

本人が限界を隠す日の言い方だった。ルゥは帳面ではなく、ナギの肩へ安全糸を一本増やした。

――第一歩号、停泊庫。

――乗員四、返事あり。

――星灯魚、干し茸袋。

「ホシマルまで数えるのか?」

「生きてる」

「鍋蓋は!」

「道具」

「差別!」

帆布の向こうで、ホシマルが干し茸袋から顔を出した。

青白い尾を振る。

こん。

一度だけ、船腹へ当たった。

「返事した!」

「一回」

「短いここ!」

藍髪の少女がカナタの襟を掴んだ。

「ホシマルを返して」

リラは先にホシマルへ小さく頭を下げた。

「餌を勝手に使わせて、ごめん」

毎回、食事前に魚へ謝る。星錨として働かせる以上、餌を与える側が所有者ではないという、少女なりの決まりだった。ホシマルは謝罪に答えず、頬袋の茸を飲み込んで泡を三つ出した。

「友達になった!」

「餌を取られた!」

「同じだ!」

「違う!」

少女の名はリラ。

十五歳。

星航船団《ノクティル》《灯拾い》見習い。

消えかけた星灯りを探し、船団へ戻す仕事。

そして、第一歩号が壊した停止禁止の看板の担当だった。

弁償板を受け取る左手が、一度だけ胸側へ寄った。右手で数字を書くたび、小指だけが外へ立つ。

リラは自分を「灯拾い」と名乗り、個人名より先に職務札を板へ置いた。

「弁償」

細長い板へ数字を書く。

「看板一枚だろ!」

「停泊船、二十六隻」

「もともと壊れてた!」

「積み方が変わった」

「帆布!」

「三百二十枚」

「布は無事!」

「順番が変わった」

「前の町と同じこと言う!」

「前の町でも壊したんだ」とリラ。

「町を直した!」

「最初に壊した?」

「少し!」

ルゥが船腹を調べる。

カゲノハ村の古い板。

トマリギ島の白雲材。

三脚群島の黒鉄板と曲がり木。

ミナモの銀枝。

全部、まだつながっている。

「船体、三か所へこみ。帆、二枚裂け。可変重継舵の四枠目に黒帆が詰まった」

「第五枠にする!」

「増やさない!」

ナギは停泊庫の奥を見た。

止まった船は、修理を待っていない。

帆を外され。

炉を抜かれ。

使える板だけ別の船へ運ばれている。

「ここ、船の墓?」

リラが少し考える。

「倉庫」

「戻る船は?」

「ない」

「修理できる船も?」

「動けなくなった時点で、次の泊星に間に合わない」

「今の泊星で直せばいい」

「止まってるあいだにネブラが来る」

停泊庫の外。

星航船団は、白金色の泊星を中心に回り続けている。

橋。

船。

店。

寝台。

何一つ止まらない。

「止まったら、捨てるのか」

カナタが言った。

「捨てない。使えるものを渡す」

「船は?」

「途中を次の船へ」

四番目の小旗が、第一歩号の帆柱で揺れた。

灰青色。

欠けた歯車。

続きを渡すための空白。

リラの説明は、ミナモで覚えた言葉と似ている。

それでも、何かが違った。

「持ち主は?」

ナギが訊く。

「次の船へ乗る」

「乗れなかったら?」

「停泊庫の寝台へ」

「寝台は動く?」

「動く船へつなぐ」

「返事できない人は?」

「……数えない」

リラの声が短くなる。

「出航点呼は、動ける人だけ」

「寝てる人は?」

「起こす」

「病気の人」

「寝台ごと」

「返事できない人」

「灯索の札で数える」

「札が外れたら?」

リラは答えなかった。

遠くで、五つの音。

こん。

こん。

こん。

こん。

こん。

少女の黒い耳飾りが震える。

ナギの鈴も。

二人が同時に顔を上げた。

「今の、船団じゃない」

ナギ。

「外周の暗舟」

リラ。

「知ってる?」

「七日前、灯索を切られた船」

「返事してる」

「夜鳴りかもしれない」

「問いを変える」

ナギは鈴を三回。

一回。

間。

二回。

今まで送っていない合図。

暗い風の奥。

長い沈黙。

一回。

間。

二回。

同じ形が返った。

「生きた返事」

ナギが言う。

リラの目が大きくなる。

「どうして分かる」

「問いで変わった」

「残響でも、変わることはある」

「次」

今度は二回。

長い間。

一回。

返事。

二回。

長い間。

一回。

リラは耳飾りを握る。

「誰かが聞いてる」

「うん」

「兄さんかもしれない」

「誰かは、まだ分からない」

ナギの声は冷たくない。

期待を消さない。

分かった形へも戻さない。

「でも、今いる」

リラは五つの白い点を持つ旗へ触れた。

「灯主に言う」

「俺も!」

カナタが帆布を蹴って立つ。

「船団ごと迎えに行く!」

「まず船を直す!」とルゥ。

「まず弁償」とリラ。

「まず返事を記録」とナギ。

「まず夜を見る」とザンバ。

「五つある!」

「今の役目」とナギ。

四人と一人は、別々の順番で同じ場所を出た。